第八十九話「帰国と評定」
第八十九話「帰国と評定」
「ただいま戻った!」
甲泊の代官陣屋で凱旋の挨拶をしてついでに米を仕入れ、飛崎で城代小西公成を拾い上げ、ようやく懐かしの黒瀬楔山城の姿が目に入ったのは、神無月の下旬であった。
港には、戌蒔を乗せて美洲津に出ていた瑞祥丸の姿もある。
出迎えの様子を見る限りは、皆の顔も明るく、突発事態などは起きていないようでなによりだ。
「ほれ、出船じゃあ!」
船頭勘太が、大声を張り上げた。
俺を乗せてきたばかりの満福丸は、そのまま新津に向かう。
今日明日を休養と連絡に使い、遠山代官瀬口道安、新津奉行氷田総隆も呼んで評定を行うことにしていた。
「殿、お帰りなさいませ!」
「風呂敷包みはおいらが!」
「おう、ありがとうな」
荷役は皆の衆に任せ、促されるまま城への坂を上る。
「こっちの様子はどうだった?」
「へい、特には困り事も悩み事もありません」
「せいぜいが、大三郎に嫁の来手がねえことぐらいでさ!」
「うるせえ! 手前なんて嫁の尻に敷かれてそのままスルメになっちまえ!」
「お、おう……」
坂の上からちらりと見えた畑は、随分と広がっていた。
東下菜の濃い緑と、刈られた後の土がコントラストを為している。
「ん?」
「如何されました?」
「いや、氷田一党の姿がないなと……。もう皆、新津に移ったのか?」
「はっ。あちらは貝の焼き干しを作るのに忙しいようです」
しばらく見ないうちに、城中は随分閑散としていた。
大勢の子供が走り回り、女衆が繕い物や藁仕事をしながら賑やかにしていたのだが、いつの間にか、慣らされていたのかもしれない。
「ただいま」
「お帰りなさいまし」
和子、静子、アン、朝霧らとは一言交わして頷くだけで済ませる。
先に仕事を片付けて、代わりに明日は、丸一日のんびりとさせて貰うことにした。
「ご無事のお帰り、嬉しく思います」
「信且、松邦、留守中の差配、ご苦労だった。源伍郎と戌蒔も、長旅は疲れただろう」
「いえ、殿のお働きに比べれば、如何程のことも御座いません」
早速、大広間で信且らと車座になり、各々の表情を見比べながら、報告を聞き、あるいは御仁原の様子などを伝える。
「こちらはどうだった? 特段大きな問題はなかったと聞いたが……」
「はっ、各村ともに順調、あるいは躍進と称して間違いないかと」
「ですな。魔妖狩りは休んでおりますが、開墾と普請には、力を入れております」
「詳細は評定で改めて聞くが、皆の頑張りには頭が下がるな」
「特に畑は、素晴らしい限りですぞ!」
時季を選ばず水量を確保出来るようになったことに加え、葉舟様のご加護、これがとても大きいらしい。
「豊作の祈祷が効いたのか?」
「はっ、ご加護であることは間違いない、とは思いますが……」
「これまでに比べ、倍以上も取れ高が変わりそうな勢いでして」
「何っ!?」
「飛崎も同じでございます」
「そっちもか!?」
神様の関わることだけに気になったが、信且らの説明が要領を得ないので、専門家を呼ぶことにする。
「女房迪子、参りました」
「すまない、畑のご祈祷や加護について少し聞きたいんだ。どのような影響があって、これまでの倍も収穫高が上がりそうなのか、ということなんだが……そんな急に畑が良くなったりして大丈夫なのか、心配でな」
「それでしたら、普通のことでございます」
「普通!?」
話を分かり易くまとめると、これまでの黒瀬、例えば楔山の畑では、『潮風のきつい並以下の畑』に『手を掛ける』ことで一と一、合計二の収量を得ていたところが、『豊富且つ季節を選ばぬ水量の確保』『直接の祈祷による豊作祈願』『これまではなかった葉舟様による神助』で、収量が五になっただけ、全く驚くにあたらないという。
「これまで東下で唯一の神社であった甲泊水分神社は主祭神が葦原五瀬磯良水分様、水難避けの神様であられます故、陸へはお力が及びませぬ。ですが、黒瀬葉舟神社は黒瀬の護国が本領、まことにありがたきことと思います」
黒瀬の加護って、それは、俺専用というか黒瀬特化というか……。
一地域を加護する神社なのだから、いわゆる『村の鎮守の神様』であり、理由を聞けば不思議はないんだが、どうも破格の扱いという気がしないでもない。
これは是非とも近日中に時間を作り、お礼参りに行かねばならないだろう。
礼を言って迪子を仕事に返し、皆に向き直る。
今度は俺からの報告だ。
御仁原では物価が高くて驚いたこと、神社で世話になったこと、御庭番衆の活躍などを手短に伝える。
「ほう、三百両ですと!?」
「大金でございますな……」
「道安と総隆も呼んでから正式に決めるが、今のところは、黒瀬も含めた五村各々に三十両を手当、残りの百五十両で、城の具足を買い増し、あるいは修理したいと思っている」
当初は麦を買い込み、各村に備蓄として送ろうと思っていた。
しかし、食い扶持には余裕が出てきた様子なので、農具を買うなり何なり、各々で実状に合わせた方がよいかと考えたのだ。
「村への御下賜は特段、反対はございませぬ」
「皆もこれ一層と、邁進いたしましょう」
「御貸具足の方は……ふむ」
「あれらも、相当に使い込んでございますからな」
「古い物は、二十年三十年と騙し騙し使うております」
「それが銘有りの逸品であればよいのですが……」
「数打ちの中古でございますれば」
皆が顔を見合わせて、ああ、あれかとため息をつくぐらいには、酷い状況だった。
刀に浮いた錆ぐらいなら研いで落とすが、槍の柄などは折れれば短くして使う。腹を守る胴当ても、揃って継ぎだらけであった。
黒瀬は海際の国なので、刀や槍に限らず、気を付けていても鉄製品の維持は大変なのだ。
「城の壁も、出来ますれば大普請したいところでございます」
「小早も修繕を願い出たいところながら……」
「それもこれも、暮らし振りに余裕が出来つつある証左。せっかく殿に稼いで戴いた大金、喫緊の問題を見極め、大事に使いましょうぞ」
「ですな!」
問題がなければ俺の案で、何かあれば評定にて意見を述べると言うことで、その日はお開きにした。
帰国の翌日は嫁さん達の膝枕でのんびりしつつ、上げ膳据え膳で久々に気を抜き、腑抜け顔を笑われた。
「ふふ、一郎らしい顔だわ」
「そうか?」
だが、それでいいのだ。
気持ちのスイッチのオンオフは非常に大事である。
常に気を張り続けていては、心を病んでしまう。
「殿、皆揃いまして御座います」
「ご苦労」
城に戻って三日目、朝には上士の全員が城に顔を揃えていた。
久々の大評定――会議である。
開始前に全員を集めて、内容を伝えておく。
「大まかな数字でいいが、各村の今年の収入について聞きたい。梅太郎は右筆としてこれを書きとめてくれ」
「はい!」
「来年の参考にするつもりだが、残りのふた月で数字が変わることもある。皆もそのつもりでな」
拙い根回しだが、若い小西公成や、小姓として控える帆場梅太郎には実地を学ぶ機会でもある。
今はまだ、多少なりとも緊張が取れるなら、それでいい。
「早速だが、各村落の状況について、見積もりを報告するように。その上で、この三百両について、よい使い道を考えたいと思う。……では信且から、頼む」
「ははっ」
信且から順にじり出て、声を張り上げる。
「楔山城下、雑穀四十石、畑作三百五十貫文、漁労小物成百両」
「ひ、飛崎城下、雑穀六十石、畑作百貫文、漁労小物成五十両」
「遠山村、米五石、雑穀十石、畑作五十貫文、山林小物成五十両」
「新津村、漁労小物成五十両、廻船運上金五十両」
「志野村、畑作十貫文」
「また、領国預かりとなっておりますが、春の魔妖狩りにて四十両、夏の魔妖狩りにて二十両、それぞれ小物成が生じております」
合算すれば、米五石、雑穀百十石、畑五百十貫文、小物成その他の現金収入三百六十両と、正に大躍進なのだが、もちろん、そうは問屋が卸さない。
志野村の畑作十貫文は、俺が適当に誤魔化せと言った故で実質はゼロだし、ここから数倍に増えた人口の食い扶持を引いていくと……。
「うむ、皆ご苦労であった」
「ははっ」
としか、表現のしようがない。
去年、国を引き継いだ頃よりは随分ましだし、当面飢えない程度に米麦の備蓄はある。
来年も、飛躍的な発展はほぼ約束されていた。
だが、黒瀬の暮らしというものは、仕事を終えて家に帰り、晩酌の一杯を楽しむことさえ出来ない程度なのだ。
……それでも、近隣諸国から羨まれるレベルの貧国には育ったと胸を張らざるを得ないのが、今の黒瀬国の限界でもあった。
「さて、こちらからの報告だが、御仁原遠征で三百両を得てきた。また今後、狩人株は御庭番衆に預け、志野砦の普請費用へと回すことにする」
「ははっ」
「それでだ、この三百両の使い道なのだが……意見を許す。誰か、名案はないか?」
「殿!」
信且が手を挙げたので、うむと頷く。
「某ら、殿よりお話を伺ってより、考えに考え、話し合いも致しましたが……」
「うん?」
その場にいた上士全員、公成までもが姿勢を正し、平伏した。
「我ら一同、伏してお願い申し上げまする。ご婚礼にお使い下されませ」




