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ダイバー  作者: パイシー
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第三節 怪物

 翌日、結城はコンサートホールの前で待っていた。時刻はユリカとの約束の10分前。結局あの後、気持ちの整理がつかないまま帰宅してしまったせいで、小雪との接し方もギクシャクしたものになってしまった。

 そして今日も、結局小雪とロクに会話することなく飛び出すようにして出てしまったせいで、約束の時間よりも早くコンサートホールについてしまったのだ。

「あ、結城君。待った?」

 約束の時間から少し遅れて、ユリカが姿を現した。ユリカはピンクのパーカーに、紺のパンツという服装で、普通に町中を歩いていても問題のない服装だった。

 この少女が人間じゃない、と一方的に言われても、信じる気になれない。

「いいえ。僕が早く来すぎただけですから、あまり気にしないでください」

「そっか。ごめんねー。ちょっと準備に手間がかかっちゃってさ。じゃ、行こっか」

 ユリカに手を取られ、コンサートホールの中へ入る。開演まで後10分。ユリカは開演直前に母親に会うということもせず、普通の観客同様席について待っていた。

「あの、会わなくていいんですか?」

「ん?誰に?」

「先輩のお母さんにですよ。中々会えないんじゃないんですか?」

「うーん……。普段もあんまり会わないから、気にしたこともなかったかな。でもコンサートが終わった後にちょっとだけ挨拶に行くことはあるよ」

 ユリカは母親に会いに行かないということに、特別異変を感じてはいなかった。それどころか、『母親』という概念が抜け落ちているようにも見える。

「あ、そろそろ始まるよ」

 ユリカに言われてステージを注視する。嵐のような拍手に迎えられ、姿を現したユリカの母親、ナタリアは写真で見るより美しく見え、まるでガラス細工を見ているような儚い輝きを放っていた。

 それからナタリアが演奏した曲は、そんなイメージを覆すような曲だった。バイオリンの独奏だというのに、荒々しい怒りと悲しみを現すかのような激しい音により始まり、その過程で得た喜びを演奏し、そして最後には虚しさや暗さを髣髴とさせる静かな終わり方で曲は終わった。

 演奏を終えて一礼をすると、スタッフからマイクを手渡されてナタリアは口を開いた。

「先ほどの曲は、昔の、私の知り合いを現した曲です。今ではしっかりと幸せを掴んで暮らしているのですけれど、どうしてもそのイメージが頭から離れなくて、今回モチーフに取り入れさせていただきました」

 ナタリアはこの曲の解説を始めていた。入口で配られていたパンフレットに載っていたが、彼女は元々イギリス貴族の生まれらしい。今では訳あって、実家とは疎遠になってしまったようだが、上流階級独特の上品さというのがにじみ出ている。

 ナタリアが次の曲の簡単な説明に入ろうとした時だった。一気に会場の照明が落ちた。演出といったものは感じられない、停電のそれだった。会場の所々からざわめきが聞こえ、時折、避難誘導の行っているスタッフの声も聞こえるが、観客達のざわつきにかき消されて彼らには届いていないようだった。

 普通なら点灯しているはずの非常灯も全く点灯せず、状況を確認しようとしているのか、観客の操作するスマートフォンから漏れる液晶の光が会場のあちこちから見える。

「ナタリアさん、大丈夫ですかね?」

「うん多分。ママはああ見えて強いから、平気だと思う」

 ユリカはこの異常事態になっても特に動じたりせず、どこかはしゃいでるようにさえ見える。暗闇でよく見えないが、笑みを浮かべている事は容易に想像できた。

 結城が何かしようとした時だった。

「きっとこれは、テロだ!皆、逃げるぞ!」

 パニックになった観客の一人が暴れだした音が聞こえた。そしてそれを抑えようとする声や音も聞こえてくる。

 小雪や日和が関わっていたという『戦争』は、国を挙げてのテロだったとみなす声も多い。それだけに、日本ではそういうことに対する不安が強い。まだあの戦争の残党が、秘密裏に日本を狙ってテログループを組織した、なんて都市伝説も存在する。

 テロと誰かが騒ぎ立てたせいで、不安の声も多数存在し、立ち上がるような音も聞こえてくる。次の瞬間、結城の隣で強烈な光と、1つの銃声が会場に響いた。光は一瞬だけだったので、何が起こったのかはすぐには分からない。しかし、その直後、何かが崩れ落ちる鈍い音がした。少し遅れて、それが、誰かが射殺されたと告げる悲鳴が聞こえてきた。

 次の瞬間、静寂に包まれた会場は一変した。次は自分かもしれない、得体の知れない『何か』がいる。その恐怖が観客の不安を爆発させた。

 不安に駆られた観客たちは一斉に出口に殺到し、我先に外に出ようとする声や、音が聞こえてくる。

 現在、こういった施設の扉はオートロックで施錠され、緊急時にはそれを外れるようになっている。しかし、扉が開く気配はない。スタッフがアナログ式の鍵で扉を開けようとするも、パニック状態になった観客たちにその声が届くことはない。

「こっち」

 結城はいきなり腕を掴まれて会場の奥、ステージの方へと引っ張られる。およそ人間とは思えないような無機質な声の主は、結城を持ち上げていても問題ないようで、軽々と客席の間を跳んでいた。

 そしてステージに辿り着くと、舞台袖に連れ込まれて、温かいロウソクの光に迎えられた。

「ここまでくれば大丈夫だから」

 ロウソクの光りに照らされ、京子の声が浮かび上がった。

「京子さん、どうしてここに?」

「念のために控えてた。今、この会場のマザーコンピュータがバグに乗っ取られてるみたい。バグを取り除くには、ダイブドライバーが手っ取り早いから、結城の助けが必要」

 京子は結城に一本のケーブルを手渡し、結城もそれを握りしめる。この時、結城はまるで自分が英雄になったような気がして、思わず胸が高鳴る。

「ママはこの先の控室にいるのよね?じゃあ、私は先にそっちに避難してるね」

 ユリカはやや不機嫌そうにそう言い残し、少し駆け足で暗闇の中に消えていく。

「あ、あの! 先輩!」

 結城も慌てて追いかけようとしたが、京子に腕を掴まれて制された。

「待って、ステージ裏も真っ暗だから、危ない。私が探しておくから、あなたはバグの削除に専念して」

 ユリカの事が心配だったが、行き先は真っ暗で、自分の手元さえ見えない程である。更には、京子の手はまるで枷のように結城の腕を抑え、彼女の言うことに渋々従うしかなかった。

「じゃあ、これから案内する。付いてきて」

 京子に腕を引かれ、暗闇の中を歩く。暗闇の中では、ロウソク片手に歩く京子の顔しか見えず、どこを歩いているのかが分からない。少し暗闇に目が慣れたと言っても、辛うじて輪郭線が分かる程度である。

「着いた」

 京子が扉を開けると視界が一気に白に染まり、目が眩む。そして視界が明瞭になると、部屋の中が見えてきた。

 部屋の中では唯一機械が動いており、所々から動作音が聞こえてくる。

「ここがメインコンピュータルーム。ここのバグを取り除けば、この事態を止められるはず」

 京子はポケットからUSBケーブルを取り出し、結城に手渡した。。

「じゃあ、私はユリカを探してくる。あなたはここで、貴方のやるべきことをお願い」

 京子はメインコンピュータールームから出て行った。結城は正面の一番大きいコンピュータに近づき、USBポートを探す。

「お、あったあった」

 結城はダイブドライバーの差込口にケーブルを挿し、もう片方を見つけたUSBポートに挿し込む。



 メインコンピュータールームのデータ世界は、巨大なオペラホールだった。それも、回廊で囲まれた、オペラ座の怪人でも出てきそうな程古風なものである。

 そして次の瞬間、結城の耳におびただしい程の『何か』の音が聞こえてきた。まるで昆虫が群れをなして襲いかかってくるかのような、そんな音である。

 結城はダイブドライバーを操作してハンティングアプリを起動させて二丁拳銃を構える。

 次の瞬間、巨大な真っ黒な『塊』が飛び出してきた。それらは巨大な羽音とともに現れ、少し遅れて巨大な虫の塊であったことに気づく。

 結城は二丁拳銃を構えてありったけの弾を浴びせるも、攻撃範囲が狭すぎて大部分を削ることができない。

 結城は舌打ちをして目の前の塊から離れる。巨大な波のように迫ってくる『塊』は、小さな虫の群れであるというのに、今の結城には打つ手がない。

 それでも何とか抵抗しようと、隙を見つけては攻撃を続けるものの、全く手応えがない。 

 結城は回廊の中へと逃げこみ、その中を走り回りながら対策案を考える。一発一発の弾丸のような『点』ではなく、派手な魔法のような『面』で攻撃できるもの。

「何かないか……。他になんかあるだろ」

 結城は銃を捨ててダイブドライバーを操作する。現在インストールされているアプリは、3つ。今装備しているハンティング、この前使ったハッキング、そしてまだ使ったことのない3つ目のアプリ。アプリのアイコンは、筆のようなものが描かれており、頼れそうなイメージはない。

「こうなったら、イチかバチかだ。頼むぜ……」

 結城は3つ目のアプリをタッチして、起動させた。

『アプリケーション ペイントウィザード インストール』

 結城の体を覆っていた赤い外套が消え、次の瞬間魔法使いウィザードを思わせるような複雑な模様の入った青いローブが出現した。

『ペイントアプリケーション アクティブ』

 出現した青いローブは結城の体を包み込み、別の形態へと変化させる。装着が完了すると、結城の手に突如として杖のようなっ巨大な筆が現れ、結城の手に収まる。

「魔法使いか。打ってつけだな」

 結城は筆を持ち直し、回廊を走りながら回廊の壁を筆でなぞる。結城は思い描く、この巨大な波を包み込めるような、巨大な『網』のようなものを。

 結城が一周分走り終えると、描き始めた地点と、描き終えた地点とが一つとなり巨大な魔法陣のようになる。結城は背後から迫ってくる塊を睨み、魔法陣を飛び込む。

 この時、敵の欠点が大きく露呈した。敵は小さな『個』、それも虫の集まりであって、強大な敵ではない。つまり、目の前に追うべき敵がいるなら、それを馬鹿正直に追いかけていくのだ。

 結城が魔法陣を通過し、塊もそれを追いかける。しかし、魔法陣が巨大な炎の手となり、塊を呑み込む。塊は巨大な炎に呑まれ、次々と燃えていく。

 結城が着地すると同時に、一つの影が地面へと叩きつけられた。スズメバチの意匠を濃く持った怪物。今回のバグの本体に他ならなかった。

 結城は的が一つになったと確信すると、口元を歪めてバグに襲いかかる。

『ハンティングアプリケーション アクティブ』

 再びハンティングアプリを起動させ、赤い外套を身にまとう。そして両腕の手甲から刃を取り出してバグに襲いかかる。バグは既に満身創痍であり、まともに抵抗をする余裕もなかった。

 結城はこれを好機と見て、抵抗のできないバグを一方的に痛めつける。そしてバグは両腕、両足と切り刻まれ、最終的には真っ二つに胴体を切られて消滅した。

「これで、終わりだな」

 結城はアプリケーションを終了させて元の姿に戻る。そして外の世界へ出ようとした時だった。

「やっぱりすごいね。さすがは日和さんの発明品って所かな」

 結城しか入れないはずのデータ世界に、ここにいるはずのない一人の少女の声と、乾いた拍手の音が響き渡る。

「……どうして?」

 その少女を見た時、結城の口から漏れた言葉がそれだった。

「どうしてもこうもないよ。私、人間じゃないんだもの。ここに入る能力を持って生まれた超能力者。突然変異体ミュータント、ともいうかな」

 本来なら、いないはずの少女。それは、暗闇の中に消えていったユリカだった。その瞳は真紅に染まり、綺麗な金髪も僅かに赤い光を放っている。

 ユリカは観客席から立ち上がり、ステージ上に上がる。そして結城を見つめると、獲物を見つけた捕食者のように舌なめずりをした。

「本当、親子ね。小雪さんそっくりよ、あなた」

「え?」

「だから、あなたはそっくり、って言ったの」

 ユリカが指を鳴らすと、周囲に無数のモニターが表示されてそれぞれが色々な写真を映し出す。

「あなたのお母さんは、『戦争』を終わらせた大英雄。『ジエイタイ』っていう国の守りを失った日本を守った英雄。あなたのお母さんがいなかったら、そのまま本土決戦になって、それこそ悲惨な戦争になったでしょうね」

 ユリカの口調はまるであざ笑うかのようなもので、戦争というものを面白おかしく語っているように見えた。

「でもおかしいと思わない?なんであなたのお母さんは英雄扱いされないのか。なんであの戦争の詳細がまだ伏せられたままなのか」

 ユリカはゆっくりとこちらに歩いてきており、結城との距離を詰める。まるで、獲物をゆっくりと追い込んでいくかのように。

 モニターの写真が切り替わり、結城が小雪のパソコンの中で見つけた画像と同じ、七人の少女の集合写真だった。

「天才エンジニア大國日和、英国貴族の家出娘ナタリア・サーストン、そしてあなたのお母さん、水代(みなしろ)小雪。その他にあなたのお母さんの友達だった江口(えぐち) 朱里あかり、バカンス中だったドイツの政治家の一人娘のヨハンナ・フォン・アインフォーゲルさん、そして、日和さんの同級生の浜名はまな 愛菜あいなさんと、その妹さんの風華ふうかさんの7人が集まって、

できたレジスタンス。それが、一番の理由なのよ」

 ユリカはまたしても画面を切り替えた。そこにはどこか見覚えのあるベルトを巻いた少女たちが、戦っている写真だった。

「私達のママは、レジスタンスとして戦争を終わらせた。でもね、問題も多かった。日和さんの作った全10機の特殊兵装。それらはどれもこれも、量産さえできればどんな軍隊も全滅するような危険なものばかり。一個あるだけでも、軍隊と正面で戦えるくらいのものも。それをね、一番渡しちゃいけない人に渡しちゃったの。」

 そして、モニターの表示が一斉にある少女へと変わる。それは、結城がもっとも知りたい部分であり、知りたくない部分でもあったものだった。

「それが、あなたのお母さん、横山小雪。戦争の狼煙として始まった、奇襲で全てを奪われたあなたのお母さんは目につくモノ、特に弱いモノから殺していった。相手が抵抗できないなら、尚更ね」

 モニターが一斉にその頃の小雪を収めたビデオを流し始めた。

 今日何人殺したかを喜々として語る小雪。

 ただ機械のように、群がる虫を叩き潰すかのように殺し続ける小雪。

 そして、命ごいをする人間を見て、愉悦にひたる小雪。

 そのどれもこれもが、結城の中の『横山小雪』という人間像を壊すには十分すぎる威力を持っており、結城は目を背けた。しかし、ユリカの口は止まること無く、真実を語り続ける。

「途中から貴方の戦いを見てたけど、本当、そっくり。結局は弱い者いじめ。新しいおもちゃをもらって喜ぶ子供そのものよ」

 気がつくと、ユリカは目の鼻の先に迫っており、その狂気に歪んだ顔が視界を覆う。結城がユリカから距離を取ろうと思った時、既にユリカの手が結城の頭に伸びる。ユリカの手はなぜか、結城の頭にのめり込み、結城の全身に計り知れない激痛が走る。

「そう、あなたは結局弱い者いじめをやってるだけ。あの時、あなたを『マザコン』っていじめたいじめっ子と一緒」

 ユリカは笑みを浮かべたまま、結城の頭に『何か』を流し込む。ユリカの言ったことはデタラメである。確かに、小雪のことでからかわれた事はある。しかし、それでいじめられた事はない。

 しかし、結城の頭にはその記憶が濃くはっきりと刻まれている。頭ではありもしないと分かっているのに、まるで忘れていたことを思い出したかのように鮮明にその記憶を呼び出せる。

 やがて、ユリカは結城の頭から手を引き抜き、結城は人形のようにひざまずく。ユリカの手には、一枚のICカードが握られていて、そこには『見覚えのある女性』が印刷されている。

「ねえ、あなたのお母さんは、誰?教えて」

 ユリカは優しく耳元でそうささやいた。結城は反射的に、その質問に答えようとした。しかし、答えられない。すっぽりと、その部分だけが抜け落ちたかのように、答えることができない。

 自分の母親の名前がわからない。

 自分の母親の顔がわからない。

 自分の母親の存在が思い出せない。

 次の瞬間、結城は破れかぶれになりながら、ユリカに襲いかかっていた。自分の中の異変から逃れるように、喉が潰れんばかりに叫びながら。

「ふふっ。いい感じいい感じ」

 ユリカは笑う。獲物を捉えるように笑う。それと同時に、ユリカの腰にベルトが出現した。白と黒に彩られたそれは、芸術品としての側面持ち合わせているであろうほど、綺麗なものだった。

「教えてあげる。なんで中学生ぐらいだった小雪さん達が戦争で勝ち残ることが出来たのかをね」

 ユリカの手元に銃のトリガーが出現し、それの根本に取り付けられたマイクに向かってユリカは告げた。「変身」と。

 そして腰のスロットにトリガーを挿すと、白い光に包まれてユリカの姿が一変した。ユリカの姿は、右肩に『三』のような模様が織り込まれ、デタラメに白い線が走った鎧に見を包んでいた。顔に当たる部分は赤いバイザーに覆われ、素顔は見えなくとも、ユリカの笑みが見えた。今、結城の目の前には、命を弄ぶ骸骨の死神が、存在していた。

 そしてユリカは向かってくる結城を軽々と殴り飛ばした。まるで羽虫でも叩き落とすかのように殴られた結城は、漫画のように壁に叩きつけられる。

「これは装着者の身体能力を強化して、白兵戦でのハンディキャップを無くしたり、普通なら反動が酷くて扱えないような兵器を扱えるようにするための鎧。全10機存在する、特殊兵装。これはパパが持ってた三号機だから、あなたのママが持ってたものとはちょっと違うけど」

 ユリカは自分の体を見せつけるように、淡々と告げる。結城はその隙にダイブドライバーを操作し、武器を呼び出そうとした。しかし、分からない。触ったことは覚えている。これを使って戦ったことも覚えている。しかし、どうやって操作すれば良いのかを思い出せない。ゆっくりと、徐々にだが記憶が、知識が、『横山結城』という人間のすべてが崩壊していくということに今気づいた。先程まで思い出せていた事が、思い出せなくなっていく。

「これすごいんだよ?人間なんて簡単に殺せるし、核ミサイルの直撃だって耐えるんだから」

 ユリカの声は最早結城には届いていない。自分という存在が崩壊していく得体の知れない恐怖に怯えきって、その場で蹲って動かない。

「その調子じゃ、もう無理っぽいね。じゃ、あなたをもらうね」

 ユリカはゆっくりと結城の体に手を沈める。直後、結城の体は大きく跳ねてユリカから距離を取る。結城は既に焦点の定まらない目で、ユリカに怯え、肩で息をしながら更にユリカから遠ざかろうとする。

「へえ、もう自分の名前も思い出せないはずなのに、まだ抵抗するんだ」

 白い光に包まれ、ユリカは元の姿に戻る。結城は這いずり回る格好になりながら逃れようとするが、誰かの足にぶつかった。

 結城はゆっくりと顔を上げ、その人物の顔を見る。

「おかえり」

 そこにあったのは、満面の笑みを浮かべた、ユリカの顔だった。結城はユリカのから逆方向に逃げたつもりだったが、何故か、真逆の方向に逃げていた。

「まあ、私に感染した以上私に逆らえないのは当たり前なんだけどね」

 ユリカは、未だ逃げようとする結城の体に手を入れた。すると、あっという間に結城の体は光の粒子となって消滅し、一枚のICカードとなって手に収まる。それには、眠りについた結城の顔が写っている。

「ふふっ、あはは、アハハハハハハハハハハ!」

 誰もいなくなったホールに、たった一人、壊れた少女の笑い声が響く。

 データ世界の女王は、何もにも代えがたい至宝を手にし、狂ったように笑い続けたのだった。

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