第一話 この残酷な現実世界から。
遅くなりましたが、ようやく開始。
通りなれた、いつもの通学路。
今年、小学五年になったばかりの少女、篠咲美弥は、そう評するのに何も違和感がない道を、隣でロボットアニメについて熱く語っている少年、戸神裕翔と共に小学校に向かって一緒に歩いていた。
「でさー! その時、マガジンガ―Wがさ―――「……ユウ君、さっきからうるさい」―――はい、すんません」
美弥はかれこれ十五分は連続で聞かされている裕翔流のロボット談義に飽きてしまったのか、少し不機嫌そうな雰囲気で裕翔を黙らせた。
そして、少しシュンとした裕翔を見て、彼はいつもこうだ、と美弥は心の中でため息を一つつく。
彼女の幼馴染である戸神裕翔と言う少年は、ロボットアニメが大好きだ。ついでに言うと、お面ライダーなどの特撮物も同様に。
それは昔から変わらぬ裕翔の趣味で、美弥は、裕翔がその趣味に目覚めた六年前から色々な形で裕翔のその趣味に付き合わされている。そして正直、ここ最近は美弥はこのことを少し鬱陶しく思っていた。
普通に考えれば、それは当たり前と言って差し支えないだろう。
美弥は大人しく、そのせいか、同年代の女子よりも雰囲気が大人びている少女だが、根本的な所は他の少女達と変わらない。
強いて変わっている所を挙げれば、幼馴染である裕翔を愛して(決して比喩では無い。ただ、裕翔が自分の趣味に関して話しているときは別)いる事と、口数が極端に少ない事(裕翔といる時は口数がものすごく多くなる)、食べ物の好き嫌いが多い事(裕翔手作りの料理なら好き嫌いは無い。何でも食える)ぐらいか。
それ以外は本当に普通の女子で、ファッションに気を遣い(裕翔好みの服を可愛く着こなす)、お菓子が大好きな(裕翔手作りのクッキーが特に好き)どこにでもいる女の子なのだ。
そんな普通の女の子に、男子のロマン、男子の情熱を理解しろという事の方が到底無理な話だ。
普通なら、今頃は、しつこいほど自分があまり好きでは無い事を語ってくる裕翔の事を嫌っていても何ら不思議では無い。
そう考えると、美弥は我慢強い方だと言えるのかもしれない。
―――だが、この時期の男子と言うのは一部を除いて人の心の中を理解するというのは本当に難解なミッションの一つだ。それは、美弥の幼馴染である裕翔にも当てはまる。
さて、嬉々として自分の大好きなロボットアニメについて語っていた裕翔。彼が「大好きなロボットアニメを幼馴染にも好きになってもらいたい!」という一心(本当にそうかは分からないが)で語っていた時、それをバッサリと「うるさい」の一言で切り捨てられてしまった場合、彼はどんな事を感じるだろうか。
裕翔の場合、それは「ちぇっ、つまんねーの」という物だった。
元来、男と言う生き物は本質的に自己中心的な事が多い。
それは、自然界では雄が群れの中での長であることが多いことに加え、より強い雄が自分の子孫を残すことが出来たという事が本質的な部分で現代の男野郎に受け継がれている事が大きくかかわっているのだが、まぁそれは今は関係ない。…というか、本当にそうなのかは分からない。
とりあえず、裕翔は嬉々として語っていた事を美弥にバッサリと切り捨てられ、「面白くない」と感じた。プクーッと頬を膨らませるおまけ付である。そのまま眠り歌を歌ってもおかしくない形相であった。
そして、美弥は自分の話を聞いてくれないと感じたのだろう。
裕翔は美弥の元を離れ、すぐ近くを歩いていた同学年の男子グループへと混ざっていく……ことは無く、一人ですっとこと先に学校の方へと走って行ってしまった。
おそらく、いつものように朝から図書室に入り浸るのだろう。
―――戸神裕翔には男友達と呼べるものが存在しない。
裕翔自身、別にコミュ障とか、顔が不細工と言うわけでは無い。むしろ、基本的には明るく、おもしろい性格をしているので、普通ならばクラスの中心的な存在になる少年だろう。
そんな彼をボッチにさせている原因が、皮肉な事に美弥だ。
美弥は超が付くほどの美少女である。
小学校に入ってから告白された回数などは、両手では数えきれないほどに。
綺麗なミディアムショートの黒髪。落ち着いた顔立ちは、知性的な印象を与えている。
そんな美少女が特定の異性に常にべったりでは、他の男子は当然おもしろくないだろう。
裕翔が他の男子から敬遠されるようになるのに、そんなに時間はかからなかった。
そして、美弥はその事に気が付いているからこそ、今も一人で行ってしまう裕翔の背中を追う事は出来ない。……美弥は裕翔と仲が良すぎた。普段の裕翔に対する周りの反応を見ている者なら容易にわかる。
――裕翔には、仲間は最早できない。
そしてそれは、美弥にも理解できた。
自分が傍にいなければ、裕翔は一人になってしまう。だが、自分が裕翔の傍にいれば、他の男子たちを裕翔からより遠ざけてしまう。
美弥はそんなジレンマを抱えていた。どちらを取っても、裕翔にとってはデメリットとなってしまうこのジレンマ。これを解決するには、周りも美弥自身もまだ幼すぎたのかもしれない。
「……私、どうしたらいいのかな…?」
悩ましげに、美弥は呟く。
裕翔とずっと仲良くしていたい。でも、状況がそれを許さない。
裕翔には、もっと周りと仲良くしてもらいたい。でも、そのために自分が彼の傍を離れるのは嫌だ。
ここ最近、美弥の頭の中はその事でいっぱいだった。
裕翔自身が自分がボッチだという事を気にしている様子は無い。
だが、裕翔の幼馴染で常に近くに一緒にいた美弥には分かる。裕翔は心の中で一人だという事を嘆いている事を。そして、それを隠して、抑えて、自分には明るく振る舞っているという事を。
「……はぁ……」
胸が切なくて痛い。
美弥は一つため息をついた。それは、さっき吐いたものとは違う意味のため息。
しかし、自分には立ち止まっている権利なんてない。美弥は、そう自分に気合を注入する。
そして、いつのまにかたどり着いていた小学校の門。
美弥はその門を潜ろうと、足を一歩踏み出した。
その時――「プツリ」と、美弥の中から全ての音が消えた。
「……っ?!」
聞こえない。
周りの友達の声も。風の吹く音も。学校のチャイムが鳴る音も。それどころか、自分の発する声さえも。
(な……何?)
美弥は焦ったように周りを見渡す。
だが、周りの子たちに特に変わったことが起こったような様子は無い。
すべての人が、風が、聞こえない音が、美弥を追い抜いて後ろから前へと流れていく。
美弥は、その流れの中に見知った顔を見つけた。同じクラスの女の子の一人で、美弥とは特に仲のいい女子友達の一人。
美弥は彼女を視界の中にとらえると、そちらへと向かう。
そして、彼女の真横まで移動して、美弥は彼女の肩を叩こうとした。
しかし―――
「……えっ?」
友達の右肩に触れようと上げた美弥の左手は、少女の肩に触れることなく、すり抜けてしまった。
咄嗟に自分の手を見る。
「……何? ……どうなってるの、これ……?」
その手は、まるで幽霊のそれのように、向こう側が透けて見えてしまっていた。
そして、それは左手だけの事では無い。今や、美弥の体は全体が透けてしまっていた。
自分の体に起こっている、異常では済ませることが出来ないような事態を理解し、美弥は普段は見せないような狼狽を露わにする。
「……いや……いやああああああああああああ!」
さらに、幸か――いや、不幸だろう。周りを流れていく人間たちは、尋常じゃない取り乱しを起こしている美弥に気が付いていないように美弥を素通りし、過ぎ去っていく。
世界に取り残されていく感覚。世界から孤立していく感覚。そして、世界からいなくなっていく感覚。
美弥はそんな奇妙な感覚を覚えながら―――
世界から光を伴って消滅した。