逃走経路
ログナライの爺さんは壁際に移動して詠唱を始めている。
巨大な盾を構えた兵士が三人爺さんの護衛に立っているが、身を挺して矢から爺さんを守る気か。
俺の仕事は化け物と楽天の注意を引くこと。倒そうなんて欲は出さない。挑発と時間稼ぎを徹底させる、それだけだ。
「ところで楽天さんは、日本での生活は楽しくなかったのかい」
「んー、楽でやりたい放題の人生だったけどね。正直、このまま日本に住み続けようかと思ったのよ。でもさー、魔王様もそれぐらいのことは考慮済みでさ。こっちには人質が残っていたのよ」
「そいつは、どうしようもないなっ」
ただの日常会話のような気楽さで話しているが、内容はお世辞にも軽いとは言えない。それに、現在進行形で銃撃戦の最中だ。
弩から放たれる矢の速度は妬ましいぐらいで、俺の時速36キロの弾丸とは比べることすら失礼だ。相手の全身の動きから射撃のタイミングを計り何とか躱しているが、それに加え化け物が体液の塊を飛ばしてくるのが面倒過ぎる。
「弐鋲君って痩せたら結構見た目がマシになるのね。おまけに、こんな逆境でもくじけずに戦えるなんて、結構、好みかも」
(振った癖に今更……)
目を閉じたまま戦っているので表情は見えないが、嬉しそうに笑っていそうだ。あと、俺の為に怒ってくれてありがとうな、涙。
どんな表情をしているのか興味はあるが、相手の魅了対策でもあるので、この目を開くわけにはいかない。
「それは光栄だ。じゃあ、今後の成長を期待して見逃すってのはどう?」
「個人的にはそれもありなんだけど、それよりも……魔王軍に来る気はない。筒の勇者は他にもいるし、みんな歓迎してくれるけど」
「魅了的な提案ではあるけど。就職先としてお勧めできる?」
「そうね。筒の勇者の武器は物資と人員の運搬に適してるから、かなり重宝されているみたいよ。他の筒の勇者は結構いい待遇らしいって噂だよー」
確かに弾丸の中に人と一緒に物を持ち込めるから、食料や武器の運搬にこれ程適した能力もないのか。じっくり考慮したいところだが、攻撃の手は緩めてくれないのか。
円柱の裏に滑り込み一息つくが、体液が唸りを上げて迫ってくるので慌てて飛び退く。
体液がどういう成分かは知らないが、柱にぶつかった途端に爆発四散して、円柱を粉砕しながら床や壁を溶かしている。
あれを正面から浴びたら骨まで綺麗に溶かしてくれそうだ。
「ニコユル。弾丸契約を解除する方法ってあるのか」
(ありますが……もしかして、お払い箱ですか?)
「違う違う。今、転移陣の準備をしてもらっているだろ」
ああもう、会話ぐらいさせてくれ。矢と体液から逃げる為に円柱から円柱へ渡っているが、このままだと謁見の間の円柱が全て破壊されそうだ。
振ってくる瓦礫を避けながら全力で駆け抜け、照準も合わせずに数発撃ち込むが、楽天には一発も当たらないな。あのデカい化け物が邪魔過ぎる。
「仮に契約だけしておけば、少しでも多くの人を弾丸に詰めて、逃がすことが可能じゃないのかって、思ったんだよっ」
(そういうことでしたか。契約の解除は可能です。解除したい相手の名前を口にしながら、その姿を思い浮かべ、最後に解約と言えばいいだけです)
それさえわかれば、あとは実行に移すのみか。
爺さんの気は健在だが、護衛役が二人になっている。一人はやられたようだ。約束の時間までは、あと2分は残っている。もう少し、会話を弾ませるか。
「ところで、魔王軍から俺を殺すなと命令されているって聞いているがっ!」
「うん、そうだね。でも出来るだけって話だし。味方にならないようなら、処分しろって言われているよ」
そこまで優しくはないか。大扉の軋む音が不安を煽ってくれるな。味方の兵士は残り一桁となっている。あと少しだけ耐えて欲しいところだが、動きが鈍くなってきている。あっ、また一人減ったか。
化物の動きが鈍重なのはベースがあの王様なのからなのかね。だとしたら、肥え太っていたことに感謝しないとな。あれで、機敏な動きでもされたらあっという間に蹂躙されているぞ。
既に十発以上は撃ち込んでいるのだが、奇妙な悲鳴を上げるだけで元気だな。楽天は化け物の傍から離れないので、撃ち込んでも直ぐに肉のカーテンに隠れてしまう。
今は柱の影から影へ移っているが、そろそろ円柱もなくなりそうだ。兵士もあと五人か……爺さんまだかっ!
「弐鋲殿! 準備は整ったぞ!」
待ちに待った爺さんからの声が掛かるが、逃げるのに必死でかなり離れてしまっている。ここから爺さんの場所まで50メートルはありそうだ。隠れる円柱も破壊し尽くされているので、敵からの射線を遮る物がない。
「どうしたのー。お爺さんの準備ができたみたいだけど、行かないのー」
楽天の元気いっぱいの声が響き渡る。平常時なら良く通る良い声だと感心しそうだが、今は不快でしかない。俺たちが何をしているのか理解した上で見逃していたのか。
そりゃそうだよな。動かない爺さんたちに化け物の体液をぶつければ、そこで全てが終わっていた。俺が必死にアピールはしていたがバレバレだったようだ。
この場所まで実力で逃げ延びられたと思っていたが、楽天に誘導された結果。手の平で踊らされていたということか。
「お言葉に甘えて今から向かうから、攻撃しないでくれよ」
「だーーーめっ」
ですよね。さーて、どうする。目を開き大扉を確認するが、閂が折れ曲がり扉は無残にもひしゃげている。隙間から二足歩行の獣っぽい生き物が何匹も覗き込んでいる。
扉も破壊されるまで秒読みか。王国の兵士は今最後の一人が倒れた。
生き残りは爺さんと護衛一人。そして俺のみ。
となると、残された方法はたった一つか……。あー、後で怒られそうだな。後があれば。
胸ポケットから勇者証を取り出し、性能を強化する。三度、深呼吸をする。
「楽天さん! 魔王軍に行くことに決めた! 手土産は爺さんの死だ!」
俺は躊躇うことなく銃口を――爺さんに向けた。
(弐鋲様!?)
(ビョウ、何言ってんの!)
(だ、だめ……)
脳内に直接送られる非難の声を無視して、俺は引き金を三回引く。
今までなら届かない距離だったが、さっき射程を伸ばしておいたので弾丸は爺さんを目指し一直線に進んでいく。
一発目と二発目の弾丸はこのままだと爺さんの脇を通り抜けるだろう。だが、三発目はこのままだと爺さんに命中する。
「すまない、みんな……ニコユル、森早志、清流涙、解約だ!」
三発の弾丸から目も眩むような光が溢れ出し、弾丸が消えた先には空中でその身を放り出された三人の姿があった。
シンリンと涙は転移陣の端に転がり落ち、ニコユルは爺さんの前に滑り込むようにして墜落している。
「痛あーっ、どうなってんの?」
「おでこ擦った……」
「弾丸の契約が解除されたっ!? 弐鋲様どういうことですか!」
ニコユルの叫び声に幼馴染の二人も現状を把握したようで、こっちを睨んでいるな。すまないな、二人とも。それに対する返答はこうだ。
「爺さん転移陣を発動させてくれ!」
「……良いのだな?」
爺さんの視線を受け止め、大きく頷く。それで全てを察してくれたのだろう、爺さんは転移陣を発動させた。
「えええっ! ちょ、ちょっと何勝手に話をっ」
楽天が慌てて化け物に指示を出して、自分も弩を構えているが遅い。足元の転移陣から溢れ出した光に彼女たちは包まれ、消えていった。
最後の瞬間に見せた、三人の今にも泣きだしそうな顔が脳裏に焼き付いている。もし、もう一度会えることがあったら、死ぬほど罵倒されて殴られるのだろうな。
「生き延びてくれよ、みんな」
「何良い話で終わろうとしているのよっ! 弾丸に二人の勇者が隠れていたのは知っていたけど、まさか、そんな手段で……もおおおおうっ!」
楽天が地団駄を踏んで本気で悔しがっているな。化け物を視界に納めないようにはしているが、どうしてもその一部が目に飛び込んでくる。
皮膚の色は茶色と黒のまだら模様なのか。やはり、その全貌を見たいとは思えないな。
でだ、ハーレムヒートの弾丸数は0。攻撃手段を失い、相手が怒り心頭といった感じで、あー、背後から轟音が聞こえる。大扉も倒壊したようだ。
絶体絶命が俺ほど似合う男もいないだろう。
なだれ込んでくる獣人らしき一行から逃れるように俺は壁際に向かって走っていく。
「そいつを、殺さずに捕まえて! こうなったら、そいつだけでも生け捕りにしないと魔王様に合わせる顔がないわ!」
退路を断たれ謁見の間を走り回って逃げるしか手段がない。
あの化け物を使えば俺なんて容易く捕まえられそうなものだが、細かい制御ができないのだろうな。殺傷能力は高くても捕縛には向いていないのか。
一直線に壁へ突っ込むように全力で走っていたのだが、その途中で力強く地面を蹴りつけた。身体能力がかなり向上しているので、オリンピック選手も驚きの3メートルを越える跳躍を可能にした。
「何もないところで跳んでどうすのよ。気でも狂っ――」
今だ怒り冷め止まない楽天の声を無視して、俺は叫ぶ!
「穴!」
空中に発生した黒い輪を俺は左足で踏みしめ、更なる跳躍を見せた。
そして、もう一度、魂叫の穴を宙に設置して、今度は右足で踏みしめ上へ上へと登っていく。
「えっ、えっ、ええええっ!?」
空を駆け上がる俺は、開いた口が塞がらない楽天の声をBGMにして、謁見の間の天井付近に設置された窓に辿り着いた。
あまりにも博打要素が強すぎたから、皆には転移陣で飛んでもらったが、結果論で言えば弾丸にいたままでも問題なかったな。でもまあ、あいつらが無事ならそれでいいか。
窓枠を握り締め、こちらを凝視している楽天と魔物の群れに笑顔を向ける。何か気の利いた捨て台詞でも残していくか。
「あばよ、楽天ちゃん。まったなー」
某泥棒三世をイメージしてみたのだが、あまり似ていなかった気がする。
窓をハーレムヒートのグリップで叩き割り、そこから俺は屋外へと飛び出した。
普通なら墜落死は確実だが、俺には魂叫の穴がある。着地地点に穴を発生させながら、ぴょん、ぴょんと宙を下っていく。
毎晩欠かさずに能力を発動していたかいもあって、十個程度なら連続で出しても、それ程疲れることはない。穴の大きさも拳がすっぽり入る大きさまで広がっているので、着地するには問題のない足場だ。輪っかになっているので、すっぽりハマりそうになるのが怖いが。
結構な時間戦っていたのか。もう外は暗闇に包まれている。逃走するにはもってこいのシチュエーションだな。
眼下では無数の魔物が城を目指して進んでいる。闇夜に紛れているので上空にいる俺の姿は見えないようだ。飛行系の魔物がいたら見つかりそうなものなのだが、飛行部隊は城の外へ逃げた人々の探索でも担当しているのかもしれない。
松明を掲げている狼男っぽい獣人の群れや、魔法の明かりが灯った杖をもつボロいコートを着込んだ魔物もいる。
このまま呑気に眺めていて見つかったら笑い話にもならない。人気……魔物気のなさそうな場所に降りるか。
ラッスクデ王国の王城は町の真ん中に堂々と建っていて、周囲を町が取り囲んでいる。そのせいで、どの方向に降りても町中になるのだが……悩んでいる時間が惜しい、冒険者ギルドの方角にするか。
凄腕の冒険者がいて、今も抵抗を続けている可能性だって残されているだろう。籠城中で勝ち目が無いようであれば、悪いが彼らが注意を引きつけている間に逃がさせてもらう。
幸運なことに、堀から少し外れた場所に見つかることなく着地できた。
冒険者ギルドへの道順はニコユルと一緒にいったルートしか知らない。なので、裏路地を進むしかない。
弾丸契約を解約したので、シンリンの回復力もなければ、暗闇で活躍できそうな涙の気も使えない。怪我をしてもニコユルに治癒を頼むことすら出来ない。
みんな無事でいるといいけど。シリンダーを覗き込むがそこには弾丸が無い。攻撃方法も失い仲間も失った状況で、陥落した城下町を逃げ切らなければならない。一難去ってまた一難。逆境が身に染みるな。
ここからは完全にソロプレイだ。逃げ切ることだけを、もう一度みんなに会うことだけを目的に……生き延びるぞ。
召喚編はここで終了となります。
続きは書く予定にしてはいますが、いつ再開かは未定です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




