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金岸姉弟

「あ、あ……そんなぁ!」


 鈴里さんは涙を流し、つい先ほどまで起きていたはずの親友の元へかけようとする。


「待って……!」


 それを止めるのは垣本さんだ。僕も松前さんも、声をかけることすらできなかった。


「何で止めるの! マミちゃんをここままにしておけないわ!」


「その内に警察が来る。よく知らないけど、現場っていうのは荒らさない方が良いんじゃない?」


「……っ!」


 鈴里さんは噛みちぎりそうな力で唇を噛んでいる。垣本さんの言葉を理解できるために、辛うじて感情に走らずにいるのだ。


「そうね、そうかもしれないわ……」


 やがて、彼女は脱力して大城さんの遺体をただ眺めているだけになった。

 大城さんの遺体はうつぶせに倒れていて、体は建物と反対方向に向いている。もし犯人から逃げていたのだとしたら、犯人は壁側に立っていたということだろう。

 そして——


「これは……杭、でしょうか? それとも矢?」


 背中に刺さっている凶器は二本。黒く細長い棒のような物だ。一本は背中に対して斜めに突き刺さっており、もう一本と平行になっていない。僕には、それが何なのか一目ではわからない。


「矢だね。多分屋敷の中にあるクロスボウの物なんじゃあないか? 文彦に見せてもらったことがある」


 クロスボウ

 ボウガンとも呼ばれ、バネの力で専用の矢を発射する弓の一種である。通常の弓と比べると簡易的で扱いやすく、小型であるために取り回しも良い。長距離になると弾道が不安定になってしまうため、長弓ほどの射程はないが、弦は仕掛けによって引かれるために力のない者でも扱う事が出来る。

 それはつまり、大した練度も筋力もなくこの犯行が可能だったという事を表している。たとえ非力でも、たとえ女性でも。

 そしてもう一つ、僕が気になったのはもう一つの言葉だ。


「屋敷の中?」


「……ああ」


 垣本さんは眉間にしわを寄せる。それもその筈だ。凶器が屋敷の中にあるものならば、やはり犯人は外部犯などではなく、僕たちの中の誰かだという事だからだ。


「それは、秋元さんの部屋にあったものということですか?」


 僕は、秋元さんの部屋のクローゼットの中に、たった一丁だけ飾られている武器があったことを思い出した。使われているクロスボウは、それのことではないだろうか。


「分からないけれど、可能性はあるな。ただ、確実とは言えない。なにせ、倉庫には狩猟道具がごまんとあったはずだ」


「なるほど」


 僕は胸をなでおろした。もしも使われたのが秋元さんの部屋の物だったなら、最も怪しいのは僕だ。なにせ、あの部屋に一番長くいたのだから。しかし、倉庫に置いてあったものならば、誰でも取り出すことができたはずだ。僕のみに疑いがかかるようなことはあり得ない。


「ともかく、僕は姉さんを探します。姿が見えないと心配……」


「待ってくれ」


 駆け出そうとする僕に、松前さんが声を掛けた。


「浩介、お前が探してきてくれよ」


「……え?」


 松前さんの目は、まっすぐに僕を向いていた。そして間違いなく、それは好意的なものではない。


「何故ですか?」


 答えに大体の見当をつけながら、僕はそう問いかけた。聞かなくてはならないと思った。


「分からないのか?」


「教えて下さい」


 松前さんの態度は、隠す気もないくらいに高圧的だ。


「やっぱり君達がやったんだろう?」


 その言葉を憚らないほどに、僕と姉さんに敵意を向けている。


「文彦が君、大城さんがお姉さん、それぞれだったら辻褄があうね。現に今、彼女はいない訳だし」


「それは……」


 松前さんの言葉に反応するのは僕一人だ。垣本さんは申し訳なさそうに僕を見ているだけだし、鈴里さんは大城さんの遺体を見て固まっている。


「どうしたって言うんですか? さっきは喧嘩になるからやめようって言っていたくらいなのに、何故急にそんな事を言い出すんです?」


「急ってことはないだろう? 君は初めから……文彦が殺された今朝からずっと疑われているじゃないか。それに、今は喧嘩になんてならないよ。明らかじゃないか。なる余地も無い」


 有無を言わせぬその物言いは、反論しようものなら間違いなく強行策に出るだろうと感じるほどの険悪さだ。なんと言えばいいのか、僕では皆目見当もつかない。


「皆んなだってそう思うだろう!? 彼ら以外ありえない。彼らしか考えられない!」


 鈴里さんは、とうとう泣き出してしまった。しかし反論はないようで、何も言葉を返さない。

 垣本さんは、何も言わないまでも、先ほどまでなかった疑心がその表情からはっきりと感じられる。

 これはまずい

 そう思った。

 そもそも垣本さんは、秋元さんが亡くなった時には僕を疑っていたのだから、その後の会話で多少疑心が和らいだからといって、新たな疑惑が浮かべば再燃して当然だ。


「君は屋敷に入っていてもらおう。近くに停めてある車で逃亡されちゃかなわないからな」


「そんな……」


「そんな? 当然の事だと思うけどね。お姉さんを探しに行くフリをして車まで行くつもりなんじゃない? そこでお姉さんと落ちあえば、二人で逃亡できる。そんな事させない……!」


「悪いけどさ、真人くん。言う通りにしてよ」


 辛うじて黙っていた垣本さんも、とうとうそんな事を言い出した。


「金岸さんなら俺が見つけるからさ。やましいことがないなら、中にいてよ」


 優しげではあるが、棘のある声色。警戒、疑心。そのどちらも向けられて気持ちのいいものであるはずがない。


「……僕はまず間違いなく、大城さんは姉さんじゃあない何者かによって殺害されたと思っています。だったら、姉さんはその誰かから逃げ出したに違いない。必死に逃げている人を見つけるっていうのに、人手を蔑ろにするのは愚策じゃあないですか?」


「どちらにしたって同じだよ。犯人でも俺たちから逃げなきゃあならないからね。でも、今はこんなにも雪が積もっている。見ろよ、森の中に続く足跡をさ」


 見ると、確かに森の方を向いた足跡が一列残っている。姉弟だからと言っていちいち靴の裏の模様まで知り尽くしているわけではないが、屋敷の周りに残っている二種類の足跡の片方とどうやら一致するようだった。もう片方が大城さんのもののようなので、おそらくそれは姉さんのものなのだろう。


「辿ればすぐ見つかるだろうね」


「そうでしょうか? ウサギでも足跡の偽装くらいしますよ。そう簡単じゃあないんじゃないですか?」


「人間がウサギみたいに自分の身長分もジャンプしたり、時速60キロくらいで走れたりしたらね? でも彼女は違うだろ?」


「いや、待てよダイキ」


 ほんの少しだけ、僕は驚いた。垣本さんがここにきて僕を庇おうとしたのかと思ったからだ。ただ、そんな事は全くの勘違いだと直ぐに知る事になる。


「金岸さんは飛び道具を持ってるぞ。探しに行くのは危険だ」


「ああそうか……」


 武器を持っているとの断言。全く持って、状況は最悪だった。彼らの中では、もう僕らは犯人なのだ。決して僕のことを自由にはしないだろうし、目だって離さない。

 そしてその流れは、僕にとって望ましくない状況だった。


「屋敷の中で警察を待ってたほうが良いだろう」


「それこそ待って下さいよ! 姉さんはもしかしたら凶悪な殺人犯に追い回されているかもしれないんです! 一刻も早く探さないと!」


 僕は必死に訴えるが、彼らの目は冷ややかだ。


「そうやって森の中におびき寄せられるのはごめんだね。クロスボウで後ろからズドンだ」


「どっちにしたって、森の中には危険人物がいるって事だよ。入って行くのは戸惑われる」


「貴方達は僕に姉さんを見捨てろって言っているんです! それがどれほど残酷な事なのか分かりますか!」


 彼らの顔を見て、説得は不可能だと確信した。しかし、それでもやめたくはなかった。やめてはならなかった。


「もうヤダよぉ……帰りたいよぅ……」


 鈴里さんは泣き崩れ、雪に濡れるのも構わずにその場に膝をついた。

 話は堂々巡りで、平行線で、とてもまとまる気などしない。僕は譲る気などないし、相手だってそれは同じだろう。まるで永遠に、その場で話し合いをし続けるのではないかとすら思える。

 人が二人も無くなった上で、険悪さを増すばかりな僕ら。鈴里さんが弱音を吐くのも無理はないと、僕はそう思ってしまう。

 ——その時

 高い、短い、機械音。

 不穏な空気に終止符を打ったのは、僕の携帯電話から聞こえる音楽だった。


「……メールです」


 朝からポケットに入れっぱなしだった携帯電話を取り出し、すぐさま内容を確認する。


 ——良かった


 それは、僕が待ち望んでいた内容に相違なかった。


「なに悠長にメールなんて見てるんだよ!」


 垣本さんが怒鳴る。彼からしてみれば、僕は確かに「悠長」に見えるだろうから仕方のない事だ。

 しかし


「姉さんからです」


 その一言で、彼の態度も一変する。


「姉さんから、メールが来ました」


「……は? え?」


 おさまったわけではないだろうが、ひとまず怒りは鳴りを潜めた。代わりに疑問符が頭に浮かんでいる。


「彼女は、一体なんて……?」


 松前さんが僕に先を促した。彼も垣本さんと同様に状況を理解しているわけではないのだろうが、それでも落ち着きは失っていない。

 僕は、メールを開いたその画面を松前さんにも見えるようにかざす。決して適当な事を言っているわけではなく、それが真実である事の証明としてだ。


「二階の、秋元さんの部屋に来て欲しいそうです。姉さんもそこに居ます」


 僕は屋敷の二階に位置する壁を見上げた。そこの内側が正しく秋元さんの部屋だ。隣に、そこが開かずの間である事を示すようにこの屋敷に三つしかない窓が存在する事から間違いはない。

 ふと、その時僕は違和感を覚えた。二階に、もっと言えば、開かずの間にあるその窓に。それがなにを示す事なのかイマイチ理解しないまま、僕はみんなと一緒に二階へ駆け出していた。

 しかし、それが何なんかを知るのはそう遠い事ではなかった。



 大慌てだ。僕達は四人で屋敷の中を駆け抜けた。

 曲がりくねった廊下も、階段も、僕達は全く煩わしくなんて無かった。気にもとめなかった。まるであっという間に、僕達は二階廊下の一番端までやってきたのだった。

 そして扉を開けると——


「やあやあ、よく来てくれた。正直私は疑われているようだから、来てはくれないんじゃあないかと心配していたんだ」


 姉さんは我が物顔で椅子に腰掛け、殺人現場だというのに随分とくつろいでいる様子だった。現場保存など知ったこっちゃない。


「姉さん、前置きはいいから早く教えてくれよ。全部だと、そう言ったろう?」


「まあ落ち着けよ。すぐに……そう、すぐ説明してやるさ」


 姉さんは足を組み、非常に尊大な態度で話し始めた。どうやら、いつもの調子を取り戻したらしい。



 話は、ほんの十数分前に戻る。

 僕たちが大城さんの悲鳴を聞いて、慌てて外に飛び出した時の事だ。


「とりあえず僕は右へ」


 そう言ったのは、全くの偶然だった。何かの意図があったわけではなく、完全なる偶然。そしてそれと同時に、幸運でもあったのだ。


「なら左に行くよ」


 そう言って走り出した垣本さんは、すぐに僕からは見えなくなる。なにせ僕はすぐに建物を回りこまなくてはならなかったからだ。

 そこで、すぐに姉さんと合流した。


「姉……!」


 声を上げようとしたところで、姉さんが声を出さないようにとジェスチャーをする。唇に人差し指を触れさせた。


「一度しか言わないからよく聞くんだ。質問は無し」


 姉さんは僕以外には聞こえないような小さな声で、それも早口で、ただ一方的に用件を話した。

 まず、姉さんは誰にもバレないように屋敷へと入りたい。そして、もう一度屋敷内を調査するのだ。見つかってはいけない理由は明白だった。僕の視界の端に映る大城さんの遺体を見れば、誰だって姉さんの犯行だと思う事だろう。

 姉さんは、僕がいる方とは反対側から大急ぎで建物を回り込むつもりだと言う。ならば僕が行うべきは、今まさにそちら側の様子を伺っている垣本さんをおびき寄せる事だ。これは大城さんの遺体を発見したと言えば簡単だ。

 この時、入り口に陣取っていた残りの二人も呼び寄せる事が出来たのは非常に幸運だった。特に松前さんは部屋にいるはずだったので、見つからないためには姉さんが頑張るしかないところだった。

 しかし皆を呼び、建物の裏側へと戻ってくるとまだ姉さんが反対側へ着いていなかったのは驚いた。充分な時間を空けたはずだったのだが、垣本さんと鉢合わせてはいけないと思うあまり急ぎすぎたのかもしれない。

 どうにか時間を稼ごうとしたのだが、姉さんが死角に入る直前に鈴里さんが僕の制止を振り切ってしまった。万事休すかと思われたのだが、鈴里さんは大城さんの遺体に目を奪われてしまったため、姉さんに気がつく事はなかった。

 そして次に僕がする事は、最大限の時間稼ぎだ。姉さんが屋敷内で調査を行う間、彼らを外に釘付けにしておかなくてはならない。

 姉さんを探しに行くという口実ならば自然かと思われたのだが、これは僕たちに疑心を抱いている松前さんに却下された。あとは口からでまかせでどうにかこうにか時間を引き延ばすばかりだ。

 この時驚いたのは、屋敷から森への足跡だ。たった一列だけ残されたそれは、確かに姉さんの物に間違いはない。しかし、それは姉さんが後ろ歩き(バックトラック)によって偽装したものだ。実際には、森に続く足跡の上に後ろ向きの足跡を重ねたにすぎない。警察などの調査機関が丁寧に調べる事によってすぐに判明してしまう拙い工作だが、たった三人の一般人を騙すには充分だった。

 これにより、みんなは姉さんが森の中にいると信じて疑わなかった。屋敷に戻っていると知られれば、真犯人が強硬手段に出た可能性もあったのだ。


 かくして、姉さんの思惑は完了した。あとは、それが一体何だったのか、実態を知らしめるのみだ。

「私は読者に挑戦する」


 一度は言って見たい言葉、堂々の第三位

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