第九十二話「米本六六斎」
第九十二話「米本六六斎」
甲泊に入港して代官陣屋に先触れを出せば、すぐに返答が来た。
とりあえず茶でも飲みながら話さぬかとのことで、浜通守と南香守と俺、大名三人、揃って陣屋に赴く。
「源伍郎、荷役の他に大工の手配まで任せてすまないが、頼んだぞ」
「お任せ下され!」
浜通守や南香守の付き人や、源伍郎などには、買い物を頼んでおいた。
水主を一人だけ、露払いに借りていたが、正式な訪問ではないので、皆、小袖に野良履き、二本差しのみ、手荷物もなしの軽装であった。
「皆様、どうぞお中へ」
「うむ」
案内されたのは、陣屋と棟続きになっている屋敷の方だ。
客を迎える部屋を公私で別にする余裕があって、羨ましい限りである。
「諸事は明日とするが、合意の上での国譲り、難しい話ではないからな」
「ははっ」
「お認め戴き、ありがとうございまする」
東下は十カ国になってしまったなと、若干寂しげな諸使様だった。
茶の気分ではないなと、酒杯と膳が運ばれてくる。
「浜通守も、長年、ご苦労であった。……これからはどうするのだ?」
「黒瀬守殿はそのまま城暮らしでもよいと言うて下さったのですが、それでは楽隠居になりませぬからな」
「確かに」
出された酒肴はイカの塩辛で、こちらではしばらく見ていないなあと思いつつ、口に運ぶ。
「どこぞの寺にでも身を寄せようかと思うたところ、茶室のついた庵を一つ、頂戴する事に相成りました」
「黒瀬守、随分と大盤振る舞いであるな?」
「一国と釣り合うほどのものではありませんが、浜通守殿はそれでもよいと頷かれたので、お言葉に甘えました」
茶室を言い出したのは俺だが、何の対価なく国一つ貰っておいて後は知らぬ、というのはどうも落ち着かない。
しかし、そのまま元国主が城に居着いておっては、民も心を新たにせぬだろうと、浜通守の決意は変わらず、このような仕儀と相成った。
「都との繋がり、当初は如何ほどのものかと思うたが、水路に神社、飛崎の件に加え今回のこと……余にもようやく、意味が分かってきた。黒瀬守よ」
「はっ」
「黒瀬国はこれで表高、幾らになる?」
「浜通の八十石を加え、百三十石でございます」
「……実石高は?」
一瞬迷ったが、元より百石そこそこの石高、一割二割を誤魔化したところで意味はない。
ここは正直に答えておくことにする。
「……浜通は実石高九十石であるな」
「ありがとうございます、浜通守殿。では九十を加えて、二百と五石、となります」
「それほどか!?」
「ふむ、正に昇竜の勢いなる。ああ、安心せい、小物成までは聞かぬぞ。あれこそ、『石高』であるからな」
にやりと笑って、諸使様は濁り酒を飲み干した。
表高は国の顔だが、書面に記された通りの石高など、東下ではほぼ意味がないのだ。
「それで、どこまで伸ばすつもりだ?」
「民が困らぬ程度には、田畑を広げたいと思っています」
「まだ広げるのか!?」
「……魚を売って麦米や野菜を買う、これはまったく正しい事だと思いますが、やはり高くつきますから」
「我が南香も、それについては頭の痛いところであるな」
「そうであるか。無理をせず、無理をさせず、よい塩梅でやれ」
翌日、戦役の帰り際の時と同じように浜通の廃国と併合の手続きが行われ、黒瀬国は細国百三十石と認められた。
「うむ、決めた。今後は六六斎と号する」
米本浜通守隆広は、米本六六斎――今年で六十六歳だからと、なんとも気楽な決め方であった――と名を改め、引継の為、浜通『村』に戻った。
俺も顔を出したが、特に混乱もないようで、こちらの人選が済み次第、楔山に引っ越して貰う予定だ。
「お殿様、再びのお引き立て、誠に有り難く」
源伍郎が連れてきた大工衆も同乗していたが、葉舟神社を建てた宮大工、本橋六郎三郎である。
茶室を建てられる大工は黒瀬にはおらず、長屋と大同小異の庵では、六六斎殿を蔑ろにしているようにも見えてよろしくないと、腕の確かな専業の大工を頼んでいた。
「茶室は二度三度と言わず、中浜や馬見の商人衆から仕事を頂戴したことがあり申す。お任せあれ」
宮大工は普通の家を建ててはいけないという話を聞いたことがあるような気もしたが、東下では職分の棲み分けが出来るほど大工がおらず、問題ないそうだ。
また、抜け道もあり、作りつけの小さな神棚を設けることで言い訳も立つらしい。
建てる草庵はそれほど大きなものではなく、茶室に居間、竃付きの土間を含めて建坪は凡そ二十坪の予定だった。
費用は小さい庭や竹垣なども含め、〆て五十両、建屋は坪あたり二両ぐらいの計算である。これでも上等の方だが、流石に神社よりは安かった。
しかし、この金額で一国の安定が約束されるなら安いものであるし、六六斎殿を訪ねて茶飲み話が出来るのもいいなと、楽しみにしている。
「御伽衆、のう……。この老いぼれでも、まだ役に立つと?」
「もちろんです。茶道具も用意させましょう。並品で申し訳ないですが」
「……師範も用意してくれると助かるの」
御伽衆とは、隠居した侍に隠居料を渡す方便であり、または政治軍事の相談役や顧問のような存在であり、あるいは単なる話し相手に用意された身分だったり、隠密の隠れ蓑だったりするという自由度の高い職である。
対等に近い話し相手は、俺の場合、国外の近隣諸国の大名衆となるが、そうそう遊びに行けるわけがない。
これだけでも、礼を以て六六斎殿を遇するには十分なのだが、東下の事情にはこれ以上なく詳しく、相談役ともなり得る人物である。
最初に提示した上士家老格十両三人扶持の給金は、隠居老人には厚遇すぎると一蹴され、上士奉行格五両三人扶持に修正されてしまった。
……早速、その経験と知恵を借りてしまったようで、恐縮しきりである。
▽▽▽
黒瀬に戻り、併合の顛末を報告して皆を驚かせたが……今度は人選に苦慮することになってしまった。
いつものように、天守の広間で車座になり、頭をつき合わせる。
「城代は、家老の青江新一郎殿に引き継いで戴くわけには行きませぬので?」
「本人より、その器ではないと断られてな。また、家老は名ばかりで、仕事も元浜通守殿――六六斎殿の補佐にも苦労していたと、確認が取れているのも痛いところだ」
「そうでございますか……」
六六斎殿からも、無理強いはせんでやってくれと、口添えされている。
また、戦働きや船の事ならともかく、算術仕事はもうご勘弁下さいと、本人の口からもため息が漏れていた。
となれば、城代は黒瀬から誰か選ぶしかないわけで……。
「松邦すまん、出世してくれ」
「は、ははっ! 浜通城代の大役、謹んでお受けいたします!」
下士からの抜擢も考えたが、数人の上士を飛び越えてしまうのは流石に問題視された。
だからと言って、水軍奉行の源伍郎や遠山代官に据えたばかりの道安、新津奉行として一党をまとめる近次郎も動かせない。
内政面で優れた側用人帆場松邦を手元から離すのは実に惜しいが、彼を順当に出世させるのが一番無難な選択肢になってしまった。
息子の梅太郎は楔山城で預かり、小姓あるいは御側廻として、今後も俺の身の回りの世話を任せるが、月に一、二度、松邦の元に出向いて算術や書類仕事の手ほどきをうけるよう命じておく。
「しかし殿、帆場殿に代わる側用人は、如何しましょう?」
「そうだな……」
「失礼いたします!」
「構わない。どうした、大三郎?」
天守上階の見張りをしていた大三郎が、緊張した顔でどたどたと降りてきた。
「五百石ほどの廻船が見えました! こちらにやって参ります!」
「うん、ご苦労! 引き続き見張りを頼む!」
「ははっ!」
皆で顔を見合わせ、また、都から船がやって来たのかと港に向かえば……。
「ご無沙汰に御座います、黒瀬守様! 勘助改め黒松屋の主人勘内、お約束通り戻って参りました!」
居食い猿虎の皮を託していた海道屋の番頭、勘助だった。




