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第八十八話「御仁原出立」

第八十八話「御仁原出立」


 そろそろ近次郎が黒瀬に戻ったかなという頃、俺は代官所から呼び出しを受けていた。


 大名でありながら自ら狩りをする者はやはり珍しく、代官様の耳にも届いたらしい。


「では、行ってくる」

「はっ」


 野良履きではなく袴を履き、腰には舞蝶(打刀)友兼(脇差)と、久しぶりに侍の登城姿である。


 代官所は街の中心にあり、神社と隣り合っていたから、なんとなく雰囲気だけは知っている気になっていた。


 忍が聞き込んでくれた情報によれば、御仁原代官、正七位下川原美川(みかわの)大掾(だいじょう)様は三州公の係累で、こちらを任されて四年、そろそろ転属か昇進かと言うところだそうだ。


「急に呼び立てて相済まぬな、黒瀬守」

「いえ、それもまた侍の勤めなれば」


 俺は独立した国主で三州公の直接配下にはないが、基本的には勢力の一部と見なされる。


 江戸時代の藩に対する将軍家ほどの強制力はないし、主従でもないが、近いと言えば近いのかもしれない。


 元より三百三十万石と五十石では並べようもないし、守られているのはこちらである。先日起きた段坂帯山の戦いのように、秩序あるいは約定のようなものが、この田舎でもある程度行き届いているのは、間違いなく三州三川家の力であった。


「黒瀬守の目に、狩り場の様子はどう見えるか?」

「はっ」


 俺にも薄茶と落雁が出され、大掾様の脇には煙草盆も置かれている。


 しかし単なる茶飲み話でもないようで、川原大掾様の隣には右筆が控え、俺の言葉を書き取っていく。


 質問を総合すれば、単なる狩人への聞き取りではなく、御仁原の狩り場全体を俯瞰して問題点を見出そうとするような、ある種の方向性が感じられた。


 ならば遠慮なくと、思うところを口にする。


「狩人同士の諍いは昨今少ないと耳にするが、実際にはどうだ?」

「ほぼ聞きませぬし、今も実力による狩り場の棲み分けは出来ています。ただ、御仁原近隣、切り開かれた野原のみで小鬼や鱗鬼を狩る専門職はいてもよいかと……ああ、狩人が多ければ即戦果を生むとは思えませんが」

「ふむ……」

「ですがやはり、鬼の始末を行う大社の巫女様や衛士殿の数、これが狩人の数の限界に繋がっているのだなと、思い至りました」

「ああ、黒瀬守は神社にも寄宿しておったな。……神社はどうであるか?」

「はっ、御仁原神社そのものよりも、巫女や衛士を育てて送り出す大社の負担が、かなり重いのだと伺いました。御仁原でお勤めが出来る実力は貴重にて、才ある者を鍛えても五年掛かると聞きます」


 株による統制された町運営という『システム』を作り上げた頃は良かったのだろうが、どうにも神社に負担が行きすぎ、逆に狩人や町衆の負担は軽くなっているのではないかと、思えてしまった。


「……実はな」

「はい」

「大社の負担が大きいことは、我らのみならず、大社も承知しておるのだ。むしろ、御仁原に関わってひと月の黒瀬守の口よりそれが語られる、それこそが驚きであるな」


 しかしその負担が分かっていてなお、大社が無理を続けるのにも、理由があるそうだ。


「大御神へのご奉仕もさることながら、鬼退治と人里の拡大は、大社自らの掲げる大願であるからな。……無論、我ら武士の本分でもあるが」

「はっ……」

「だが、商人や町衆が儲けすぎかと言えば、決してそうとも言い切れぬ。取り決められた運上の他、自ら大社に大金を奉納しておるのでな。彼らは聡いのだ。……欲の恨みは恐いらしいぞ」


 商人株を持つ者も、利益を上げてそれでしまいとは行かないらしい。儲けすぎてはいらぬ嫉妬ややっかみに晒されるが、浄財という形で穢れ払いと実利――大社の支援を行っているそうだ。


「無論、三州公(大殿様)も大社を助力しておられる。商人衆と意味合いは異なるが、これも負担は大きゅうて、悩みの種だ」


 御仁原の運営は、利益に見合うかどうか微妙だと、川原大掾様は煙草盆を引き寄せられた。


 大社への助力は、大大名の義務にも等しい。

 これもまた必要な負担で、それ以外の恩恵、たとえば秩序の維持は混乱を鎮め、物流、開拓、魔妖討伐といったあらゆる活動を円滑に進めるための基礎となる。


 つまりは、商人、大社、三州公、皆が皆負担を感じているわけだ。


 腕っ節一つで全てが決まる狩人衆は一番気楽ではあるが、命を張るのも彼らだった。それこそ分かりよい利益をぶら下げねば、なり手に事欠くだろう。


 御仁原を預かる川原大掾様としては、株を増やして比率を変えることで各々の負担を減らし、より健全な状態に持ち込みたいそうだ。


 だが、必ずしも御仁原の『戦力』だけを安定させればいいわけではない。


 多方面への調整も行わねばならず、三州公に上申するのはもうしばらく先になると、煙をぷかりと輪にされた。


「話は変わるがな」

「はい」

「苦労に見合う利益は、出ておるか? 神社への助太刀はまっこと尊いが、お主は国主でもある故、ちと心配なのだ」

「お言葉、まことにありがたく。我が領国は石高百石にも満たぬ細国にて、数両の日銭でさえ民が潤います。三州公と勲麗院様には、お礼の申し上げようもございません」

「……であるか」


 その日は夕暮れまで、御仁原での暮らしを聞かれ、あるいは三州中央の事情などをお伺いし、夕飯までご馳走になってしまった。


 焼いた小鯛に秋刀魚の刺身、煮物は大根だが、久しく見なかった辛子が添えてある。


「黒瀬守はいける口か?」

「はい、頂戴いたします」


 注がれた酒は琥珀色で、焼酎や日本酒――澄み酒とも違ったが、飲んでみれば甘口のカクテルかリキュールのようで、深みのある味わいだ。


 しかしどこか、知っている味のような気もして……。


「これは美河の酒屋より取り寄せた特上の味醂(みりん)でな」

「!?」

「一升樽一つで二両もするが、某にもたまの贅沢なのだ」


 うむうむと感慨深げな顔で頷く川原大掾様だが、俺は少なからず混乱した。


 だが、悪戯や嫌味で調味料を飲まされたわけではなく、本当に歓待されていることも間違いない。


 この味醂、嘘偽りなく美味かった。


 代官所を辞し、宿に帰ってから猪楡らに聞くと、味醂は調味料としても使うが、酒として飲む方が多いと説明される。

 下手に聞かず、素直に味わって正解だったらしい。


 しかし……美味かったが、一升で二両もするのなら、そうそう飲める機会もないだろう。


 まあこれも話の種の一つ、そのうち黒瀬でも流通して貰いたいものだが……はて、いつになるやらと、笑う飛ばすにとどめておいた。




 ▽▽▽




 迎えの満福丸が御仁原に現れたのは、神無月も半ばのことであった。


「では、こちらは任せるが……くれぐれも、無理はするなよ」

「はっ!」


 猪楡と岩白を残し、申樫は俺の護衛を兼ね、黒瀬に帰る。


 四人の手元には、俺と申樫の鉢金、買い増しした手甲とともに、当面の軍資金として五十両を残してあった。


 対して俺が持ち帰るのは三百両余、ここ半月の稼ぎだが、予定以上でありがたい。

 一昨日、小さいながらも運良く八走が狩れていた。


 身一つで乗り込んでこの稼ぎ、だがこの三百両を上手く使わないと、単なる散財となるわけで、心しておきたい。


「黒瀬守殿、大変お世話になりました」

「いえ、こちらこそ。神通力の鍛錬は、これからも続けます」

「はい」

「お殿様、達者でな」

「お前こそな、九郎」


 神社の敏子様や高惣殿、何かと世話になった九郎も、見送りに来てくれた。


 次に御仁原を訪れるのは、年末か、春狩りの前か……。

 

「殿、船を出しまする!」

「おう、任せる!」


 御仁原での暮らしは、日がな暴れて銭を稼ぎ、風呂屋で汗を流して後は寝るだけと、思いの外、息抜きにもなっていたような気もする。


 無論、黒瀬国あっての息抜きであり、『お殿様』を投げ出すつもりはないが、贅沢な気分転換を与えて貰ったのかもしれない。


 帰り着くまでには気分を切り替えようと、俺は遠ざかる御仁原に一礼した。


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