第九十一話「龍術と浜通国」
第九十一話「龍術と浜通国」
久々の評定が行われた翌日、俺達は揃って舵田黒瀬守の墓を訪ねていた。
上士全員が次に揃うのは、正月の予定だ。一周忌には少し早いが、そこは生者の都合とさせて貰った。
「……」
白米の握り飯と都の下酒を供え、紙に巻いた刻み煙草を線香の代わりにする。
先代黒瀬国主、贈正七位上舵田黒瀬守直正。
ほんの一時、言葉を交わしただけの相手だが、俺にとっては一生忘れ得ない相手でもあった。
黒瀬国がこの御仁に恥じぬ国となって行くのかどうかは、正直なところ、分からない。
発展という意味では、都からの資金、人材の投入に加えて神助も頂戴し、皆一丸となって努力を重ねたお陰で、成果も上がっていた。
しかしこの先、武州との関わり次第では、国ごと消される可能性は十分にある。
適度に育った所を丸飲みにされてはたまらないのだが、今の黒瀬に、相手の本気に抵抗する力はない。
気持ちで負ける気はないが……未だに、胸を張れなかった。
さて、俺の結婚についてだが、年明けの如月二月、一番暇な時期を選ぶことにした。
舵田黒瀬守の喪が明けてからとしていたが、準備にも時間が必要である。
春狩りの前、息抜きと士気高揚にもいいだろうと、後付ながらそれらしい理由も乗せていた。
「正月の用意もあるし、無理はしないようにな。張り切ってくれるのはありがたいが、皆が忙しくなりすぎては、何の為の祝い事か分からなくなるぞ」
「はっ、殿のお言葉、ありがたく!」
話し合いの末に百両を予算の上限としたが、信且ら地元組は東下一の大婚になりましょうと笑顔で太鼓判を押してくれたものの、資子殿ら女房衆は、僅か百両で四人分の式をどう差配したものかと頭を抱えていた。
やはり懐事情という名の大御所が上座に鎮座していて、我が事ながら、俺もようやく東下の大名らしくなったと笑い飛ばしてしまうべきか、それとも女房衆の顔色をうかがいつつもう一稼ぎしてくるべきか、表情に困る。
「ともかく、差配は信且と資子殿に任せるが、時々は報告してくれ」
「ははっ」
「畏まりました」
ちなみに東下では、大名家の婚姻と言えど……輿入れ行列こそあるが、嫁入り道具などほとんどないそうだ。賑やかしとばかりに城にある箪笥から武具から、とにかく色々担いで祝い行列を作り、後は宴会をしてしまいだと聞かされていた。
翻って、嫁さん達の様子はと言えば、割に淡泊である。
「いつ殺されるか恐々としていたところが、平穏無事に嫁げる話となったのです。その上、相手は一郎なのですから、これ以上贅沢を言うと、罰が当たりますわ」
「ええ、本当に」
「わたしは一郎と一緒なら、それでいいよ」
「私は、嫁がせて貰えるだけでも幸せです」
俺の方でも、結婚の決心はとうの昔に決めていたから、特段迷いはない。
一つだけ贅沢を口にするなら、元の日本の家族に報告できないのが少し残念なぐらいか。
それでも時折、女房らと縁側に並んで縫い物をしつつ、婚姻の日を楽しみにする声などが聞こえてきて、満更ではなかった。
「アン、一郎に聞かなくてもいいの?」
「そうだったわ。あのね、一郎」
「うん?」
和子に促されたアンが、俺の袖をくいっと引く。
「フローラ様から、弟子をとって魔法を教えて欲しいとお願いされたんだけど、やってもいい?」
「魔法!?」
「大倭にも私の国の魔法があれば、って……もちろん、約束事もいっぱいあるし、誰でも出来るようになるわけじゃないよ」
葉舟様には相談済みで、大御神様とフローラ様の間でも確認が取れているという。
だが、アンの持つ魔法を広めるとなると……いや、神通力に法力に、この大倭、不思議は既に多々ある。それが一つ増えるだけなら、俺がどうこう悩むことじゃないのかもしれない。
無論、大社への助力ともなり得るが、いかんせん、黒瀬は国が小さすぎた。
世に広められるほどの後押しが出来るか微妙であろうと、当のフローラ様もため息をついておられたそうだ。
「そうか……。とりあえず一人だけに、ゆっくりと教えてみたらどうかな?」
「いいの?」
「一人が相手でも、大変だと思うけどね」
神様が了解している事情に、俺が口を挟めるはずもない。
おまけに、アン以外の誰かが魔法を使えるようになれば、黒瀬も楽を出来るわけだ。……その後は大変そうだが、まあ、後のことは後のことだ。
俺はただ頷けば良かっただけのようで、しばらくして大社より『龍術』――浅沙流龍術の名を賜ったと聞かされた。
▽▽▽
秋も深まって月が改まり、霜月十一月に入ったその日。
代官所から伝馬が来てお呼びが掛かったので、俺は瑞祥丸を支度させて甲泊へと向かった。
「しかし、珍しいな……」
「ですなあ」
途中、浜通守、南香守も同乗させるようにと指示があり、源伍郎と顔を見合わせるも、答えの分からないまま、船を浜通の港に入れる。
港側から入るのは久しぶりだが、今の時期はうちと同じくイカ漁が忙しようで、干されたスルメが浜風に揺れていた。
「済まぬな、黒瀬守殿」
「いえ、大した手間ではありませんので、お気になさらず。源伍郎、頼む」
「ははっ。青江殿、荷をお引き受けいたします故、ご指示を!」
「かたじけない!」
俺と似たような旅支度――小袖に野良履きの浜通守と、先の戦役でも顔を合わせた家老の青江新一郎、それから領民の夫婦者だろうお付きの二人を迎え入れる。
潮の具合もよかったので、浜通には半刻も留まらず、見送りに手を振り返しつつすぐ沖に出た。
「しかし、揃って呼ばれるとは、何事でしょうね? 大事でなければよいのですが……」
「ああ、余が諸使様に願い出たのだ」
「は?」
「……浜通も、飛崎のように抱えてくれぬか?」
ふうと大きく息をついた浜通守が、老いた顔をこちらに向け、俺をじっと見据えた。
隣に立ち、浜通守を支えるようにしていた青江新一郎も、うむと頷く。
どうやら、冗談や気の迷いではないらしい。
迂闊な返事もできないなと、俺はじっくり話を聞くべく、浜通守を後矢倉――船室へと誘った。
気を利かせた源伍郎が茶を出してくれたので、俺も藁編み座布団を浜通守に勧め、どっかりと腰掛けた。
木戸付き窓から入る日の光の作る影を、二人して眺めつつ、静かに言葉を交わす。
「世継ぎもおらぬで、国の行く末については、前々から思うところがあった」
「……はい」
「もう還暦を迎えて四、五年になるか。時の経つのは早いものでな」
還暦過ぎと言えば、こちらではかなりの高齢である。
それにも関わらず、先の段坂帯山の戦いにも出陣されていた理由はこれかと、ただ頷くしかなかった。
「憚りながら……ご養子を取ろうとは、お考えにならなかったのですか?」
「考えたが、断られてしもうてな。……新一郎の事だが、流石に一国は支え切れぬと言われたわ」
「それはまた……」
「新一郎は今でこそ家老だが、五年前まで、侍ですらない平の水主であった。大出世に己の分を見失わず、堂々と断ったあ奴の誠心を褒めるべき、であろうな」
「……」
「ともかく、十年前の魔妖襲来が、全ての由となった。……そのお陰で、黒瀬守にも迷惑を掛けることと成ってしまったの」
遠い目で語る浜通守の口から、重いため息が漏れる。
その戦役では、ほぼ隠居していた浜通守に代わり、世継ぎが出陣……これは当時既に五十代半ばであった浜通守を考えれば、国としても当然の選択だった。
しかし運悪く、東下軍は大戦の矢面に立たされ、世継ぎをはじめ、中堅どころの足軽組頭、側用人ら主立った面々が根こそぎ戦死してしまったのだという。
以後は国に居残っていた国主浜通守と先代家老が、老体にむち打って国を支えていたそうだ。
「その家老も先年、逝ってしもうたの……」
「そうですか」
「斯様にな、黒瀬守の豊かな懐と人情に付け込んでおるのだが、怒ってもよいのだぞ?」
寂しげに茶化す浜通守に、俺は曖昧に頷くしかなかった。
翌日、一升徳利を手に乗り込んできた南香守には話が通されていたようで、すまんと頭を下げられる。
「跡継ぎこそおるが、我が国も懐事情は似たり寄ったり。浜通を引き受けては共倒れ必至じゃ。黒瀬守に頭を下げるなら儂も一緒に頭を下げましょうぞと、同道を引き受けたのよ」
「なるほど……」
「浜通守殿とは長い付き合いであるし、段坂にて黒瀬守殿の意気も多少は見知ったでな。実のところ、こうなるだろうとも思っておった」
見届け役も兼ねているようで、廃国の手続きは花房諸使様の元、既に進められているそうだ。
「……浜通国、腹を括ってお引き受けいたします」
「お心遣い、感謝いたす」
「黒瀬守の英断に、敬意を表す」
三州東下浜通国、表高八十石、小物成百両、領民二百余人。
地続きならば、どうにでもなるだろう。