第一話『あの日から16年』
……………ちゃん?
……………ちゃん?
お兄ちゃん!!
翔太の耳元を彼が愛しくも鬱陶しく思う人間の声がガンガンと殴り付ける。その五月蝿さでモヤモヤとした霧がかった場所から意識が引きずりだされる。翔太がまだ寝たいという欲望を圧し殺し、重い目蓋をゆっくりと開いた。
眠そうな翔太の顔に一瞬にして緊張が走る。寝そべっている翔太と相対して怪訝な表情を見せている美形の少女、翔太を起こした声の主。躊躇なく注ぐ朝の光に目を細目ながらも、翔太は傍らで膝をつけて顔を除き込んでいる彼女……というよりもその近くに置かれている鉄製のフライパンに視線をぎこちない動きで向ける。幾ら時間の無い朝とはいえ、調理器具をわざわざ一階から二階へ持ってくる必要があるとは思えない。翔太は彼女の場合の使い道に大体の見当はついていた。
―――あれは調理器具なんかじゃなく凶器だ。
翔太は声を大にして叫んだ。
「おい、待てぇ!どこの家庭に兄の顔を不機嫌に軽蔑した目をして見ながら男の子の夢である女の子からのモーニングコールをするがいるんだ?おい!理想ぶち壊しじゃん」
「何言ってんのここにいるじゃぁん コ・コ・ニ。というか、起きがけでそんなに喋れるんだったらもっと早く起きてよ」
更に視線を冷たく変化させ、自分に指先を当てる少女。
「屁理屈を言うんじゃない。後、お前の横に置いてあるの何だし。ねぇー何でどうしてどうなったら flypan 何て持ち出しちゃう訳!?そうでなくとも俺、結構いい夢を見てたのにどうして起こしちゃうかな~~。気が利かないなー。そもそもさ……」
翔太は次々と少女に文句をマシンガンの如く勢いで羅列していく。終いには、
「……という訳で再度お休み!」
と布団に潜り込んだ。端と端を手で引き寄せ、頭から足まで体全体が覆い尽くされる。少女の翔太への眼差しが絶対零度になった。
「お兄ちゃん……馬鹿なの?死ぬの?」
「何と物騒なセリフ!恋する乙女がそんな事言っちゃいけませんよ。でも、乱暴な性格の裏には女子力を上げようとファッション雑誌を何冊も買ってきたけどそれを真似しようとして結局何故かアフロヘアーになったり、お菓子を作ろうとして何故か黒ずんだ物体が出来上がって誰にも見られまいと必死に自分で食べるという努力をしてきたのを俺は知っている!そしてこれからも見守っ……!」
何でだろう?………蹴られた。
少女の足の力はしっかりと中にいる翔太の腹部に届く。翔太としては防護壁代わりのつもりだった布団も彼女の前では効力を発揮せず、少し空中に浮かんだ白い固まりは横方向にある壁にぶつかって床に落ちる。
「うぎゃぁ」と固まりの中から悲鳴が上がった気もしたが少女は特に気にせず、近づいていき、引き出しの上にあるガムテープを取った。
慌てて顔を出した翔太が騒ぎ立てるのを無視し、まだ翔太の体くるんでいる布団の周りをガムテープで素早く固定。ミノムシ状態である。
「おい、待ってくれ。いや、待ってください。助けてください。お願いします。少しの願望又はお願いなら出来る限り手伝いますんで、どうかお見逃しくださいません?」
翔太はフライパンを構えている少女に説得を試みる。このままいけば無防備な自分は確実にストレス発散要因として使われて終了することを理解しているからだ。
「ん?何でもするっていった?私の為なら火の中、水の中、銃弾の嵐の中、そして空中庭園バビロン又は天空の城ラピュータから喜んで飛び降りられるって言った?」
もう何を言っても無駄な気がしてきた翔太である。
「何でもとは一言も口にしてないですけども。出来る限りって言ったの。そもそもどっち道、俺を殺そうとしてないか!?」
「ふ~ん。まあ別に~私はお兄ちゃんが今痛い目をみようと後でみようと知ったことじゃないけどさ。それなら交渉は決裂だねぇー」
フライパンの高度が上がる。どう考えても翔太の頭に振り下ろすのは明白だ。翔太は衝撃に備えて目を瞑った
「あ~。そうそう。いい忘れてたけどさ、」
何だろうかと翔太はもう一度目を開ける。まだ鉄の板は少女の頭付近で留まっている。
「これ、電池を入れれて、熱が出せるから外でも料理が出来るっていう便利グッズなんだ~」
笑顔で少女はフライパンの柄の部分についているボタンの内、高熱を選んだ。無論、フライパン全体が調理が出来る程相当な熱を帯びているということだ。全てを察して翔太は一言、
「へーー!そうなんだ!」
正直言って、泣きたかった。
そんな気持ちは誰にも伝えられないまま翔太に少女はフライパンを降下させる。
「大丈夫!お兄ちゃん、火には慣れてるでしょ!」
うん、大丈夫じゃないな!!
「いぃぃやぁあぁぁぁぁ!」
鈍い音が鳴り、翔太の悲鳴が辺りに轟く。こうして彼の十六年目の朝が幕を開けた。
………………………………………………………………
「はぁ…………鬼妹」
朝ごはんを食べ終わり、ため息混じりに翔太がそう呟く。
「ん?何か言った?」
夏実が翔太を皿を洗いながら鋭い目で睨む。(殺気を込めて)
彼女は翔太の妹 夏実 13歳 中学2年 髪の長さはセミロングで茶髪。肌は赤ちゃんのように綺麗だが心はそれとは裏腹にいつも何か企んでいることがイタズラっぽい目が教えてくれる。胸は控えめだが運動神経がいいのが足の筋肉の付き方などから伝わってくる。男子受けする女子の典型例だ。美少女という部類に入るのだろう。
去年、6回も告白されたとのことだ。(そのため翔太は自分はまだモテ期ではないのだと毎晩言い聞かせるはめに)
「何でもございませぇぇん」
その返答に不服だったのか、最後の皿をわざとらしく大きな音で食洗機に突っ込み、翔太に体ごと向く夏実。
「あのね、言っとくけどお兄ちゃんが毎朝ご飯が食べれてお弁当を学校に持って行くことができるのは家にいないお母さんの代わりに家事全般を引き受けている私と阿部さんのお掛けだと感謝しなさいよ!」
腰に手を当てて翔太を見下ろす夏実。
そんなに感謝して欲しきゃもう少し態度を改めろ! という考えは反撃を恐れて言葉には出さなかった。その代わり
「いつもありがとうございます阿部さん!!」
と洗濯機の近くでせっせと働いている女性に向けて阿部さんの部分を強調して言う。
「いえいえとんでもございません、お役に立てて何よりです」
と改まった返事をする女性。彼女は阿部さん。下の名前は翔太達も知らないが、翔太の母の父の友達の子供らしく、母さんとは幼馴染みだという。年齢は40代(独身) 父が5年前に戦争の古傷が原因で死んでからは母が働き、彼女が翔太や夏実が学校に行っている間に家事をしてもらっている。よって
「ちょっと~ 私には感謝の言葉は無いわけ~?」
物欲しげな顔でこちらを見てくる夏実。今にも噛みついてきそうだ。
「はいはい、分かりましたよイツモアリガトウゴザイマス夏実様―――」
全く感情の籠っていない声で一様感謝しておく。後がめんどくさそうだ。
「なにーその感情の籠っていない返事は―?」
「これぐらいで我慢しとけ!
……ん?」
翔太は尻に違和感を感じ、言葉を止める。
尻ポケットをまさぐってみると直径1センチほどのライトブルーの球体がでてくる。
ガラス質の表面は半透明で中で小さな粉が回り続けているのが光を当てると分かる。簡単に言えばビー玉がもっときれいになったバージョン的な?
表面にはさらに小さくjpnとNo25678という文字が掘られている。
「なー夏実これお前の《パーソリティ》じゃないか?」
夏実にも見えるように翔太が前にパーソリティを突き出す。
「ああー、これ私のだ!
良かった~どこかで落としてもう帰ってこないかと思ったよー
私の個人情報、駄々漏れになるかもしれないと思って怖かったよ」
「いや、それを盗られただけじゃ多分、情報は盗まれないと思うぞ
まあでも、これを校内で見つけてくれた俺のダチに礼を言っとくんだな」
そう、これを見つけたのは翔太の友達だ。偶然、中等部の校舎で補習を一緒に受けた帰りに見つけたのだ。見つけたときはかなり驚いた。
なんせ、このパーソリティは小型個人情報管理専用端末、通称PIM端末だからだ。文字から大体の見当はつくとは思うがこれはあらゆる個人情報がつまった一種のUSBだ。政府から一度のみ提供され、今では世界のおよそ8割が持っている。
当初は個人情報を個人で持ち歩くのは危険だと否定的な意見も多かったが、実際に使ってみると保険証や身分証明に使えることや、誰かにとられるようなことがあったとしても、個人情報を見るためには指紋認証、身体スキャンが必要なことなど、安全性と利便性を兼ね備えている物だということがあり今では異論を唱えるものは殆んどいない。 もはや、スイカの役割まで採り入れよう
とする始末だ。
そんな、今何が一番大事かと聞かれたら満場一致でこれというようなものを落としたバカはどこの誰かと思えば……自分の妹だった。恥ずかしさで顔から火が出そうな翔太である。
「うん、ありがと
……でも待って何で昨日見つけたのに今日私に渡したの?
私、昨日なくしたのに…もしかしてお兄ちゃん」
何を言わんとしているか気付いた翔太はそそくさと制服に着替え、左胸にパーソリティを固定し、バックを掴み玄関へと急ぐ
靴をはきながら頭上から声が降り注いでくる。
「もしかして、もしかしてお兄ちゃん
私が困る姿を見たくて隠してたとかそういうことは…」
「アルワケナイダロソンナコト
ただ、お前がいっつも俺に迷惑しかかけてないナルシスト野郎だから仕返しにちょっとだけ隠してただけだろ
…あ、悪い口が滑った」
「このやろぉぉぉぉ!」
「じゃあな、バイ!」
後ろで怒り狂うバカを尻目に翔太がドアを蹴破る。
いや~いい朝だー。翔太は大いに満足して家を出た。
……………………………………………………………
家を出てから学校に向けて翔太はいつもの自分流通学路を走り抜ける。
街には普通想像するようなスーツを来たサラリーマンだけでなく、中世の騎士のような姿をした人、RPGとかで出てきそうな杖を持った魔術師、耳が妙にとんがっていたり、猫耳がはえていたり、尻尾があったり、人なのかどうかすらイマイチ分からないがごく普通にこの街ではそういう存在が日常的に行き交っている。
もう翔太は生まれたときから異種族はこの世界に流れこんでいたのでこの状況には段々と馴れてはいったが、年が上の科学サイドの人間はその状況についていけず、この街から出ていってしまった人も多い。
ただ、今更何か言ったところで、戦争時に開いてしまった扉によって流れ込んできた今まで想像上のものとされてきた存在、概念をもとに戻せるわけがない。
あちらの世界からきた人間だって500万人以上いるのだ。それを本当に帰すことができるかも分からない扉の中に放り込むなど出来るはずがない。してはならない。
だから政府も対策をし一切の不当な武力行使をしないことを条件に彼らにこの世界の特定の場所でのみの永住権を与えた。
そしてこの街は、そのような異様な者達と人間が入り交じり生きている数少ない都市、ムサシノである。以前、東京と呼ばれていた大都市をそんな場所にしたのは多くの人々が自分たちと異なる者を受け入れるようにとの優しさがあったのかもしれない。
争い事が耐えない面倒くさい街、しかしこの街は何故か懐かしい。そう翔太は感じていた。
「おいお前ちょっと待てよ」
気持ちよく自論を展開しながら走っていた翔太にそう声をかけてきたのは異種族ではなく、普通の人間であった。
外見を見れば一瞬で誰もが思うであろう…不良だと。
声をかけてきたのは3人組だった。
一人は筋肉もりもりで、染めている金髪で金属バットを持ち、目一杯威嚇しているつもりなのか、つり目を大きく見開き、にらみをきかせている。残りの二人は恐らく手下、虎の威を借る狐、スネ〇、みたいな感じのやつだろう。両方とも大柄で融通が聞かなそうだ。
さあどうくるのか、今後の結末に大体の予想をつけながらも不良たちの次の言葉を待つ。
「一緒にゲーセン行こーぜ」
定番だ……そう思わざるを得なかった翔太である。大体こういった場合においてはただ、金をぶんどられて終わりなのだ。翔太は肩を落とす。
「ちょっと~ぼく~学校あるんで無理なんです~」
「あああん!?俺様の誘いが受けられねぇてのか、おい!行くっつったら行くんだよ」
顔が近い。息臭い。うるさい。黙れ。
「ごめんなさい いやぁいいお誘いでしたがすいませーん
学校遅れたら親とかにも連絡いっちゃうんで ほんじゃ バイ!」
はあ…これでなんとか引きさがってくんないかなと翔太は考え、全力でダッシュ!してみるがその襟元をぐっと捕まれる。
「おいお前ちょと生意気だなぁ ちょっとこい!」
ずるずると路地裏へ連れ込まれ、地面に投げ出される。
「あぁ…やっぱりこうなったか…」
翔太は残念そうに首を振る。
「お前どうなるかわかってるだろうな」
こういうことを言うときは、そうかそれを俺に求めていたのか、理解したぞ。不良ども。
翔太は妙な納得感を得て、次の言葉を継いだ。
「分かりました……脱げばいいんですね」
「違うわ!俺達そんな趣味持ってねえよちょっとムカつくから殴らせろっていってんだよ!」
「そーゆーのーいけないと思うんです~~」
翔太は「ちょっと男子~」風の調子で少しおどけただけなのだが、それは火に油を注ぐ結果となった。
「こいつっ……!やっぱ、なめてやがるな!」
右の方向から、ストレートパンチがとんでくる。
「うわっ!と」
それを座っている状態から思いっきりジャンプをしてよける翔太。その跳躍と同時に相手の頭を蹴り飛ばす。いきなり跳んだ勢いも相まってかなりのダメージが入ったようだ、何メートルか先で寝転んでいる。
「コンニャロぉ、やりやがったな!!」
「いやいや先に手を出してきたのソッチだろ」
「こりゃあボコ殴り決定だなぁ」
残りの不良が同時に襲いかかってくる。だが一瞬で懐に入りストレートをオミマイ、そいつの金属バットを奪い取りスイング 見事にもう一方の横っ腹に炸裂し両者ダウン。
結果的に不良3人組は一人にちょっかいを出したために、朝っぱらから路地裏の汚い道に白目を剥いて寝ることとなった。
「はあ、これ正当防衛で認められるよな…。まあこんなこと日常茶飯事だからなにも言われねぇか」
ふと、翔太は時間が気になって腕時計に目を向ける。時計の針は無慈悲にも学校の始まる5分前を表していた。
ここからどれだけ頑張って走ったところで学校まで、10分。
「ふふ……ふっはっはっはっー
やべぇ!スーパーウルトラダッシュでいかねぇと!
うおおおおおおおおおおお」
おかしな奇声を上げて駆け出す翔太。それからしばらくして、まだ翔太が通学路の途中で走っている途中…始業を伝える学校のチャイムが辺りに鳴り響いた。
………………………………………………………………
「くそぉあのクソ教師」
自分の机に拳を叩きつけて怒りをあらわにする翔太。
「お前ー。自業自得だろそれ。先生を恨む前に自分の行動を改めろよ」
翔太の向かい側にいた工貴が弁当のおにぎりを食べながら冷たくいい放つ。
工貴は翔太の数少ない友人であり翔太と同じで部活はテニス部。よく、翔太が部活を休むことの理由付けをしてもらっている。
顔はキリッとしまっていて運動神経がいい。髪の毛は乱雑ながらも寝癖などは見当たらず、茶色の艶が目立つ。全体的に見ればスポーツ少年のような印象を受ける。ただ、真実を見透かすような鋭い視線と青みがかった目が少々、ミステリアスな感じを催しており、より彼の格好良さを際立たせている。
「いや、きちんと俺は不良に絡まれたって理由があったし、それにしても午前中ずっとバケツ持ちで終わったら宿題の量3倍って鬼かよ。あの担任は。これは流石にやりすぎだー 権力の濫用だーーー」
顔に手を当てて落ち込む翔太。ただでさえ勉強をする時間が短いというのにこれ以上、量が増えるのは非常にまずい、まずすぎるからだ。
「まあまあ 良いじゃねーか。そうはいっても宿題はサフィア先生の魔術の授業だけなんだろ。なら、不幸中の幸いってやつじゃないのか?」
「ほ~、よくそんなことが俺の目の前で堂々と言えたものだな。モテモテスポーツ系男子め。俺がどの教科の成績が悪いかしってんのか」
工貴がその問いかけに少し考え込むような仕草をした後
「え……全部だろ」
「……お前今すぐここで殺して灰にしてやろうか」
「いや、待てぇ。一旦落ち着こう翔太くん。現に成績が悪いのは事実な訳だし~。去年のテスト何点だったけ~。あれ、確か英語が5…」
「わぁぁぁぁ、やめろぉぉぉぉ、それ以上言ったらお前をこの世界から永久追放するぞぉぉぉ。……てか、お前らこっち見んじゃねぇ!」
人の点数という学生にとっては超重要情報を言おうとしている工貴の口を塞いでから、それを聞こうとこちらに耳を傾けているくそどもに唾を撒き散らす翔太。
「そんなに怒んなくたっていいだろーが。でもまぁお前は勉強全般が苦手ってことでいいよな」
「はいはい、分かりましたよ。素直に認めりゃいいんでしょ。俺は頭が悪いですよーだ……だから今日やったとこの範囲教えて下さいお願いします」
「しゃーねーな、じゃあ後でお前のSPDに授業内容を録画したやつを送っといてやる」
SPDとは立体投影装置の略である。
「ありがとぉございます。しかしSPDはホント便利だよな。あんなちっちぇ立方体なのにあれをスマホとか電子機器に付けるだけで画面が空間に浮かび上がってタッチパネルみたいに操作が出来るなんて。しかも、メールとか電話の機能までついてんだぜ」
「ああ、そうだな。画面が縦、横、上、下に動くから他のやつとも映像を共有しやすいし、何よりあれは格好いいからな。パーソリティと同じぐらいの大発明だからな。ちなみにそれをお前にやったのは誰だっけ?」
「はい!勿論、工貴様です!」
「よろしい、では私の宿題をやりなさい」
「はい……ってやるかぁぁ。何でただでさえ量が多いのにお前の分まで肩代わりしなきゃいけないんだ、燃やすぞ」
「いちいち、燃やすな。それより、弁当食わなくていいのか。妹の愛情がつまってるんだろ」
工貴まだあまり、手を付けていない弁当箱を指差す。
どうやらこいつには俺の妹がどういうひねくれた人間か身を持って知らしめる必要があるようだ。翔太の中で妙なスイッチが入る。
「何言ってんだ 逆に殺意が込もっとるわ!ホントに何入れているか分からないからな……。この前なんか失敗した料理とかワサビがたっぷり入った卵焼きとか紛れ込まして、帰ったらお弁当どうだったって笑顔で訊かれたからな…ありゃもう狂気の沙汰だぞ」
「そんなこと言って~ホントはラブラブなんじゃないですか~」
よし痛い目に遭わせてやろう。そう思い立った翔太は、長年の経験でつちかってきた危険な物を見分けるセンサーで一番危険だと思った物を工貴の弁当の上に置いてやる。
「はいどうぞ~お食べなさい」
「いいのか~、……モグ…モグ。いや別にまずく……っ!」
当たったようだ。翔太は苦しんでいる工貴を尻目に「ふっふっ」と悪役のように笑い、とりまスマホを取り出し、ナツミンと書かれた美少女の画像が貼られているLINEに大量のスタンプを添付した。
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工貴が突如としておかしな奇声をあげて倒れてから20分後。
机でぐったりとしている工貴。
「大丈夫かな~工貴くん。これでアヤツの恐ろしさが分かったかな?」
工貴に近寄り、翔太は労いの言葉…という名の皮肉を浴びせる。
「ああ、なんとかな でも中休み潰れちまったなぁ
しっかしお前の妹、恐ろしいな あんな物を兄に食わせるとは
後遺症が残りそうだぞ…」
大丈夫という言葉とは裏腹に顔色がよろしくはなく、気分が悪そうである。いったい何を入れたのだろうか、後でみっちり説教をしておいてやろう。
「だからやめとけって言ったのに………」
ともかく、これで、恐らく俺がシスコンだの夏実の弁当が愛情いっぱいだの、天地がひっくり返ってもありえない事は当分言わなくなるであろう。
翔太が多少の安心感を覚え、気ままに5時間目の準備をしようと時間割を取り出そうとすると……
「あぁ、翔太。今日はこの後の授業はないぞぉ」
まだ、だるそうな声で工貴がその動作を止める。
「何でだ?今日は何かあったけ。先生が全員研究日とか」
懸命にこの後の予定を思い出そうとしたがその途中で投げ掛けられた声によってかき集めていた記憶のカケラ達は無残に崩れ去っていく。
「あんた達は何でまだ教室にいるのよ~。早く移動しないとまた怒られるよ翔太 ただでさえ遅刻回数が多くて、成績も撃沈したとしかいえないぐらいなんだから」
注意…というか悪口をいいにきたのは赤い目をしている女子高生。髪は長めの神々しいまでの金髪。身長が高く、3サイズも悪くない。肌が決め細やかで、年齢が違うもののその綺麗さは夏実とも並ぶ。呆れたような表情を浮かべることが多く(今も)面倒見の良さが伝わってくる。
身体能力も半端ではなく5メートルほどの壁でも軽々と越えることが出来る。それでいて成績優秀。「文武両道」「才色兼備」とはまさにこの事だ。
うらやましい…その一言に尽きる。翔太や工貴とは中学からの知り合いで彼女も同じ部活に所属している。
ただ、と翔太は彼女を見ると思わずにはいられない。
目の前にいる、この金色の髪を風に靡かせ、翔太達を否、誰でも手助けをしようとする結城明紀音――――――彼女は翔太達とは違う。
性別のことではない。才能のことではない。根本的に彼女は違っている。その「違い」を彼女は他者に伝えるのを拒む。翔太が彼の「違い」を隠すのと同じように。翔太、そして工貴は彼女の「違い」を知っている。だが、決して口には出さない。
「…………翔太!聞いてんの!?頭の次は耳も故障したの?大丈夫?」
安定して当たりが強い明紀音の声に翔太は、はっと自然に下げていた視線を上へと戻し、今は無用な考えを切り落とす。
「余計なお世話だ! 安紀音 お前は行かなくてもいいのか?」
「私は今日、日直なの!だから全員が出たのを確認してから行くの!ほら!皆も外に出てってーー」
少し怒った顔をしながら安紀音がみんなを教室から出るように促す。それに素直に従い、教室の中から次々と人がいなくなっていく。
「どこへ行くんだ?次は移動教室じゃなかったぞ」
「お前ー、ホントにバカか。今日はアレから16年後だぞ
散々ニュースでやってたじゃねーか。あの偉いオッサンも出て…ハゲのな」
恐らく偉いオッサンというのは西条さんのことだろう。翔太はその人物を一瞬にして特定する。なぜそんな早業が可能かといえば彼はいつも和装で護身用に刀を持ち歩いている(もちろん抜きはしない)行政のトップだからだ。そしてあまり知られていないがwor翔太が所属する一大組織の幹部でもある。よくテレビなどの取材なども受け、世間では一種の有名人としてその地位を確立している。
「ああ 忘れてた。今日は朝忙しかったからなー。テレビ何て見る暇が無かったんだよ」
「どうせ寝坊でしょ 。一様あんたの誕生日でもあるんだから覚えときなさいよ~」
「そうだぞ翔太、今日はお前が仕事だから後日妹さんと一緒にみんなでパーティしようって決めたじゃないか」
そう、翔太はあの戦争の終戦日に生まれた。何となく自分の生まれた時と戦争の終結の時を同じように考えられないような自分がいることを翔太は自覚していた。かけ離れているからだ。色々なことが。
「そうだったな、じゃあ楽しみにしてるぞ」
「ちょっと二人共もう時間ないよ 早く校庭に行かなきゃ!」
「ええ!明紀音が話しかけるからぁ」
「なに?時間教えてあげたんだから感謝しなさいよ。とりあえず急がないと」
明紀音が2人の手を引っ張り、走り出す。
全速力で廊下を走り、階段をかけ降り、校庭を目指す。
「「はぁはぁ」」
2人だけが荒々しくが息を吐く。1人だけはへっちゃらそうな顔でその2人を見ている。
「ふぅ、なんとか間に合ったな」
「でももうみんな並んでる、私達も行こ」
それぞれ走って既にできている列の定位置に無理やり加わる。
しばらく立って周りをキョロキョロと見回していると校長の話が始まった。もちろん、その話の内容はあの戦争についてだった。
どれだけの被害がでたのか、どうすれば正解だったのか、そこから何を学ぶべきなのか。かなり、いつもと比べて長い時間、話していたが痺れを切らして座ったりする者はいなかった。皆が一つ一つ言われた言葉を噛み締めて心に刻んでいた。それだけ、あの戦争は深く心の中に突き刺さっているということだ。
そして校長の話が終わると盛大な拍手が、英雄を称えるのではなく、同じ立場の者の勇気に送るような、そんな拍手が誰に向けてでもなく送られた。
その後、少しの間があると街中に聞こえるようで、だが騒々しくもない「黙祷」という2文字がどこからともなく発せられた。
黙祷が始まると皆、自然に目を閉じ、一切しゃべらず戦死者を悼んでいた。決して遠い過去の話ではない、実際に家族を失った者だってたくさんいる。現に翔太もそうだった。翔太の父は戦争時に死んだわけではないが戦争で負った弾丸の影響で5年前に命を落とした。辛いはずなのに最後まで笑顔で家族に接してくれた父のことを心から翔太は尊敬している。後から聞いた話だが、救護班に所属していて、絶対に人を殺そうとしなかったらしい。
またあの惨事だけは、多くの命を一瞬にして奪うような事だけは、悲しみや怒りや憎悪しか生まない状況だけは絶対に引き起こしてはならない。
翔太は黙祷の音が消えていくのを感じ、目をゆっくりと開ける。
周りには泣いていたり、悲痛の表情を浮かべる人たちもいる。ただ、それとは逆に翔太の体には決心という名の炎がもえていた。
その後全員教室に戻りそのまま解散となった。心を癒すという意味での計らいでもあるのだろう。
翔太は工貴と明紀音と共に学校を後にした。
翔太は少し重苦しい空気が辺りを包んでいるように感じ、居心地の悪さが否めない。工貴や明紀音は家族が戦争で死んだという訳では、おそらく無い。しかし、多くの人間が死んだという事実に対して、普段通りに振る舞うことは難しいのだろう。
そんな空気の中、最初に口を開いたのは工貴だった。
「どうなったかより、どうするかじゃないのか」
短い言葉だったが、その言葉が翔太の心に染み渡っていく。
やはり、過去はどうやっても変えられない。だから今から俺達がどう変えていけるか。そういうことなのだろう。工貴はたまに、こういう、核心を突くようなことを言う。
「そうだな、これからの未来を作っていくのは俺達だってことなんだろうな」
「なーにカッコつけてんのよ。でも、確かにそうかもしれないわ
ね。そのためにはコ・コを良くしないとね」
そういって2人というより、翔太に視線を向け、頭を指先でつつく。
「だまれ!コノヤロー。いいもん。俺はどうせ、魔術も普通の勉強もてんでできない、大馬鹿だもん」
「まあまあ、そう僻むなって~。誕生日会、美味しいケーキを持ってきてやるから」
「まじで!ありがと~。工貴さん、マジ神っすわ」
「ふっ、ちょろいな」
「ひどくないですか!」
などといつものテンションを取り戻してきたところで
「じゃあ、翔太は仕事なんだよね」
安紀音が大きな交差点に差し掛かったところでバイバイと手を振る。なぜならここからは翔太と道が違うからだ。工貴と明紀音はまっすぐ家に帰る、そして翔太は……二人とは違う道の方向を向く。
「ああ そういや、そうだな。じゃ 仕事行ってくるぜ~」
「パーティーする前に死ぬんじゃねーぞ」
笑いながら笑えない冗談を言う工貴。まあ、そうならないように気をつけよう…………
「おう分かってらーー」
翔太が二人に手を振った後、無理やり重い足を運び、目的地へと足を進める。戦争の後、国際連邦と共に設立された平和維持組織world policeに向けて
――ちなみに足が重く感じるのはその場所が俺にとって少なくとも面白くない場所であることの表れだろう。
「あぁぁぁー今日は早く帰りて~~」
今日、翔太が出したなかで一番大きいであろう声がわずかな期待を込めて、夕暮れ時の空に響いた。