第九十三話「三方千両得」
第九十三話「三方千両得」
「久しいな、勘助、いや、勘内!」
「はい、黒瀬守様!」
同じ船でも五百石積みとなれば、近次郎の関船、鷹羽丸並にでかい。
水主衆に荷役を手伝うよう命じて、荷物持ちを伴った勘助を連れ、天守広間に戻る。
とりあえず、人事の相談事は、一時棚上げだ。
勘内の付けた屋号の黒松屋は、『黒』瀬の『松』浦から取ったようだが、俺の名がありがたがられるなど、少し前は考えもしなかった。
「まずは、こちらを納めさせて戴きたく。図書頭様ら、都の皆々様よりの、お預かり物でございます」
「便利遣いして悪かったな」
「いえ、貴重な経験をさせていただきました」
続きましてこちらをと、勘助の手がぱんぱんと鳴らされた。
上織りの大風呂敷で包まれた何かが、手代達によって恭しく運ばれてくる。
その風呂敷が取り払われると、鉄で補強された鍵付き、黒塗りの平たい木箱が現れた。
「何と!?」
「お、おおおおお!!」
ある意味、俺にも見慣れた箱である。
……テレビの時代劇限定だが。
「お預かりいたしました居食い猿虎の皮の売り上げ金、〆て一千両にございます」
勘助が懐から鍵を取り出し、千両箱の蓋を開ければ、二十五両の表書きがある包金――小判や分金などの金貨幣製造を司る金座で包まれたままの小判が四十包、整然と並んでいた。
思わず皆で顔を見合わせ、固唾を飲み込む。
「言葉通り、千両で売りきったんだな……。見事だ、勘内!」
「いえ、それが……あまり誇れる結果とは、なりませなんだ」
「ん?」
勘内は一つため息をつき、顛末を語った。
無事、都に上った勘内は、挨拶に伺った先、薄小路図書頭の知略にからめ取られ、まったく身動きのとれないまま皮の売り先まで決められてしまったという。
居食い猿虎の皮は、図書頭の口利きで中立派の嶺州と懇意にある公家の手を経て、帝に献上されたそうだ。
「我に返った時には、二千両を手にした図書頭様より、半金の千両を渡されておりました……」
如何に勘内が気鋭の切れ者とは言え、駆け出しの商人には荷が重い相手だろう。
……俺もある意味、からめ取られたままである。
その義父殿ら都のお歴々は、浮かせたその千両を黒瀬国に投じる手はずを整えているらしい。
近日中にまた、『椋鳥』を乗せた船がやってくるかもしれないと、身構えておくことにする。
「そのようなわけで、お約束の千両には違いないのですが……本来の二千両を持ち帰ることがかなわず、まだまだ己は己の分を知らぬと、わが身を省みておったところでございます」
「いや、勘内。よくやった」
「は!? ですが……」
本人は自分の不甲斐なさを恐縮しているようだが、そんなことはない。
ある意味、最高の結果だ。
「勘内からすれば、自らの仕切りでさえなく、結果も誇れない気分になるのかもしれないが……立ち位置を変えて考えて見ろ」
「はい?」
「まず、図書頭殿なら……義理の息子の紹介状を携えた商人をつついてみれば、労なく千両が『浮く』儲け話を得られたわけで損はない。これはいいか?」
「はっ……」
「次に俺だが、そんな儲け話を持ち込める『有力商人』を、世話になっている義父殿に紹介できたわけで、鼻が高い。しかも、千両箱に加えて、勘内は都からの支援を千両分、引き出したわけだ。つまり、二千両の益があったことになるな」
「は、はい……」
「とまあ、このように、勘内は見事にその大任を果たしたわけだ」
黒瀬に直接持ち込まれたのは千両だが、都の千両も加えて二千両、その全額が黒瀬の儲けになっている。
これも勘内が、期待以上の働きをしたおかげであり、なんとか報いてやりたいが……。
目の前の千両箱を、じっと眺める。
「よし勘内、褒美を取らせる」
「はっ」
「約束通り大役を果たすどころか、倍の結果を黒瀬にもたらしたこと、正に見事としか申しようがない。よって名字帯刀を許し、こちらの……」
千両箱を、勘内の手元に押しやる。
「千両を、与える」
天守広間が一瞬、静まり返り、ついで大きくざわついた。
言われた勘内は、ぽかんと口を開けている。
「殿、さすがにそれは、どうかと思いますぞ!」
「千両は、如何にも無茶でございます!」
そりゃあ驚くだろうと、口に出した俺でさえ思うので、咎め立てはしない。
流石にこの千両を勘内への褒美とした意味を、裏まで読み取れというのは無茶なので、まあ聞いてくれと、皆を落ち着かせる。
「千両あれば、色々と楽も出来るだろうが、今の黒瀬は、この千両で即、命を繋がねばならないほど困っていない。これはいいか?」
「はっ……」
「殿に稼いで戴いた金子もまだ、半分は城にございますな」
御仁原で稼いだ三百両のうち、百両を婚儀の費用に取り置き、五十両で六六斎殿の草庵を建てることは決まっていたが、残りについては俺が一旦止めさせている。
併合した浜通についてもテコ入れはすべきなのだが、他の村の状況も鑑みて、その配分を再検討する必要があった。
「このようにだ、黒瀬に於いて、今日明日の麦米は心配しなくなって久しい。昨今は、新しい田畑や長屋の話が多くなったか?」
「ははっ」
元より都からの支援もあり、国主就任以来、黒瀬国は常に成長し続けている。
……まあ、領民どころか俺でさえ気軽に買い食いなどできない程度の経済状況だが、それでも、確実に伸長していた。
「翻って、勘内だが……勘内は店を立ち上げたばかり、あの五百石積みの廻船も、相当無理をしてるんじゃないか?」
「……船は往復雇いながら、全財産を賭しております」
「うん。しかも、居食い猿虎の皮について、利益を取ってないだろう? 手付け金の百両も、貰いっぱなしだ。うちに入れ込んでくれる心意気は有り難いが、無理のしすぎだぞ」
まあ、このあたりは方便の前置きだ。
「もう一つ、今のこの時に、千両渡す意味がある。……勘内は、本店を黒瀬に置くと言ってくれたな?」
「はい。船には建材と丁稚が乗ってございます」
「早いな、もう用意しているのか!?」
「はっ、三州美洲津との行き来でも三月となりますので……」
「それもそうか」
距離の遠さは、そのまま時間の経過となった。
前回の勘助訪問からでも、新津に浜通と二ヶ村増えている。場所ももう一度、選びなおさせることにしよう。
「さて、店を出すということは、運上金が納められることになるわけだが、運上金は当然、利益に応じた比率で算定される。東下で、どのぐらいなのかは……誰か知っているか?」
「確か甲泊の市売運上は、一割を座に課していたかと。冥加金はなく、代わりに甲泊神社へと奉納が行われております」
田畑の課税が村単位であるように、商業税である運上金も座――組合を通し、町単位で割り振っているらしい。
もちろん大倭に独占禁止法はなく、町で店を持つには、座への所属が必須であった。
だが、借金の保証人から廻船の共用、他地域の同業者との諍いの仲裁、人材の斡旋など、座に入って得られる利益も無視できないほど大きいそうだ。
「ありがとう、松邦。ただ、これが安いのか高いかも、俺には分からん」
「美洲津では運上一割に加えて、町役の大店で一万両から十万両と、冥加金が高うございました」
「……文字通り、桁が違うな」
「東津はもう少し安く、運上一割五分、冥加は年百両でありました」
冥加金は直接の税である運上とは違い、商人が半ば『自主的に』納める、税と政治献金とを合わせたような商習慣である。
少なければ方々から恨まれ、多ければ発言権の確保に繋がるそうだ。
御仁原の狩人座にも冥加金はあったが、あれも同じく、儲けすぎて恨まれないようにと、その金額が決まっているのだろうと気付く。
「よし、黒瀬も東下と同じ、運上一割のみでいいだろう。元はなかったものだからな。奉納は……まあ、自分で神社を見て決めてくれ」
「ははっ」
「うん。……さて、話が少々回り道したわけだが、この千両の褒美についてだ」
皆の視線が、千両箱に集中する。
「俺はそれほど商売に詳しくはないが、ふむ……勘内」
「はっ!」
「手持ちに一両あるとして、これを二両に増やすのに、勘内ならどうする?」
「……はっ、一両にて品を仕入れ、これを売ります。二度三度、繰り返す必要があるかと存じますが、商いの場所が選べるのであれば数日、地方でも村が連なっておれば十数日で可能かと」
「うん、堅実な答えだ」
俺はぽんと、千両箱を叩いた。
「では、もう一つ問うぞ。一両を千両に増やすなら、どうだ?」
「当初は最初の問いと同じく行商に徹し、種銭となる財が膨らんだところで船商いに切り替えます。おそらくは数年、かかりましょう」
「よし、そこで最後の質問だ。……千両を二千両にするなら、どうだ?」
はっとした顔で、勘内が俺を見た。
「黒瀬守様は、その種銭に、この千両を使えと……」
「そうだ」
元手となる種銭――資本金が多ければ、商いの規模を大きくすることが可能だ。
もちろん、黒松屋が大きくなって得をするのは、何も勘内だけではない。
「ただの見栄や格好つけじゃないぞ。小ずるいことも考えていた」
「……は!?」
「先ほど、運上一割と決めたな?」
「は、はい」
「つまりだ、同じ一割でも、勘内が千両儲けた時の一割と、二千両儲けた時の一割では、黒瀬の実入りが倍変わる」
驚きの顔は、勘内だけではなかった。
信且らの注目に、照れ隠し半分で小さく膝を叩く。
「別に、勘内から無理矢理搾り取ろうってわけじゃないのに、不思議だなあ。……ああ、今年は運上金もいらないからな。先払いで受け取った居食い猿虎の手付け金を、運上金とする」
「黒瀬守様のご厚情に、深く深く感謝いたします!」
「これにて一件落着、三方千両の得、とでもするかな」
とまあ、美談にまとめておいて何なんだが、無論、近江商人の『三方よし』に、大岡越前の『三方一両損』……のもじりである『三方一両得』を引っかけただけの駄洒落である。
後ほど、種明かしにその話をすると、勘内は深く感銘を受けていたようだった。