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真相

「ま、待ってくれよ!」


 そう声をあげたのは、松前さんではなく垣本さんだった。


「大輝が! 文彦を殺すはずない! 断言できる。絶対だ!」


 根拠らしい根拠の無い言葉ではあるが、彼が松前さんを信頼している事は事実の様だった。必死さ、切実さをひしひしと感じられる。


「大輝とは高校の頃からの付き合いだよ。そんなことする奴じゃあないっていうのはこの中で俺が一番知ってる。こいつはいつだって冷静で、良い奴で、人を殺すような頭のおかしい奴なんかじゃあないんだ!」


「冷静な事と殺人を犯さない事は繋がらないし、まして善人かなんて無関係……」


「うっせぇ! お前に何が分かるってんだよ! 昨日今日会ったばかりのお前によ!」


「浩介!」


 激昂する垣本さんを止めたのは、意外にも今庇われているところの松前さん本人だ。彼は肩を落とし、今にも泣きそうな顔で垣本さんを見返している。


「良いんだよ、もうさ」


「何が良いっていうんだよ! お前殺人鬼扱いされてんだぞ! それを……!」


「俺がやったんだ……!」


 その言葉に、とうとう垣本さんは黙らずにいられなくなった。これ以上ない、自白であった。



 文彦はさ、酒に強い事は言ったと思うんだけど、実は昔一回だけ酷く悪酔いした事があるらしくてさ。聞いた話によると、大学の後輩に良いところを見せようとしたらしい。

 で、普段は絶対そんな事しないんだけど、飲酒運転して帰った。

 もしかしたら察したかもしれないけど、その時あいつ事故ってさ。大雪の日だよ。きっと、「人を殺した」なんて言ったのはこの事なんだろうな。十四歳の女の子で、事故から半日くらいで病院の中で死んだよ。

 問題はこっからなんだけど、あいつの家は爺さんの代から続く貿易業で、業界でも結構有名らしい。そんなところの跡取りが不祥事を起こしたっていうんだから、一族内でそりゃあ大変な騒ぎになったらしい。

 でも、結局大事にはならなかった。莫大な資金と、甚大な権力と、優秀な弁護士が合わされば、一市民の小さな命なんてものはどうとでもなるんだろうな。被害者の家族には一応の示談金みたいなものが支払われはしたけれども、それで死んだ人間が帰ってくるものかよ。

 死んだ女の子の名前は石井美香。ピアノを習ってて、その教室の帰りで事故にあった。翌週に発表会を控えてた。将来の夢は教師。ずば抜けて賢いってわけじゃあないけど、とても優しい子だった。

 シングルマザー家庭。母親はいつも夜帰りだったから、食事のほとんどを用意していたのは美香だ。得意料理は、本人が言うには卵焼き。焼き加減にこだわりがあるらしい。

 美香が四歳の頃に両親が別れ、年の離れた兄は父親の方に引き取られた。美香が死んだ後、母親はこの父親と復縁している。



「随分と詳しいじゃあないか」


 しみじみと語る松前さんの言葉を姉さんが遮る。松前さんに向けられていた視線が、今度は姉さんに向かった。


「当然さ。当然なんだ。だって、美香は俺の妹なんだからね」


 驚きの声は上がらなかった。話し振りから、ある程度は予感していたのだ。


「苗字が違うからかな? 文彦はとうとう知らず終いだったようだよ」


「それで、その復讐のために……?」


「そうさ。ただ、分かっていてもらいたいのは、あいつはあの事故の事を後悔していたって事だ。決して、一人の少女の命を奪っておきながらのうのうと生きているような無責任な男じゃあなかった」


 それは、今にも泣いてしまいそうな声だった。それとも、すでに泣いているのだろうか。涙を流さず、声をあげず、心の中で、震えているのだろうか。


「罪を握り潰したのも、償いたくないが為の無責任なんかじゃない。むしろ、祖父の代から続いた家業を傾けるわけにはいかないという責任感からだ。あいつはいつだって罪の意識に苛まれていた。あいつの親父は事無きを得たと安堵する様な男だけれども、あいつは父親に似ず誠実な男だ」


 松前さんは顔を伏せ、ひたすらに独白を続ける。どんな表情をしているのか、僕からは分からない。しかし、悲痛なのだろうと感じられた。

 その言いようもない雰囲気を崩したのは姉さんだった。


「じゃあなんで殺したのさ」


 単純な疑問は、しかし的を得たものだ。松前さんの話は、殺した相手がいかに善人かという支離滅裂なものに違いないのだから。


「良い奴だったら殺さなくて良いじゃあないか。意味不明じゃあないか」


「それも違う。殺さずにいられなかった。なにせ妹を殺されたんだから」


「でも良い奴だったんだろ? 君がそう言った。彼は後悔していたともね」


「それでもっ!」


 松前さんは頭を抱え、その場に座り込んだ。


「それでも、殺さずにはいられないんだよ!」



 隠し窓を発見したのは、単なる偶然だ。二年ほど前にこの屋敷に泊まった時見つけた。文彦に聞いてみると、笑いながら爺さんの悪戯だと教えてくれたよ。

 でも、その時はまさか文彦を殺す事になるなんて思いもしなかった。

 殺したくなかったわけじゃない。何度も何度も殺してやろうと思っていたけれど、それでもギリギリのところで、俺と文彦は親友だったんだ。思ってはいても、しようとは思わなかった。

 それが今日、全くの偶然に、彼を殺す算段がついてしまったんだ。俺と彼以外は屋敷の秘密を知らず、彼は酔って眠ってしまった。真人君と二人部屋だっていうのが唯一の懸念だったけど、上手くいけば罪を被せられると思ったんだ。

 そして夜。そろそろ日の出かという頃に、意を決して行動に出てしまった。まさか懐中電灯で照らす訳にもいかないから、空が明るむまで待っていたんだ。

 予備として持ってきていた防寒着に着替えて、音を立てない様に細心の注意を払って窓を開けた。どうやら誰も気がつかなかった様で安心したよ。壁から生えている悪魔の像を足場にして屋根に上った。天窓に積もった雪を少しどけて、部屋の中の様子を確認した。まだ起きている中で窓を開けたら間抜けだからね。

 部屋に入ると、まずは扉の鍵を閉めた。誰かと鉢合わせにでもなったら困るから。それから、部屋にあった果物ナイフで文彦の喉を切った。

 それは叫び声をあげられない様にと考えての行動だったのだけれど、全然意味なんてなかった。というのも、傷口から空気が漏れる音が結構うるさいんだ。それが本当に大きな音だったのか、静かだったからそう聞こえたのか、慌ててしまった俺には分からなかったけれども、ともかく早く殺してしまわなくてはと思った。

 手に持った血だらけのナイフを、できる限り深々と文彦の胸に突き立てた。体重をかけてしばらくそのままでいると、やがて文彦は動かなくなったよ。

 真人君が起きたのはその時だね。

 咄嗟に、ベッド脇に立て掛けられていたスキー板で頭を叩きつけた。すぐに動かなくなるものだから、死んでしまったのかと思ったよ。僕はここまで慌てっぱなしだから、力加減なんてできなかったしね。

 とりあえず呼吸が止まっていない事と、大した怪我じゃあない事だけ確認して、さっさと部屋に帰る事にした。何かの気まぐれで誰かが訪ねてきたら、俺がいない事が分かってしまうかもしれないからだ。当然鍵は閉めているけれども、返事がなかったら怪しまれるかもしれない。

 ナイフと防寒着は血がべっとりついていたから、屋根の上に捨てておいた。さすがに持ってるわけにはいかなかったし、他にいい隠し場所もなかった。

 今朝。俺がまず、真人君を起こしに行かなくてはならなかった。もしも真人君が自分で扉を開けてしまったら、鍵は最初から空いていたとしらばっくれられるかもしれないからだ。念のために俺の他にもう一人くらいは証人として、部屋の密室性を確認してもらいたかった。偶然にも金岸さんが言い出してくれたけれども、もしもそうじゃあなかったら自分で提案していた。

 正直、こんなに上手くいくとは思わなかった。きっと警察は真人君が犯人だろうと思うだろうし、まさか俺に疑いがかかることなんてないだろうと考えた。文彦の父親が罪を握りつぶしてくれたおかげで、俺が文彦を恨む動機なんて何一つないように思えるに違いないからだ。

 それでも、俺は不安に思ってしまった。金岸さんが何か嗅ぎ回っている事に気がついたからだ。でも、まさか執拗について回る事なんてできない。怪しすぎるし、いざ殺してしまった時に真っ先に疑われてしまう。

 だから、外に出た時に部屋に戻ったんだ。屋根に登ってしまえば、隠れて監視する事ができるだろうと考えてね。

 もしも見つかった時の事を考えて、屋根の上に捨て置いた防寒着を着た。ベトベトで気持ち悪かったけれど、そんな事を気にしている余裕はなかった。

 話しはほとんど分からなかったけれども、ほんの僅かに「測量」と聞こえた。それに、窓の方を指差しているようにも見えた。俺は焦ったよ。きっとバレたと思った。

 すぐさま文彦の部屋に入った。昔あいつの父親が狩をしていた時に使っていたクロスボウがある事を思い出したんだ。君達が屋敷の反対側にいるうちに出てこなくてはならなかったから大慌てだ。

 クロスボウなんて使った事がなかったから心配だったけど、思いの外狙い通りに飛んでくれた。ただ、大城さんに見つかってしまって、矢は金岸さんを庇った彼女の方に当たってしまった。それでまた慌ててしまった俺は、大城さんにもう一発矢を射った。今度もきっちりと当たって、彼女はどうやら事切れたようだった。

 金岸さんはその間に逃げ出してしまったようで、もう見えなくなっていた。森が近いせいで、見通しが悪いかったしね。

 その後すぐ悲鳴が聞こえたものだから、これまた大急ぎで部屋に戻らなくてはならなくなった。俺の部屋の窓は入り口の真上だから、出入りしているところを見られてしまうかもしれないからだ。こんな状況で悲鳴なんて聞こえたらみんな急いで出てくるだろうから、助けを呼ぶには最適だったと思う。

 現に間一髪だった。俺が窓を閉めるのとほぼ同時に、外から声が聞こえたんだ。浩介と真人君の声だったよ。それで俺も君達に合流しようと部屋を出た。

 その後は説明するまでもないね。



「……で?」


 松前さんの独白の後、姉さんの第一声がそれだ。


「君、それで同情をかったつもりなのかい? 私からすれば、君の事情なんて知ったこっちゃないよ」


「姉さん……」


「止めてくれるなよ真人」


 決して怒鳴りつけられたわけではないが、姉さんの言葉に、僕は逆らう事ができなかった。恐ろしいわけでもなく、悲しいわけでもなく、ただなんとなく、姉さんに思う通りに話させるべきだと感じたのだ。


「言わなくたって分かるとは思うけれど、私と真人は殺人犯呼ばわりなんてされたら困るんだよ。これからの人生が生きにくくなるし、何より不快だからね。でも、君はそんな事お構い無しに行動したろ? だったら、私が君の事情をいちいち気にする義理なんてないよね?」


「その通りだ。済まなかったと……」


「謝られたって……!」


 一度握り締められた拳を、姉さんは一呼吸の後にゆっくり解いた。


「謝られたって仕方がないだろう? 私たちは後ほんの少しで不名誉を被るところだったし、君はまんまと逃げ延びるところだった。私の働きでお縄にはなるけれど、それは本来そうなるべき事であって、私達に対する贖罪とはならない」


「だったら……」


 松前さんはようやく顔を上げ、姉さんをまっすぐと見た。その目にはもう涙は浮かんでいなかったが、頬を伝った後を確認できる。


「だったらどうしたら良いだろうか。何をすれば、謝罪になるだろうか?」


「お人好しの弟は、君に一々何か要求したりしないだろうけれど、私からはたった一つ……」


 姉さんは椅子から立ち上がり、松前さんに詰め寄る。その行動は決して素早いわけではないけれど、抗い難い凄みを感じさせた。

 松前さんの胸倉を掴み、今にも額がくっつきそうなほどに顔を近づけた姉さんは、まるで地獄への道すがらにいる幽鬼のように小さな声でこう言った。


「私は激怒している。それだけを理解しろ」


 今にも松前さんをくびり殺してしまいそうな形相の姉さんは、外にパトカーの音が聞こえたためかすぐにその手を離した。何も言わずに部屋を出る姉さんの表情はもう今のように歪んではおらず、警察の聴取を終えて帰路に着く頃にはいつもの調子に戻っていた。

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