第三話 「出立の朝」
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今回は前回同様言いなり要素の少ない(?)説明回です。
「む、なっとらんな。折角の茶葉が台無しだ」
「ご、ごめんなさい」
「まぁよい。追々学んでいくだろう。今日は我慢しよう」
翌日の朝、ミレーナに起こされると直ぐに朝食を用意することとなった。といっても日本に比べれば随分と簡素な食事で、パンとジャムという非常に簡単なものだった。それぐらいなら一人暮らしを経験した俺にとっては正しく朝飯前だ。しかし問題はお茶だった。何度入れてもよくわからない。紅茶ならまだしも、独自のハーブティーらしく、どれぐらいの温度でどれほどの量を入れて、どれぐらいで注ぐのか全く勝手がわからなかった。
それにしても驚きだったのはこの身体が食事を必要としないことだ。別に食べることが出来ないわけじゃない。ただ本当に食べなくても飢えないし、どこぞの神格化されたアイドルじゃないが排泄もしない。ついでに風呂も不要だ。この姿になったことに感謝なんて毛頭したくはないけど、それでも元の世界では大金を払ってでもこうなりたい人で埋め尽くされるだろうな…。なんというか、人間の業は深い。
そんな事を考えながら、食事の終えた食器を極力丁寧に下げ、不慣れな幼い身体に悪戦苦闘しながら洗う。服装も相まって本物のメイドにでもなった気分だ。ああいう空想上のかわいいメイドがいたらなぁなんて考えたけど、まさか自分がメイドになるなんて…それも異世界で…人形とはいえ女の子になって…。日本に戻ってもこの姿だったらどうしようか…。いっそこれまでの全てを投げ捨てて女として生きるのか…?いや駄目だ。戻ったところで魔導人形は年を取らない。いつまでもこんな少女が年を取らなかったら怪しまれるどころじゃすまないな…。
「さて、アーキホールに向かう前に、少々説明することがある」
ミレーナはテーブルから離れ、何やら古臭い本棚を漁り始めた。どうでもいいかもしれないがミレーナのこの家はあんまり綺麗じゃない。そこら中に本が積み重なっているし、元々一人暮らし用なのか家の生活空間が狭いのだ。当然本棚なんかはホコリまみれである。
ばさりと古い地図がテーブルに広げられ、ホコリが一面に舞う。思わず癖で口を塞ぐも、意味が無いことを思い出しハッとなった。食事だけじゃなく、この体は呼吸すら必要としないのだから。
「まずは森の地理だが…」
うわっ、文字がところどころ掠れてるじゃないか…。どれだけ古いんだろうか。地図には巨大な大陸とその中心にある湖が描かれている。ここはどうやら大陸中心の湖に近く、ここから左下と右下に国名と思われるでかでかとした名前が書いてあった。当然読め…ない?
あれ?おかしいじゃないか。なんでミレーナは日本語で話しているのに文字は日本語じゃないんだ?
「あの…マスター」
「なんだ?」
「文字が読めないのですが…」
「ああ、普通はそれが当然だろう。これは旧言語だからな。今より二百年程前に使われなくなったものだ」
旧言語…どうみても日本語とは違う。逆に言えばここが異世界である筈なのに、どうして日本語で通じているんだろうか。
「今の言語はどうして広まったんですか?」
「いやに知りたがるな…。私も正確なことは知らん。興味深いものとしては西のドラゴンが用いた言語だ、という説もあるな」
「ドラゴンがいるんですかっ!?」
ドラゴン…なんて甘美な響きだろう。ファンタジーの体現。男の子の浪漫。最強の生物。高い知能に長い年月。雄々しい翼に逞しい肉体。その要素どれもが好きだ。どれだけドラゴンに乗ることを夢見たことか。絶対に叶うこと無い子供の夢…。映画の中で繰り広げられる画面越しの境界…。そんなドラゴンがこの世界には存在するのか!?
「なんだやかましい…。ランドにある渓谷に今でも一頭生き残っているという話だそうだ。いい加減私の話をさせろ」
「ご、ごめんなさい…」
あ、危ない危ない。勢いで乗り出してしまったけどミレーナの機嫌を損ねるのはまずい。アレ以降不自然に優しいミレーナとはいえ、いつまた気を悪くするかわからない。でもドラゴンがいるというなら絶対に会ってみたい。そうだ、こんな事態になってしまったけど、それでも折角の異世界なんだ。元に戻る方法を探した暁にはドラゴンと会ってみるのも一興かもしれない。
「ここが森の位置だ。まずは真っ直ぐにこのシュランカという村を目指す。早ければ夕刻前につくだろう。そしてそこから馬車を乗り継ぎアーキホールに向かう予定だ」
森から右下の国へと進み、最も近くの村を素通りすると、別の町を指さした。そこがシュランカ…。
「手前にも村があるようですが…」
「ああ、この村はだいぶ昔に焼け落ちてな。今でも野盗が湧いてくる忌々しい土地だ」
村が焼け落ちた…。野盗の襲撃か、それとも戦争か。やっぱりここは異世界なのか。改めて認識させられる。少なくとも元いた日本じゃ有り得ない事だ。
「特に森を抜けてからは野盗やゲーリルと遭遇する可能性も高い。そこでアイラには戦闘補助を主に任せることになる」
「戦闘ですかっ?」
いきなりの事に声が上擦ってしまった。野盗と…なんだって?そいつらと戦う?俺が?幾ら魔法が使えたって相手もこの世界の住人だ。絶対普通じゃない!だいたいこういうのは調子乗ったら野盗も魔法使えましたとかいうオチがあるんだ。そんな相手に戦闘経験なしで勝てるわけない!
「どうした?」
「あ、いえ…」
「ふふ、そんな不安そうな顔をするな。生まれたばかりの娘を馬車馬の如く働かせたりはしないさ。あくまで補助。お前は魔導人形だ。下品な兵器なんかではないさ」
え、魔導人形は兵器じゃないのか?勝手な先入観だが魔法も使えるしで魔導兵器のようなイメージだった。ミレーナは特に嘘を付いているような様子もなく、むしろ優しく事実を諭しているかのようだ。それじゃあ魔導人形ってなんだ?まさか本当にメイドロボット?
「大抵野盗どもは私が魔女と分かれば逃げ出すものさ。問題はゲーリルのほうだ。奴らは四足の大型動物だ。一頭の力も中々のものだが、小奴らは厄介なことに連携して動く。基本的にスリーマンセルで動いている。一頭と出会ったならば残り二頭は必ず近くにいることを忘れるな」
流石異世界。ドラゴンもいれば訳の分からない生物もいるようだ。出会ってみたいような気もするが、ミレーナが強敵とする相手だ。恐らく俺一人では対処できない程強いんだろう。でも俺は魔導人形だし間違いなく食べれる感じじゃないけど襲われるんだろうか。
「ゲーリル以外にはバライソ周辺にそこまで面倒な動物はおらん。まぁ気楽な旅だと思うといい。それと一応信頼はしているが言っておくと…逃げようなどと思わないでくれよ。アイラを傷つけたくないからな…」
ミレーナが近づき、ぬるりとした言葉が耳から滑り込んだ。脳髄からアノ恐怖が滲み出る。汗はかけない魔導人形だが、それでも額から大粒の汗が流れるような感覚が俺を襲った。まだ鮮明に思い出すことが出来るあの衝撃…いや、多分一生俺はアレの影に怯え続けるんだろう…。
動けなくなった俺を尻目にミレーナは家を出る。戸が閉まる音に目が覚めると、既にミレーナの姿はなく、俺は慌てて巨大なバックを両手に彼女の後に続いた。あぁ、絶対に二度目はくらいたくない。
「さてと…」
ミレーナが昨日と同じように…しかしそれよりも大きい陣を地面に描く。どうも力魔法が苦手なミレーナは本格的な力魔法を運用する場合、陣を書く必要性があるらしい。俺の身体を這いまわる文字列もその陣の役目をしているようだ。
陣から紫の空間がせり上がる。相変わらず気持ち悪い。そのまま紫の魔法は森に向けて一直線で進み始め、周囲の木々や苔を全て平等に消し飛ばし、霧散していった。
「あの…」
「なんだ?」
「森を破壊しても、良いんですか…?」
「ああ、帰る頃にはまた戻っているさ。ここの植物は特別でな。っと、動くなよ」
ミレーナが俺の胸元に手を当てる。ヒッと小さく悲鳴を上げ、少し震えかけるが、いつまでも怯え続けるわけには行かない。ぎゅっと両手を握りしめ、恐怖に耐える。自分の鼓動がうるさいくらいだ。
「よし、これでよい。前も言ったがこの森は危険だ。一歩踏み込めば魔力が暴走する。お前も魂は淀みがなくとも肉体は魔法で動いている。適切な処置を行わなければ…な」
「あ、ありがとうございます…」
な、なんだ。それならそうと言って欲しい。こちとら毎度胸元に触れられる度になにかされるのかと身構えてしまうじゃないか…。今のところミレーナは上機嫌。アレの心配はいらなさそうだ。
ミレーナと共に森を歩く、この前は生き延びることに必死でまともに観察できなかったが、凄まじい大樹海だ。そこらに生える植物も日本のそれとはわけが違う。キノコなのか植物なのかわからない歪なものが至る所に生えていた。それでもやはり動物は全くいない。ミレーナの言ったとおり、魔力を持つ生き物はこの森で暮らせないようだ。
「アイラ、見えてきたぞ」
太陽が直上にあがる頃、漸くその時が訪れた。視界が急に開け、美しい草原と青空が広がる。髪を撫でる爽やかな風が心地よい。随分と大きな鳥が草原を駆けまわり、空にはコウモリのような、ムササビのようなよくわからない哺乳類が飛んでいる。なんとなくどれも違う。日本とは…間違いなく地球の光景ではない。異世界なのだ。
ちょっとした世界観紹介
国名 バライソ
首都 アーキホール
人口 323万
土地面積 35,640 km²
政治体制 立憲君主制
特徴 魔法使いの国とも言われる魔導国家。大陸南東に位置している。国民の2割が魔法を扱えるという魔法に特化した国で、魔法が技術体系の一つとして成り立っている。貴族階級は存在するものの、大陸北西に位置する商業国家ラチューン同様実力主義な一面がある。