第5話『夕暮れの中で』
「シャルフシュラーク!」
一面が砂でおおわれた校庭に詠唱の声が飛び交う。
そう、今は魔術詠唱の授業である。今日の課題は小さな雷を直進させる簡単な魔術をマスターすることである。
なぜ、高校生にもなってそんな簡単な魔術の勉強をしているかというと、それは魔術を上手く扱えるようになるのは平均で見て中学生から高校生の間だからである。よって個人で差がでないよう高校生でも基礎から学び直しているという訳だ。
ところで、魔術サイドではなく、科学サイドの世界の人間は「マナ」や「魔力」がないのではないかという疑問を抱いた人もいるだろう。しかし、それは間違いだ。
物語の世界ではそのように描かれ、それが定着してしまっているだけだ。
本当は両方の世界の人間は共に「マナ」や「魔力」を保有している。だが、その量には個人差があり魔術サイドの世界でもあまり魔力を持っていない者もたまにはいるそうだ。
ただ、その平均が科学サイドの方が少ないというだけのことなのだ。その原因の一つとして大気や空気の性質があるのだが、それについては、まだ様々な施設で研究途中である…
つまり、誰だって簡単な魔術を使うことができる。だからこのように国の指定授業で取り上げているのだが…全く、出来ない!
それが、天原翔太の現状であった…
「シャルフシュラーク!」
翔太の詠唱の声に合わせ、右の手のひらに美しい幾何学的模様の青い魔方陣が浮かび上がる。
腕を引き、5メートルほど離れた的の中央に向けて押し出す。
魔方陣の前に青色の電流が走り、一直線に飛んでいく…ハズだったのだが予想に反して、電流は1メートルほどで止まり、翔太の方向へ戻ってくる。
「わぁ…ぐぇうぎゃぎゃぐぐえ…」
電流が翔太の体を包み黒い煙があがる。
「バカなのか?お前は
この魔術は初歩の初歩、基本中の基本、魔術構築式がほぼ必要ない、誰だって出来る簡単な魔術だぞ!
それをどうやったら失敗できるんだ?」
そのバカの頭を後ろからごつくのは、翔太の担任であり、魔術講師でもあるサフィナ。
男っぽい口調ではあるが、戸籍上きちんとした人間の女性である。
長い金髪を後ろで結び、胸は大きめでスタイル抜群、右頬には(どこでつけたのかは分からない)傷が斜めに一ヶ所ついている。年は30代前後で22の時に科学サイドの世界に来たと言う。
ちなみに異世界から来たからといって人間では無いわけではない。より正しく言うとすれば異世界の知的生命体の割合は魔力を多く保持している人間が半数を閉めている。その他はハーフウルフ、ゴブリン、狂獣と呼ばれるモンスター、アンデットなど50種類以上の生物が生きている。
あの『扉』は今も厳重に守られており、誰かが勝手に行き来することはまず出来ない。ただ、科学サイドの世界は魔術の 魔術サイドの世界は科学の 知識が得たいと考えている。よって政府の認可の下、あちらの世界に行く人間はいるし、魔術サイドから迷い込んでくる人間もいる。
「先生、そんなこと言ったって、出来ないんですよ~
それに、もうなんか魔力が無くなってきたし、休んで……」
サフィナが日陰に移動しようとする翔太に向けて赤い魔方陣を発動させる。
翔太の顔がこわばる。
「ほー 面白いこと言うじゃないか翔太~
ここで燃えカスにしてやろうか?」
「ひぃ~すいません ちゃんとやります!」
クルンと一瞬で的に向き直る翔太。
「ほら、もう一回やってみろ
全ての神経を手のひらに集中させて、的の一点だけを見ろ」
「はい!シャルフシュラーク!」
狙いを済ませて魔術を発動させる。
結果は同じだった。再び電流が体を走り抜ける。
今度は立っていられず、地面に倒れこむ。ピクピクと指先が痙攣している。
「はぁ~お前はどうしてこう、魔術が苦手なんだ?」
サフィナが呆れたように額に手を当て、首を振る。
「しがたないじゃないでずか 要領がつがめないんですよ」
電流で舌がうまく回らないのか片言で言い訳をする翔太。
「仕方ないな、安紀音 ちょっと来い」
既に今日の課題、シャルフシュラークを終わらせ一段階上の魔術、《アーネストサンダー》に挑戦している安紀音。
校庭では詠唱の声が飛び交っていたが、サフィナのよく通る声に気付いたようで発動した魔方陣を閉じてこちらへ駆け足で走ってくる。
「何ですか先生?」
「ああ、このバカが全くもって出来ないから見本を見せてやれ
このままだとこいつまた、補習になりそうだ」
その言葉を聞きピョンと立ち上がる翔太。休みを潰される補習をどうしても回避したいのだ。
その反応を見た安紀音はハァとため息をつくとまだ綺麗な的に向けて魔方陣を発動させる。
「ちゃんと見てなさいよ翔太
一回だけだからね!」
翔太がその魔方陣と的を穴が開くほど見つめる。
安紀音が魔方陣が発動している右手を目一杯後ろに引き、その赤みがかった目で的の中心を見つめる。
「シャルフシュラーク!」
砂の地面に左足を踏み込み右手を押し出す。
凛とした綺麗な声と共に青い魔方陣から青い電流が発せられる。
安紀音の右手から勢いよく発せられた電流はバリッという音をたてながら空中を走り、的の中心を的確に射抜く。
「おお!流石だな安紀音
翔太も見習えよ 出来るまで何回でもやり直しだからな!」
「そんな~俺、疲れてるのに~」
「じゃあ私は戻りますね…」
翔太が何度も失敗するのを見越しこした安紀音はそそくさと自分の定位置に走っていく。
「待ってくれ安紀音~ 少し付き合ってくれーー
このままだとまた夏休みに呼び出されて先生と二人っきりの補習になっちまう~!」
サフィナは逃げようとする翔太の襟首を掴み、
「さあ続きをしようかー翔太」
と翔太を引きずり元の位置に立たせる。
「ほら早くやりな」
翔太は諦めたかのようにため息をつきながら的を向き直す。
「くっ!こうなりゃヤケだ
シャルフシュラーク」
小さな雷は無慈悲にも再び方向を急転回し、青い光とバカの悲鳴が同時に生み出される。
「もう一回だ!翔太ー!」
「ううぅ、シャルフシュラーク!」
涙声になりながらも再び詠唱をする翔太。しかし、結果は同じであった。
「うわああああぐげげぇぇ」
「もう一回~!」
「うぉ シャ…シャ…シャルフシュラーク!」
「どげぇぇぇうおうおうおうおぼぇ」
「うあああ、もう一回!」
「ンゲシャシュシェ、シャルフスナック~」
「うおおおおおおおおおおああああああああ」
「もういっかーい!」
「もう嫌だ~誰か助けてくれーー」
……………………………………………………………………
「はぁ、疲れたぁ…」
授業で自分の命を危うく失いかけた俺は身体中に残る電撃の痺れと倦怠感を抱きながら自分の家のドアノブに手をかける。指紋認証が終了し、カチャという音をたてドアが開く。……と同時に顔に強い衝撃が走り、視界が奪われた。恐らく何かしらの意図を持って俺に発せられたブツであろう。
「はぁ」とさっきよりも大きなため息を吐きながらそのブツを思いっきり右手で握り自分の顔から遠ざける。握ったときの感触からいって、これは手であろう。そしてこの家で帰って来てくたくたに疲れている俺を玄関前でぶん殴るような奴は一人しかいない…
「なー つー みー!」
満面の笑みをしてこちらを見ている我が妹に対し、渾身のゲンコツを御見舞いする。
「痛ったいなーもう何すんの兄ちゃん~」
頭に出来たたんこぶを擦りながら口を尖らせて文句を言う夏実。
どうやら反省していないらしい…
「こっちのセリフだ!何で家に帰ってきた兄にいきなり殴りかかんだよ!?」
「だって、お兄ちゃん、私が懇切丁寧に作ったお弁当忘れてったじゃん」
夏実が俺の弁当箱を上目遣いに突き出す。
そう言えば、俺は今日弁当を忘れた。ただ、体育の実習が長引いたから、教室に戻るのは面倒臭いので学食で済ませていた。そのため、弁当を忘れているという事も忘れていたのだ。
「ああ、わりぃわりぃ… いやでも殴って良い理由にはなってないぞ!」
更に追求しようとしたが、
「そんな小さな事にこだわるなんて~男らしくないよお兄ちゃん
あっ、そう言えばこれからレティちゃんと一緒にこの近くを散歩するんだけどお兄ちゃんも一緒に行く?」
と、うまく話を変えられてしまった。ただ、レティシアと散歩をするのには賛成だ。レティシアはまだこの土地になれていない、なら少し土地勘を持っていた方がいいだろう。
「おお!いいぜ じゃあちょっと着替えてくる」
急いで靴を脱ぎ、階段をかけ上がる翔太。バッグを自分の部屋に放り出し、本当は制服のままでも良いのだが何となく恥ずかしい気もするので普段着に着替える。
「準備できたぞ~」と階段をかけ降りる。
玄関には既に準備を済ませた夏実とレティシアが待っていた。
「じゃあ行こっか」
ドアを開け、外に出る。学校から帰って来てからあまり、時間がたっていないが外はオレンジ色の光が多く、夕暮れに近い状態となっていた。
「どこら辺を歩く?」
少し家から遠ざかった所で夏実が尋ねてくる。
「そうだなぁ…ムサシノ自然公園とかその近くの商店街とかはどうだ?」
とっさに近くで思い付いた場所をあげてみる。とは言ってもこの近くで散歩するところと言ったらそのぐらいが妥当かとは思うが…
「良いんじゃない
あの公園私も好きだし、たぶんレティちゃんも気に入ると思うよ」
「そうですか~楽しみです
そう言えば、何でここはこんなに高い建物がいっぱいあるんですか?」
レティシアは遠目にいくつも見える高層ビルや高層マンションを指差す。どれもガラス張りで照りつける太陽を反射していて眩しい。
「まあ、それはこの都市が世界の5つ地区の内、それぞれ一つずつしか存在しない『異人種活動許可地域』だからだと思うぞ」
「イジンシュ…カツドオキョカチイキ……って何ですか翔太君?」
どうやらうまく理解できていないらしい。
「つまり、まあレティシアみたいに異世界から来た人たちがすめる場所って事だな
異世界との交流の要としても重要な場所
そして今となっては行政をも、左右出来るworld policeの支部が置かれているたった5つしかない場所だからな
だからこの都市はかなりの経済的発展を遂げているんだ」
と学校での授業で習った通りの内容を伝える。伊達に去年の夏休みの半分以上を潰して補習を受けた訳ではない。
「んん…成る程 大…体わかりました
……あ、もしかしてあれがその公園ですか」
大体かい!と突っ込みたいところだが、目当ての公園が見えてきたのでその言葉を飲み込む。
「大きいですねこの公園、直径2キロもありますよ!」
レティシアは近くにあった案内板を見て、大きさに驚いているようだ。
まあこの都市の中でも一番の広さを持つ公園なのだから、無理はないか…
「そうだよ~ここでは年に何人か遭難者が出るんだよ~
そしてその亡霊がこの公園をうろついて…」
「そんな物騒な公園があってたまるかぁ!」
と余計なことを言いかけた夏実の言葉を遮ったが、レティシアは今の話が怖かったようでブルブルと体が震えている。
はぁ…全くレティシアを怖がらせてなんになるんだ、と思いながらもなぜかその様子を少し面白く思っている俺であった。
「ねえねえ、あそこの高台にいかない?」
と公園を歩いている途中で夏実が指差しているのは恐らく縄文時代の見張り台をモデルに作られた建物であった。全て木材でできていて、風でも吹けばぶっ壊れそうだが、まあ一応そういう所はしっかりしているだろう。
既に人の話も聞かず、夏実は早くもその梯子を登り始めている…
「はいはい」と仕方なく木の梯子に手を当てた瞬間、後ろで一陣の風が通りすぎた。何かの嫌な気配と共に……
後ろをすぐふりむいたが、そこにいるのは、きょとんとした顔を浮かべたレティシアだけだった。
「どうしました?」
レティシアが俺の警戒している表情を見てか、心配そうに尋ねてくる。
「いや何でもない……たぶんな」
短くそう答え、梯子を登っていく。
一番上に着くまでには少しかかったが、なかなかに良い景色が広がっていた。四角形の足場にその回りを囲う柵。
身を乗り出せば公園の南側が一望出来る。下から見たときより、上から見たときの方が高く感じる。
俺に続いて登ってきたレティシアも「わあ、良い景色ですね~」
と感嘆の声を漏らしている。
しばらく景色を眺め、感傷に浸っていると何か細いものが頬に触れるのを感じる。
横を見てみるとレティシアの長い青い髪が風になびいて、頬に当たっていた。そんな彼女の髪は夕陽に照らされ綺麗に輝いていた。
彼女の例えるとすれば人形のような横顔に少し見とれていると、それに気付いた夏実が肘でつつき、
「お兄ちゃん!なぁにレティちゃんに見とれてんのよー」
と余計なことを言い出した。
「いや、な…なにを!」と焦る翔太に対し、レティシアは少し顔を赤らめている。
「あー レティちゃんも顔を赤くしてるぅ~」
と追い討ちをかける夏実。
「さあさあ、そんな事どうでも良いから
ここにいつまでもいると商店街まで辿り着けないぞ~」
夏実の細い腕を掴み、降りる所まで引っ張ていく。
と何やら柵の上の丸い断面の部分に、黒い物体があるのを翔太の視界が捉える。
手に取ってみるとそこまでの重さはなく、正八面体の形をしており、中に色々な色の光が弧を描いて動いているのが透けて見える。さらに表面にはよく分からない文字が彫られている。
「何だこれ? 誰かの忘れ物かなんかか?」
「ん?ナニソレ 綺麗だねー 持って帰ろ~」
まあ窃盗犯はほっといて、
「レティシア、これが何か分かるか?」
この表面に彫られている文字は魔術を使うときに用いる文字『魔術記号』ににている気がする。だとしたら魔術サイドのレティシアが知っている可能性が高い。
「うう…ん」と正八面体の物体を眺めていたレティシアは思い出したようにポンと手を叩く。
「これは私達の…つまり魔術サイドの世界で作られたマジックアイテムで……」
そこでレティシアの言葉が切れた。どんどん顔が青ざめてく。
「どうしたんだ?レティシア!」
翔太の言葉で我に帰ったように勢いよく顔をあげ、翔太の背中を両手で強く押す。
ただならぬ事を感じ取ったのか、急いで梯子を降りだす夏実と翔太。
「早く逃げてください!」
「っと!何だ?いきなり逃げろって?」
「どう言うこと?レティちゃん?」
梯子を降りながらレティシアに質問を投げかける。
「あれは強制移動魔術のマジックアイテムです!
早くあれから離れないと強制的に別の場所に移動させられます」
「あれを遠くに投げちゃだめなのか?」
「ダメです あれは定位置が決まっていてそれより2メートル以上動くと強制的に発動します!」
「《コンパスリィーテレポーテーション》発動!」
どこからか凛とした女性の声が響く。その詠唱と同時に黒いマジックアイテムを中心に大きな白い魔方陣が広がる。
「まずいです!早く!」
「分かってる!」
高台を降り、魔方陣の外へと全力で駆け出す。
半径は10メートルほど
あと1メートル
三人が同時に手を伸ばした。
「パチン!」
どこからか聞こえてきたという指を鳴らす音で白い魔方陣が発光し周りが白い光で包まれる。次の瞬間、光は消え、それと一緒に魔方陣とマジックアイテムも消えていた。
そして三人の姿も……