僕のヴァイラス
○○珈琲で、モーニングをおかわり。紅茶を計四杯、滞在五時間。
『贄物語』を四千字あまり。すばらしい集中と進捗、至高の経過。
「あれ、紅茶ポット二杯ぶんって書いてあるじゃん」、出費は倍。
ちがう店ではそれでおかわりできたんだけどな、日本語は難しい。
あの五時間にはしかし、千九百円の価値はあった。だから払った。
店を出たとたん、不意の不調。頭がくらくら、ふらふらしていた。
紅茶にたっぷりの砂糖を浸して、あまさをたのしむ。糖尿の危惧。
やばい、低血糖症というやつなのか。わが家は糖尿の家系なのだ。
がくがくぶるぶる。ふるえながら家路に就いて、布団に潜りこむ。
吐き気と眩暈がおさまらない。妻のパスタを無駄にしてしまった。
日曜の午後、嘔吐が二度。吐いたのに、吐き気がまるで引かない。
月曜の朝、軽快せず。会社に連絡、「休みます、有給よろしく」。
午後、寝ていてもつらい。「これはいかん」と、タクシーを呼ぶ。
妻がペーパードライバーだから、飲み会の送迎もしてもらえない。
つきそってもらい、タクシー飛ばして病院へ。待ち時間も、地獄。
本を読むこともできず、ただただ眩暈と吐き気と苦闘する。無為。
待ちわび、ようやく訪れた診察のとき。「感染性胃腸炎ですね」。
私は安堵し、歓喜したのだ。「仕事を休める」。それも、堂々と。
「気のせいです」と言われてしまったら、どうしようという危惧。
診断書を取って堂々と、休みを取る。四日間、堂々と休むつもり。
なにせ、つかうにつかえぬ有給休暇。ここでつかわない手はない。
二日め。処方された薬のおかげで、眩暈と吐き気とがおさまった。
だが、堂々と休む。ぶりかえしてはまずいし、伝染してもまずい。
三日めも休む。四日めも休みたかった、ほんとうのことを言えば。
他人が残業六時間やろうとしょうじき、それは私の痛みではない。
もうしわけないと思うが、そこは中島敦の『虎狩』の心境である。
あるいは「人間競馬」に法悦する、兵藤和尊の境地。高みの見物。
けれど四日めも休んだら、私の立場はわるくなる。小心者の哀れ。
だから四日めはマスクをつけて出勤し、私の立場を確保したのだ。
「ご迷惑をおかけしました」、病みあがりの私の力を見せつける。
「有給、今回だけだぞ」。ばかぬかせ、休業が保証されないだろ。
ブラックな会社、ブラックな社会。もう断ちたい、こんな悪循環。
最後に一言、「ありがとう、ぼくのヴァイラス。きみが来てくれなければ、ぼくは労働に殺されていたかもしれない」。