救助
血塗れのキリサを落ち着かせる為に肩を掴み、顔を近づけて視線を合わせる。
「詳しく聞かせてくれるか」
「は、はい。わ、わたくしたちは、転移陣で焔原野に向かいました。そこは火属性の魔物ばかりで、水を司るニムヂ様の力を得る涙様には最も適した狩場でした。そこで一時間程狩りを続けていると、そ、そこに、魔徒が現れたのです」
魔徒だと……。確か人と変わらない外見でありながら膨大な魔力を宿す、魔王の配下だったか。
「馬鹿なっ! 魔徒が初心者用の狩場に現れるなんて!」
ニコユルの取り乱しようからみて、尋常ではない相手のようだな。初心者相手に中ボスが現れるようなものか……リング。
「わ、わたくしも信じられませんでしたが、間違いありません。膨大な魔力に翻弄されていたのですが、涙様が敵の注意を引きつけてくださり、助けを呼んで来いと……」
そこまでで充分だ。俺のやることは決まっている。
「キリサさん、他の援軍を呼んできてください。俺はリング……涙を助けに行く。ニコユル一緒に来てくれるか」
「はい。ですが、倒すのではなく救助と撤退を最優先に」
「もちろん」
「御気をつけて! 直ぐに援軍を連れてきますからっ!」
背後から聞こえるキリサに向けて、振り返ることなく拳を振り上げて応える。さて、格好をつけるのはここまでだ。
どんな手段を使ってもリングを助けないとな。昔、二人と交わした約束は必ず守る。
「ニコユル、焔原野への転移は可能か」
「はい、問題ありません」
「よろしく頼む。あと、魔徒について知りうる全ての情報を頼む」
施設の扉を開け放ち、転移陣の上に乗る。足元から伸びる光に包まれ、足元の感触が無くなった。そして、再び足元が確かになった途端、周囲の様子を見回す。
「これが焔原野か。地面から生えている雑草が真っ赤で火が揺らめいている様に見えるな」
「それが名前の由来ですから……魔徒はいませんね。ここで戦うなら、たぶん、向こう側だと思います。そっちには温泉が湧いているので、水を苦手とする魔物が余り近寄らず、各個撃破に向いているので。魔徒については移動しながら説明します」
ニコユルを先頭に周囲を注意深く探る。リング、無事だよな――信じているぞ。
「魔徒というのは諸説ありまして、人間が魔王の軍門に下り力を与えられた。魔王の世界から共にやってきた現地人。魔物が進化して魔徒となった。経緯は不明ですが、魔徒が膨大な魔力を有し、人類の敵であることは確かです。最低でも中位だと言われています」
中位というのは魔物の強さを現すランクみたいなものだよな。確か熟練の戦士ならタイマンで勝てるかどうかだったか。
初心者に毛が生えたレベルの俺が勝てる相手じゃない。
「魔徒は闇属性の魔術に長けていますので、闇や黒い霧のようなものには注意してください。後は身体能力も人を超越していますから、肉弾戦も勝ち目はないと思われます」
全てにおいて俺は劣っている訳か。話の通じる相手なら交渉してみるのもありだが、相手の出方次第だ。だが、もしも、リングが無事でなければ……自分を抑える自信が無い。
「弐鋲様、あちらから争うような音が」
ニコユルが指差す方に視線を向け、目を凝らす。
小さな点に見えるが、確かに人間らしき個体が二つ争っているように見える。
「ニコユル弾丸に戻って」
「わかりました。くれぐれもご自愛ください」
シリンダーに弾丸が装填されているのを確かめると、全力で駆ける。
一人は宙に浮いているのか、もう一人から糸のような物が伸びている。そっちがリングか。
距離はまだあるが……ちっ、こんな時に魔物が。
炎が棒状になって伸び、細い手足が生えている魔物。目鼻口は存在していない。
(火棒です。普通の打撃でも傷つけられますが、火花が飛び散るので攻撃した方が火傷を負う――)
それ以上の情報は必要ない!
火棒が殴りかかってきたが、避ける時間も惜しい。跳び蹴りをかまし、胴体に足がめり込み、じゅっと靴が焼ける音と焦げたような臭いがする。
怯んだ相手の頭頂部に銃のグリップを叩きつけた。走る勢いを落とすことなく、相手が消滅したかどうかも確認せずに、リングの元へ向かう。
「またかっ」
更にもう一体、進路を遮るように現れた。今度は小さな火の玉を射出してきたので、体に当たる直前に銃口をぶつけ引き金を引く。火の玉が聖属性の弾丸と衝突して相殺される。
攻撃後は少し硬直があるようで、無防備な姿を晒している火棒の頭らしき場所に弾丸を叩き込んだ。
二人との距離がかなり近くなり、相手もこちらに気づいたようだ。
一人はやはり、リングか。俺と違い防具が支給されているらしく、まるで水を纏っているかのような青い法衣を制服の上から着込んでいる。あの防具が優秀でここまで耐えられたというなら、贔屓も悪くない。
敵は黒く丈の短い革ジャンを素肌の上に着ているな。下は黒の七分丈のズボンか。一昔前のロック歌手みたいな格好だ。髪の毛も真っ赤で鶏冠のように逆立てている。
「ビョウ!」
「待たせたな、リング!」
今にも泣きだしそうな顔で、珍しく大声を荒げている。ったく、その年になっても泣き虫のままだな。
相手に当たらないのを覚悟の上で、少しでも注意を引くために銃弾を放つ。
「おっと、援軍かああぃ。いいねえ、燃える展開じゃねえかっ!」
見た目通りのキャラのようだ。天に向かって吠えているが、その視線は俺を見ている。
「って、何だこりゃ? くっそ、おっせえ弾丸が途中で消えやがったぜえ」
まあ、10メートル以上離れている相手には当たる以前の問題で、届かないからな!
だが、相手の注意を引くことはできた。更に撃ち込むが、やはり途中で消滅する。
「あああんっ、てめえ、舐めてんのかああっ!」
「純粋に射程が届かないだけだっ!」
怒鳴り返しておいた。相手との距離が詰まっているが、1メートルしか飛ばない弾丸が届くわけもなく、かなり手前で消えシリンダーに戻ってくる。
「くはははははっ、てめえ筒の勇者かっ! 最弱の勇者だとは聞いていたが、あいつも昔はこんな感じだったのか、滑稽だなっ!」
赤鶏冠の言うアイツというのは魔王に寝返った、元筒の勇者の事か?
馬鹿笑いしている間に俺はリングの前に滑り込み、魔徒から庇うように立つ。
「信じてた……」
「おう。今まで約束を破ったことは一度もないよな」
「うん、遅刻は良くするけどね……」
軽口を叩けるぐらいの余裕はできたか。呼吸がかなり乱れているな。体力は限界に近いようだが。
「おい、筒野郎! てめえは殺すなって言われているからな。そこをどくなら見逃してやるぜえぇ?」
「可愛い女を見捨てて逃げるなんてロックじゃないだろ?」
「ロック? 何のことかわからねえが……悪くねえ響きだぜえっ!」
異世界らしからぬ格好をしているのにロックを知らないのか。日本からの転移者じゃないようだな。
「可愛い女……」
リング、照れるのは後にしてくれ。
今までの会話だけでも結構重要な情報を得ることができた。この魔徒は日本からの転移者ではない。筒の勇者の命は狙われていないが、他の勇者は狙われている。
「勇者が強くなる前に摘み取る魂胆か」
「正解だぜえぇ。さっさと殺っておけば後腐れがねえだろ? てめえらが利用する狩場の情報も既に把握済みだぜえぇ」
ゲームとかでも疑問だったんだよな。何でわざわざ勇者が強くなるのを待つのかと。レベルが低いうちに殺しておけば楽だって、誰もが思ったことがある筈だ。それを実行してきただけのごく当たり前の話。
「なるほどな。ところで、俺を見逃してくれるなら、こいつもついでに見逃さないか?」
「いいぜええ……何ていう訳がねえだろうがよおっ!」
ちっ、こいつのノリならワンチャンスあるかと思ったのだが、やっぱり無理か。
俺を殺すなとの命令が唯一の好材料か。俺が歯向かっても軽くあしらわれて、殺されることはない。そこを利用するか。
「わかった。俺も命は惜しい。どうやっても敵いそうにないからな、逃げることにする。最後に少し話をさせてもらっていいか?」
(弐鋲様!?)
頭にニコユルの悲痛な叫びが響くが無視をする。
「おいおい、格好をつけておいてそれかよおぉ。まあ、いいぜええっ! 俺様は慈悲深いからなあぁ」
赤鶏冠の言葉に甘えて、俺は背後で佇むリングに向き直る。
前髪に隠れている目は俺をどう見ているのだろうか。表情は読み取ることはできないが、侮蔑しているのか呆れているのか、それとも――
俺はリングの前で片膝を突き、右手で後ろ髪を撫でる。そして、こう呟いた。
「喜びも怒りも哀しみも楽しみも乗り越え、共に住まい同じ時を過ごすことを、ここに誓う」
はっと息を呑む声が聞こえ、二人の間を吹き抜けていった風が前髪を掻き上げる。瞳は潤み、頬は赤く染まっていた。
「誓います」
その瞬間、リングの姿は掻き消え、シリンダーに弾丸が追加される。
契約の言葉が結婚式の宣言に似ていたので、リングならピンときてくれると信じていたが、上手くいってくれたようだ。
「おいおいおいおいいいいっ! てめえ、杭の勇者を何処にやりやがった!」
赤鶏冠は筒の勇者について詳しくなかったから、気づかれないとは思っていたが。さて、ここからが本番だ。
「別に何処にも。リングの魂叫の能力じゃないか。俺が見捨てる宣言したから、呆れ果てて逃げたんだろ」
「魂叫かああっ! ってことは瞬間移動……じゃねえな。それなら、もっと早く使って逃げていた筈だぜええ。なら、擬態かあっ、風景と同化して見えなくなりやがったか。気配も感じねえが、杭はニムヂ信徒か。気が使えやがったな糞があああっ!」
そういやニムヂ信徒は気を操作できるようになるのだったか。それは忘れていたが、都合のいい方に事が運んでいる。
「じゃあ、俺は帰らせてもらうよ。戻ったところで見捨てたことが広まっているだろうし、居場所はなさそうだがな……はああぁ」
いかにも落ち込んでいる様に見せないと。自分が匿っていることだけは感づかれるわけにはいかない。
大きくため息を吐き、肩を落としてとぼとぼと歩く。相手が立ち去るか、転移ポイントまで辿り着くことが出来れば俺の勝ちだ。
後方で爆音が鳴り響いているが振り返ることは無い。ただ、様子を見てもらう為に銃口を後ろに向けてハーレムヒートを握っているが。
(魔徒が怒り狂って周辺に魔法をぶっ放しています。隠れている涙様を燻り出すつもりのようですよ)
(間抜け……)
リングの声も聞こえるな。間違っても返事をしては駄目だ。詳しい説明も後ですればいいだろう。落ち込んだ演技を続けたまま、転移陣まで移動することだけに集中しないと。
爆音が遠ざかっていき、転移陣まであと少し――
「ちょっと待て、筒野郎」
ここで声を掛けてくるのか。まさか芝居がバレた……いや、決めつけるのはまだ早い。
「お前、行く当てがないなら、魔王軍にこねえかあっ?」
まさかの勧誘ルートが発生するとは。筒の勇者は代々裏切っているから、むしろ自然な流れとも言えるか。少し魅力的ではあるが、俺が仲間になれば確実にリングは殺されるだろう。なら答えは決まっている。
「そうだな……一度、戻って、ヤバそうだったら魔王軍に入れてもらっていいか?」
「おうさ、構わねえぜええ。俺の配下を一人ここに常駐させる。三日以内にここに来いや!」
「感謝するよ」
絶対行かねえええ。焔原野には二度と近づくまい。
「はああああぁぁ、気が重いなあ」
よっし、もう少しで転移陣だ。残りは10メートルもない。
「何をしていらっしゃるのかしら、セッカン」
転移陣の前の空間が歪み一人の女性が姿を現した。このタイミングで追加かよ。
「おう、シュリエリじゃねえか。てめえは槌の勇者担当だろうがああっ! 何でここにいやがんだっ」
「あのハンマーゴリラは氷柱の中で冬眠中ですわ」
「けっ、冷血女はこええなあっ」
火花がやられたのか。そうか、五神勇者を狙うなら同時にやるべきだよな。ということは……シンリン無事でいろよ。
いきなり現れたこの女性は魔徒で間違いないだろう。真っ赤なマフラーを首に巻いて、白く長い髪が足元まで伸びている。首から下を全身タイツのような体に張りつく薄い素材で覆ってあり、表面には幾何学模様が赤で描かれている。
よく見ると両腕に巻き付いている白いものは自分の髪の毛か。
気になることだらけだが、今はここを切り抜けることが最優先事項。余計な考えは消し去って、シュリエリと呼ばれた女性の脇を抜けないと。
「じゃあ、俺は戻るから」
「あら、何処に行かれますの筒の勇者様」
「いえ、見逃してもらえるらしいので城に戻ろうかと」
「ふーん、杭の勇者を匿ったままでかしら」
やばい……この女には見抜かれているのかっ!?




