第十話 「りんご飴」
少し投稿期間が空いてしまいました。
天井がぼんやりと見えた。木製の天井だ。珍しい。ぐねぐねとねじ曲がった木目の天井板だ。ちょっと自分の攻撃魔法に近い。あれもこんな感じでウニョウニョして…。
「マスターっ!?」
俺はベットから跳ね起きた。そうだ。あれから俺はどうなったのか。マスターに抱えられてからは覚えていない。マスターは無事だろうか。
ここは、宿…だと思う。マスターはどこだ?どうしていない?マスターが起動しなければ俺は起きることも出来ない筈なのに。俺が起きる事はマスターが起こしてくれたということに直結する筈だ。
「なんだ…騒々しい」
いつもの面倒くさそうな、あの声が聞こえた。気付けば、自分が眠っていただろうもの以外にもベットがもうひとつ。そこで下着姿のマスターが眠たそうに目を擦りながら大あくびをしていた。
「そうか…。ようやっと目覚めてくれたか」
「マスター!申し訳ありませんでしたっ!」
男であった頃なら確実に凝視していただろうその艶麗な肢体に釘付けに目もくれず、俺は従者だというのに意識を失ったという失態を恥じた。あれからどれだけの時間が経ったかはわからない。でも、マスターはずっと俺を運んできたのだろう。それがどれほどの手間であったかは想像に難くない。
マスターは必ずやお怒りになるだろう。それでも今回は間違いなく自分の精神的脆弱さが原因…当然マスターはそうして然るべきだ。しかしマスターはそのまま俺に優しく微笑みながら、只こちらを眺めるだけだった。
「あの…マスター」
「良い。許す」
マスターはそれだけで十分とばかりに、ベットから出ると、俺の頭を一撫でした。マスターのそれは壊れ物を扱うかのように丁寧で、俺はなんだか嬉しくなってしまった。見捨てられてなんかいない。むしろ今までで一番優しい朝だった。
「初めての目覚めはどうだ?問題ないか?」
はてと首を一度かしげて、漸く何故俺が独りでに目覚めたのかを理解した。俺が意識を失っている間に、マスターは俺が自律的に就床と起床を出来るようにしていてくれたらしい。迷惑をかけたというのに、更に俺の下らない自己満足のための欲求すら叶えてくれていた。
「本当に、本当にありがとうございます…」
快晴の下、街の賑わいは前の街の勢いを越え、活気が文字通り溢れ返っていた。ここは首都アーキホールの最西端、オマダの街だ。俺が気を失ってから三日も経ったことになる。マスターには頭が上がらない。もうオマダでは露店だけでなく、屋台や大仰な山車まで見える。男は昼間から酒を煽り、女は綺羅びやかな装飾に身を包む。端っこでこれならば首都の中心はいったいどうなっているんだろう。
「どれ、何か食いたいものあるか」
マスターは俺の手を握り、まるで母親のように語りかける。勿論魔導人形である俺に食事は必要ない。完全に無駄な出費。それでもマスターは折角だからと、苦手な人混みに入り込んでまで何か買ってやりたいと言ったのだ。正直言って優しすぎる。違和感を覚えるほど優しい。それでもマスターが優しくなる分には俺としてもありがたい。俺は時とともに、少しずつではあるが、最早親しみ以上のものをマスターに感じていた。
「そんな…私に食事なんて…」
「私が買ってやりたいのだ。気にするな」
どうしよう。素直に要求しても今のマスターならば大丈夫という確証はある。小さな果実をふんだんに含んだパイや、豪快な肉料理が俺を誘う。首都に近づいてきたからか、食事の質も幾らか上がってきたらしい。しかし、だからといってマスターに出費を重ねさせてしまうのは気が引ける。俺の睡眠を実現させるためにもマスターはわざわざポケットマネーを出してくれたのだ。お礼をしたいのはむしろ此方なのに。
「あ、それでしたら…」
偶然見かけたペンダント。翠に輝く荒削りの石のペンダントが目に止まった。見る人が見れば、なんだこの小汚いものは、なんて言葉も出るかもしれない。原石を加工せずにそのまま使ったかのような安物だけど、余りそういう光物に対して知識が毛頭ない俺にとっては、とても素朴な美しさがあるように思えたんだ。
「なんだ?アクセサリーでも欲しいのか?」
そう語りかけるマスターは余り貴金属というか、そういうものを付けない。なんでも伝統らしいローブを身に纏い、町中ではそれこそ深々とフードを被っている。マスターも女だ。世界観のせいかもしれないが、非情にもったいない。それこそ上手く着飾れば傾国の美女も夢じゃない。
「マスターにお似合いかと思いまして…」
俺はそのペンダントを手にすると、両手で広げ、おずおずとマスターに見せた。マスターはきょとんとして、しばらくして恥ずかしげに「いらんいらん」と唱えたのだった。頬を朱に染めるその姿はとても新鮮で、可愛らしかった。
「まぁ好意だけ受け取ろう。アイラ、ありがとう」
ああ、今日のマスターはどうしてしまったんだろう。まさか「ありがとう」なんて言葉がマスターの口から、それも俺に向かって溢れるなんて一度足りとも考えたことはなかった。もしかしたら初めてであった時は森の瘴気に侵されていて、これが本来のマスターの姿…なんて妄想がいよいよ現実味を帯びてきた気がしなくもない。兎に角、マスターの態度が百八十度変わりつつあるのは間違いなかった。何がマスターをここまで穏やかにしたんだろう。
「しかし…そうだな。アイラ、服でも買おうか」
「服…ですか?」
突然何かひらめいたのか、マスターはふむと一人頷くと唐突にそう言った。俺の衣装は相も変わらずメイド服だ。魔導人形は汗もかかないし、基本的に洗う必要性がない。素材のせいかわからないがシワも殆ど出来ないのだ。でも俺が気を失っている間に一度洗っていたのかもしれない。あの時俺は地面に一度倒れかけていたから、土汚れがあっていいはずである。
「ずっとそれでは気が滅入るだろう。私はちと理由があってこの姿だが…。お前の場合特に制限は無いからな」
「そんなことは…」
「ならば私の我が儘だと思ってくれ」
強引に、でも倒れこまない程度に、マスターは俺を引いて、近場に見えた小さな婦人服小売店へと進んでいった。
「昨今ではこのようなものが流行っているのか…。面妖だな。だが…うむ。なかなかに可愛らしい」
「マスター…これは流石に恥ずかしいです…っ」
恥ずかしい…。猛烈に恥ずかしい…。マスターが優しいからと気抜けて、何時の間にかあれよあれよと正しく着せ替え人形にされていた。俺の目の前…等身大の鏡の前では、もう数センチで下着が見えるだろう程度しか丈のないフレアスカートにフリルブラウス、そして胸元を強調するコルセットベストで身を包んだ女の子がいた。黒のコルセットベストと美しい白髪のコントラストが…いやいや何じっくり見てるんだ俺は…。
「くっくっく。まぁアイラの恥ずかしがる姿が見れただけでもよしとしよう」
「うぅ…」
確かに似合っている気がする。似合ってるけど、元男としては情けないことこの上ない。勿論マスターは元男だなんてことは微塵も気にしていないし、きっとそれを含めてアイラという存在を認めてくれている。きっと俺が喜んでこの服装をしたところでマスターは何も咎めないだろう…でも、やっぱり恥ずかしい物は恥ずかしいのだ。
「とてもお似合いですよ。サイズも丁度良いかと」
「よし、店主よ。この一式貰おうか」
「ええっ!?本当に買うんですか?」
なんてこった…。これからずっとこの姿なのか?この姿で魔女の集会とやらで紹介されてしまうなんて…。流石に勘弁してくれ!きっと見事なカラードレスの王都貴族魔女とかがいて「まるで着こなしがなっていませんわね」とか言われるんだ!
「お買い上げありがとうございました」
「アイラ、何を悶ておる。行くぞ」
あわわ!?え?まさかこの姿のまま外を出歩く?嘘だろ?待って!ああでもマスターに逆らう訳にはいかないし…ヒーッ!?
「これは北東の山脈で取れる甘味でな。例年こうして売られておるのだ」
「あ…、甘くて美味しいです」
幼い子どものようにペロペロと棒菓子を舐める。りんご飴みたいなお菓子だ。りんご飴みたいと言っても果物じゃなく、紅い砂糖の塊のようなものが付いている。正しい表現かどうかは不安だけど、岩塩に近い糖分みたいな印象だ。砂糖と違って爽やかで鼻に来る甘さがある。うん、本当に美味しい。
因みに服装は結局購入したものを着たままである。最初はマスターのローブにしがみつくように動いていたけれど、俺はもう覚悟を決めた。なにせ今の姿は美少女といって相違ない。ならば何を恥ずかしがる必要がある!堂々と歩くのだ!
「うむ。よく似あっているぞ」
ぐはっ。マスターからの甘言に溶けてしまいそうになる。唯でさえ甘いお菓子を食べているのに、何だか全身脳みそまで甘々である。
「逸れんようにな」
「はっ、はい」
慌てて棒菓子を左手に持ち替え、マスターから差し伸べられた左手を握る。冷たい魔導人形の身体に、マスターの体温が伝わる。
もう夕刻だ。空が朱に染まる。
マスターと一緒に棒菓子の甘みを味わいながら、ゆっくりと露店を練り歩く。異国情緒溢れる石造りの街路に、衛生など知りもしないかのようにドンと肉が置かれる精肉店、若い女で群がる甘味露店、時折見える白い木造の山車。そのどれもが見覚えの無い光景なのに、何処か酷く懐かしかった。
「どうした?大丈夫か?」
歩みが遅れた俺を気遣って、マスターが振り返る。マスターの顔が、夕焼けの丁度影になって、ぼんやりと輪郭が崩れる。
ああ、そうか。お母さんだ。
昔、よく縁日でこうやって手を引っ張って、「何が食べたい?」なんて聞いてきて、俺は男ながらにりんご飴がすごい好きでさ。「それじゃあお母さんも食べちゃおうかしら」って言うんだ。
もう年もそんな若くないのにちょっとはしゃいで、よく転校して友達の出来なかった俺を楽しませようと、いっつも夏休みにはお母さんの実家近くの縁日に出かけてたんだ。
そんなお母さんと、マスターの姿が重なった
「泣いておるのか?」
右手で目元を探ると、確かに水の感触があった。いつの間に涙が流せるようになったんだろう。多分寝れるようにするついでにマスターが手を加えたのだろう。どんどん人間に近くなる。マスターは俺をどうしたいんだろう。
「お母さんを思い出しました」
俺は素直にそう言った。マスターに怒られるだとか、褒められるだとか、そんなものは何も考えず、自然と言葉が滑り出た。
「母…か」
「よくこうして…今のマスターのように、私の手を引いて…」
何馬鹿なことを言っているんだろう。マスターは複雑な表情で俺を見る。そりゃそうだ。原因不明の転移があったとは言え、俺から元の人間関係を奪ったのは…マスターなんだから。
「私も、御母様と建国祭に来たことがあった」
「マスターの…御母様?」
マスターが自身の家族関係について語るのは、これが初めてだった。
「御母様は優れた魔女だった。魂魔法において御母様の右を出るものはいなかった。嘗てはレムの名を襲名出来るのではなんて話もあったそうだ」
ぽつりぽつりと語りだす。
「しかし、御母様はそれを鼻にかけない素晴らしい方だった。人に頼らず、別け隔てなく接し、誰にでも手を伸ばす人だった」
次第に周囲の雑音は全て消え、マスターの言葉だけが鈴の音のように小さく響いた。
「そんな人であったから、次第に周囲は御母様をいいようにこき使った。まともな報酬を与えず、功績は全てむしり取られた。御母様は恨み事一つこぼさずこなしたらしいが、そのうち体のほうが持たなくなった」
マスターの顔が歪む。ああ、言わないでくれ。きっと今、マスターは自身のトラウマを語ってくれている。そんなことをわざわざ俺に言う必要はないのに。でも俺は好奇心に負け、只黙って聴き続けた。
「御母様は病に倒れた。幼いながら私にも御母様が危険な状況であることはよくわかった。わけも分からずクスリを探すために駆け回ったものだ」
「御母様はなんとか一命を取り留めた。だが…」
「流産だった」
耳を塞いでしまいたい。でも、右手をマスターが握っている。
「次女が産まれる筈だった。身体の中が蝕まれてしまってな。遂には子も産めなくなった。どうしようもなかった」
マスターの手から、深い後悔や悲しみ、そして激しい憎悪が伝わってくる。この憎悪は…誰に対してのものだろう。
「余程ショックだったのだろう。それからというもの、魔女として研究にのめり込むようになり、めったに人前に出なくなった」
「しかしある日の建国祭、突然御母様は私を伴って祭りへ出向いた。まるで憑き物が落ちたような綺麗な顔でな。病に倒れてからの二年間を取り返すかのようにずっと一緒に歩いたのだ。丁度、今の私達のように」
マスターの手が、俺の手をぎゅっと強く握った。
「それが御母様の最後だった」
ミレーナの態度が変わってきた理由なんかもそろそろ書きたいと思います。
次回は「ミレーナさん危機一髪」です。
06/17 21時8分 長男が産まれる筈だった→次女が産まれる筈だった
に修正しました。




