第八十三話「大社の巫女」
第八十三話「大社の巫女」
狩りの初日は、御仁原の城壁や櫓が見える距離――半里少々で、慣らしを兼ねて小鬼や邪鬼だけを狩ることにした。
まずはペースをつかみ、それを基準にして徐々に力を発揮したいところである。
黒瀬では季節に行う魔妖狩りを、町ぐるみで常に行っているような御仁原だが、総指揮官がいて適材適所に狩人を派遣しているわけではないのだ。
慎重に慎重を重ねるぐらいの方がいいだろう。
昨日、情報収集に行った申樫と岩白の話では、結構頻繁に人死にが出ているらしい。
「殿、これではキリがありませんな……」
「ああ、全くだ……」
常に狩人が鬼を狩り続けている御仁原は条件が異なるのか、出会う群は一つあたり五匹十匹と言った数で、面倒なことこの上ない。
結界の切れ目に見て分かる地形の差はないが、黒瀬楔山周辺と同じように、草刈りがされていたので戦いやすいのが幸いである。
ただ、十分と間を置かず、小さな群と戦わねばならない状況には閉口した。
休憩は、見張りを立てつつ交替で取るか、城壁近くまで戻るしかない。
捨て鬼御免などという特権を許されている意味が、初日だけで分かってしまった。
「なあ猪楡」
「はっ」
背中を合わせで座り込みつつ、正面を見据える。
時間で言えば申の刻、そろそろ戻るのに丁度いい午後の三時かそれぐらいだ。
「連戦の初戦と考えれば、初日でこれはかなり消耗させられているように思うんだが、うちの水主や足軽ならどのぐらい耐えられるかな?」
「今日のような、小鬼邪鬼のみが相手の戦いであれば、一日や二日は、我らと変わらぬでしょう。ただ、半月はもたぬと思います」
「大物狩りは、やはり御庭番衆頼みになるか……」
今日の収穫は小鬼が二百十に邪鬼が七、気分の問題なのだろうが、長く戦った割に、戦果は低い。
群を一つ二つ狩りながら引き上げて、会所に向かう。
「じゃあ、行って来る」
「はっ」
門をくぐった時はそうでもなかったが、会所の中は思ったよりも込んでいた。
「旦那、お侍さんかい?」
「まあ、そんなところだ」
仕方なく列に並べば、待ち時間に飽きているのか、前に並んでいた狩人が声を掛けてきた。
年は俺より少し上あたり、二十五、六に見える。手には今日の収穫だろう、大きく重そうな袋を持っていた。
額には鉢金、傷だらけの胴当てをまとい、朱塗りの手甲がよく目立つ。腰には短い脇差し一つであるが、俺も鬼貫は入り口で待つ申樫に預けていた。
「見かけない顔だな、と思ったんだ。昨日着いたお侍って、旦那だよな?」
「ああ、俺だろうな」
狩人は俺を上から下まで見て、面白そうな表情でにやりと笑った。
「俺は九郎、『赤籠手』の九郎だ」
「三州東下、松浦黒瀬守だ」
「へえ、本物のお殿様かよ!」
ぴゅうと口笛を吹いて、九郎は驚いて見せた。
「普通は手練れの家臣に札を預けるもんだが……その六尺じゃ、手柄も誇りたくなるだろうなあ!」
「そういうわけでもないんだが、まあ、運良く株が手に入ったからなあ」
「へえ……。おっと、俺の番だ。またな、お殿様!」
「ああ、またな」
馴れ馴れしい奴だったが、邪な空気も感じなかったので流しておく。
それに、あの大袋。……暗に身分よりも実力、と言われたような気もしていた俺だった。
軽く手を挙げ、先に会所を後にする九郎と目を見交わす。
毎日狩りに出ていれば、また会うだろう。
「次の方! どうぞ!」
「こちらに獲物をお出し下さい」
「邪鬼の角が七で四十二文、小鬼が二百二十四にて、残り千七百七十六でございます」
怪我もなく、無理もしていないが、無論、大赤字である。
会所の引き取り値は相場の半額から四半分、御仁原の物価は大都市圏のほぼ倍額だ。
これは、狩人株に付随する奉納金だけでは大社の礼に足りず、狩人座からも大金が奉納されていると聞いていた。
「うん、ありがとう」
「はい、ご無事にまたのお越しを!」
もちろん、四十二文の儲けでは宿代にすらならず、帰りに風呂屋へと寄るともう足が出た。
▽▽▽
二日目は西、三日目は北と、俺達は御仁原周辺での小鬼狩りに徹した。
短期目標というわけでもないが、付近の地形に慣れ、同時に小鬼の角の納品を先に済ませたいと考えたからである。
黒瀬で狩れば一つ二文だが、一々しゃがんで小刀に持ち替え角を切り取るのが、かなり面倒くさくなっていた。
お札を張りつけて燃やさなくてもいいことも、それに拍車を掛けていた。
「これで小鬼も六百ぐらいにはなったかな?」
「は、恐らくは」
三日目の昼過ぎ、交替しながら屋台で買った沢庵付きの握り飯を頬ばっていると、狩人ではない一団に出会った。
内裏で見たような大鎧の平安武士――衛士が怪我をしており、烏帽子に狩衣の神職ともう一人の武士が両側から支えていた。
もう一人、白衣に緋袴、白い絹を羽織った巫女が、心配そうにしながらも、周囲を警戒しつつ先導している。
おそらくは、大社から派遣されているという衛士達だろう。
御仁原から伸びている道からは外れているが、狩り場ではあまり関係ない。
近づけば、随分と疲れた表情であることが見て取れた。武士は二人とも怪我をしており、狩衣の神職も、血で汚れている。
軽く会釈をすれば、向こうからも似たような挨拶が帰ってきた。
「あの……」
「はい?」
巫女が躊躇いがちに、俺に向けて声を掛けてきた。
俺も猪楡らも、似たり寄ったりの小袖に野良袴だが……流石に雰囲気で分かるか。
「水を少し、分けてはいただけませぬか?」
「ええ、どうぞ」
猪楡に目配せをして、岩白の一本を残し、竹水筒を三本渡した。
水は大事だが、御仁原までの距離はそうないし、何なら今日の狩りを終わりにしてもいい。懐は心許ないが、まだ追いつめられてはいなかった。
「範雅、先にいただきなさい」
「いえ、姫様が先に! くっ!」
やり取りを見守りつつ、俺は立ち上がった。
大社の巫女達であれば、知り合いでなくても多少は義理がある。……ような気がした。
「見張りは引き受けますから、少し休まれて下さい」
「……かたじけない」
「何か、あったのですか?」
俺は周囲を見据えながら、侍の手当をする神職に声を掛けた。
「浄化の最中、運悪く鱗鬼の群と八走に挟まれてな……。二人、やられた」
「私は数日前、御仁原に来たばかりで……八走とは、どのようなものなんです?」
「畏まらずともよい。八走は八本足の大蜥蜴にて……足も速いが猛毒が厄介でな、手練れの侍が数人掛かりで狩るような相手だ」
「それはまた……。よい情報をありがとうございます」
半刻ほどを雑談で潰したが、見捨てても於けない。
怪我した衛士以外も、疲労困憊の体である。
「怪我をした衛士殿は、俺が担ぎましょうか?」
「よろしいのですか!? 狩人衆はその日の稼ぎが全てにて、一日を棒に振らせるなど、申し分けなさすぎます……」
「皆様は大社のお方なのでしょう? ならばそのぐらいは……」
「姫様、ここはお願い致すべきかと。礼も何も、御仁原に戻りてからでも遅くはありませぬ」
「……そのように」
巫女さんが、俺に向き直った。丁寧な一礼をされて、背筋を伸ばす。
改めて見やれば、年の頃なら朝霧と同じぐらい、長い黒髪と意志の強そうな瞳が印象的だ。
「三州大社にお仕えする柏原中務大丞が娘、敏子と申します」
慌てて片膝をつき、頭を垂れる。
……極端な失礼はしていないと思うが、中務省の勤めなら少なくとも都の『生きた』官位を持つ貴族、想像していたよりも上流の娘さんだった。
全部名乗るのは、久しぶりだ。
「三州東下黒瀬国主、従八位上鎮護少尉、松浦黒瀬守一郎和臣と申します」
「え!? っと、失礼いたしました、黒瀬守殿!」
「いえ、お気になさらず……」
神職殿も俺に頭を下げているが、俺の方が、立場は上なのか……?
中務大丞がどのくらい偉いのかよく分からないが、中務省と言えば俺が世話になっていた義父図書頭の職場、図書寮の上位組織である。
こんな時こそ、和子か静子の補佐が欲しいところであるが、無い物ねだりに過ぎた。
「あの……」
「ええ、はい。ともかく、御仁原に戻りましょう」
「はい」
お互いに遠慮して、微妙な空気が漂っていたが、とりあえず、怪我人の搬送が先決だ。
失礼しますと断りを入れて立ち上がり、怪我をした衛士を背中に担ぐ。
重傷だが、血止めも丁寧にされている。
「猪楡、周囲の見張りを頼む」
「承知!」
見張りと言いつつ狩りも任せたが、流石に小鬼や邪鬼、疾鬼程度で、うちの御庭番衆が慌てることはない。
日暮れにはかなりの余裕を残し、八人に増えた俺達一行は無事、御仁原に帰り着くことが出来た。