推理
「これは、非常に単純な事だったんだ」
勿体つけた言い方は、僕に限らず、その場にいる全員を苛立たせた。
「初めに不思議に思ったのは、昨夜の事さ」
「昨夜?」
垣本さんが首をかしげる。無理もない。なにせ昨夜と言えば……
「まだ何も起こっていないじゃないか」
そう、犯行の前だ。垣本さんの言う通り、何一つおかしな事のない、他愛ない会話をしているだけの時間だったはずだ。それともまさか、姉さんは犯行が起こる前から予知していたとでも言うのだろうか。
「そう。でも、私の記憶に深ぁく残るものがあったのさ」
姉さんはこめかみを指で叩く。
「不思議な事だよ。覚えてないかい? あの時は何を話していたかな?」
一体何の事なのか、僕を含めた全員は頭を悩ませる。
昨日話した内容。僕たちがこの屋敷を訪ねてから寝るまでの間、そう長い時間話し込んでいなかったはずだ。長くても二時間。そう記憶している。なら、姉さんの漠然とした問いかけの答えを探す事もそう難しくはないはずだ。
「私、マナコちゃんのことを色々聞いたわ。どんなお仕事をしているのかとか、出身はどこなのかとか。でも、そんなのは不思議なことじゃないでしょ?」
「そうだ、それの事じゃあない。それは全然不思議じゃあない」
「子供の頃は雪が降ると楽しかったと言う話はしていたね。こんな吹雪に見舞われるのはたまったものじゃあないけれど、それでも子供は喜ぶねって」
「全然違うし、そんな話をしたかどうか覚えてないね。記憶に残ってない」
「俺がやった怪談話か? 正直あまり掘り返して欲しくはないけれど」
垣本さんが眉間にしわを寄せる。あれは女性の気を引くために行なっていた事だが、結局空回りだったために本人はあまり触れて欲しくなさそうだ。
しかし、それこそがまさに的を得た回答だったのだ。
「怪談! 触れて欲しくないと言うなら、安心したまえ君のではないとも」
姉さんが手を叩く。
「私が気になったと言うのは、君のではなくこの屋敷の方さ。言っていたろう、足音が聞こえるとか。あの時は大したものには思えなかったんだが、私の頭の中はあれからずうっとモヤがかかっていたんだ」
「いやしかし、あれがどう関係するって言うんだ。まさかやっぱり幽霊の仕業だなんて言うんじゃあないだろう?」
「ああ、それは勿論。勿論保証するとも。この事件は決して幽霊なんかのせいじゃあないし、ましてや私や真人がやったわけでもない」
「なら何で怪談が関係あるのさ。いまいち話が見えない」
「だろうね、今は。現に私も、ついさっき、ほんの三十分前まで忘れかけていたさ。だから、順を追って、私がどんな思考をしたのかを説明させてもらうよ」
姉さんは、まるで童話でも読み聞かせる様に語り出した。しかし、それは残酷な殺人の実態だ。とても、子供の頃聞いた喋る動物が出て来るファンシーな物語とは似ても似つかない。
◆
まず、怪談の何が気になったのかだけれども。被害者の話していた方だね。つまり、二階から足音が聞こえて来るとかいうもの。これの何が引っかかるのか、その時の私もよく分からなかったんだけれど、今ならハッキリと分かるよ。みんなが揃って「開かずの間」から聞こえたと言っていた事さ。
何故? というのは当然の質問と言えるね。だけど、簡単に考えて欲しいのさ。
そもそも音なんてものは、反射したり響いたりするものさ。周りに障害物があったりするだけで、それがどこから聞こえたのかなんて分からなくなってしまう。大まかな位置くらいなら別だろうけどね。
だけど、君達は皆んな「開かずの間」から聞こえたと口を揃えていうじゃないか。誰か一人でも、「もしかしたら違ったかも」とは言わない。当然、君達三人が三人とも聴力に自信ありと言うなら納得だけど、正直私は別の可能性を考えたんだ。
種を知っているな、ってね。
少なくとも三人のうちの一人くらいは、仕掛け人か何かじゃあないかとあたりをつけた。これを初めから思いついていれば、あるいはこの事件はこんなにも複雑じゃあなかったのかもしれないのが惜しいね。
その後に気になったのは、この屋敷の複雑な構造さ。道楽爺さんの趣味だと言うのはそれらしい理由かもしれないけれど、少なくとも何か理由があってこんな構造にしたはずなんだ。特になんて事の無い理由だったら構わないんだけれど、もしかしたら違うんじゃあ無いかとね。
それで初めにしたのは、一階部分の調査さ。他人の家で不躾だとは思ったけれど、少し歩き回って色々と観察させてもらった。窓の無い理由とか、入り組んだ廊下は何故かとか、色々考えながら歩き回った。自分の歩幅である程度の測量をしてみたりもしたね。けれど、まるっきり何の成果も出なかったよ。これが、昨日の夜中と今朝の事さ。その後に遺体が発見された。
それで、君達は知らないかもしれないけれど、私と真人は、遺体発見後のこの部屋に一度来ている。忍び込んだと言っても良いね。その時は色々と写真を撮った程度で、現場を荒らす様な事は何一つしていないから安心して欲しい。まあ、今ここにいる時点で全く無意味だと言えるけれどね。
で、私が気になったの事は、その調査自体じゃあなくて、一階に降りようとした時に見つかったものだ。違和感。そうとしか表現できないね、あれは。それから、もしかしたら、と言う予感があったんだ。
その予感を確認するために、私は外に出る事にした。室内で不可解さは見つけられなかったから、外から確認するしか無くなってしまったんだね。何度も何度も屋敷の周りを回って、注意深く観察していたさ。他人にとってはつまらない事だったろうから、こんな事のために殺されてしまった大城さんには悪い事をしたね。
で!
この時私は、核心に触れたのさ。この事件の内容が、まるっきり頭の中で解ってしまった。今までバラバラだっはパズルのピースが、身勝手に動いてぴったりと形を作ってしまった様な感覚だった。だからなんだろうね。命を狙われてしまった。
あれは間一髪だった。私は全然気が付かなかったんだけれど、「危ない!」っといった風に突き飛ばされてね、大城さんは私の身代わりとなってしまったんだ。彼女の方を見るともう倒れ伏していて、どうやら背中を矢か何かで射られた様だった。ハッとしたね。アイツはなんと屋根の上から私達を狙ったんだ。
厚手のコートとマスクのせいで、どんな風体なのか分からなかったのは非常に悔しいね。コートの色くらいなら藍色だと断言出来るけれど、そんなものは何の役にも立たないだろう。
トドメとばかりに、そいつはもう一発の矢を打って来た。それは私に対してではなく、倒れて起き上がる様子のない大城さんの背中に深々と刺さった。それはクロスボウの矢だった。
彼女には悪いけど、アイツが二発目で私を狙わなかった事で、私は辛うじて森の中に逃げ込む事が出来た。密集する木の枝が邪魔になれば、私を狙う事など出来ないだろうと考えたんだ。
ただ、そんな事は必要なかったかもしれないね、何せすぐに君達が駆けつけてくれたわけだからね。アイツもそれを予感したのか、すぐに引き上げてしまったさ。
あとは単純。君達の死角になるように、屋敷の周りをぐるりと入り口まで回ったんだ。どうしても、この部屋で調査しなくてはならない事があったからね。
◆
「で、結局どう言う事なのさ。誰が犯人で、どうやって殺したんだ」
「これさ、これってさ、俺たちの中に犯人いないんじゃあ無いか? だってさ、俺たちは全員屋敷の中にいたよ? だったら、屋根の上に登って大城さんを撃つことなんてできるわけがないじゃあ無いか」
垣本さんが首を傾げる。正直いうと、僕もその通りだと思った。僕達のうち三人はお互いがお互いの証人になれるし、唯一の出入り口の前に陣取っていた。部屋にいた松前さんも外に出る事はできない。僕達三人が共犯だというのなら話は別だが、僕が犯人じゃあない事は僕自身が一番よく知っているし、そもそも姉さんは僕が犯人じゃあないと言っている。
「外に出る方法はひとまず置いておいて、クロスボウの所在を確認すればどうでしょうか? 持っていたなら間違いなく犯人ですよ」
「真人ぉ、マジに言っているのかい? 持ってるわけないじゃあないか。アイツは屋根の上にいたんだよ? そこから放り投げてしまえば証拠隠滅さ。今頃森の中で半分ほど雪に埋もれている事だろうね」
「ひとまず置いておくのはクロスボウの方じゃあないか? そもそもどうやって文彦を殺したのかだって分からないぜ、真人くんじゃあないんなら」
「そうよ! それとも私たちが知らないだけで、ここは抜け道だらけなのかしら」
「隠し通路なんかがあるのなら確かに話は早いですけれど……」
「隠し通路!?」
姉さんは僕の言葉に両手を叩いて大笑いを始める。そして
「隠し? 通路! あぁ、そんなもの必要ないじゃあないか。君達は見ている筈だよ、外に出る方法と、同じ様に中に入る手段を。外から丸見えだもの」
そんな風に続けた。
この屋敷の構造は、一階部分の廊下が入り組んでいる事を除けばいたって単純だ。その廊下にしたって、一本道なのだから迷う様な事はない。窓は二階にある天窓だけで、その天窓は開く様な構造にはなっていない。代わりに換気口が至る所に備え付けられているが、そこにはファンが回っているので、そこからの出入りには身体を一度細切れにする必要がある。である為に、一階の玄関を除くのなら、この屋敷はほぼ完全に密室といえる。
ならば——
「開かずの間?」
二階の最奥。杭で頑丈に打ち付けられた扉を持つその部屋には、この屋敷でたった三つしかない窓の三つともが設置されている筈だ。それに、姉さんの言う様に外からその窓を見る事が出来る。
「そうだ」
姉さんは大仰に首肯する。
「いや、待ってくれよ!」
それに異を唱えるのは垣本さんだ。ただ、僕自身も不思議に思っている。
「この部屋には入れないじゃあないか!」
仮にだが、あの扉に刺されている全ての杭を取り外して、枠の歪みを無視して強引に開く事ができたとしても、それで入れるのは開かずの間であって秋元さんの部屋じゃあない。
「そう、そこだ! それは私の発想力と、地道な測量によってでないと解決しなかった難題なんだ!」
姉さんは立ち上がる。なんとなく、特に根拠があるわけではないが、僕にはその姉さんがとても頼もしく見えた。次の瞬間に、全ての問題は一発で解決してしまうだろうと言う確信があった。
そして、その感覚は正しい。
姉さんは、部屋に飾られている奇妙な絵の前に立った。それは額縁を壁にかけてある物ではなく、壁に埋め込まれている様な形になっているので取り外す事はできない。話を聞くと、全ての部屋にこの絵と同じ物が飾られているそうだ。
次の瞬間に、全ての疑問は消えて無くなった。
姉さんは「開いた」のだ。何をと問うまでもないが、しかし驚くべき事に壁に飾られている絵を「開いて」見せた。ステンドグラスの様に様々な模様で構成されているその絵は、その図形の境目を上から下までパックリと割れさせて左右に開いた。加えて言うなら内開きだ。そして驚くべきはそれだけではない。真に僕たちが驚いて、何もかもを解決してしまう衝撃の事実がそこに存在したのだ。
窓だ
「おい、どう言う事だよ!」
「どうも何もないよ。この部屋にはこうして窓がある。侵入はそう難しくもないね」
特筆するべきもない、ごく普通の窓。強いて言うならば、大の男一人が通る事に不自由ないほどに大きいくらいか。外には雪を多分にかぶった木々がよく見える。
全員が驚愕し、我先にと窓辺に駆け寄った。腕と頭を外に出し、それがだまし絵の類でない事をはっきりと確認する。
窓から周りを見ると、下には大城さんの遺体を見る事ができる。周りには僕たちがつけた足跡がまばらに残っている。窓枠の周りには不気味な悪魔の彫刻が飛び出していた。西洋の教会なんかによく見られるガーゴイルに似ているが、形も大きさもバラバラで、さらには全く整列せずに雑多な並びをしている。僕の記憶が正しいのなら、この場所は開かずの間にある窓の筈だ。
「前提として、開かずの間なんて無かったのさ。あの開かない扉はただの飾りで、外に見えている正面の窓と裏表になっている。だから、側面に見えている窓の位置はここで間違い無いんだ」
つまり、本来開かずの間があると思われていた空間は存在せず、今いるこの部屋がそこに位置すると言う事だ。それならば、他に一つも窓がない理由にも納得がいく。そんな物があっては外から部屋の数が丸分かりになってしまうからだ。
「初めはただの疑心程度だった。二階の廊下を端から端まで歩いてみた時、もしかしたらってね。だからこの建物の外周を調べていたんだ。もしも部屋が一個無いのなら、建物の長さと二階の廊下の長さは殆ど同じになるだろうと考えた」
「成る程、考えもしなかった。本当なら壁を壊して確認するのが確実だけれど、測量ならそんな野蛮な事をしなくても一目瞭然だね」
「いや、いやいや真人、事はそう単純じゃあなかった。何せ、建物の長さは二階の廊下よりも五メートル程長かったのさ。如何せんメジャーが無いものだから概ねだけれど、確かに部屋一個分ほどの空間が二階にはあるはずなんだ」
「そんな! じゃあ何故そこに窓が……」
垣本さんの言葉に、姉さんは笑う。
「失礼、決して馬鹿にしている訳では無いんだ。私も同じ様に思ったんだよ。これは中々に巧妙な細工だ。後ほんの少しで私も気が付かなかった」
姉さんは、踵でコツコツと床を叩く。その小気味良い音は、姉さんの機嫌の良さを表している。窓の枠に腰掛けて、その整った顔に笑みを浮かべている。
「答えは一階にあった。廊下が入り組んでいるので徒歩での測量は困難だったけれど、なんと一階部分の長さは二階の廊下の長さと同じだったんだ」
それは確かに、なるほどと納得できる話だった。本来なら、建物の端にある入り口から反対側の階段までは、建物とほとんど同じ、あるいは二階の長さよりも五メートルほど長くならなくてはならないにも関わらず、実際にはほとんど同じ長さだった。それはつまり、二階のみならず一階部分にも空間が存在すると言う事だ。そしてその場所は階段の向こう側の壁に違いない。僕達は、階段があるのは玄関と反対側の建物の端だと考えていたけれども、実際には端から五メートルほどの場所だったと言う訳だ。この屋敷に窓がないのは、この事を気取られないためなのだろう。そして、その場所から上がった二階のそこも、同じ様に端から五メートルの位置だ。姉さんが発見した建物の長さと二階の廊下の間にある五メートルの差異は、開かずの間の大きさではなくその反対側にある不明な空間だったのだ。
「壁にあるガーゴイルも無意味じゃあなくって、これを足場に屋根の上に登れる様になっている。その梯子を目立たない様にするために大きさを変えたり、全然関係のない場所にもガーゴイルを付けたりしているんだね。良いカモフラージュだ」
姉さんが胸を張る。
僕はようやく思い至った。外から窓を見上げた時の違和感は、カーテンが揺れている事だった。完全に締め切られた部屋のカーテンが揺れるはずなどないが、恐らくは姉さんが内側の絵を開いていたためなのだろう。
「必然、犯人はもうお分かりだろうね」
その場にいる全員の目が、たった一人に向けられる。
この屋敷に存在する窓は三つ。一つが開かずの間があると思われていた扉の位置で、もう一つが今僕達の目の前に開いている。そしてその逆側に、最後の一つがあるはずなのだ。つまり僕達がいるこの部屋の反対側に、今この部屋がそうである様に隠し窓が存在している。まず間違いないだろう。
犯人は、その隠し窓を伝って侵入したに違いないのだ。そしてそれはつまり、その部屋で寝ていた人間が犯人だということに他ならない。
「松前くん。君が犯人だ」