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第九十話「『生』教育」

第九十話「『生』教育」


「我ら一同、伏してお願い申し上げまする。ご婚礼にお使い下されませ」


 いきなり何を、という訳でもないのだろう。


 こちらに来てほぼ一年、余裕はなかったが、何故に家臣一同、そのように気を遣うのかと言えば、俺の結婚は即ち黒瀬松浦家の存続そのものなのである。


 せっかく上を向いてきた領国とその暮らし、俺が倒れては元も子もなくなってしまいかねない。


 無論、世継がいれば、俺が死んでも家は続く。


 おまけに俺の年は、数えで二十三。

 現代日本でなら結婚には少々早いが、こちらでは人生五十年、その半分に差し掛かろうとしているわけだ。


 焦るほどではないが、当主は早く身を固めるべきとも推奨されている。

 世継ぎが生まれてくれれば、家臣も領民も、安心安全の度合いが大きく変わるのだ。個人の結婚ではあるが、多分に公的な要素も含まれる。


「殿、もうお一方、この場にお呼びしても宜しゅうございますか?」

「お一方……資子殿か?」

「はっ」


 家老である信且が目上と見る人物など、俺と嫁さん達以外では、女房衆のまとめ役資子殿以外にはありえなかった。予め頼んでおいたのだろう。


 だが丁度いい。

 この手の問題について、彼女は頼りがいのある専門家でもある。


「梅太郎、頼む」

「畏まりました!」


 程なく呼ばれてきた資子殿に、一同が中央を譲った。


 ある意味、城中では別格の実力者として、皆から一目置かれている彼女である。

 俺にとっては元上司でもあり、とても頼りになる女性だが、同時に下手なことも言いにくい。


「殿、敢えて耳に痛い直言を申し上げます」

「許す」

「ありがとうございます。黒瀬に落ち着いて早一年、わたくしどもも流石に痺れが切れました」

「……申し訳ない」


 とまあ、信且らが口に出しにくいことも、元の身分差や性差のお陰で、資子殿なら角が立ちにくいわけだ。


 俺が不甲斐ないとは言いきれないが、現状に甘え判断を先送りし続けたこともまた、事実であった。


 無論、懐具合は筒抜けである。……というか、女房衆には給金さえ渡しておらず、頭が上がらない。


 彼女達は収入源として自主的に読み本の製造をしていたが、結果は未だ出ていなかった。


 幾らかは出来上がったものの、それらは春先、玄貞殿に預けて都に運ばれて行き、売れたのかどうかも分からない。また、その後は人が増え仕事が増えと色々忙しく、彼女らの手が回らなくなってしまっていた。


「おほん、それはともかく、このままでは皆が困ります」

「……それは?」

「後がつっかえておりますので。瀬口様と瑤子(たまこ)の事ですが、他にもそろそろ……」

「道安!?」

「はっ、ははっ!」


 驚いた俺の声に、道安が平伏したままびくんと跳ねた。


「ああ、いや、怒っているわけじゃない、驚いただけだ。……その、きちんと良い返事を貰えたのか?」

「はっ、殿と資子殿のお陰をもちまして!」

「そうか、おめでとう! よくやった!」


 俺が居なかった間に、資子殿に茶席を手配して貰い、どうにか約束を取り付けたそうだ。


 瑤子は女房衆でも一番の年嵩で、道安とも年が近い。


 二人とも働き者で、似合いの夫婦になるだろう。


「また……御家の大事に口を出すのは憚りながら、お世継ぎはお早めに授かって戴きたく存じます」

「ああ、その事なんだがな……」


 一瞬だけ迷ったが、棚上げもできない。


 いつぞや、船中で和子らと話した時以来、少しばかり気に掛けていた。


「梅太郎、度々すまないが、和子、静子、アン、朝霧、それから、瑤子も呼んでくれ」

「はい、すぐに!」

「殿?」

「うん、少し重苦しい話になるが、皆にも、そして、俺の嫁さん達にも聞かせておきたい事がある」


 とても大事なことだ。


 国の主として、いや……一人の人間として、言うべき事は言わねばならない。




 一同揃ったところで評定は一旦休憩とし、皆も楽にするよう声を掛ける。


「さて、俺が飛ばされ者、それも世渡り――大倭ではない場所から飛ばされたことは、何かのついでに話したと思う。色々と常識が違ったので、未だに戸惑うことも多いが、なんとかやれている、というところか」


 茶でも飲みながらの方が良かったか。


 まあ、今更だ。次回があれば、気を付けよう。


「その常識の違いでも、色々と驚くようなことがあってな。神通力や陰陽術、忍術などは……もしかすると何処かで受け継がれているのかもしれないが、あちらでは事実上ないものとされているし、小判や分金朱金が使われていたのは、相当に昔だった。俺もテレ……物語を通して何となく知っている、という程度で、侍も大名も過去のものとされる別世界だ」

「殿は遠き地の生まれと申されておりましたが、本当に遠い世界ですな……」

「ああ。とても、遠いと思うぞ」

 

 さて、本題……の前に一つ、前置きを挟もう。


 皆が俺の顔色をうかがっているように、俺も皆の様子が気になっている。


「そのあたりも、よくよく理解が出来てきたのはつい最近だが、特に大きなものに、学問の違いがある。専門的になりすぎて、正直なところ、俺程度ではどう説明していいのか分からないぐらいだが、幾つか覚えていることもあるな。例えば……誰か、脚気(かっけ)という病気は知っているか?」

「足のしびれが続き、心の臓が止まることもある恐ろしい病であったかと……」

「うん、流石は瑤子だ。実家の家業は薬師だったな?」

「はい」

「治す方法はあるか?」


 少し考えた瑤子は、美味しい物を食べて養生する、と答えた。


 正解ではないが、間違ってもいない。


 大倭の『今』では、原因の特定が難しいだろう。

 経験的な対処でも、あるだけましだ。


「では、予防――前もって脚気にならぬように防ぐ方法は、知っているか?」

「い、いいえ! あの、殿はご存じなのですか!?」

「うん。本で読んだ。食の片寄りが原因だ」


 教科書と授業、教師の受け売りだが、理科や生物ではなく、歴史の授業である。


「特に白米に由来することが多い。だがそれは、直接の原因じゃない。しかし、白米『だけ』を沢山食べて、野菜や肉が少なければ、罹りやすくなるな。豆の類や猪肉(ししにく)が手に入るなら、日頃から食べると予防になる。まあ、同じ米でも玄米、それから蕎麦、他にも東下菜のような色の濃い野菜を食べていれば、脚気に罹る可能性はかなり低くなるぞ。……と、まあ、こんな感じだ」


 驚いた様子の瑤子に、流石に全ての病気について知ってるわけじゃないからなと、ため息を向ける。


 で、ここからが言いにくいところで、大の大人が居並ぶ中、何故に俺が性教育を、と思わないでもないが……ああ、うん、『性』ではなく、『生』の教育だと考えよう。


 柄じゃないとは分かっているが、いい機会でもあった。


「同じように、医術に類するというか、人の生死に関わる学問も、相当高度なんだが……その中の一つに、母親と赤子のことがある。……和子達には、前に一度、話をしたかな。和子やアンのような年若い娘を、嫁には出来ないって」

「船の中で、仰っていましたわね。国の法度(はっと)にて、定められていると」

「うん。具体的には、男が十八……いや、二十歳、女性が十八以上でないと、結婚は認められない」


 こちらでは数え年で年齢を数えるので、言い換えておく。


「殿。その、随分と、歳が……」

「資子殿の驚かれようも、もっともでしょうね。あちらではそれこそ、静子でも結婚にはまだ早いと言われます」

「まあ!?」

「それほどですか!?」


 数え年なら、和子が十四歳、静子二十三歳、朝霧十六歳、実年齢はここから二歳マイナスすることになる。

 アンだけは実年齢だが、それでも十三歳、あるいは数えで十五歳。


 そして大事なことだが、大倭では和子の歳なら、結婚の適齢期とされていた。


 無論、現代日本であれば許されるのは静子だけ、他の嫁さんに手を出せば、俺は間違いなく性犯罪者の烙印を押されるだろう。


 しかしここは大倭、当地の法と常識に従えば良いではないか……とは出来ない理由がある。


「そこでな、先ほど口にした母と赤子の事だが……この法の女性十八歳という年齢には、割と大事な意味がある。それより若いと身体が出来上がっておらず、子が産まれにくいばかりか、産む母親も危険な状態になりやすいんだ」

「なんですと!?」

「むう……」


 驚く皆を余所に、資子殿だけは冷静だった。


「しかし、殿」

「はい、資子殿?」

「月の物が来れば、女は子を宿せます。それを、身体が出来上がっておらずとは、何の故あってのことなのでしょうか?」


 月の物――生理のことか。


 医学的な説明は、俺には難しい。


 だが、避けては通れなかった。


「あー……出産は女性にとっては戦の場、初産(ういざん)は初陣だと考えてみて下さい。初めての月の物は、侍の元服に近いかな。この侍ですが、元服したからと、すぐに一流の侍となるわけではありません。そのまま戦場に出せば、傷つき倒れる者、生きて帰らぬ者の方が多いはず。武芸に励み書を学び、しばらく己を磨く時間――身体の中が成長する時間を与えるだけで、帰る者が格段に増える、というわけなのですが……どうでしょうか?」


 上手いたとえ話になっていればいいんだが、自分でも、今ひとつの出来である。


「……殿の生国(せいこく)では、それが母子(ははこ)を助ける知恵であったと?」

「婚姻そのものは、早くても遅くてもいいでしょう。家中の皆に強制するつもりも、ありません。ですが……少し子作りを遅くするだけで、亡くなる子供や亡くなる母親が確実に減るわけですから、松浦家には初代の定めた家訓として、子々孫々伝えるつもりでいますよ」


 ただ、年若い嫁を抱かないだけという、とても簡単で、なおかつ実行の難しい方法だった。


 嫁さんの実家にも、それぞれ事情がある俺の代ではともかく……嫁を貰って抱かないなど、大名家だと国際問題を通り越して戦に発展しかねないのである。


「……殿」

「どうした、信且」

「そのお知恵は、広く流布してもよいものでしょうか?」

「どうだろうなあ。産前産後の不安が格段に減るってだけで、出産の時の危険まで減らせるわけじゃないからな。それはまた、別の知恵があるんだが……」

「なんですと!?」


 一度口に出してしまったものは、仕方がない。


 その日、右筆の梅太郎はとても忙しくなった。


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