第五節 女帝
日和が出した作戦に従い、小雪がダイブドライバーを装着してデータ世界へと足を踏み入れる事になった。
『どう?大急ぎで初期化したから、ちょっと合わない部分があるかもしれないけど』
通信越しに日和の声が聞こえる。小雪は自分の体を見渡し、特に異変がない事を確認する。
「ええ、問題ないです。それより、早く結城のところへ行きましょう」
小雪は体の感覚を慣らしながら、日和の次の指示を待つ。
『はいはいちょっと待ってね。今リンク貼るから』
間もなくして小雪の目の前に巨大な穴が現れた。小雪は日よりも指示通り、ダイブドライバーの専用アプリケーションを呼び出す。
『プロトアプリケーション ナンバー2 インストール』
小雪の目の前に巨大な箱が現れた。継ぎ目が見当たらない無機質な箱はゆっくりと開き、中の鎧が姿を現す。
小雪は口元を歪め、その鎧のアンダースーツに袖を通す。ダイバースーツに似たそれは、鎧の可動性を最大限まで引き上げるように作られたものである。そして、鎧の各パーツを取り付けていき、最後に兜を被る。漆黒の鎧に、冷酷な青い光が灯る。戦争中、最も特異な装着方法でありながら、瞬間火力は最高と謳われた、第2号機を模した鎧である。
小雪は更に、ロケットランチャーや自動小銃、更にはアーミーナイフ等、体の各部のジョイントに付けられるだけの装備をつけていき、箱を閉じる。
最早軍事要塞というべきほど堅牢な装備に身を固め、小雪は穴に飛び込んだ。
ユリカは結城の精神データを持って、ある場所のデータ世界に潜んでいた。ユリカは念を入れ、そこのプログラムを書き換え、堅牢な城塞のように改造した上でである。
「ふふっ……」
ユリカは城塞の地下牢で、圧縮した結城の精神データを眺めていた。今はまだ人格データが圧縮したままなのでまだどうにもならないが、解凍した時に結城と過ごせる時間ことを考えると、胸が躍る。
「これで、やっと、やっと手に入った……。私がずっと欲しかったもの」
ナタリアが稼いだ資金は、ユリカの暮らしを不自由させることはない。むしろ、欲しいものなら何でも手に入るそれ程潤沢なものだった。
存在そのものが世界の『バグ』と言っても過言ではない。世界から隔離されて育った彼女には、人間の世界は異質すぎた。だから、彼女の周りの人間は、少しずつ彼女の異様さについていけず、遠のいていく。仲間ができると思って入った生徒会も、気がつけばユリカが一人で運営しているような状態だった。
故に、彼女は求めるのだ。絶対に自分から離れていかない、最高の奴隷を。
「さてと、始めちゃおっか」
ユリカは結城の精神データを封じ込めたIDカードを牢の中へ放り込む。それと同時に自らの一部を混ぜ込む。これで、後は解凍が終わるのを待つだけである。
ユリカが結城が目を覚ました時、退屈しないようにと色々なおもちゃの準備を始めようとしていた時だった。巨大な爆発音と揺れが、ユリカを襲う。ユリカが予想していた通り、奪還するための刺客がやってきた合図だ。
ユリカは入口に一番近いフロアである大広間へと向かう。ユリカが大広間に入ると、やはり入口は大きく破壊され、土煙が立ち込めている。しかし、その中で冷たい青い輝きがこちらを見据えている。
『ソレ』は、ゆっくりとこちらを見据えて近づいてきている。まるでこちらの出方を伺うかのように。
ユリカは日和の実験室から奪った3号機のデータを呼び出す。これまでは記録上の再現が限度だったが、今回はオリジナルからデータをコピーしたおかげでその精度も上がっている。
3号機の鎧を身にまとい、ユリカは銃口を『ソレ』に向ける。土煙が晴れ、姿を現したのは、記録上の第2号機そのものだった。記録によれば、小雪の愛機とされているものである。
「へえ、誰が来るかと思えば、小雪さんなんだね。てっきりママが来ると思ってた」
ユリカは引き金に力を籠める。ユリカが奪い取った戦争のデータは、日和が所有していた交戦記録であるため、対特殊兵装に関する知識は豊富である。
例えば、2号機は『ありとあらゆる火器を単独で扱える』という特性故に、瞬間火力こそ高いが、他の物のように携行できない。しかも装備は重火器が過半数を占めるため、持てる装備に限りがあり、敵との相性によっては何もできずに負けてしまうこともあり得る。
対してユリカが盗んできた3号機は2号機の弱点を補うために、『最小限度の戦力で確実に相手を倒す』という特性を持たせるように開発されている。後継の4号機にも受け継がれている、高い汎用性を追求した機体である。
そもそも重火器を扱うという時点で、特殊兵装に対して相性が悪い。弾丸の雨など、通用しないのだ。
ユリカは勝利を確信し、引き金を引いた。高濃度にまで圧縮されたエネルギー弾が敵へめがけて放たれる。それと同時に小雪は何かを投げつけ、一時的な盾代わりとして使う。
次の瞬間、ユリカの放った弾が小雪の投げた物に命中し、それが爆ぜた。すると、ユリカの目の前に煙が立ち込め、周囲の視界を覆う。
「嘘!?」
ユリカは急いで3号機のカメラをサーモグラフィーに切り替え、小雪の姿を探す。
小雪はユリカから離れた位置へと移動し、何かの『箱』を大量に呼び出していた。ユリカを中心に取り囲むようにして現れたそれらは、まるで墓標のように見えた。
小雪はその箱から巨大な武器を取り出し、ユリカに向かって発射した。ユリカは特に防御の姿勢をとることなく、その攻撃を受けた。当然ながらユリカは痛くもかゆくもない。しかし、衝撃を殺すことはできずに少し吹っ飛ばされる。
再び煙が晴れ、ユリカがサーモグラフィーを切ると、小雪が持っていたのは4発装填の巨大なロケットランチャーだった。小雪は既に発射準備を終え、2発目を放つ。
ユリカは腰の銃を引き抜いて次の弾を撃ち落とす。弾が爆ぜ、一瞬だけ視界が奪われる。爆発の向こうから、何か重いものを捨てる音と、足音が聞こえてくる。ユリカは足音が止んだあたりに狙いを定めて2、3発撃つが手ごたえがない。それどころか、既にロケット弾の発射音が聞こえてきた。
ユリカは急いでそれを撃ち落とし、爆発の中へ突っ込む。それを読んだのか、向こう側から拳銃の弾が飛んでくる。当然ながらユリカからすれば、豆鉄砲をぶつけられたような感覚しかない。しかし、まるでこちら側をあざ笑うかのような手ぬるい攻撃にユリカは段々腹が立ってきた。記録上の小雪なら、こんな事はしない。2号機のスペックをフル活用し、ロケット弾の雨ぐらいはやってくるはずだ。
そしてユリカは小雪の懐に踏み込み、銃を捨てて小雪を殴りつける。しかしその拳が届くことはなく、小雪にあっさりと投げ飛ばされる。
「こっちが馬鹿正直に突っ込んでくると思ったの?なら随分とお気楽な頭ね」
小雪は冷たく言い放ち、投げ飛ばされたユリカの喉元にアーミーナイフの切っ先を向ける。特殊兵装の防御が及ばない、唯一の弱点である。
「チェックメイト、ね」
小雪はユリカの喉元めがけてアーミーナイフを振り下ろすが、その寸前の処でユリカは回避して投げ捨てた銃を拾い上げる。
「ははっ。何言ってるの?こっちのほうが強いんだよ?私のほうが戦力も上、持ってるデータ量も違う。勝ち目なんてあるわけないじゃない」
緊急回避で稼いだ距離は5メートルにも満たない距離であるが、逆にこの距離ならユリカが有利である。ユリカは息を切らしながら、小雪の頭を狙い、引き金を引いた。そうすれば、放たれたエネルギー弾が小雪の体を貫き、日和たちの作戦は失敗する、はずだった。
ユリカはいきなり後ろから異物が入り込んでくる違和感に襲われ、手元の銃が消滅した。直後になぜか体から力が抜けて、その場に座りこむ。ユリカが後ろを振り返ると、なぜか、京子がこちらを見下ろしていた。しかも、その手には勇気の人格データを収めたカードが握られている
「京子、なんで……?」
「あなた、本当に素人ね」
小雪はユリカを、まるでゴミか何かのように蹴り飛ばした。防御姿勢をとることもできず、ユリカは無様に床を転がる。
「私はあくまで陽動。あなたの注意を引いてればそれでよかったの。最初からあなたを倒すつもりなら、日和が来ていたでしょうね」
ユリカは小雪を睨みつけながら起き上がろうとした。しかし、小雪は機械的にユリカの関節を拳銃で撃ち抜き、ユリカは再び地面にひれ伏す事になる。
「さてと、仕事はこれくらいね。結城の治療は、任せていいのよね?」
「うん。あなたは現実に戻って日和たちと合流して」
小雪はそれを聞くと、軽く手を振って城から出て行った。京子は結城の人格データを見渡し、復旧作業を始めた。
「……てよ」
小雪が暴れたせいで、ただの廃墟のようになってしまった城塞に、ユリカの声が響いた。京子は作業を取りやめ、ユリカの様子を見る。ユリカは関節を撃ち抜かれ、立つことすらできないはずである。ユリカは幽霊であるかのようにゆっくりと浮き上がり、恨めしそうにこちらを見据えている。
「私の友達を、返してよ!」
ユリカの体を周囲のありとあらゆるものが覆っていく。城塞の壁、きらびやかな装飾、それら全てがユリカの新しい体を作り、巨大な怪物を形成する。
『結城はもう私の物なの!私の為だけに生きてくの!だから返してよ!』
巨大なカマキリのような怪物へと成り果てたユリカの声が響き渡る。そこに最早ユリカ・サーストンの面影など無く、ただの怪物だけがそこにあった。
怪物と化したユリカはその大ガマを京子めがけて振り下ろす。京子は作業を中断してユリカと距離を取る。ユリカは完全に廃墟とかした城塞の残骸を蹴散らしながら京子を追いかける。先程まで聞こえていたユリカの声はもう聞こえず、ただの怪物がそこにいるだけである。
京子は1メートルでもユリカから逃げながら、日和に回線をつなぐ。
「もしもし日和。まずい自体になった」
『何?どうしたの?』
「ユリカがあちこちのデータを吸い込みながら暴走してる。このまま行けば、私も結城も呑まれる」
『うーん、何とか逃げられない?私達のアドレス知ってるんだし』
「全然駄目。出入り口も呑まれちゃってる。通信用の回線がまだ辛うじて残ってる」
『分かったわ、なら作戦変更ね。応急処置で結城を解凍するしか無いわ。頼んだわよ、きっとこれが最後の踏ん張りどころよ』
「わかった。やってみる」
京子は回線を切って結城のカードを改めて確認する。現在、結城の人格データはあくまで再圧縮しただけのもので、中にはユリカのデータが混ぜ込まれているせいで今この場で解凍すれば、それこそユリカの手下を増やすだけになるだろう。
しかし、記憶データは違う。人格データを構成する核とも言えるこのデータは、迂闊に触れば二度と復元できない程デリケートな部分である。京子はユリカの手がまだ記憶データに及んでいないという可能性に賭けることにした。
京子はまだユリカに呑まれていない小部屋を発見し、そこへと入り込む。京子はユリカをやり過ごすと、床の上に結城のカードを置いて結城のデータの仮解凍を始める。記憶データを読み込み、元の人格データの再現である。
もしユリカの妨害に遭い、撤退が困難になったときのための応急処置である。
ユリカが周囲を探す音が聞こえてくる。ユリカは京子を見失ったこの辺りを探し始めたようだった。
作業を初めたばかりである為、進捗度はまだ10%にも満たない。この進行速度で行けば、早くとも1、2分は欲しい所である。しかし、ユリカがあまり待ってくれるようには思えない。
ユリカだったものの叫び声が聞こえる。進捗度は現在15%である。
近くの部屋が破壊される音が聞こえる。進捗度は現在40%である
隣の部屋から瓦礫が崩れる音が聞こえる。進捗度は現在65%である。
仮解凍はもう間もなく完了する。しかし、重い足音は部屋の入口で止まり、扉越しでもゆっくりとその鎌が振り上げられているのが分かる。ユリカの鎌が振り下ろされる直前、記憶データからの仮解凍が完了し、カードを核に人形が形成される。京子は結城に体当たりをして、押し倒すような形で回避させる。
「う……ん……?」
結城は間もなく気がついたようで、声を漏らした。
「あれ?俺、何してたんだっけ……?」
結城は周囲を見渡し、状況を確認しようとしている。しかし、目の前の怪物が視界の半分以上を覆っているせいで、うまく状況が飲み込めていないようだった。
「説明は後でする。とにかく逃げて」
京子は半ば無理矢理に結城を起き上がらせて逃げる。幸い、怪物は結城を見つけて動きを止めてしまっている。京子はするりと怪物の脇を抜け、来た道を引き返すように逃げる。最早城塞も何もないような荒野が広がり、京子は落ち着いて結城に説明できるような遮蔽物を探す。
「えっと、あなたは誰なんです?」
後ろで結城がこちらに問いかけてくる。記憶データ不完全だったのか、結城は自分のことを覚えていない。しかし、京子に聞き返している暇はない。
そして、あの怪物がこちらへ向かって来ている。既にこの世界は何もない荒野になっており、身を隠す遮蔽物もない。
「いい?今から、あの怪物を倒すの。あなたがどこまで覚えてるか知らないけど、死にたくないならそうしなさい」
結城は面食らったような顔をしたが、すぐに事態の異様さに気づいて黙って頷いた。
「じゃあ、一時的にあなたに力を移す。ちょっとくすぐったいから」
京子は結城に背後を振り向かせ、その背中に手を入れる。今の結城が、人間ではなくデータから再現した状態だからこそできる、一度きりの裏技である。
ユリカはキグルミに入るかのように結城の体と同化して溶け込む。この間わずか10秒。怪物は後20秒でこちらに追いつく。
『じゃあ、始めるから。構えて』
京子は内部に保存されたデータから、一番この状況にふさわしいものを選ぶ。その姿はファンタジー世界にありがちな騎士の姿である。
「これは?」
『私の記録している中で、これが一番この状況にふさわしい。剣を抜いて構えて』
結城に京子に言われた通り、剣を引き抜いて構える。敵はもう目と鼻の先まで近づこうとしている。
結城はゆっくりと腰を落とし、柄を握る力を強める。豪華な装飾など一切ない、質素な剣からは薄っすらと冷気が漏れ出している。
そして、敵が背中の羽を大きく広げ、結城に飛びかかる。結城もそれに呼応するかのように跳び上がり、真っ向から立ち向かう。怪物の鎌は結城の首を刈り取ろうと襲いかかる。
結城は体勢を僅かに変えて紙一重でかわし、すれ違いざまに怪物の体を真っ二つに切り裂く。
2つの影は、すれ違うように着地し、ガラクタの怪物の体が砂のように崩れ去っていく。そして、結城の体も崩壊を始めた。結城はその場に跪き、押し出されるように京子の体が分離された。
「やっぱり、負荷が大きすぎたみたいね。大丈夫、貴方は絶対に日和が治してくれる。だから、安心して」
京子は結城に慰めの言葉をかけたつもりだったが、既に結城の体は崩れ去り、そこにはカードが一枚落ちているだけだった。
京子がそれを拾い上げて怪物の死体を確認する。そこには人の形をしたユリカがゾンビのような動きでこちらに迫ってきている。小雪に撃たれた関節の代わりなのか、鉄屑の義足のようなもので動きを何とか補助している状態である。
「かえ……して……よ……。それ、は……わた、わた、しの……」
ユリカは光の灯っていない虚ろな瞳でこちらに迫ってくる。最早京子をしっかりと認識でてきているかどうかさえ怪しい。
ユリカはやがてゆっくりと動きが鈍くなっていき、凍りついたかのように動かなくなった。そして、見えない手に押しつぶされるかのように砕け散り、跡には結城のものに良く似た、黒いカードだけが残っていた。
京子はそれを拾い上げ、日和に回線をつないだ。
「日和。ユリカの無力化に成功した。これで撤退もできる」
『オッケー。こっちも準備できてるから、いつでも出てきていいわよ』
日和は既に準備が完了した後で、こちらの様子を待っていたかのようなスムーズな反応だった。
『でさでさ、ユリカちゃんはどうなった?』
「結城を使って圧縮した。もう大丈夫」
『えー。てっきりユリカちゃんがこっちに飛び出してくると思ったんだけどなー。あーあ。予想外れちゃった。ま、手間が省けたんだし、結果オーライとしましょっか』
京子の目の前に穴が開く。どこかの別の世界ではなく、元の現実へと戻るための帰還用のトンネルである。京子は一呼吸を入れて、その穴へと飛び込んだ。
こうして、ユリカが起こした事件は幕を下ろした。全ては元通りに、本来あるべき姿へと戻っていくのである。