第二節 疑念
景色が明瞭になると、ユリカの部屋だった。少し送れて自分が座っているのだと気付いた。
「うんうん。この分ならデータも十分。全然問題無いわね」
日和はダイブドライバーと目覚まし時計を繋いでいたケーブルを外し、押し入れにしまった。
「よし、これでテストも十分。ユリカちゃんの目覚まし時計も直ったし。万事オッケーね」
日和はこの短時間でまとめたであろうメモを見返していた。間もなくして、扉を開ける音がして、足音が近づいてきた。
「あらユリカちゃん。おかえりなさい。適当にお邪魔してるわ」
「邪魔してる自覚があるなら、さっさと帰ってくれる?」
ユリカは3人分のバッグを抱えていて、相当疲れているようだった。そして、日和を追い払うかのように彼女のバッグを投げつける。
「まあまあ、私はこれから帰ってデータまとめるつもりだったし、私は帰るわね。じゃあね」
日和はカバンを受け止め、手を振ってユリカの部屋から出ようとした。しかし、何かを思い出したかのように、すぐに戻ってきて結城に一枚のメモを渡した
「忘れるところだったわ。これ、私の住所と電話番号。何か困ったことがあったらいつでも待ってるから」
日和は一枚のメモを結城に渡し、今度こそ軽く手を振って部屋を出て行った。
「何だったんだ……一体」
「気にしないで。あの人はああいう人だから。だから友達もほとんどいないのよね」
ユリカは日和ことをあまりいいようには思っていないようで、不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
「ところで、気分とか大丈夫?気持ち悪いならベッドぐらい貸してあげるけど」
「いえ、大丈夫です。まだ頭の整理が追い付ていないだけですから」
「うんわかった。ちょっと紅茶を入れるから、待ってて」
ユリカは一度台所へ姿を消して、しばらくして台所から茶葉の匂いが漂ってきた。
結城は待っている間、腕に付けられたダイブドライバーを見る。そして少し考える。あの高揚感は本当に自分のものだったのだろうかと。
データ世界にいた記憶はしっかりとあるし、あの興奮も思い出せる。しかし、どうもあれが自分であったという実感がわかない。あれほど高揚していたといのに、データ世界から出てみれば、まるで映画を見せられた気分だった。
「はいお待たせ。ママ特製のスコーンも用意してたら思ったより時間がかかっちゃた」
少し経ってから、ユリカが盆に乗ったティーカップと皿を持ってきた。ほんのりと茶葉の匂いが漂ってくる。
「はいどうぞ。ごめんね、変なのに巻き込んじゃって」
「あ、いいえ。大丈夫です。僕も、楽しかったですし」
ユリカはティーカップと皿をテーブルに並べる。皿の上にはスコーンが載っていて、結城は手を伸ばす。
「あ、ちょっと待って。それ付けたままじゃ食べにくいでしょ?日和さんに返しとくから、私が預かっとくね」
ユリカは結城の腕のダイブドライバーに手をかけ、バンド部分を探ったり、機械部分を手探りで探してみる。更には引っ張ったり軽く叩いてみたりしたが、外れる気配がない。
「ちょっと待っててね」
ユリカはカバンから携帯電話を取り出し、電話をかけ始めた。
「もしもし日和さん?私の後輩に押し付けたアレ、外れないんだけど……。はあ!?ちょっとそれどういうことなの……?そんな、マリアナ海溝に落とすわけないじゃん……。うん、分かった。じゃあね」
ユリカは残念そうな顔をして電話を切った。
「それ、日和さん側からじゃないと、外れないんだって。マリアナ海溝に落としても平気とか言ってたけど、ごめんね?」
「ええ……」
結城は、この驚くべき仕様のせいで、ダイブドライバーという呪いのアイテムを付けて生活することを余儀なくされた。
翌日、生徒会室に行くと日和が紅茶を飲んでいた。普通に考えて不法侵入である。
「何やってるんですか……。こんなところで」
「昔の同僚の知り合いがユリカちゃんの担任なのよ。で、その先生の妹さん絡みの事件の解決に携わったことがあってね。その縁で入れてもらったの」
日和は聞いてもいないのに許可証を見せつけてきた。そして、背後のカバンから分厚い本を取り出して結城に投げ渡した。
「それ、ダイブドライバーのマニュアルね。まあ、最初の数ページだけ読んどけばまあなんとかなるでしょ」
結城はコミック一冊分はあるであろうマニュアルをめくる。
中には、使用上の注意や使い方がまとめらている。基本的には、昨日やったことと大差なく注意事項も、『氷点下では決して使用しないでください』や、『溶岩につけないでください』と言った内容が続き、意味不明な注意事項が載っていることを除けば普通のマニュアルだった。
しかし、『追記事項』のページを開くと、そこには目を疑うような意味不明な仕様が載っていた。その他専用機器と接続すると、体温計やカレンダーとして使えたり、つまようじで裏側のボタンを押すと10分後に自爆したりするらしい。ダイブドライバーの使いみちを考えると、本当に何がしたいのかよく分からない仕様ばかりだった。
「なんでこんな良く分からない機能ばっかりついてるんですか……」
「うーん。誰も付ける人がいなかったから、かなあ? 暇潰しにいじってたらそこまで改良してたのよね。うちの助手、私特製のAI積んだ特別製のアンドロイドだから、別にいらないし、ユリカちゃんに渡したら次の日その他ゴミに出されてたし。さっき言った知り合いの妹さんの退院祝いに上げようとしたら、ユリカちゃんの担任の先生に怒られたし。そんな時に君が来てくれたのよ。いやー助かったわー」
日和は、一人で勝手に笑った。結城は最早大國日和という人間についていくのを半ば諦めらざるを得なかった。話を聞いているだけでも、人間としての次元が違いすぎるのが嫌というほど伝わってくる。
「そういういやまだ名前聞いてなかったわね。名前、なんていうの?」
日和に突然質問をされ、一瞬うろたえる。結城はあまり日和に踏み込まれたくないため、ぎこちない笑みを浮かべて答える。
「横山、結城です」
「横山結城君ね。横山……横山?お母さんが昔軍事関係に勤めてたとか聞いてない?」
横山という苗字に何か心当たりでもあったのか、少し考えこむ素振りを見せた。
「僕は、知らないですね。親はそういうの話したがらないので。前聞いたんですけど、お茶を濁されちゃったんですよね」
「あらそう。まあ、横山なんてありふれた名前だものね。別にいいわ。私も別に深くは詮索しないわ」
そう言って日和は、結城の背後から豪速球で飛んできた辞書をいともたやすく避けた。結城が慌てて振り返ると、不機嫌そうに立っていたユリカがいた。
「いきなり攻撃してくるなんて英国淑女の嗜みはどこに行ったのかしらね」
「なんでいるの?」
「私がどこにいたっていいじゃない」
日和は不服そうではあったが、あまり動揺はしていないようだった。むしろ、ユリカがここに来るのを最初から想定していたようだった。
「今日はマニュアルを届けに来ただけよ。結城くんの様子を見たかったし、何より私暇だし」
日和はまたユリカの紅茶を飲んだ。ユリカはそれが気に入らなかったようで、日和に詰め寄ってティーカップをとりあげた。
「やめてよね。それは私と結城君とで飲むつもりだったんだから」
「はいはい。まあダイブドライバーも壊れてないみたいだし、今日は帰るわ。二人の邪魔をしちゃ悪いもんね」
日和は手を振ってその場を後にした。ユリカは日和が出て行くと、すぐに紅茶の支度を始めた。
「全く、せっかくのティータイムだったのに、残念」
結城はティーカップを受け取り、紅茶を一口飲む。
「ん?」
紅茶を飲んでいた時、結城の目にあるものが飛び込んできた。
「何ですか?あれ」
結城が指差したのは、一つのバイオリンだった。それは夕日に照らされて美しい輝きを放っていた。まるでそれ一つが一種の芸術品のようだった。
「あれ?あー、バイオリンね。ママが寂しくないようにって私にくれたやつ。家に置いといても邪魔だから、インテリア代わりに持ってきたんだけど。気づいてくれたのは結城君だけね」
ユリカはバイオリンを手にとって結城に見せる。それは、まるで最初からユリカの体の一部であったかのように馴染んでおり、思わず見とれてしまった。
「……ってユリカ先輩バイオリンがあまり好きじゃないんですか?」
「まあね。ママは昔からバイオリンのお仕事ばっかりであんまり遊んでくれなかったし。だからそんなに好きじゃないの」
ユリカはバイオリンを見つめながら、どこか気恥ずかしそうにそう言った。口ではバイオリンが嫌いと言っているのにも関わらず、バイオリンには深い思い入れがあるようだった。
「あ、今度ね。ママのコンサートがこの辺であるんだ。一応チケットもらったんだけど、行く?」
ユリカはカバンから綺麗な封筒を取り出し、中からチケットを2枚取り出す。チケットには彼女の母らしき女性が写っており、使い捨てのチケットにしては妙に綺麗に作り込まれていた。
「ええ、まあ。ちょっと気になりますし」
「そ、じゃ行こう。今度の日曜日だから。コンサートホールの前に集合ね」
ユリカは素っ気ない素振りでチケットを結城に手渡す。結城は無くさないようにと思いながら鞄の中へとチケットをしまい、ユリカとの約束をした。
その日の帰りのユリカはどこか嬉しそうで、結城にジュースを奢ってくれた。結城はこの時、色恋沙汰に縁がなかった自分にも機会が巡ってきたと少し浮足立っていて、全く気づかなかった。まるで獲物を見つけた捕食者のように、ユリカの口元が歪んでいたのを。
その日の夜の事だった。結城はダイブドライバーのマニュアルに目を通していた。そして色々操作をして、光学迷彩による擬態だけではなく、目覚まし時計やワンセグ機能やラジオ、挙句の果てには自爆機能など、無駄に高機能だということを思い知っていた。
「さて、これからどうすっかなあ。これ外せないし」
腕に取り付けられたままのダイブドライバーを見て結城は考える。そして、昼間日和の言った母親に関する話が頭をよぎる。小雪はあまりこういった話を好まず、テレビの戦争特番なんかはすぐに他のチャンネルに回してしまう。
結城はなんとなく、日和の言った。言葉が気になって、母親の事が知りたくなって、隣の小雪の部屋に忍び込む。横山家が2階建てで、家族それぞれの部屋が2階に集中していたのが幸いだった。小雪にこれからやろうとしていることはバレていない。
小雪の部屋は、特に特徴のない主婦の個室そのものである。あるのは小さな机とベッド、そして化粧台。ビジネスホテルのような質素な部屋である。
しかしその中で一台だけ、妙に古いノートパソコンが結城の目を引いた。かなりの年季の入ったそのパソコンは、電源を落とした状態で布を被せて隠されている。
昔から、母親のパソコンには触ってはいけないと教えられてきた。「なんで?」と聞けば、「お仕事で使う大事なパソコンだから」と返ってくる決まり文句があった。昔はそれで納得していた。しかし、それもある程度知識のついた今なら、その言葉に疑問が浮かぶ。
「こんな型落ち品で仕事なんて、できないよな。普通」
パソコンの側面にはUSBケーブルやLANケーブルを指すスロットが存在し、電源ケーブルもささったままである。しかし、科学が発展した今、データはUSBではなくクラウドで保管するのが主流になりつつあるし、有線LANはネット上の知識以外で触れる機会がない。それに、バッテリー自体も改良されて2~3時間充電すれば一日中使っていても平気なレベルになっているので、電源ケーブルをさしっぱなしってこともない。
つまり、目の前のパソコンは結城にとってはネットでしか聞いたことないような、化石レベルの代物である。そんなもので仕事なぞ、できたものではないだろう。
結城は恐る恐る電源を入れて、机の引き出しを漁る。そしてダイブドライバーに対応したケーブルを見つけ、パソコンと繋ぐ。
「成功、か」
景色は既に一変していて、巨大な倉庫の前だった。入口には巨大な鍵がかかっていて、結城が触れるとパスワード要求画面に変わった。
結城はダイブドライバーを操作し、この状況にふさわしいアプリを見つけて起動させる。
『アプリケーション ハック インストール』
結城の姿が変わり、今度はスーツ姿にサングラスという地味な姿になった。しかし、その右腕は大きく肥大化し、かなり複雑な機械が取り付けられていた。
それだけではなく、スーツに隠れて外からは見えないが、腰には右腕の機械を換装するための装置も取り付けられている。
『ハックアプリケーション アクティブ』
「さて、行くぞ」
結城がウインドウを右腕で触れると、右腕の装置が次々と展開していき、セキュリティをすべて解除していく。
「よし、開いたな」
セキュリティはいとも簡単に突破でき、ゆっくりと倉庫が開く。結城はアプリを終了させ、中に入る。中にあったのは厳重に封をされた段ボールが大量に積まれていた。結城が段ボールに触れると、あっさりと封が解けて中のデータが見える。中は色々なデータが詰まっており、昔の写真データや『何か』と戦った戦闘データ、そして日記のようなものが残されていた。
「やっぱ、大國さんの言ってた通りだったのか……」
日和が聞いてきた小雪が戦争関係者ではないか、という疑問。それは、正解だった。小雪は戦争に関わっていたのだ。
結城は日記データを取り出し、ゆっくりと中を開く。その中には驚くべき内容が記されていた。
『二〇■〇年 四月 ■■日 ついに私達の■■がやってきた。私達の■■を壊した■■が許せない。絶対に勝って、仕返しをしてやるんだから』
結城が開いた日記のデータの一番最初はそれで始まっていた。文体からして女性が書いたもののようで、誰かに復讐を誓うような、物騒な内容だった。
『二〇二■年 四月 ■日 初戦の結果は好調だった。■■さんには感謝してもしきれない。これで、今まので仕返しも十分にできる』
その次のページの内容がそれだった。この書き手は無事に勝利したらしい。
『二〇■一年 五月 ■■日 今日は何人も敵を殺した。命乞いをする敵を殺すのは非常に気分がいい。私が思い知った悲しみを思い知らせてやれる』
『二■二一年 五月 ■■日 ついに■■侵攻作戦をとることになった。やられっぱなしというのは面白く無い。■■を滅ぼせるとなればもっと良い。早く決行して欲しい』
それからは淡々と、敵を何人倒したとかそういった内容の物が続いている。
『二〇二一年 六月 ■■日 侵攻作戦五日目。私達は少数精鋭の■■だ。上陸時に大規模な■■があったが、それ以外は基本的に戦闘を避けて行動している。行軍中、■■が多くいる疎開村を見つける。このまま成長して、■■されては困る。殺しておこう』
『■〇二一年 六月 ■■日 侵攻作戦■日目。ついに首都に辿り着いた。後は■■さん達と合流して現地の調査と本格的な■■を考えるだけだ。私に群がるスラムの■■が気持ち悪い。とりあえず殺した。死体は全部燃やして粉々に砕いてしまえばいい。合流時間までに済ませた。我ながらいい手際である』
結城は気分が悪くなって途中で読むのをやめて戻す。この日記は狂人の日記そのものだった。途中途中が虫食いになって分からないが、この日記の書き手は、人の命をまるで虫か何かのように扱っている。例え戦争中で書かれたものであったとしても、かなり異質だった。
他のダンボールを開けると、そこには写真が詰まっていた。中に写っているのは若かりし頃の日和らしき人物を含めた七人の少女だった。そして、その中には何故か、ユリカの母親に似た少女や、自分の母親にソックリな少女さえ写っている。そして、ファイルの名称は『終戦記念写真』、作成者の名前はこのパソコンの主、つまりは自分の母親の名前で登録されている。
結城は開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまった気分になった。本能が告げた、『それ以上は見るな』と。結城は何かに急かされるかのように、倉庫を出て、慌てて入口の鍵を締め直してデータ世界から脱出した。
結城はその後、自分の部屋に駆け込んだ。あの日記の書き手が誰なのか、仮に小雪だったとしても、どうしてあんなものを書いたのか、そんな疑問だけが頭に残る。
まさか、自分をここまで育ててくれた優しい母が、あんな人殺しを喜々として、日記に書き綴るような狂人ではない。そう頭では分かっているものの、それは同時に小雪はなぜあんな日記を持っていたのかという疑問を生んでしまう。
小雪が今も昔も優しい人間ならば、あんな日記を平然と取って置けるはずがない。しかし、実際問題あの日記データはパソコンの中に存在するのだ。
自分の母親はあんな日記を書くような人間ではない、そう自分に必死に言い聞かせている間に、結城は夢の世界へと落ちていってしまった。
翌日、結城は疑問の正体を確かめるため、日和の家を目指していた。最初あったときに渡された住所を検索し、その通りにやってくると、『大國研究所』の表札がかかった普通の一軒家が建っていた。
結城が恐る恐るインターホンを鳴らす。本当は会いたくないが、こればっかりは日和にあって確かめないことには話が進まない。結城が玄関の前で待っていると、少したってから中から一人の少女がやってきた。
「あなたが、横山結城?」
「あ、はい」
その少女は結城を見るなりいきなりその質問をぶつけてきた。一見すると、ごく普通の人間と変わりなく、ありふれた少女のようにも見える。しかし、その表情には感情がこもっておらず、機械のような印象を受ける。
「日和なら今はいない。さっき出かけて行った」
少女はそう淡々と告げた後、何故か結城を家の中へ招く仕草をした。
「日和からあなたが来たら、相手をするように頼まれてる。入って」
少女に連れられ、家の中に入る。家の中は比較的片付いていて、研究所という肩書が嘘のように思える。
「研究施設とかは全部地下室だから、そっちまでついてきてくれる?資料があると便利でしょ?」
少女に奥に通され、地下室へと移る。そこには無数のモニターや書類を整理している棚。そして、『00』から『09』までの数字が振られたガラスケースがあった。10個のガラスケースの中には、ベルトや音叉等、何に使うのかわからないものが入っている。
「適当に座って。今、お茶を持ってくる」
少女は背を向けて部屋を出ようとした。
「あ、あの。お気遣いなく。母さんが水筒を持たせてくれたので、そういうのは大丈夫です」
そう言って結城は母が持たせてくれた小さい水筒を見せる。不格好な布袋に包まれたそれを見て、少女は特に反応することなく、近くにあった椅子に座った。
「そう、じゃあ話を始めましょう。私は、大魚 京子。日和の助手のアンドロイド」
そういって京子は頭を下げた。精一杯もてなそうという気持ちは伝わってくるが、いかんせん機械的過ぎて結城からしたらやりにくいという印象しか受けない。
結城もとりあえず頭を下げて挨拶を返す。少々ぎこちない動きになってしまったが、気持ちは伝わったはずである。
「最初に確認するけど、あなたの母親は横山小雪であってる?」
「え。まあ」
いきなりそんな質問をされて、結城の答えは思わずぎこちないものになってしまうが、京子はこちら側の意思をくみ取ってくれたようだった。
「そう。じゃあ、あなたは確実にあの横山小雪の息子って言える。日和はそれが確定してたら、これを渡せって言ってた」
京子は一枚の写真を手渡す。そこに映っていたのは、母親のパソコンの中でも見つけた、『終戦記念』と銘打たれた写真である。小雪や日和、それに続く7人の少女たちがそこに写っている。
「あなたの考えていることは正しい。あなたの母親は、昔戦争に関わっていた。それも、最前線で。日和から提供された装備で、敵を倒し続けた。戦争が終わるまでの間ずっとね。まるで何かにとりつかれたかのように目につくものすべてを殺して回ったそうよ」
京子の語り口は感情がこもっておらず、本当に日和からの伝言を伝えるだけの機械そのものだった。結城は京子の話を聞いて、驚愕せざるを得なかった。内心では気付いていたとはいえ、あの日記の書き手が小雪だったと暗に告げらると辛い。
「でも、日和はそれ以上のことは言うなって言ってた。あなたの母親はあなたの母親。決して間違ってるところはないからって」
日和は伝言越しに励ましてくれているようだったが、結城はそれを素直に受け止めることができなかった。
「だから、日和は別のことを頼みたいって言ってた。まったくの赤の他人には頼めないって言ってた」
結城は答えない。小雪があんな日記を書いた狂人そのものなのか、という驚きで頭がいっぱいなのである。
「結城、あなたにユリカちゃんの護衛を頼みたいそうなの」
京子が言い放ったのは、これまでの話とは脈絡もない話だった。
「え?」
「別に暗殺者から守れ、なんて言わないわ。ただ、あの子の側にいてくれるだけでいい。これは、あなたが横山小雪の息子だから、頼めることなの」
「いや、だから話が見えないんですけど」
結城に指摘されて、京子はようやく自分の話のおかしさに気づいたらしく、少し考え込んで再び口を開いた。
「ごめんなさい。あなたに説明するつもりだったのに変なこと頼んじゃって。そう、ちゃんと説明するべきだった。じゃあ今から説明する」
京子は結城にユリカの護衛を頼んだ理由を語り始めた。
「まず、ユリカについて話す。あの子はね、厳密には人間じゃないの。人間に非常に近いミュータント。ま、取り立てておかしいところもないし、今のところ超能力を発揮したとかもない。普通の女の子。でも、ユリカちゃんのお母さんのナタリアさんが、ユリカちゃんを身ごもったときには既にユリカちゃんのお父さんは戦争の兵器に改造されてて、ユリカちゃんは人間じゃないモノとして生まれてきた。だから、昔から世界中から狙われる存在にあるの。戦争が終わって、日和が政府に技術提供するって事でとりあえずは、戸籍と、人権は確保できた。でも、ユリカちゃんを狙ってるの機関なんて世界中にごまんといるし、安心はできない。だから、結城みたいにユリカちゃんがいなくなった時に、日和達にコンタクトが取れる人間がほしい」
京子の話は相変わらず要領を得ない話で、ユリカをいきなり人間ではないと言われても、理解できない。しかし、ユリカが誰かに狙われているということはなんとなく理解できたので、京子の意図をかろうじて汲み取れたような気がした。
「分かりました。じゃあ、僕は、ユリカ先輩と一緒にいればいいんですね?」
「うん。結城はそれでいい。日和は、あんまりユリカちゃんと触れられなかったから、お願い」
結城は少し引っかかる言葉を返され、少し首を傾げた。
「あの、一緒にいられなかったって?」
「日和はかなり忙しかったから。ユリカちゃんを外に出すのは危なかったから、ずっと一人ぼっちで生きてきたの。一緒にゲームをしたりもしたし、絵を描いたりもした。でも、ユリカちゃんは人間と接した時間が殆ど無いから、寂しがってるのかも」
「そうだったんですか、でも、なんで僕に先輩の護衛を頼むんですか?護衛をするなら、僕なんかより戦闘のプロみたいなのに頼めばいんじゃないですか?」
結城は気持ちを整理する時間が欲しかった。唐突に自分の母親は狂人と言われ、その上、自分の先輩は人間ではなく、守る必要があるから守って欲しいと頼まれたのだ。スムーズに返事ができる方が難しい。
「あなたが、横山小雪の子供だから。というのが日和の言い分。日和は日和なりにユリカちゃんの事で後悔してるみたいだし、友達ってのをユリカちゃんにあげたかったのかもしれない。日和、たまに素直じゃない時あるし」
京子はどこかおかしそうにそう言った。ほとんど無表情と言ってもいい京子だが、少し口元が笑っているようにも見える。
「さてと、結城に話すことはこれくらい。結城が小雪の息子ってことが確認できたし、帰る?ユリカちゃんと一緒にコンサートに行く準備も必要だろうし」
「いえ、ここに残ります。母さんにどんな顔をして会えばいいのか、分からないですし」
結城は少し俯きながらそう言った。母があまり過去を語りたがらない理由も分かった。しかし、それを理解したからと言って、今まで通り小雪に接することができるのだろうか。
「そう、別に追い出す理由もないし、ゆっくりしてくといい。資料も破ったりしなければ読んでて構わない」
京子は結城を気遣ったのか、すぐに部屋を出ていった。結城は今告げられた内容を振り返る。膨大な内容を一方的に押し付けられ、頭の処理が追いつかない。冷静になろうと考えるも、京子の話は嘘なのではないかと疑ってしまう。
結城が考え込んでいた時、ふと、背後から舐めるような目線を感じ、振り返る。しかし背後には、ただ一つだけ、付いているモニターがあるだけで、特に誰かがいるような気配はない。そもそも、この部屋の出入り口は一つしかないので、普通誰かが入ってくれば気がつくはずである。
「気のせい……だよな?」
結城は向き直って軽く伸びをする。しかし、背後から見られているという気配は消えず、むしろこちらを舐めわすようにも見える。
「……ちょっと、考えすぎたかもな」
結城はモニターの方へは向き返らず、地下室を後にした。結城が出ていったことで自動的に部屋の電灯の電源が落ち、部屋は暗闇に閉ざされる。
その中で、モニターに映し出されていた少女は不気味な笑みを浮かべていたのだった。