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第二十話 「アイラ」

 「悪いね、待たせたよ」


 翌朝、朝食がとり終わった頃合いに、マドリーが訪れた。


 「アイラ、気をつけて」

 「大丈夫」


 昨夜は別の部屋をとってくれたユーリの好意に甘えて、久しぶりに一人で夜を過ごした。重要な時間の幾つかは、想像以上の絶品だったバライソの様々なスイーツの味と、それに負けないくらい甘々だったユーリの行動を反芻して、もんもんとするだけでその時間の半分が終わってしまった。


 決めなきゃ。マスターと会って…話すこと。ユーリが教えてくれた、クルスクルックの深い意味。私が、何を求めるかを。





 「この時期が一番寂しいねぇ。そこら中に呆けてる連中がいるだろう。皆どれだけ建国祭の間に浪費したかを後悔しているのさ」


 建国祭の後は、想像以上に閑散としていた。まだ片付けも始まっていない。至る所に祭りの名残が残り、それが寂しさを膨らませる。


 「マドリー様」

 「なんだいダッタリエ」


 魔女協会で会った魔女がいた。どうやらマドリー様を待っていたらしい。


 「どうしてミレーナの罪を問わないのですか」

 「何度も言っているだろう。証拠不十分だよ。調査が入るまでは軟禁止まりさ」

 「ですがっ!」

 「くどいよダッタリエ、気持ちは分からないでもないけどね。安心をし、悪いようにはならんさ」


 マドリーは優しくダッタリエを諭した。この人はマスターと険悪な仲だった、と思う。そんな人と会話できるマドリー様は、旗から見ると、確かにマスターのことなんてまるで考えてないようにも見えなくもない。


 「わかりましたわ…」


 ダッタリエはしぶしぶと、でも嬉しそうに立ち去った。マドリーが持つ求心力は大したものらしい。


 「全く、あの子は考えがちと古くて困る」

 「あの、ここは…?」


 マドリーが進む先は、先ほどダッタリエが待っていた直ぐ側の民家、それもかなり小さな石造りの家だった。


 「私の家さね。ボロくて驚いたかい?」

 「え、いや、その」


 マドリーの家…想像していたものは宮殿みたいな大きさの豪邸だったから、確かにびっくりした。なんだろう。倹約家なのかな。国家魔導師がどれほど偉いかはわからないけれど、それにしたって小さすぎる。


 「随分と素直に顔に出るもんだねぇ。将来苦労するよ」

 「そういう性分なんです…」


 むっ。そんなことを魔導人形になってから言われたのは初めてだった。流石伊達に長生きしてない…ちょっと失礼かな。


 「ほれ、ここは外装だけなんだよ。中身は殆ど地下さね」


 家の中は本当に普通の家で、あれ?と不思議に思っていると、マドリーがなにかしら唱え壁に階段が現れた。すごい。ファンタジーゲームの隠し部屋だ。


 「ひひっ、趣味さ趣味。隠れ家みたいな場所を作るのが私の数少ない楽しみさね」

 「それじゃあのツリーハウスも…?」

 「ああそうさ、元々は私の避暑地だったんだよ」






 「マドリー様」

 「なんだい」


 長い階段を降りる。とても深くて暗い階段だ。階段に入っただけで、かなり寒くなった。


 「マスターの御母様はどうして魔導人形をつくろうとしたのですか」

 「さぁね。本当の理由なんてのは本人がいない今じゃわかりっこしないよ」


 確かにそうかもしれない。まだ数十年しか生きていない身だけれど、世の中真実なんてわかるものじゃない。納得できる答えを見つけるしかないのが現実…そう思っている。


 「ただ、病もあって、あの子は一度流産を経験しているんだよ。それが影響してないとは言えないだろうね」


 流産…。自身のお腹にいる子供が死んでしまう。想像すらしたくない。この身が本当に女で、そんな状況になれば…。やめよう。考えたくもない。


 「あの子は秀才だったから、それこそ娘の魂だけをなんとか保存していたんじゃないか…その入れ物を作っていたんじゃないか…。ひっひ、婆の世迷い言さ」


 もしそうなら、私がこの魔導人形に入ったのかが分からない。御母様の望みを叶えるためには、私は異物でしか無い筈なのに。


 「なぜマスターはあのツリーハウスに…?」

 「何度もミレーナは法に触れるような悪行を行ってきてねぇ。流石の私でも庇いきれなくなってしまったんだよ。それで、打開策としての流刑だったわけさ」

 「流刑…ですか」

 「まぁ、ミレーナは一ヶ月も経たずしてあの場所を容易に通れるようになっていたんだけどねぇ。それで今度はあの場所がほしいだなんて言い出す始末さ。街にいるよりもミレーナのためになるかと思ってあげたんだけど、全く末恐ろしい子だよ」


 やっぱりマスターはずっとその場所に住んでいたのか…。でも、マスターがマドリーを信頼していない。どうして、こんなにもすれ違ってしまったんだろう。それに、父親が全く出てこない。父親が上手く緩衝材になれば、マスターも普通の子でいられたかもしれないのに。


 「あの、お父様は…」

 「ああ、あの子の父親…つまり私の息子は領地を持っていてねぇ…魔女協会と貴族の関わりもあって、ちょっとややこしいんだよ」

 「それが…マスターの御母様が協会で卑しまれた理由ですか?」

 「そうかい。そこまで話したのかい」


 階段に響く音がひとつ、止まった。慌てて私も歩みを止める。


 「確かにそのせいでビタはよく不当な扱いを受けたよ。しかし、あの子は強い子だった。私が助けようとしても、頑として受け付けなかったくらいさ。ただ、運悪く、病に侵されちまった…それだけさ」


 階段の後ろからは、マドリーの表情を伺えなかった。





 「ミレーナ、入るよ」


 返事はない。コンコンと叩いたノックが虚しい。それでもマドリーは構わず押し入った。鍵はかかっていないようだ。


 「あ…アイ、ラ?」


 マスターがいた。たった一日でここまで窶れてしまうのか、多分あれから水浴びも着替えも、もしかしたら寝てすらいないのかもしれない。顔は疲労感に満ち、しっかりと隈が見える。こんなマスターは見たくない。


 少し呆けた後、マスターは自嘲気味に笑って、俯いた。


 「くっく、私の醜態を笑いに来たのか、元マスターの惨めな姿を」


 マスターは今にも消えそうだった。マドリーが心配し、手元に置いておいたのもよくわかる。マスターは軽く錯乱しているのかもしれない。


 「これが貴方のやり方なんですね、御祖母様」

 「違います!私が、私がマスターに会いたかったんです」


 伝えなきゃいけない。聞かなきゃいけない。私の中で、こんな悪魔は見捨ててさっさとユーリについてしまえと囁く声がする。でも、違う。こんな終わりを私は望んでいない。まだ、マスターのことを全然知らない。


 「いろいろ考えたんです。マスターのこと、過去の私のこと、未来の私のこと。でもやっぱりわからないことだらけで、会ってみなきゃって…マスターから直接聞かなきゃって…」


 深呼吸を重ねる。逃げちゃいけない。マスターのためにも、私のためにも。


 「マスター…何故私を作ったのですか」

 「お母様の研究だったからだ。お母様が別の魔法を研究していたら、お前を素材に魔導人形など作りもしなかっただろう」


 マスターは興味なさげに、目も合わせずにそう零した。胸が苦しくなる。


 「っ…でしたら、どうして私に寝るためや、泣くための機能をつけてくださったのですか」

 「忠誠心を高めるため、そうしたほうが都合が良いと思ったからだ」

 「何故、建国祭に連れて行ってくださったのですか…どうして、あんなに優しく…」


 問いかけは、いつの間にか嗚咽に染まっていた。


 「あんなものは暇つぶしだ。私が離れる間に、逃げられてしまったら困るからな…」


 嘘だ。マスターの人ごみ嫌いを知らないと思っているのだろうか。少ない期間であったけれど、私はマスターと時間を共にしてきた。最初は恐れから、次第に興味へ、最後は…。


 「マスター、前に聞きそびれたことがありました」


 「どうして私を少女の姿で作ったのですか」


 私の中で、一つ答えがあった。自惚れかもしれない。驕っているのかもしれない。でも、考えられる可能性の一つ。


 「魔導人形とはそもそも貴族のご令嬢に与える玩具でもあり、侍女だ。少女の姿が多いのも当然だろう。それだけだ」

 「それでは、何故…何故アイラと、愛しい娘と名づけたのですか…」


 そう、ユーリが教えてくれた。


 「そのクルスクルックはお祝いごととかにもよく使われるんだ。好きな人に送ることも多いけど、本来は自分の娘に愛しているよって伝えるもの、旧言語バレ・ニヒタ・アイラ。とても、大切な、愛しい私の娘。そういう意味なんだ。今じゃ娘の部分が抜けて表現されることも多いけどね」



 少女の姿で、愛しい娘。クルスクルックの石言葉。ユーリから教わった旧言語のアイラは、どうでもいい玩具や、興味のないものにつける名前じゃない。


 「………御母様の無念を叶えてやりたかっただけだ」

 「嘘です!私は全く関係のない魂なんですよ!本当に御母様のことだけを考えていたのなら、私の意思なんて最初から消して、絶対に逆らわないようにしてしまえば良かったのに!」

 「わかりきったように言うな!お前に私の何がわかる!?」

 「わかりませんよ!マスターはいつも何を考えてるんだろうって、ずっとわかりませんでした!」


 そうだ。全然分からない。文化も違う。元々の性別だって違う。人種も当然違う。そもそも世界も別だ。でも、知りたいんだ。


 「…何故、一度捨てた私を…もうマスターの望みを叶えられなくなった私を求めたのですか…」


 明らかな戸惑いを見せるマスター。やっぱりマスターは嘘つきだ。言ってくれなきゃ分からない。マスターの本心を、聞きたい。


 「そ、それは…」

 「教えてください…マスターの本当の気持ちを。じゃないと…私…」






 「私が御母様の研究を継ごうと思ったのは漸く年齢が十に届く頃合いだった。」


 それから五分は経った。黙りこくったマスターを待ち続け、もう駄目かと思った時、擦り切れそうなほど小さな声で、マスターは喋り始めた。いつの間にか、マドリーは部屋にいなかった。


 「私は、むしろそれまで私を置き去りに亡くなったお母様に対して、理屈のないえらく無責任な怒りを持っていた。愚かなことだったがな」


 「それが変わったのは、魔女協会の連中が私に向ける敵意に気付いた時だった。奴らは恐れていたのだ。自らが追いやった女の娘が復讐しようとすることを」


 マスターの声は次第に大きくなる。感情のうねりが見えるかのようだった。


 「私は決めた。奴らを必ずや這いつくばらせみると。思えば、それはお母様に対する親愛というよりも、自分自身の復讐だったかもしれん…」


 「私は御母様の研究と、魔女協会の連中を調べに調べた。そして知ったのだ。御母様の研究が不完全であること…魔城協会と御母様の間に何があったかをな」


 「御母様と協会の諍いの原因は…父だった。父はこの国でも有数の大貴族…、そして魔導師マドリーの一人息子だった。対して、御母様は無名だった。嫉妬だったのだよ。若い魔女を主として」


 「結局、御祖母様はそれを止められなかった。御母様はやつれ、病によって腹の子を失い、そして壊れてしまった」


 マドリーと言っている場所が違う。どちらが正しいかは分からない。でも、流産したことは事実、それを知って黙っていられるマスターじゃない。


 「怒りが湧いた。私の全てを奪った奴らに報復を、そしてそれが私の全てになった。ただひたすらに奴らへの復讐を考え生きた」


 やっぱり、マスターは独りだった。物心ついてからずっと独り。まともに関わった人は、幼少の頃の御母様と、信頼出来ないマドリーだけ。


 「だが、どれもすんでのところで御祖母様に阻止された。御祖母様の気持ちも分からないでもなかったが、それ以上に私は奴らを狂わせたかった…。表舞台で奴らを突き落とすには…それが御母様の研究へと繋がった」


 「しかし、全く上手く行かなかった。根本的に魂を…しかも無機物に入れ込むことすら難しい。ましてやそれを定着させ、意思を持たせるなど幾年かかろうと不可能だと思われた」


 「そこで現れたのがお前だった。歓喜したよ。これが思し召しというやつかと本気で思うほどにはな。そして実験は成功した。動き出し、もの喋るお前を見て…言いようもない喜びだった…」


 「お前の意思を残したのも本当に気まぐれで…多分、私はもう御母様の願いを叶えることなんてどうでも良かったんだ。………そうか、だから私は自分の興味を優先したのか…」


 「アイラと名づけた。だが、元々は別の名前があった。御母様が妹に授けようとしていた名だ。私は、やはり無意識に自分を優先した。何年もかけて作り上げた我が娘…アイラと」


 「くくっ、そうだ。私は御母様のために何かをしていたわけじゃなかった…。自分のためだけに、全て行っていたのだ。なんて、欲深い…」


 ようやく、ようやく聞けた。マスターの本心、その片鱗を。私も素直になろう。素直になりたい。過去がどうとかじゃない。今自分の思うものを、そのあまま。


 「マスターが、自分の意思だけで私のことをそんなふうに思ってくれた…。それを聞いて、むしろ嬉しく思ってしまった私も、欲深いかもしれません。マスターと同じですね」

 「私を、こんな私を好いてくれるのか…?お前から自由を、過去を奪った私を」

 「なんだか、マスターらしくないです。それに、最初の頃以外はそこまで束縛もされてませんでした。過去のことは確かに拭えません。でも、過去に捕らわれて、今を蔑ろにしたくありません。だから、もういいです」


 「アイラ…お前は、良い子だった。如何せん常識もなく、呆けたところもあったが、私の予想に反してよく出来た娘だった。最初は只の道具としか認識していなかったが、たまには褒美の一つもやろうだとか、気分転換に祭りに連れてってやろうだとか…、そう思い始めた」


 「お前を追い出した時、私は初めて孤独を知ったよ。お前がいなくなって初めて自分が孤独であったことを自覚したんだ」

 「マスター、私はマスターの本心を聞いても、やっぱり嫌いにはなれません。だから孤独なんかじゃないです。だって、私はマスターの味方で…娘…なんですから」


 自分よりも年下の子に娘と言うのは変な話で、しかも性別すらチグハグだけれど、でもこの歪な関係こそが、私とマスターの絆なのかもしれない。


 「私は、私を知らなすぎた。私は御母様の名誉を回復させたかったんじゃない。復讐も、所詮只の直情的反感だった。お前がいなくなって、どうでも良くなってしまった。その程度のことだったんだ」




 「私は…私は、家族が欲しかった。孤独がいやだったんだ…」



ミレーナ回でした。

ひとり語りが多くてちょっと読みにくいかもしれません。


話数も多くなってきたので辻褄があっているかどうか不安です。

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