第七十七話「新津」
第七十七話「新津」
「従八位下氷田近次郎総隆、これに」
「ははっ!」
近次郎と氷田一党が黒瀬に来て三日、相談を重ねて大方の対応が定まった。
人心を落ち着かせるという意味でも、発表だけは早い方がいいだろうと、皆を集める。
だが、天守の広間……は人で溢れかえっていたので、出陣式のように庭を使うことにした。
「近次郎は以後、上士身分とし、『新津奉行』を命ずる」
「ありがたき幸せ!」
与えた役職は奉行で、家老の下、城代に並ぶ格付けとした。
黒瀬ならば、家老の信且が家臣団のトップ、その下の水軍奉行源伍郎と、飛崎城代小西公成に次ぐ立ち位置となる。
無論、氷田一党にも気遣った結果だが、新参ながらも近次郎は官位を持ち、彼自身の立場も勘案していた。
他にも六人が近次郎の推挙を受け、下士身分の船侍が増えている。
皆で意見を出し合った結果、近次郎には新たな土地『新津』の開発を命じることにした。
そのうち手を付けたいと思っていた、遠山の川の行き着く先の河口州と、その周辺である。
未だに通じる道はないが、黒瀬楔山より東に海路五里、遠山からならば曲がりくねった川沿いに四里半から五里というところだ。
氷田一党からも可能なら海際で集住したいという希望が出されていたし、こちらとしても楔山を大規模に開発するか、別の場所に新村を開くかの違いでしかない。
まだ俺も行ったことはないが、報告はしっかり受けている。川も浜もある入り江は、楔山より暮らしやすいだろう。
遠方とあって労力は余計に必要だが、生産力の向上という点では今後にかなりの期待が持てたし、新津の開拓はその先、未踏破である東端の調査にも弾みがつけられるだろう。
当初、近次郎には新津周辺の土地――知行地を与えて領主に封じようかとも考えたが、これには黒瀬、氷田の双方から反対意見が出されていた。
曰く、独立独歩の基盤もないし、当面は頼らざるを得ない部分もあるが、国主による直接支配ならば、救民や助力の要求も、報告とその対処という形式が取れるとのことだった。
ところが家臣とは言え知行持ちの領主が、魔妖の襲撃でもないのに頻繁な助力を主家に求めるのは大きな恥になるそうで、無理な出世は自らのみならず一党の首を絞めるという。
無理な出世……。まったくもって、その通りである。
『なに、本当に功名が上がったならば、その時にはまた、新たに褒美でも与えて下され』
まずは一党の身を安じようとする近次郎の気持ちは、身に染みてよく分かった。それは尤もだなと頷き、俺も意見を取り下げている。
「では各々、励むように。だが無理はするなよ。まずは東下の暮らしに慣れて欲しい」
「ははっ」
近次郎達は、早速新津に向かうという。
四艘ある廻船のうち、一艘を楔山との連絡に使い、残りは甲泊や東津で仕事を探すそうで、金策はどちらにせよ必要と、その日のうちに港を出た。
また、女子供は楔山で預かるが、廻船に乗らない男衆は、全員新津に向かう。関船鷹羽丸は定置させ、その大きさを活かして当面の根城にするが、正に浮かべる城であった。
これで黒瀬国は西から数えて飛崎、志野、楔山、遠山に加え、新津が新たに拓かれて五ヶ村になるわけだが、衣食住に魔妖の圧力、あるいは経済状況、人心……今の黒瀬がその急成長に耐えうるのか否か、判断が難しい。
気を引き締めるべきか、それとも勢いに乗ってしまうか。
本当に、どうしたものだろうと、俺は夏空を見上げた。
▽▽▽
船侍や水主、漁師、うちから付けた御庭番や船頭など、男衆だけが新津に向かって三日。
「殿、付近の探索は順調、大物魔妖は見あたらぬが小物多し、という報告でございます」
「そうか。……援軍は必要かな?」
「氷田衆も戦力は十分持っております故、援軍はなくとも問題なしとのことですが、あれば開拓も早まりましょう」
「では行くか。新津にだけ顔を見せないというのも、不公平感が出るだろう」
「ははっ」
連絡に使っている氷田一党の廻船『満福丸』が戻るのに合わせ、俺も一度、新津を見ておくことにした。
いつもの瑞祥丸は、三州美洲津への長旅に備えている。
満福丸は三百五十石積み、瑞祥丸より一回り大きい。
増援は俺、子谷に加えお庭番二名と最小限ながら、『お手伝いならわたしが』とアンが手を挙げ、その護衛に朝霧が従う。
荷の方は、初回にたんまりと持たせてあるので大した量ではないが、中米の俵を三つほど、陣中見舞いに持っていくことにした。
「一郎、この子も一緒に行きたいんですって」
こゃん!
加えて、お狐様も同行することになった。
海路五里の順風ならば、朝に楔山を出ると昼前には新津に到着してしまう。
「思ったよりも近かったんだな……」
「帰りは丸一日ってところでやす」
満福丸の船頭勘太によれば、波の荒さは故郷と大して変わらないものの、南方にある添島や東大島のお陰で潮が一定しており、近海に限っては操船が楽だという。
大した高さのない入り江の半島をぐるりと回り込めば、遠浅の砂浜に半ば突き刺さるようにして、鷹羽丸が鎮座していた。
引き潮に合わせて意図的に着底させたのだろう、錨は船尾から長く沖合に伸びている。
無論、万福丸も似たような着岸をして、俺も膝まで水に浸かりながら上陸した。
「おお、殿!」
「近次郎、いい笑顔だな! こちらはどうだ?」
「過ごしやすうござる! 特に、魔妖と魚介のことさえ考えておればよいのが気に入り申した!」
近次郎は晴れ晴れとした顔で、都での鬱屈の原因――口うるさい上司や田舎者と馬鹿にしてくる同僚がここにはおらず実に気楽と、笑い飛ばして見せた。
浜にはまだ、建物などはなかったが、張られた陣幕の傍らには、切り出してきた木が積まれている。
以前に大慌てで長屋を建てたときもそうだったが、真っ直ぐな材木は貴重だ。
多少なら、曲がっていてもそのまま使うし、大工の技には数本の曲がった木から一本の真っ直ぐな柱を組むような技もある。
一本丸太の柱には負けるが、平屋の屋根なら十分支えることが出来た。
「殿、浅沙様。昼餉を頂戴して参りました」
「ありがとう、朝霧」
「ありがと! 朝霧も座って」
「はい」
丁度昼飯だというので、貝雑炊と焼いた鯵をご馳走になる。
今朝獲ったというアサリは、ぷりぷりとして食べごたえがあった。普段は重要な小物成として貝類は食わないが、暮らしを支える売り物になるだけあって、やはり美味い。
鯵は……ふと、久しぶりに鯵フライを食べたいなと、お狐様の椀をふうふうと冷ますアンを見やる。
そう、黒瀬には既にパンの製造技術があり、パン粉も手に入るのだ。
「どうかしたの?」
「いや……ああ、鯵のフライが食べたいなと、思い出してた。そちらだと、フライド・なんとかって名前の揚げ物料理になると思う」
フライド・ポテト……はちょっと違うか。
あれは素揚げで、衣がついてない。いや、小麦粉をまぶしてから揚げるのもあったような、なかったような……。
「揚げ物料理? えっと、お正月の時みたいな?」
「うん。パン粉……ブレッドを砕いて粉にしたものを衣にして、油で揚げるんだ」
「カットレット!」
「うん、それだろう。カツレツとも言ったっけ」
今の黒瀬でも、洋食は作れなくはないが、まあ、祝いの宴席で出すのがせいぜいだろう。
だが、金の掛かる揚げ物はともかく、普段の食事と材料や手間が大して変わらないなら、洋食があってもいいわけだ。
同じものばかりで食い飽きたと子供がだだをこねることも、ないわけじゃなかった。
……料理の知識なんて学校の家庭科と、それこそうろ覚えの料理番組やグルメ漫画の蘊蓄だけだが、女房衆の読み本のように、料理本を書いてみるのも面白いかもしれない。
無理強いはよくないが、試食して美味しい料理なら勝手に広まるし、不評なら消えるだけだろう。
余暇に少しづつ書き貯めていくのも、面白そうだった。
飯を食えば、もちろん仕事が待っていた。
「いってらっしゃい!」
「ご無事のお帰りを」
「うん、行って来る」
アンは地均しを手伝い朝霧はその護衛、俺は近次郎ら氷田一党の数名や御庭番衆、お狐さんとともに、海際を東へ向かうことにした。
「近次郎、東側はどんな様子だ?」
「底浚えをすれば港に使える河口の付近はよいのですが、貝やハゼの期待できるこちら側が少々厄介にて……」
灌木のまばらな丘陵を超えると、かなり大きな干潟が広がっていた。
「へえ……」
「おい、誰ぞ、例の海老尾蟹を殿の御前に」
「ははっ」
下士船侍、弓上手の渡弦一郎が走っていく。
……いつぞや巻き上げた弓は入り用だろうと返しておいたが、えらく恐縮していた。
「海老尾蟹?」
「仮の名でございますれば……ともかく、蟹と海老を足し合わせたような厄介者でござる」
戻ってきた弦一郎が、その死体をぶらさげている。
「こちらです!」
「お、おう、ご苦労……」
色は緑がかった茶色、甲羅だけでも手桶ほどの大きさがあり、甲羅の幅に近い太さの海老の尻尾がついている。
そして両手の大きなはさみは、指ぐらい簡単に落とされそうで、如何にも凶悪だ。
お狐が近づき……臭いを嗅いだかと思うと、そのまま川の方へ走っていってしまった。
死んで間もなくということもなく、臭かったのだろう。
「……初めて見るが、海の魔妖、海魔というやつか?」
「いえ、海魔ではござりませぬが、甲羅は堅固にしてはさみは強く、しかも……」
「しかも?」
「食うてみたところ、これがまあ、まずいの何の! 泥臭い磯臭いなどというものではありませぬ! 某、猪の腐れ肉でもこれよりはましかと存じまする!」
近次郎、魂の叫びであった。
同行の船侍や水主らも、悔しそうな顔で頷いている。
海老に加えて蟹ならば、これは美味いに違いないと、とりあえず茹でてみたそうだが、大失敗だったらしい。
幸い、腹を下したり熱を出した者はいなかったそうだが、味を思い出して夜中にうなされる者が続出したという。
「戦場が泥の上にて、我らも思うように動けず、まともに戦えませぬ。数人で槍囲いをつくり、どうにかこうにか狩っておりまするが……」
なるほど、勝てなくはないし魔妖に比べれば小物だが、これは確かに厄介だ。
すぐに思いついたのは九州有明のガタスキーだが、さて……そうそう上手く行くものだろうか?