第八十五話「多忙にして安寧なる日々」
第八十五話「多忙にして安寧なる日々」
神社の見回り衆は、結構ハードな職場だった。
早朝、心身の鍛錬と禊ぎも兼ねた水垢離で一日が始まり、息の行と呼ばれる呼吸法で心身を整える。
「『あるがままを、あるがままに受け入れよ』。……とわたくしも教えられましたが、簡単に申しますと、神様を意識することが、一番大事なのです」
「息の行は、普段気遣うことのない呼吸、これを鍛える為のものです。息を一つすれば一つ分、神様のお力が体内を巡ると意識してくださいませ」
息の行は、神通力を身につけるための基礎訓練でもあった。
座禅ではなく正座だが、漫画などに出てくる剣豪や武道家の瞑想にも似ていた。
行そのものは深呼吸の繰り返しに近いが、慣れていないせいもあって、集中力が半端なく要求されてしまう。
俺は巫女さん達に混ぜて貰い、本殿で修行しているが、衛士も境内で同じ様な鍛錬を行っていた。
神気の持ち主であることは、こちらから話すまでもなく知られており、強い俺と普段の俺の切り替えについて、荒っぽいから身体に負担が大きいと怒られている。
「息の行が出来るようになれば、自然と神通力に目覚めます。ですが、黒瀬守殿は神気をお持ちにて、今は無理矢理に強大な力を行使しているようなもの、これはあまりお勧めできる状態ではありませぬ」
そう言えば以前、フローラ様からも怒られた覚えがある。
俺は神妙に頷き、言われたとおりにへその下のあたり――丹田を意識しながら、息の行を繰り返した。
朝の鍛錬が終われば、一汁一菜の朝飯を頂戴して装備を身につけ、御仁原の町を出る。
日によって担当区域は変わるが、南西方面がもっともきつい。
「でいっ!」
「殿! 左手からも大角鬼が!」
「俺が行く! 猪楡、敏子様を守れ!」
「承知!」
お祓いする数の半数は自前で狩った魔妖なんじゃないかというほど、鬼も魔妖も多かった。
特に、御仁原より二里を離れたあたりから出くわす、大角鬼が混じった鱗鬼の群が面倒くさい。
小鬼を従えた邪鬼の群のパワーアップ版で、素速く走り回る鱗鬼も手間だが、体高十尺近い大角鬼が振り回す鉄の金棒は、ちょっとした脅威だった。
「ふんっ!」
「お見事!」
正に『鬼に金棒』、小鬼の持つ木の棒とはわけが違う。俺も危うく、鬼貫を折られかけた事があった。
幸いにして、動きはそこらの邪鬼程度であり、落ち着いて金棒かわし急所を突けば――『強い俺』ならば、なんとでもなる。
……逆に言えば、俺自身の底の浅さが露呈する相手なのだが、これも鍛錬の一つ、神通力を使うにしても、ベースとなる俺のスペックが高ければ、それだけ強くなれるだろうと、思いこむことにした。
昼間はひたすら狩りとお祓いの手伝いに明け暮れ、日が暮れる前、だいたい申の刻――夕方の四時か五時頃には、御仁原の町に戻る。
「流石にこれは、俺が担ぐよ」
「はっ、まことに申し訳なく……」
「いや、気にするな。皆の気持ちは嬉しいが、半分は俺のわがままだからな」
大角鬼の金棒は品質は悪くとも総身が鉄で一つが五貫ほど、二十キログラムにもなり、持ち帰るのはかなり骨が折れる。
それでも、重い思いをしながら六本まとめて担いで帰ってきたのは、売ればいい金になるからだ。
会所に顔を出せば、流石に周囲の狩人から驚かれたが、隠しようもないので黙って並ぶ。
「よう、旦那」
「久しぶりだ、九郎」
「そりゃ、旦那がこっちに顔出すのは久しぶりだからしょうがねえよ」
「……ああ、すまん。いつもは任せきりだからな」
「にしても、すげえなあ!」
先日声を掛けてきた『赤籠手』の九郎は、面白そうな顔で、俺と金棒を見比べて笑った。
大角鬼は、狩れば角と魔ヶ魂で五百文になる。
それだけならば大して重くもないし、戦果として、十分と言えば十分なのだ。
「一本二本なら引きずってくる奴もいるが、旦那はほんとにすげえよ。拾い物どころか、狩った時でも迷うぞ」
「ああ、本数が多すぎれば、俺もその場に捨て置くだろうなあ」
「二里担いで持ち帰るとなればなあ……」
順番が来て帳場に魔ヶ魂と角、それから金棒を差し出せば、十二両三分にもなった。
一本一両、重ささえ考えなければ、割といい儲けになるのだ。
金棒は、人が扱う武器としては重すぎる上に質も悪くて問題外だが、言わばまとまった屑鉄の塊である。
東下も含め、三州南部に鉄山や砂鉄の名産地はないので、遠くから取り寄せる運賃を考えれば、質は悪くとも鍛冶屋からの引きがあった。
鍋釜などの日用品の材料には、十分なのである。
ただ、まあ、やはり……重い。
三眼蜥蜴の魔ヶ魂が小さくても同じ一両で、持ち帰る狩人が少ないのも頷けた。
それが終われば、町に繰り出す。
無論、遊び倒すというわけではなかった。
風呂屋でさっぱりしてから、装備品というほど大したものではないが、注文していた大草鞋の買い換えをよろず屋まで取りに行ったり、減った打飼袋の中身を補充したりしていれば、そのうち日が暮れる。
「殿、幸い、懐も多少は暖かくなり申しました。我らは忍帷子を身につけて御座いますが、せめて胴当てぐらいは殿にもご用意するべきかと……」
「うーん……」
今日の儲けの半金である六両を足して、この数日で得た金子は二十両ほどになっていた。
俺は冥加金の為に貯金しておこうと考えていたが、猪楡の言うように、安物の胴当てなら買えなくもない。……無論、大柄な俺の場合は、注文製作になる
鎧具足を身につければ安全度は上がり、猪楡らも心休まるだろうが……御仁原は、物価が高かった。
「とりあえず、鉢金を買おう。これなら人数分揃うだろう?」
「いや、我らは後回しにて……」
「身を挺して俺を庇ってくれる御庭番衆がいてくれるからこそ、俺が自由に動けて、戦果も稼げるんだぞ。正直なところ、猪楡達の具足を充実させる方が、俺の身は安全になると思ってる」
「……殿はそこまで、我らのことを頼みとしてくださいますのか!」
感動に打ち震える猪楡らを見て、相当に恥ずかしい台詞を口にしたと気付く。
しまったと思っても、もう遅い。
嘘は言っていないし、頼りにしているのも本当のことだが、もう少し言い方はなかったかと、俺は内心で頭を抱える羽目になった。
「殿っ! その二十両、某にお預け下さいませ! より一層、御身の守りを堅固とするべく、使わせていただきとうございます!」
「それは構わないが、何に使うんだ?」
「こちらにございます」
猪楡が懐から取り出したのは、先の尖った棒状の鉄――棒手裏剣である。
なるほど、飛び道具は大事だ。
弓矢ほどの大きな射程は望むべくもないが、近距離ならば槍よりもリーチが長く、携帯性も抜群だ。
「北町の職人長屋に、忍道具も扱う鍛冶を見つけました。我ら兎と同じく、備の流れを汲む蛤党の手の者のようで、符丁も既に交わしております」
手裏剣は一度投げた程度で壊れるものではないが、戦場で使う消耗品であり、回収率は決して高くない。
これまでは入手に難があったと同時に、俺が極端なピンチに陥らなかったことで、使う機会がなかったという。
俺はもちろん、二つ返事で許可を出した。
町を冷やかして神社に帰れば、少し早い夕餉を頂戴し、境内で木刀を持った衛士に囲まれる。
「長直殿、いざ!」
「参る!」
無論、新参者の狩人と、虐められているわけではない。
これも日課、衛士の修行の一環であり、日々の鍛錬こそ己が身を助け、仲間を助けるという。
「うぬ……」
「まだまだ!」
衛士達の太刀は打刀より長く、それに合わせた木刀も長い。
この間合いが、俺には少々厄介だった。
黒瀬でも源伍郎らとはよく木刀交えていたが、その時の癖が付いているようだ。
最近、鬼貫ばかり使っているせいも、あるだろう。
しかし、伝家の宝刀たる姫護正道を抜く時のことを考えれば、否はない。
それともいっそ、俺の身の丈に合わせた専用の刀でも打って貰うべきか。
「でいっ!」
「参った!」
日々、重要な金策である鬼退治に奔走しつつも、多少のんびりと過ごせる御仁原での暮らしは、悪くなかった。
だが、国を出て半月余、黒瀬の皆はどうしているだろうかと、多少は気に掛かっている。
手紙の一つでも送ってみようかと、汗を拭いつつ、月を見上げた俺だった。