第一話 結婚-1
プロローグで挨拶できなかったので。
はじめまして、榊と申します。初となるこの作品、息抜き程度に楽しんでいただけたらな、と思っています。それでは、第一話をお楽しみください。
大陸の果て。緑が息吹き、水が青く澄んでいるテレステオ村の別称だ。
全てを破壊し全てを蹂躙する永久の大戦。その火の粉が降りかからない、希少な地域だ。
住む村人の顔には笑みが絶えず、飛ぶ鳥までもが心地よく鳴いている気さえする。森に囲まれ、川と共に在り、大地の恩恵を受け続けるテレステオ村では今日、珍しく結婚式が行われていた。
村の中央に位置する礼拝堂内で、今日夫婦となる二人が愛を誓い合っていた。筈だったのだが。
「だーかーらー‼︎私は結婚なんかしないって言ってるでしょ!?」
「もう式終わりで良い?めんどくさいから終わって良い?」
結婚自体を拒否し続ける新婦。
式を放置して去っていく新郎。
その場にいた全員が、新婚夫婦に対して同じ感想を抱いていた。
(あ、この夫婦もうだめだ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は遡り、今より三日前。
畑では女性達が草を刈り取り地を耕して。
森では男性達が木を切り崩し枝を集めて。
村では子供達が水を掛け合い土を固めて。
食物を育てる者、材料を集める者、楽しく遊ぶ者────
いつも通り平和だった村に、突如として一人の少女の声が響いた。
「はあ!?私が結婚!?いやよ、いやね、絶対いや!!」
その声は村を囲む森まで届き。
その森にいた男達は驚き村へ駆け付け。
駆け付けた村では子供達が騒いでおり。
騒いでいる子供達を見た女性は何事かと声が聞こえた方へと向かった。
一度にして村人の作業を止めた声の主は、机を挟み年長者を睨んでいた。
長い銀の髪を揺らし、清楚な顔を歪め、可憐な声を荒げ叫んだ。
「何でいきなり結婚なんかしなくちゃいけないの!?確かに今年で17だし結婚する時期なのは分かるけど、相手が決定済みなのは気に入らないわ‼︎却下よ却下‼︎結婚相手くらい自分で選ぶわ‼︎」
村に中央を流れる川を渡る事の出来る村唯一の橋。その橋のすぐ横に堂々と建っている木造の家の中で少女は叫んでいた。
この辺りでは滅多に存在しない希少な木を利用した黒い家の前に、声を聞き駆け付けた村人達が群がっていた。
──結婚?何の事だ?
──まあ、遂にあの子もお嫁さんに行くのね。
──村長、今度は何やらかして怒鳴られてるんだ?
──あの村長の事よ、人の話も聞かず勝手に話を進めたに違いないわ。
──大変だなあの子も。
村人が揃えて口にしている村長。今家の中で少女に叫ばれ萎縮している老人こそが、その村長たる人物だ。
立派な白い髭を掻きながら、頭を困らせている様子だった。
「ふーむ、お前さんの言い分は分からない事も無い。だがこれはもう決定した事じゃ。今更とやかく言ったところで何も変わりはせんよ」
「そうやって勝手に決める所私嫌い!!村長なんて大っ嫌い!!」
「ぐ、ぐぅぅ……。お、お前さんに何と言われようとわしはへこたれんぞ。結婚式は三日後の予定じゃ。色々準備を……」
「ぜーーーーったいに‼︎結婚なんてしないから‼︎」
バン、と扉を勢い良く開け、少女はどこかへ走って行ってしまった。
その様子を見ていた村人達は悲しんでいる村長の事など気にもせずその場から走り去っていた。
村唯一の人ではない人である少女が結婚する。すぐに噂は村中に広まっていった。
あとついでに、村長の評判も驚くスピードで下がっていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アスミ。それが銀髪の少女の名前だ。
アスミは本当の名前を知らない。何故なら名付けてくれた両親を知らないから。
アスミは自分の過去を知らない。何故なら村で目覚めるまでの記憶が無いから。
アスミは正確な感情を知らない。何故なら自分は人では無いと知っているから。
知らない、知らない、知らない、知らない────
何も知らないまま、アスミは今日まで生きてきた。
そして今日、新たに知らない事が目の前に現れた。
結婚。男と女が愛を誓い一生を共にする、その出発点。
大人になったら皆結婚する。何故なら周りの大人は皆そうだから。
だけどそれは自分には当てはまらない。皆と違う自分は、皆と同じにはなれない。
そう思っていた。信じていたのに、村長の口から告げられたのは、その思い込みを完全に否定するたった一言だった。
『お前さんの結婚相手が決まった』
それを聞いた後自分が何を言っていたか全く覚えていない。
一つ確かなのは、心にも思っていない事を言ってしまった。
相手が決定済みなのは気に入らない?せっかく決めてくれたのに?
結婚相手は自分で決める?そんな事は微塵も思っていないくせに?
村長なんて大嫌い?今日まで自分を育ててくれた命の恩人なのに?
やっぱり覚えていた。忘れようとしても、一度言った事は忘れられないし、取り消せない。
絶対に結婚なんてしない?結婚したらダメの間違いだ。
村人は自分の事を受け入れてくれている。それでも時折感じる事がある。
自分達とは違う得体の知れないナニカを前に、距離を置いている事実を。
周りに合わせて接してくれているという、優しさに似た哀れみや慈悲を。
こんな自分と結婚したら相手がかわいそうだ。否定する以外、方法が無い。
人間とは違う、私となんか────
「……そういえば、勝手に決められた結婚相手って誰なんだろう?聞くの忘れてたな……」
今日また村長に会うのは精神的に難しい。
明日村長の家に行き聞きに行ってみよう。
アスミは何も知らない。生きる意味も、何もかも。そして、結婚する事の意味も。
唯一生きる意味を教えてくれようとしたあの男に、今会ったらどれだけ楽な事だろうか。
そんな思いを胸の奥底にしまい込み、いつのまにか止まっていた足を動かし始めた。
「どうしたアスミ。そんな悲しそうな顔して」
「え?ひゃぁぁぁぁ!?」
──さて、今起きた事を三つに分けて説明しよう。
一度目の出来事、突然の謎の男の出現。
これは説明するのは簡単だ。悲しそうに歩いていたアスミを偶然見かけた男が背後から近寄り話しかけただけの事だ。何もおかしく無い。
二度目の出来事、驚くアスミ。
「え?」と一瞬何も理解できず声だけが出たアスミ。これも当然の反応だ。ここまでは何もおかしく無い。誰の身にも訪れる日常的な出来事だ。問題は次だ。
三度目の出来事、奇声をあげ空へ舞ったアスミ。
「え?」と誰もが思う出来事。何故空へ舞ったのか、いやそもそも驚いただけでそのリアクションは過剰すぎないのか。そう思わざるを得ない出来事を前に、元と言えば原因でもある男も口を開け
「え?」
と言わざるを得なかった。
しかし、男が驚いているのは後者、つまり過剰な反応に驚いているだけだ。
前者、つまり空を舞うアスミに対してはこれっぽっちも驚いてなどいない。
それどころか、呆れているようにも感じ取れる。いつもの事で、何も驚く事は無いというように。
男はため息をつきながら空に浮かぶアスミに対し言い放った。
「また翼生えてんぞ、アスミ」
「イ、イルが驚かすからよ‼︎」
背中からまるで龍のような鱗の翼を生やしたアスミ。
それを呆れ顔で見ているイルと呼ばれた黒髪の青年。
先に宣言しておこう。この二人が、後に夫婦となる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
龍人。または、龍神。
人の身に龍が宿った存在、もしくは龍の身に人が宿った生物の事。
諸説が多数あるが、簡単に言えば人でも龍でもあるという存在だ。
その龍人こそが、今まさに翼を広げ空を舞っているアスミなのだ。
「いつ見ても立派な翼だよなぁ。剥製にしたいくらいだ」
「翼だって私の体の一部よ!剥製とか馬鹿な事言わないで!」
「へいへい。そろそろ翼しまったらどうだ?」
「……そうするわ」
龍と一括に括ってしまうにはあまりにも不思議な存在。
しかし、不思議だと片付けてしまうには神秘的な存在。
この世界で龍は珍しく無い。そして、世界に存在する龍の殆どが龍人だ。
空に棲み、地を見下す天空の支配者。
故に、大戦においては非常に厄介で強力な存在だ。龍が大戦に姿を現さなかった時など、一度も無い。
そんな龍人であるアスミが、何故この大戦とは無縁な大陸の果てで暮らしているのか。
問、何故龍がこの地にいる。
解、その龍は戦えないから。
そう。アスミは戦えない。いや、戦う事ができない。
「んで、どうしたんだ?悲しそうな顔して」
近くの岩に腰を下ろし、イルは尋ねた。
翼をしまい顔を下げ、アスミは答えた。
「イル、結婚ってどういう事だと思う?」
アスミの口から出たのは、悩みでは無く疑問。
意味を知らない。だから、知る為に質問する。
何故自分は結婚しなければいけないのか。
そも、結婚とはどういった物であるのか。
それら全ての疑問を一つに収集したのが、結婚とはどういう意味なのか、という質問である。
その質問をしたアスミは、悲しくも真面目な表情で。
質問された側のイルは、首を傾げ驚いている様子で。
事情を知らないイルにとっては、突然「結婚とは何かを説明せよ」と問われても出る回答は沈黙であり。
しかしながら質問をされたからには「事情知らないから黙るね」という回答の選択肢は存在しない訳で。
刹那の思考の末に導き出したイルの回答、即ち結婚論は。
「結婚──即ち愛の証明!命を共にし、一生という長い道を共に寄り添う覚悟を決めた二人だけが手にすることの出来る、名誉ある儀式、否。結婚とは愛の証明である‼︎」
と、本人ですら何を言っているか分からない一世一代の珍回答が誕生した。
口調までもが玄人語りになり、急激に恥ずかしさが込み上がってきていた。
結婚とは何かを問われ。
──そもそも事情を知らないし。
回答は謎すぎるもので。
──即興で答えたとしては中々良い出来だったし。
頭の中でありとあらゆる言い訳もとい自己正当化を行い、恥ずかしさを何とか紛らわそうとしていた。
そんな珍回答を前に、だがこの珍回答のどこに感動したのか。
アスミは目を輝かせ、ひどく感心している様子だった。
「すごい……結婚ってそんなにすごいものだったんだね……!」
「え?ま、まあな。あ、あはははは……」
これはマズイ。直感的にイルは悟った。
何故なら本来笑い飛ばされる筈の回答に感心している少女がいて。
その少女の感性は如何なものかと不安になるのは普通の事でして。
最終的にこれはマズイという結論に至るのは当たり前の事である。
マズイならどうするか?決まっている。
これ以上話を続けてはアスミの謎感性が更に暴走するかもしれない。よって。
──話題転換である。
「そ、それよりもアスミ。どうしてそんな事を急に?」
雰囲気は一転し沈黙へ。
しかしその沈黙も一瞬。
すぐにアスミによって打ち破られた。
「私──結婚するみたいなの。三日後、式も挙げるって」
真実を口にした瞬間、アスミの中で何かが崩れた。
それは村長に対する怒り?
それは自分に対する自嘲?
それはイルに対する感情?
分からない。だがこれだけは確実。
気付けば口は、全てを語っていた。
「相手は村長が決めてるんだって。あーあ、結婚相手くらい自分で決めたかったなー。相手がクソ最低男だったらどうすんのよ。結婚がイルの言う通りのものだったら、私クソ最低男と一生過ごして行かなきゃいけないんでしょ?せめて良い男が良いわねー」
こんな事、喋るつもりは無かった。
だが、語る口は塞がず止まらない。
「勝手に相手決めたって言うから、私怒ってここまで逃げてきたの。バカよね、結婚相手の名も聞かずによ?普通聞くべきなのにね」
何故こんなにも、溢れる思いは止まらないのか。
何故こんなにも、胸は痛く疼き続けているのか。
何故──
本当に言いたい気持ちを、伝えずにはいられないのか。
「そういう事だから、三日後の式はイルも来なさいよ!ちゃーんと祝ってよね、私の大事な結婚式なんだから……」
「アスミ」
たった一言。名前を呼ばれただけだ。
それだけのはずなのに、塞がらなかった口は止まった。
ピタリと、嘘のように時間が止まったような気がした。
我に返り前を見ると、真剣な表情でこちらを見つめているイルの姿があった。
「本当の気持ち、俺の前では隠さなくて良いんだぞ」
「ッ……」
ああ、いつもそうだ。
このイルという男は、いつもなんでもかんでも見据えてしまう。
本当の気持ちも。本当の自分も。全てイルの前ではお見通しだ。
一見熱がこもっていない様に見える黒色の目は。
しかし確かに本当のアスミを映して輝いている。
アスミは俯き、それでもイルは続けた。
「無理して笑顔作んなよ。笑顔のくせに、『嬉しい』って一言も言ってないだろ。無理して心にも思ってない事、言うんじゃねーよ」
その瞬間。
内に秘めていた思いは涙となって溢れ出し。
どうしようもできない衝動は抑え切れずに。
気付けば涙を頰に伝わせながら、アスミはイルの胸に顔を預けていた。
「……結婚なんて無理。無理よ!こんな私と…人じゃない私と結婚なんかしたら、相手の人が悪く言われる……!どうして村長はいつも勝手に決めるの!?どうしてこんな私にそこまで……そこまでしてくれるの!?イルだって……いつもそうやって私に優しくして!もう良いの、もう良いのよ‼︎私は人じゃ無いんだから……そんなに優しくしないでよ‼︎」
それをイルは、ただ黙って聞いていた。
吐かせてあげればいい。溜まっている思いを撒き散らせばいい。
このアスミという少女は、常に何かを抱え込んでしまっている。
誰にも言えず、誰にも聞いてもらえず。ただ一人で、ずっと、ずっと──
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──ほら、あの子。龍人族の生き残りだって。
──村長が育ててるとはいえ、気味が悪いなぁ。
──今にも暴れ出してこの村を壊すんじゃないか?
──まあ、それは大変。関わりたく無いわ。
──でもずっと一人にしといたらそれこそ何かするんじゃ無いか?
──最低限でも良いから接してあげる事にしないか?
──それが一番ね。あの子が暴れたら大変だもの。
──なにせ、龍だもんなぁ。俺たちとは違う生き物だからな。
村を歩くだけで、ヒソヒソと村人同士で陰口が飛び交う。
川に水を汲みに行くだけで、遊んでいた子供達は逃げる。
森へ採取に行っても、男性達はいない者として無視する。
自分は村の人とは違っている。
自分は人ではなくて龍なんだ。
そう心の中で繰り返し、幼い頃のアスミは耐えてきた。
自分を見る、恐怖し怯えている目に。
自分を噂する、憐れむ大人達の口に。
自分を責める、無邪気な子供の手に。
家に帰れば、村長が笑顔で待っている。
「アスミ、今日は昔話を聞かせてあげよう。良い話だから泣いたりせんようにな」
そう言って膝の上に自分を座らせ、どこか落ち着く温かみのある声で村長は話してくれた。
虐められていた子供が世界を救い虐めを無くす話。
人と一緒に生きようとした醜くも優しい怪物の話。
世界を旅して困っている人達を救う強い英雄の話。
村長が聞かせてくれた昔話は、どれも何かを救う話だった。
虐められている子を救う。怪物を救う。困っている人達を救う。
昔話を聞き終わり、寝る為にベッドに着いた時、アスミは村長に聞いた。
「村長……。私は人じゃないんだよね……みんなとは違うんだよね……」
泣きながらそう言ったアスミを、村長はただ抱きしめる事しかできなかった。
この子に向けられる優しさは無い。
それならば自分だけでも温かみを与えなければ。
──幼いこの子は、いつか壊れてしまう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
10歳の誕生日。アスミは森でいつも通り山菜や実を採っていた。
村長がいつもより豪華な食卓にすると言い魚を釣りに行ったので、する事が無かったアスミは森に出ていた。
この村で目覚めてもう五年。その間、色々な事があった。
目覚めたばかりの頃は誰も近寄ってくれず。
少し経てば接してくれる村人が増え始めて。
さらに時が経てば虐めてくる子供が現れて。
それを村長が叱り飛ばして傷の手当てをしてくれて。
色々な事があった。本当に、たくさんの事が。
でも、アスミは何一つ知る事はできなかった。
ただ同じ事を繰り返し、今の今まで生きて来ただけ。
自分の存在意義は、あるのだろうか?
そんな疑問を胸に抱きながら、アスミは10歳を迎えた。
「よう、アスミってお前か?」
「え?ひゃ、ひゃぁぁぁぁ!?」
──今起きた出来事を簡潔に纏めよう。
突然黒髪の少年が山菜を採っていたアスミの背後から声をかけ。
驚いたアスミは咄嗟的に翼を広げ空へ飛び舞ってしまった、と。
背中から生えた二つの翼は、まだ小さくも立派だった。
しかし、翼を人に見られる事をアスミは好ましく思っていない。それが原因で虐められた事だってある。
翼をしまおうと必死になるも、興奮している状態では制御が効かずその翼は露わになり続けてしまった。
また笑われる。
──自分達には無い翼を見ておかしいと。
また虐げられる。
──龍である自分を気持ち悪いと。
目を閉じ、体を震わせるアスミ。
それに対し、黒髪の少年は──
「──カッケー‼︎な、なあ。触ってみても良いか!?」
と、恐怖に怯えていたアスミを嘲笑うかのように、陽気にはしゃいでいた。
翼を見てこの様な態度を取る者に会った事が無かったアスミは、困惑しながらも恐る恐る答えた。
「す、少しだけなら……」
「え、良いの!?よっしゃァァァァ‼︎前から龍族の翼触ってみたかったんだよねー‼︎じゃ、遠慮なく‼︎」
少しだけ。そう言ったはずなのに、黒髪の少年は約一時間も触り続けていた。
疲れ果てたアスミ。今なお興奮が冷めぬ黒髪の少年。
これが、イルとアスミの初めての出会いだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「えっと……あなたの名前は……」
「んむんむ……俺の名前?イルシオン、イルで良いよ。にしてもこの山菜うめーな、んむんむ」
翼を触り終え、いきなり倒れたイル。
空腹を訴えたイルに、アスミは採った山菜を一つ差し出した。
瞬間。イルはこの村にはいない肉食獣かの様に山菜に向かい飛び出した。
そして、今に至るわけである。
「その山菜、ソイビオスって言うらしいの。生でも食べられる珍しい山菜なんだって」
「ふーん。うめーなマジで。いやー、ありがとな、アスミ。山菜分けてくれて」
「どういたしまして……え?なんで私の名前知ってるの?」
「最初に『アスミってお前か?』って聞いただろ。俺、お前に会ってみたかったんだよ!村で話題の龍の銀髪少女!いやー、間近で見ると本当に銀色なんだな、お前の髪」
「ちょ、近いって……」
髪を目の前で見ようと至近距離まで近づくイル。
同年代の異性にここまで近付かれた経験は無く、思わず顔を背けた。
「きれー‼︎」「ギンギンだー‼︎」と繰り返すイル。
恥ずかしさを紛らわす為、そして、どうしても分からない疑問を解く為、アスミは聞いた。
「ね、ねえ。あの……イル、はさ。その……私の事……怖くない、の?」
聞いた瞬間、頭の中で様々な記憶が蘇った。
人じゃないなんて怖い。そう言って無視を続けた大人達。
翼が気持ち悪い。そう言って思いつく限りの暴力を振るった子供達。
どれも、恐怖によるものだった。
自分を怖がらない人間は、村長以外出会った事が無かった。
それなのに、目の前で髪を眺めている少年イルからは恐怖という感情はカケラも感じられない。
一体なぜ。
その答えは、とても単純で、子供らしいものだった。
「は?怖いわけねーだろ!こんなかっこよくてかわいいやつ、誰が怖いだなんて思うかよ。むしろ村の連中はぶん殴ってやりたいぜ。なーにが暴れて村を壊す、だ。こーんなにかわいい奴がそんな事するわけねーじゃん‼︎」
初めての事ばかりだった。
怖くないと言われたのも。
かっこいいと言われたのも。
かわいいと言われたのも。
何もかもが、初めてばかりだった。
嬉しさ、恥ずかしさ、いろんな感情が心の中で溢れていた。
その感情は、いつのまにか涙となって頰を伝っていた。
「まったく、ちゃんと見てから言えよな、そういう事は……ってどうした!?なんで泣いてんだ!?俺なんかひどい事言った!?」
イルを一言で言い表すならば、無邪気だった。
龍の翼を前にすれば、かっこいいと感激し。
銀の髪を前にすれば、綺麗すぎると感動し。
女の涙を前にすれば、何かしたかと動揺し。
そんなイルに、この瞬間、アスミは確かに一つの感情を抱いた。
それを言葉では言い表せない、複雑な感情。
言葉にしてしまっては、意味が消える感情。
自分を怖くない、と。そう言ってくれたイルに、アスミは────
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「──落ち着いたか?アスミ」
「うん……。取り乱してゴメン」
溜まっていた思いを全て吐き出して、少し楽になっていたアスミ。
涙を流し切らし落ち着いたアスミに、ゆっくりと話しかけたイル。
二人は互いに向き合い、岩に腰を下ろし座っていた。
沈黙が流れていた。その沈黙は気まずさ故ではない。
アスミが気持ちを整理できるよう、イルが待っている故の沈黙だ。
もう大丈夫。言葉にしなくてもそう感じ取ったイルは、沈黙を破った。
「結婚、か。別に良いんじゃねーの?あの村長が選んだ相手の事だ。絶対良いやつだよ」
「でも……私なんかと結婚したら……」
「はい、そこからブー‼︎」
両手をクロスさせてバツマークを作り、口を尖らせブーと叫んだイル。
その動作に少しだけ怒りや殺意を感じたアスミは決して異常では無い。
人を煽るような言動をしながら、しかしその勢いで、イルは言い放った。
「龍だとか人だとか関係ねぇ‼︎お前は俺と同じ‼︎俺はお前と同じ‼︎はい終わり‼︎問題解決‼︎」
そう平然と言い切ったイル。
それを目の前で見て、アスミは過去の記憶と今を被らせていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ねえ、イル。どうして龍の私とそんなに普通に接してくれるの?」
夕暮れ。赤い空が黒く染まり始め、そろそろ帰らなければいけない頃に、アスミは尋ねた。
村人は言う。
──龍と人は違う。
村人は言う。
──違う生物と普通に接する事は出来ない。
当たり前の事だ。仕方のない事だ。
そう片付けていたアスミにとって。
イルの存在は、不思議な物だった。
尋ねられたイルは、胸を張り、アスミを指差し、大声で叫んだ。
「人?龍?関係無いね‼︎俺とお前は今日から友達。細かい事は気にしなくて良いんだよ‼︎」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今も昔も、変わらない。
イルはいつまでも、側にいてくれる。
人も龍も関係無い、そうやって言う。
イルがいたからこそ、アスミは今の今まで生きてこられた。
結婚など、関係無い。それはこれからも、同じなのだろう。
そして、イルは言い続ける。
種族は関係無い。
壁などあってはいけない。
だからこそ。
「この世界がアスミを悲しませるなら。この世界を俺が変えてやる。世界が大戦してるなら。俺がこの世界を救ってやる!」
昔と変わらぬように、無邪気に。
しかし確かに、その瞳は輝いて。
堂々と、馬鹿らしい、誰もが夢見る大戦の終結を宣言していた。
イルシオン-ムエルト。テレステオ村に住む19歳の青年。
夢は、大戦を終わらせ世界を救う事。
「相変わらず言ってるのね……本当に出来ると思ってるの?」
アスミでさえ、呆れるその大きすぎる夢に。
イルは堂々と。笑顔で。大声で。胸を張り。
世界が忘れた希望を抱き。
世界が失った未来を創り。
ここに青年は、宣言した。
「出来るか出来ないかなんて関係ねぇ。俺はこの世界を、救う‼︎」