第六話 「人形の館」
長時間寝れない…生活リズムの乱れが原因かな。
「ひぅ…」
目が覚める。まだこの感覚は慣れない。魔力が小さな身体を充満し、一気に覚醒へと促される。マグロ貯蔵冷凍庫なんかに一時間位放り込まれた後、陽光の下に出された気分だ。わかりにくいけど。
「あっ、おはようございますマスター。」
俺が起きたということは目の前に起動者であるミレーナが当然いるわけで、俺は起きると同時に殆ど脊髄反射でそう答えた。もう失態は許されない。
「支度をしろ。少し野暮用がある」
「駅馬車の時間は大丈夫でしょうか?」
「この街を抜ければ通行税がかかるからな。元来二日に一度大きな商隊で移動する。伝統のようなものだ」
二日に一度しか出ないのか。税金を抑えるために大集団で通る…みたいな寸法なのかな?何時の時代も商人は本当に逞しい。技術の発展は戦争が担うけれど、こういう良い意味での小手先は商いの独壇場だ。
「つまりは今日でなく明日出立するのですね」
「物分りが良くて結構。そういうことだ」
ミレーナは朝食をとりに部屋を出る。本来俺に朝食はいらないが、宿代と一緒に出るからには勿体無いとはミレーナ談。この体になって初めての食事…楽しみだ。昨日からの落ち込みも少しは和らぐだろうか。
朝食をとった後、ラマの大通りに出れば、炎天下の中大量の露店と、それを求めて回る観光客でごった返していた。因みに朝食はとっても不味かった。うん。見た目からして微妙だった。何かしらのゆでたまごとやたら堅いパンしか出なかった。肉が食べたい。切実に。
「活気がありますね」
「全く何が楽しくて建国祭なんぞに集まるんだか知らんがな」
「そうですね…」
でも、俺はこういうの好きですよ。とは口が裂けても言えなかった。昨日の件もまだ尾を引いているし、少なくとも暫くは大人しくすべきだろう。まぁミレーナが祭のような雰囲気を好まないのはだいたい想像がついていた。普段からあんな辺鄙な森に一人で住んでいる時点で、人混みが不得意なのはある種当然かもしれない。
人混みをかき分けて進む。この小さい身長だとミレーナについていくのがやっとだ。ラマでは服装はどちらかと言えばつなぎのような上衣と下衣が繋がったものが主流のようで、特産の染色剤でもあるのか派手な青が目につく印象だ。人混みをかき分けるにしても、時折交じる美しい青が独特の雰囲気を醸し出している。
「アイラ、今から会う婆の前ではただの魔導人形のふりをしろ。まるで感情などないようにだ」
「は、はい!」
ミレーナはこちらを振り向くとそう言った。ただの魔導人形ってなんだ?意図は分からないが、極力素直にミレーナの指示に従う。多分無感情で何もしなければ大丈夫だろう。どうやら目的の場所についたらしい。テントを潜ると、そこには百を超える瞳と、一人の老婆が鎮座していた。
テントには大小様々な人形が置いてあった…おみやげ屋だろうか。ヨーロッパ風の小奇麗な人形から、植物で編んだような人形もある。正直藁人形みたいでちょっと怖い。大きい物だと小さい子供サイズくらいのものまであった。こんな真っ昼間だというのに、入り口以外を布で囲った店内は何処か薄暗い。
「あんた…。ビタの娘かえ?マドリー様が心配しておられたよ」
「…ミレーナだ。少し駆動部品を融通して欲しい」
青いローブに身を包む店主の老婆はミレーナを知っているようだ。その顔には懐かしむような、でも少しつらそうな顔をしていた。どういった関係なんだろう。
「そいつは魔導人形かい。…よく出来ておる。あたしがもう少し年食ってたらわからなかっただろうね。流石ビタの娘ってところさね」
思わず「え」と困惑を口にしかける。魔導人形であることを見ぬかれたのは初めてだ…それもこんなにも簡単に。老婆の目線が俺を貫く、何もかも見透かされているような気持ち悪さだった。
「当たり前だ。そこらの人形使いに負ける私ではない」
二人は俺の困惑を置いて会話を続ける。どうもこの老婆にとっても魔導人形は珍しいものでもなく、ミレーナはその界隈では結構な有名人のようだ。
「そんでなんだい。どれが欲しいんだい」
「カーシャ材の振幅較正装置があればいい」
「あんだってそんなもの使うんだい?そんなもの並の奴は持っとらんよ」
「だからここに来た」
「ふぅーむ。まぁ昔のよしみだ。ついておいで、あたしの工房にいくつかある筈だ」
うん。わかっていたけど全く話がわからない。何時の間にかミレーナが老婆の工房とやらに訪問することになった。しかしながらミレーナに俺をそこに連れて行く気は毛頭ないらしく、「ここで待っていろ」と一言だけ添えると、二人は裏手からテントを出て行った。
やることもなく、ぼんやりと人形を流し見る。操り人形から観賞用までなんでもある。何処の世界にもこういう玩具はあるものなんだなぁ。そういえば人形は文化の本質なんて話も聞いたことがある。
数多の光無い瞳が宙を見つめている。俺も…こいつらと同じ人形なんだろうか。俺本来の肉体はもう死んでいる。ここにいるのは魔導人形アイラで、もしかしたらもう俺じゃないのかもしれない。
俺は…どうすればいいんだろう。このままアイラとしてミレーナの元で暮らすのはどうだろうか。ミレーナの言う通りに行動すれば、むしろ彼女は優しくしてくれる。路頭に迷うこともなく、もしかしたら平穏に暮らし続け、たまにこういう旅にだって出れるかもしれない。
それは異世界という身よりも戸籍も保険も何もかもがない世界では、恵まれた待遇なのかもしれない。ミレーナは特別過剰な要求はしてこない。やるべきことはちゃんと言ってくれるし、昨日は荒れたがそれでも部品を集めようと自ら動いてくれている。歪ではあるけど、俺を一つの存在として認めてくれている。
じゃあミレーナの元を離れたらどうだろう。まず魔力が足りなくなる。少なくともミレーナクラスの魔女に協力してもらう必要がありそうだ。加えてこの見た目だ。直ぐにでも悪漢共に狙われるだろう。幸い中身は機械じかけなので貞操云々なんてものはないが、それでも体の良い玩具にされることは間違いない。第一、元の身体に戻れる保証なんてものは一切ない。
やっぱりこのまま…アイラとして…。
「あれ、君は確か…」
聞き覚えのある声だった。振り向けば、シュランカの町で出会った青年が店の前にいたのだ。あの宿を譲った超イケメン野郎だ。二日目と違いこちらも青が美しい衣服に身を包んでいる。青年はそのままこちらへ歩み寄り、テント内へ入った。
「あなたは…あの時は本当にお世話になりました!」
「いいって、気にしないで」
相変わらず青年は爽やかに笑いながら右手を振り、大したことないと…本当に大したことなさげに言った。彼は俺を人間と同じように接してくれる。魔導人形になったとはいえ外観は胸元さえ見られなければ完全に人間と同じだから…かな。魔導人形だとは思われていないらしい。あの婆さんは一発で見抜いたけれど、やはり一般人は俺と人間の区別がつかないようだ。
「俺はユーリ。まだ言ってなかったでしょ?」
「え、あ…はい。私は…アイラです」
少し戸惑いを挟んだものの、今の俺にはアイラという名前しか無い。ユーリは何がそんなに嬉しいのか、一層広角を上げ、嬉しそうに笑った。なんというか、綺麗な笑顔だった。
「アイラか。よろしくね」
「ど、どうも」
それにしても、積極的過ぎる。この人の目的が見えてこない。俺に何の用だろうか。宿の件もいくらなんでも親切過ぎる。かつてこれほど見知らぬ相手に親身にしてもらったのは初めてだ。
「俺はちょっと観光というか買い物中でね。アイラは雇い主の付き添いかな?」
「そう…ですね。待ってます」
ぼんやりと濁して答える。なんてなくでしかないけど、この人にミレーナのことを話のは良くない気がする。ミレーナが影ならばこの人は太陽だ。まるで両極端、絶対にウマが合わないという確固たる自信が俺にはあった。
「んー。そういえば君の雇い主ってバライソの貴族かな?誰か教えてくれないかい。」
「え…それは」
青年の雰囲気は変わらない。自然体のまま、そんなことを聞いてきた。答えに困る。言っていいものなのだろうか。ミレーナが一部で名が知れた魔女なのは老婆も言っていたことだし間違いない。だからといって彼女の個人情報を渡す行為は裏切りのような気がする。
「もし教えてくれたら…。今なんかよりもずっといい生活を送れるようになるかもしれないよ。侍女なんかじゃなくて、一人の女の子として…」
青年の後ろに見える外の光景が遠ざかる。青年の視線は、俺が今までの人生で一度も向けられたことのない…色気の伴うようなものだった。え、え、えええええええええええええええええ!?もしや、もしやもしやこれあれか?俺に気があるってことか!?あ、あああありえ…ってそうか、今の俺は透き通るほど白い長髪に優れた容姿…そりゃ男の一人くらい寄ってくるかもしれない。多分いままでそういうのが無かったのはメイド服だったからか。誰かの所有物ですよって証明みたいなものだからなぁ。
いやいやそんなことはどうでもいい。どうしようこれ。あの宿の部屋から何となく察してたけどこの人相当なボンボンなんだろう。よく見れば身なりは悪くないし女の子のために宿なしに甘んじる覚悟があって多分権力もそれなりに…。って俺は何優良物件みたいに考えているんだ!?相手は男だぞ!?俺は今でさえこんな姿になってはいるけどれっきとした男…だった。うん。だった。いや、いつか男の身体に戻ってみせる。でもそのためにはミレーナを裏切ることになるのかな。それは…できれば避けたい…。
ああ、でもこの人の権力とか金があれば本当にミレーナから開放してくれるのかもしれない。ミレーナから開放されて、魔力もきっとこのバライソならなんとかなる。それにこのいつの時代も重要なのは人のつながりだ。貴族ともなれば俺の身体が元に戻る方法を知る術の一つや二つ持ちえているかもしれない。
待て、そもそも俺に気がある事自体勘違いじゃないか?もしかしたらこの青年はスパイだとか特別調査員だとかで天才魔術師であるミレーナを追っているだとか。そういう線もあるじゃないか。ああ、多分そうだ。流石にこんなイケメンが見た目はどうあれ中身がこんな俺に惚れるわけもない。
「ごめんね…。混乱させちゃったみたいだ」
俺がああだこうだと唸っている内に、ユーリの纏った空気が霧散する。そこにいたのは単なる明るい好青年だった。
「アイラは清い子だね。普通は金銭の話なんてされたらメイドは大抵雇い主を裏切ってしまうものだけれど。でも、そっか。うん。今回は諦めるよ。もう俺のほうも動かないとマズイし、じゃあね!」
「さ、さようなら…」
またも颯爽と走り去るユーリを、ぼんやりと見送る。嵐みたいだった。輝く日光の中駆ける彼の姿は、暗がりに潜む自分とはまるで違う世界にいるかのように感じた。好いてるなんてのは、やっぱり間違いだ。吊り合わないなんてもんじゃない。大体男から好かれたって嬉しくない。それに、俺が魔導人形であることを知れば、どうせ興味を失うだろう。所詮は魔導人形、人間の真似事をしているが、人間じゃない。結婚だとか、子供だとか、そんなものは絶対に出来ないのだから。
百を超える瞳と、加えて二つが外を眺める。機械仕掛の心臓が、ガチャンという無機質な音を立てて、そのギアを一つ下げた。