第八十一話「添島への誘い」
第八十一話「添島への誘い」
盛夏八月、葉月も半ばを過ぎ、新津の開村に神社の落慶と行事が駆け抜け、ようやくにして領内も落ち着いた頃合い、またもや甲泊から使者がやってきた。
先日と同じく、甲泊代官陣屋配下の中谷若元である。
馬には乗ってきたが急いでいる様子はなかったと聞かされ、信且と二人で出迎えて、二の丸の客間に案内した。
……本丸の広間は、未だ大勢の子供や女衆の声が響く。
若元も、苦笑して無礼を流してくれた。先日の戦役のお陰で、お互い多少は気安くもある。
「黒瀬守様、こちらを」
「拝見する」
先日のような魔妖襲来の援軍要請ではなかったが、花房諸使様からの書状を読めば、少々首を傾げる内容であった。……最近では静子らのお陰もあり、多少ならず、続け字の文章も読めるようになってきた俺である。
さて、その中身だが、要約すれば『三州東津武士団より、添島御仁原の狩人株一株、預かり致し候。出頭を乞う』と書かれてある。
添島は、黒瀬から見て南に浮かぶそれなりに大きな島だ。草州とも繋がる東大島には負けるが、東下よりは余程活気もあると聞いていた。
だが、そもそも狩人株とはなんだろう?
ついでに、出所が東津武士団というのも気になる。戦役で迷惑を掛けられたあの高岡軍曹がいた武士団で、正直なところ印象は良くない。
「なんと、狩人株でございますか!」
「中谷殿、信且。俺は東下の事情どころか、侍の常識にも疎い。……狩人株のことから教えて欲しいのだが、構わないか?」
「ははっ」
若元と信且の説明によると、添島の御仁原は東下の比ではないほど魔妖の沸いて出る場所で、特に許されて嶺州の大神宮から賜った神宝『魔妖祓之御珠』を授かり城内に安置、結界を張っているという。
お陰で御仁原のみならず、その北にあって航路の要衝となっている島口も魔妖の圧力が減って安全になったが、そこで終わらぬのが人の欲、せっかく逃げ込める安全地帯があるわけで、魔妖を狩って儲けることを考える者が現れた。
勝てる相手なら狩り、駄目なら御仁原に逃げ込む。
戦術としては正しいが、皆がそれをするとどうなるか。
御仁原はそれほど大きな街ではないはずが、腕に覚えのある浪人者だけでなく、一旗揚げようとやってきた農民から、果ては一儲けを企んだ大名配下の武士集団までがやってきた。
人の数が多すぎて狩り場で揉め、魔ヶ魂の買い取りで商人が揉め、喧嘩や斬り合いも日常化しているという話は、やがて当時の三州公の耳にまで届いた。
御仁原は魔妖祓之御珠を賜ったことで三州公の直轄地となっていたが、三州公としても、揉め事は困るが、利益も捨てがたい。
そこで御仁原への渡航を原則禁止、『座』と呼ばれる公認の同業組合を組織すると、商人株、職人株、狩人株……特権免状である『株』を発行して人数を制限した。
以後数十年、代官の権限も強化して当地を管理しているが、この株というものが価値を持ち始めたのはその後だ。
売買や譲渡が禁じられていなかったことから、適度に儲けてから売る者や、その株を更に転売する者が後を絶たなかった。
だが、余りにも実力のない侍が狩人株を手にしても役に立たず、御仁原での取引量が減ってしまう。座が動き、公儀への届け出と審査を必須とした。
さて、その狩人株そのものだが、これは入会権に近い。現代風に言うなら入場パスだ。
一株に対して、狩人一人と付き人三人の御仁原渡航が許される。
武具も自前なら怪我の治療も自前、暮らしに掛かる金は少々高いながらも、御仁原には宿もあれば飲み屋も鍛冶屋もあり、遊び場所すら選べるという。
また株には『公役』が付随し、金納または成果の一部献上という、税に似た役務もこなさなければならないそうだ。
「なるほどな……」
「花房諸使様は、先日の埋め合わせのようなものであろうと」
「……埋め合わせ? ああ、うん、何となく分かった」
高岡軍曹と東津武士団二ノ備には、苦労させられたのだ。
勲麗院様も、流石にあれはお怒りだった。
東津武士団が、こちらに詫びを入れたということなのだろうが……。
そのあたりの事情も聞きたいし、早々に甲泊の代官陣屋への出頭すると、静子に書いて貰った返書を若元に預けた。
読めるようにはなってきたが、まだまだ書くのは苦手なのだ。
▽▽▽
「今日はまた、一団と暑うございますね」
「塚があるな。丁度いい、休憩にしよう」
「はっ」
「あと一里ほどか……」
留守を任せて甲泊まで徒歩四日、付き従うのは護衛の子谷と小姓の帆場梅太郎、それから雑兵ながら力の強い弥彦である。
急げば甲泊まで二日を切れるだろうが、そこまで切羽詰まっているわけでもなかった。
それはともかく、船を出すとなれば、またローテーションを組み替えることになり、源伍郎も不在で負担が大きい今、混乱はさせたくない。
馬車ぐらいはあってもいいかなと考えてみたものの、飼い葉に世話に調教に……とてもじゃないが、手を出す余裕はないなと諦める。
こゃん。
あと、なぜかお狐が一匹が同行している。
領外では俺から離れないようにと、念押ししておいた。狐狩り禁止令は、黒瀬国の外にまでは届かない。
「ほほう、呼び出しか」
「ええ、そのようなものです、浜通守殿」
手土産にしては貧相ながら都の濁り酒と山の幸――干した茸や山菜を手に、道中の飛崎、浜通、南香と挨拶を重ね、のんびりとした気分で俺は甲泊に到着した。
久しぶりの甲泊だが、やはり、街が街としてあるのは羨ましい。
少なくとも、買い物が出来る店が軒を連ねている姿には、黒瀬もいずれとやる気を引き出される。
「ご無沙汰しております、諸使様」
「呼び立てて済まぬな、黒瀬守」
待ち構えていたというわけでもないんだろうが、代官陣屋に向かえば、すぐに花房諸使様の元へと通された。
女中が煎茶と茶菓子を置いていくと、諸使様が面白そうな顔になる。
「飛崎は落ち着いたようだが、どこぞの水軍を丸抱えしたと聞く。そちらはどうだ?」
「難しいところですね。義理は通してくれるでしょうが、海に活躍の場を与えてやれるとも思えず、今後のすり合わせが重要かと思っています」
「左様であるな。ああ、困りごとがあれば、遠慮なく申せ。無い袖は振れぬが、知恵ならばいくらでも貸してやる」
「ありがとうございます」
言葉通り、それは本気で最大限の援助だろう。
東下と貧乏は血を分けた兄弟、代官とて例外じゃない。ありがたく、頭を下げる。
「さて、本題だが……」
「はい」
「例の狩人株、どうも三州公が御自ら差配されたご様子でな、大層お怒りだったそうだ。恐らくは勲麗院様の差し金であろう」
「ありがたいことです」
傍らにあった黒塗りの木箱が、俺に向けて滑らされた。
促されて蓋を取れば、狩人株の所有を認める書状と証明書代わりの木札が入っている。木札には既に俺の名が書き入れられていて、裏書きに三州公の花押が認められていた。
魔ヶ珠の礼かなと、あの時の勲麗院様とのやり取りを思い出す。
悪いようにはしないとは仰っていたが、一つ千両の魔ヶ珠を、継続して稼げる狩人株に変えて貰ったようなものかもしれない。
「狩りに出る余裕なくば売るもよし、自らの腕に賭けて稼ぐもよし。……後者の方がお主には都合よかろうがな」
売れば数百両には化けるらしいが、裏を返せばそのぐらいには稼げるということだ。
小遣い銭には出来ないだろうが、黒瀬の飛躍には、財貨が欠かせないことも間違いない。
現状維持は、正直言えばきつかった。躍進の裏側は、それこそ火の車である。
早めに年貢と小物成をベースにした収入に切り替えたいところだが、その為の資金は喉から手が出るほど欲しい。
その日は代官陣屋で一泊させて貰い、翌日、頼まれていた手引き荷車を職人に注文してから帰路についた。
「殿、御自ら添島に赴かれるのですか?」
「もちろんだ。……言い訳をするなら、早期に大金を手に入れないと、黒瀬はいつまで経っても今の黒瀬を抜け出せない。これが最大の理由かな」
可能なら、ここらで婚礼の資金ぐらいは稼いでおきたいという俺個人の事情もあるが……そこまでの贅沢は言うまい。




