1、プロローグ 人生の始まり
「三つ子ですね」
不妊治療で有名な産婦人科の診察室で、エコー画像を見ながら行方真理子は医者に告げられた。
おめでとうという言葉はなく、難しい顔で画像を眺めている。
「あの……先生……。ちゃんと生きてるんですよね?」
真理子は不安な面持ちで尋ねた。
「とりあえず心拍は確認出来ましたが……。正直不安です」
「不安というと……?」
医師の要領を得ない言い方に少しいらいらする。
「三つ子の初産、しかも今年四十才というあなたの年齢を考えると……。とても三人の子供を胎内で育てられるとは思えません」
「そんな……」
「それに流産しやすい体質のようですしね」
医者がおめでとうと言わないのは、過去に何度も流産しているからだ。
どういうわけか子供が子宮に根付かない。
妊娠さえしない不妊に比べたらいいじゃないかと言う人もいるが、それは大きな間違いだ。
赤ちゃんが出来たと喜んでは流れてしまう苦しみは、真理子の精神を痛めつけていた。
気付けば今年四十才という年齢に焦るのに、最近は妊娠もしなくなっていた。
そして排卵誘発剤を使ったため、多胎妊娠になったらしい。
「減数手術……という方法もなくはないですが……」
「減数……? まさかそれって……」
「胎児に塩化カリウムを注射して一部の胎児を中絶する方法です」
真理子は青ざめた。
「一部ってどの子を? 誰がどうやって選ぶんですか?」
まあ当然出てくる疑問だ。
この手術は倫理的にも問題があって、法の整備も進んでいない。
普通は四胎以上の妊娠で検討する。
三つ子なら三人とも元気に育つ可能性も充分あるのに、余計なことを言ってしまったかと医師は後悔した。
しかし……。
「男の子を残して下さい」
妙に思い詰めた顔で、あっさり命を間引こうとする妊婦に驚いた。
「男の子?」
「はい。どうしても後継ぎに男の子を生まなければならないんです。今まではどっちでもいいからと思ってきましたが、年齢的にももう後がないんです。だったら男の子を残して下さい」
ひと昔前なら、男子を生めない女性は離縁されるような時代もあったが、最近では珍しい。
むしろ一人しか生めないなら女の子がいいという人も増えてきた。
よほど旧家の格式高い家なのかもしれない。
確かに身なりもよく、いいとこの奥さんという雰囲気だった。
「いえ、性別よりもこの場合、子宮内の位置で胎児を選ぶものでして……。それに今の段階だと自然に流れる胎児がいるかもしれません。その危険性と、こういう手段もあるのだという事を念頭に置いていて欲しいのです。それらを踏まえた上で、もう少し様子を見てみましょう」
「分かりました」
◇
その2週間後の検診では、三人の胎児は無事成長していた。
「ああ。性別が分かりますね。聞きたいですか?」
医師はエコー画像を見ながら真理子に尋ねた。
「は、はい! 是非!」
医師はその意気込みの強さに、そういえば男子を切望している妊婦だったと思い出した。
毎日数十人の妊婦を診ている医師としては、医療に関係ない諸事情まではいちいち覚えていない。どちらの性別を希望しているかなんて、医師にとっては些末な問題だ。
「これは一卵性の双胎と、単胎の三つ子だと思われます。一卵性の双子の方はおそらく女の子ですね。それから……ああ、もう一人は男の子ですよ。良かったですね」
軽い気持ちで伝えたつもりだったが、真理子は涙を浮かべて喜んだ。
「本当ですか! 良かった……。男の子なんですね」
そして胎児の位置を見て、減数手術は出来ないなと思った。
「この単胎の一人が一番子宮口の近くに位置しています。減数手術の場合は、あとの二人が一卵性の事を考えてみても、この一人を減らすのが無難です」
「そ、そんな! 絶対嫌です!!」
「そうですね。ではリスクは高くなりますが、三つ子の出産ということで計画を立てていきましょう」
「はい! ありがとうございます!」
できる事なら三人とも授かりたい。
その意欲が見えて、医師はほっとした。
妊婦の中には、三つ子を育てる自信がないと難色を示す人もいる。
体力的、経済的に無理な場合もあるのは仕方ない。
女の子一人だけが欲しいと、無理難題をふっかける妊婦もいる。
それに比べたら、男の子重視とはいえ三人授かったことを喜ぶ真理子は良い母親になれそうだった。
異変が生じたのは、その更に二週間後だった。
「あれ? これは……」
次の検診でエコーを見ながら医師が首を傾げた。
何度も何度も同じ所を探って見ている。
「どうしたんですか?」
真理子は不安げに尋ねた。
こんなやりとりに既視感があった。
「心拍が止まってますね」
やっぱり……と思った。
こんな形で流産を何度も経験してきた。
「でも一人だけですよ。二人は元気に動いています」
医師は慰めるようにポジティヴな言葉を探した。
「むしろ三つ子が双子になってリスクが減ったと考えましょう。
残った二人は元気に生まれる確率がずいぶん上がりましたよ」
「どっちですか……?」
「え?」
「亡くなったのは男の子の方なんですか?」
「ああ、そうですね。一卵性の二人の方だともう一人も危なかった。二人が生きられるように自分から身を引いたんですね」
「……身を引く……」
妊婦は泣き始めるのかと思ったら、無表情に受け止めていた。
それを医師は、流産を何度も経験している故の落ち着きだと理解した。
「亡くなった子はどうなるのですか? このまま子宮の中にいるのですか?」
「あ、いえ。おそらくまだ週数も早いので溶けて子宮組織に吸収されていくでしょう」
「吸収……」
妊婦の顔が一瞬こわばったように見えた。
だが次の瞬間には、無表情に戻っていた。
「残った二人がこの子を吸収して、この子の分まで元気に育ってくれますよ」
その医師の言葉を裏付けるように、検診ごとに双子はどんどん大きくなっていった。
だがやがてまた問題が起こった。
「どうして……」
その異常は、真理子にもすぐに分かった。
片一方ばかりが大きくなって、もう一人があまり成長していないのだ。
「胎盤を共有する一卵性の双子ではよくある事ですよ。なんらかの事情で一方にばかり栄養が流れてるんでしょうね」
週数が進むごとに、その違いは顕著になってきた。
「この子ばかりが大きくなって、もう一人は大丈夫なんですか?」
たまりかねて真理子は医師に尋ねた。
「うーん、大丈夫とは言い切れないけど、まだ正常の範囲内ですよ」
「亡くなった一人の胎嚢はどこにいったんですか?」
前回までは見えていた胎嚢がなくなっていた。
「ああ。もう吸収されたようですね。早かったですね」
「この子が食べたんですか?」
「え?」
「だって亡くなった子の近くにいた方ばっかり大きくなって……」
「いや、それは偶然ですよ。口から栄養をとるわけでもないですし」
しかし、その後もどんどん双子の大きさには格差がついていき……。
「きゃあああ!!」
ある日のエコー画像では、たまたま大きく口を開けている所が大写しになった。
まるで何かを食べているように、口をパクパクさせている。
「この子がもう一人の子まで食べようとしている……」
真理子には、なにか得体の知れない生き物が自分の赤ちゃんを食べていくように思えた。
「落ち着いて下さい。
これは口を動かしているだけで、実際になにかを食べているわけではありません」
「でも……でも……もう一人がどんどん押し潰されて……」
確かに大きな胎児が小さな胎児を押し潰しているようにも見える。
「たまたま今日の写りがそんな風に見えるだけですよ」
真理子は男の子を失ったショックと、双子を身ごもる体の負担で不眠が続き、精神のバランスを崩していた。何人もの子供を流産で亡くした自分を責めて、追い詰めて、自分の罪を肩代わりしてくれる存在が必要だった。
やがて管理入院の末に、なんとか三十六週までお腹でもたせた。
そして帝王切開で生まれた赤ちゃんは……。
「すぐにNICUへ! 思ったより小さかったな……。
三十六週までもたせたのに……」
バタバタと走り回る看護婦達の様子から、危険な状態なのだとすぐに分かった。
もう一人に圧迫されてたのか、頭の形も片側に歪んでいるように見えた。
赤黒く、泣き声も上げずに手の平におさまる大きさでぐったりしている。
真理子は今にも死に逝こうとしている命がたまらなく愛おしくなった。
へその緒を切って慌ただしく連れて行かれる赤ちゃんに手を伸ばす。
「待って……」
しかしその真理子の声を遮るように、けたたましい泣き声が響いた。
「あぎゃああ! ほぎゃああ!」
まるで弱き命を蹴散らして、「私を見て!」と叫んでいるように見えた。
「元気な女の子ですよ。おめでとうございます」
看護婦は丸々とした赤ちゃんを捧げ見せて、笑顔で祝いの言葉を告げた。
まるでこの子だけは元気に生まれたのだから、あの子は仕方ないじゃないとでも言うように。
他の子は諦めてと言うように……。
「ほぎゃああ! はぎゃああ!」
私がみんなの栄養を奪い取って生まれてきたの。
だから私だけを見て。
満たされたように丸々とした体で泣き叫ぶ赤ちゃんは、そう言っていたのだ。
だから真理子は、引きつった顔で呟いた。
「人殺し……」
次話タイトルは「現在」です。