第一話 「ミレーナ・グレッヘン」
正直やりすぎかもと心配しています。ミレーナ…おそろしい子!
ゆっくりと腕を動かす。鏡の少女も同じように腕をあげる。間違いない、この少女は俺自身だ。この小さな女の子が大学生であった俺なのだ。可憐な少女…。今にも光を失ってしまいそうな人形…そんな少女だ。
「理解したか?お前は変わったのだ」
「お…私に、何をした…んですか」
「ふっ、くっくっく。よくぞ聞いてくれた」
ミレーナは俺の回答に満足したのか、機嫌よく答えると俺の胸元をがばりと開いた。…心臓だ。そこには女性らしい胸だとかではなく、機械仕掛の心臓があった。
ドクン、ドクン。それが普通の人間であるはずなのに、その心臓はカチカチと無機質な音を奏で続ける。人間では絶対に起こり得ない状況だ。
「美しかろう。これが今のお前の姿、魔導人形アイラだ」
「あ、ぁ………」
俺はどうなってしまったんだ。そもそも俺は生きているのか?魔導人形とは何なんだ?ぐるぐると疑問がから回る。もう自分一人では決してほどけないほどの混乱だった。
「ぉ、私は…死んだの?」
「アイラになる前の愚かな男は死んだと言えるな。まぁこうならなくとも我が領土に踏み込んだお前に未来など無かったが、あぁ、なんと私は慈悲深い」
ミレーナは演技かかったわざとらしい仕草で額に腕を当てると、言葉を紡ぎながらやれやれと首を振る。また俺の中で怒りが湧いてくる。何が慈悲深いだ!一体お前は何様だ!俺を元に戻せ!俺の家に返せ!
「ああそうだ、失念していたな。”此処を訪れた理由を話せ“」
「はい、マスター。私は自宅に変える途中、突如見知らぬ森に転移しました。そして森からの脱出を図る最中、この地に偶然訪れたのです」
感情などまるでないかのように流暢な解説が俺の口からこぼれだす。口を閉じようにも、意識に反してひたすら口は動き、口を塞ごうにも腕は全く動く気配すらなかった。身体の何かもが彼女の命令に従っているのだろうか。
「なるほど。本当に無実だったとはな。面白いやつだ」
「なら…元に戻してく…ださい」
「駄目だ。それに既にお前の元の肉体は分離器にかけられてしまってな。残念ながら元に戻ることは叶わん」
信じたくもないレーナの言葉に、音にならないほど掠れた声で「え?」と洩らした。元に戻れない?一生このままなのか?この少女の姿で過ごす?彼女の言いなりで、下僕のように扱われて…。
「どうして私だったんですか…」
「お前は実験体として極めて適切だったのだよ。この世に存在しないとも言われていた純粋な魂。魔力を一切含まない魂を持っていたのだ。ああ、そこらの知識もないのか。これはこれは別世界からの転移という可能性も出てきたな。過去にないわけではないが肉体を持ってこちらに来た例は初めてかもしれんな。まぁ至極どうでも良い」
別世界からの転移…、突如として現れた森…、訳の分からない魔女みたいな女…、謎の衝撃派…、そしてこの俺の状況…。まさか本当に異世界に!?考えを巡らせ、今の状況をなんとか判断しようとするが、異世界だなんて想像もしていなかった。
「良いかアイラ。この世の生き物は何であれ魔力を持っている。それは肉体だけではない。魂にもだ。私は意思を持ち自ら考えて動く魔導人形を探求していたのだがこれが難しかった。魂を保持するためには魔法に頼るしか無かったが、その魔法式を魂に打ち込むことが出来なかったのだ。なぜなら違う魔力は反発する。固定式の魔力と魂の魔力が相反するのだ。ああそこで凡百どもは魂以外に式を書き込めというかも知れないが、魔法を常に作動するには術師が…ひいては術師の魂が必要なのだ。それが一般的な魔法ということだ。まぁ可能性としては私自身が人造人形となる線もあったわけだが…」
「え、えっと…?」
何処かに火が着いたのか、ミレーナはこれまでになく饒舌に己の研究成果を長々と喋り始めた。正直魔法に関して無学の俺には何を言ってるのかさっぱりだ。しかし本人は気が狂ったのかのように語り続け、口を挟むことすら出来ない。
「…つまりだ。何者の魔力にも染まっていない無色の魂が必要だったのだ。それがお前だ、アイラ」
ミレーナはねっとりと俺の動力部を指でなぞる。何処か淫靡な雰囲気すら感じる彼女は正しくマッドサイエンティストといった様子だった。
「お前の元の身体は全く以て見ていられないものだったが、魂は本物の純白だった。余りの美しさに驚いたぞ。まさかそんな魂が天然であるとは思わなかったからな。魔力すら待たない理想の魂…そして私が作り上げた最高のボディ。これぞ芸術品と呼ばずしてなんとする!ああ、よく見ろこの姿を!」
「うっ」
再びミレーナは俺の両肩を掴むと恍惚を浮かべ、俺を鏡にぐいと近づける。確かになんというか可愛いを通り越して美しいってくらいの造形美かもしれない。それでも、これが俺の今の姿なのだというフィルターを通して見れば、訳の分からないおぞましさがそこにはあった。
もう俺は俺じゃない。魔導人形アイラ、それが俺の…。
「さて、では全身の定着が済むまで時間を置くとしよう。戦闘実験はまだムリだろうからな。くくっ、シワだけを無駄に重ねたバライソの古臭い腐敗物共めが私に頭を垂れる姿が楽しみで楽しみで…」
俺とは打って変わって上機嫌なミレーナはそう呟くと、軽く手を俺の胸元にかざし、同時に俺の意識は急に深い水底に沈んでいった。
「気分はどうだ?アイラ」
「…最悪です」
あれから何時間経っただろう。さっきの場所じゃない。俺が目を覚ました場所は周囲に大量の薬品だとか、妙な生き物の瓶詰めだとかが並ぶ魔女らしい部屋だった。正直言って気持ち悪い。鼻に強烈な薬品臭が襲いかかる。
「何が最悪なのだ?詳しく状況を説明しろ」
ミレーナの質問に対して、なんとなく俺は黙った。ミレーナの意図もよくわからなかったし、なにより少しでも彼女に逆らいたかった。お前の思い通りにはならないぞと。俺は人形ではなく人間なんだぞ…と。
「ふん。”アイラに起きている異常を説明しろ“」
「はい、マスター。現在嗅覚が異臭を強く感じています。また視界に映る見慣れない素材に不快感を示しています」
「なんだそんなことか。いらん手間をかけさせるな」
くそったれめ…。せめてこの強制命令だけでもなんとかしたい。一つ、また一つと命令に従う度に、人間として重要なものが剥がれ落ちているような感覚になる…。
「さてと…ではまず記憶力テストだな。間違いがあっては困る。悪いが…”結果を全て正確に答えろ”」
記憶力、視力、聴力、触覚、嗅覚、動体視力、各関節可動域、精密度…その他諸々を俺は受け続けた。結果、俺の持つ力は元の姿だった頃を遥かに凌駕するとなっていた。特に精密度に関してはとんでもなものだった。今ならどれほど長い直線であっても全くぶれずに書き続けられるかもしれない。
「かねがね様予想通りの結果となったな。うむ、見事だ」
ミレーナは一人でに頷きながら結果を眺めた。俺はと言えば、その間ひたすらにこの能力達を活かしてここから出られないかを模索していた。
こんな狂った魔女にこき使われるなんてまっぴらゴメンだ。この世界が異世界だというのなら、元の体に戻る方法だってきっとある。どちらにしろ此処を離れることが先決だ。といってもまだミレーネは俺に付きっきりなのが現状だ。ミレーナが…例えば就寝中がベストだろう。その間に俺の意識が存在していれば…の話だが。
「さて次は戦闘実験だな。付いて来い」
ミレーナは机から立ち上がり、部屋を出る。でも俺は小さな闘士を燃やし続け、少しでも反抗してやろうと、ミレーナにとって都合の悪いように行動してやる…と、そこから全く動こうとしなかった。
幼い子供が親に反抗しているみたいだ。でも、それでも俺は自分の意思で行動したかった。
「ああ、気にしていなかったがそういえばお前は異界から来た人間だったか?どちらにせよ教養のない者はこれだから困る。中身のある魂である必要があったとはいえ面倒だな…。仕方がない。お前を傷つけるのは不本意だがこれも教育だ」
何時の間にかミレーネの後ろにいた。そしてそのまましなだれかかるように俺を抱きしめる。その声色は先ほどまでのそれに比べて低く、俺は直ぐ横のミレーナの顔を直視することが出来なかった。
「さて、これは罰だ。アイラ」
「えっ――――――ァガッ!?」
心臓が破裂した。いや、それは余りの痛みと衝撃に俺が抱いた妄想…そう感じてしまうほどの激痛だった。最早悲鳴すら出ない痛みに全身が痙攣し、世界が真っ白に染まる。
「たっ!助け………ッ!」
「良いかアイラ。お前は名実ともに私の作品であり、私がお前の母なのだ。過去は既に取り戻せない。忘れるがいい。そうすれば、楽になれる。こんな苦しみを味わうこともない。そうだろう?忘れるんだ。私はお前を許そう」
耳元でミレーナが何かを囁く。でも俺の耳にはそんなものまるで届かない。苦しい!苦しい!助けてくれ!なんでもいい!恥もへったくれもあるものか!助けてくれ!もうやめてくれ!やめてくれ―――
痛みが急速に収まった。真っ白だ。何も見えない…。何も感じない…。俺はどうしてしまったのか…。もう死んでしまったんじゃないだろうか…。
「アイラ。私のアイラ。何か言うべきことがある、そうだろう?」
それでもミレーナの声だけはっきりと聞こえた。脳に直接叩きこまれたかのように、ミレーナの声だけが響き渡る。言わなきゃ…謝らなきゃ…あの痛みはもう嫌だ!
「ご……ごめんな…さい、ごめんなさい…」
「ふふっ、良い子だ」
掠れる意識の中、俺は壊れた機械のようにその言葉だけを唱え続けた。




