第七十四話「夏の訪れ」
第七十四話「夏の訪れ」
長雨が明けた文月七月。
遠山村には陣が張られ、二十人の足軽衆、御庭番衆が勢揃いしていた。
春に続く夏狩りである。
遠山村の安全を確保する意味でも、力を入れていた。
十人一組の二隊に分け、周辺の魔妖を交替で狩るのはいつものことだが、飛崎でも今頃、もう一隊が出陣していることだろう。
この夏の魔妖退治、総大将には道安を指名している。
今後は遠山代官として陸での采配が増える彼に経験を積ませようと、信且や源伍郎と相談して計らっていた。
「では……道安、武運を祈る。行け」
「ははっ! 者共、出陣じゃあ!」
「おう!」
こゃーん!
部隊には、神使の狐が同行する。
近辺の様子を確かめておきたいという榊殿からのご希望だが、人が戦わねばならぬ鬼などはともかく、悪溜穢を見つけたりするのも『お狐さん』の仕事の内だった。
それとは別に、遠方を調査する御庭番衆も数名派遣している。
こちらは将来を見越しての方策で、遠山村の次に開拓すべき場所の候補地探しがメインであり、魔妖退治は二の次、数だけ確かめて群はやり過ごすか逃げろと命じてあった。
「万歳!」
「ばんざーい!」
俺は砦の縁に立って遠山の男衆と共にそれを見送り、試しに作ったという田んぼを振り返った。
青々とした稲が風に揺れ、それだけでいい気分になる。
現在の黒瀬では漁業の小物成を使って食糧の不足を補っているが、その向かう先が領内の遠山になれば、出ていく金が少なく済むわけで、俺の期待も大きい。
「では、こちらも掛かるとするか」
「ははっ」
庄屋の四郎と大工の棟梁久太郎を中心に、手に手に道具を持ち、砦の方々へと散る。
今日のところは、当座の住居、砦の陣張りを長期滞在できるよう整備することなどがメインだ。
後には貸家となる長屋を幾つか作り、個人宅はその後、土地の分配が出来る程度には村が育たないと難しい。
その後陣を引き払い、改めて代官陣屋――屋敷兼代官所を建てることになるが、一体何時になるやら、先は長い。
六郎三郎ら宮大工も、既に仕事を始めていた。
場所は砦から見て北側、神域となる鎮守の森近くで、縄を張ったり地面に石を置いて印を付ける姿が遠目に見える。
敷地だけはおよそ三百坪ほどとそこそこ広めに取ったが、本殿の建坪は十五坪しかない。
榊殿の住居ともなる社務所は予算の都合で申し訳なくも遠山衆任せとなり、付随する灯籠や鳥居などもほぼ最低限で石畳の参道さえ後回しとなった。
それでも東下にもう一つある甲泊の神社と比べて遜色ないというから、領民からの期待も大きい。俺はまだお参りしたことはないが、あちらは海の神様だそうで、源伍郎らも海難避けのお札などを授かりに行くという。
「無事に届いたようですな」
「流石に一日一往復が限度だな」
神社の建立には人足として遠山衆から十人ほど出しており、六郎三郎のところの徒弟の指揮下、
今日は海岸近くの岩を切り出していた。アンも手伝ってくれているという。
しかし、一度に運べる重さに限度があり、かと言って大人数を投入するわけに行かずと、悩みどころである。
荷車も増備したいところだが、聞いてみたところ一輌が二両二分と結構な値段で、そうほいほいと買い増しするわけにもいかなかった。
しかし、黒瀬も人が増えて徐々に……というには急速すぎる発展振りだが、人の数が三倍になったのだ、勢いも三倍なら消費も三倍である。
蔵の米麦は必要に応じて放出し、あるいは買い入れているものの、黒瀬と遠山の二百五十人だけでも一ヶ月で五十俵近くの消費にもなった。
今後は増える遠山との往復も考えるなら、四、五輌買い込むべきか……要相談としておこう。
「女衆に負けてはおられんでな」
「うんむ」
遠山の女衆は黒瀬で貝殻を焼き、あるいは布海苔を取りと、建材の確保の確保にあたっていた。
鍬で邪魔な石を掘り出しつつ、あるいは切り出してきた柱材を荒く整えながら、あれこれと展望を語る。
「ん、坂んねえのがこいほど楽じゃとはのう」
「はよ子供らも呼びたいところだのう」
「おう万吉、そっちはどうじゃ?」
「素焼きにもならんが、仮火を入れたところじゃ。明日、品や窯の歪みを見る。内壁や火入れ口の手入れはそっからじゃな」
陶工の万吉だけは息子を連れ、里山に近い場所で焼き竃を作り始めていた。皆の協力で、掘っ立て小屋ながら、既に仕事場も用意されている。
田畑と違い、この夏からでもほぼ確実に現金収入が得られるので、遠山衆にも頼りにされていた。
土運びや薪集めの日当が、村の経済を回す一番最初のとっかかりとなるのだ。
「そろそろ上がろう。雲が出てきた」
「おう!」
日が傾けば今日もまた夕立だろうからと、その日は早めに仕事を切り上げた。
▽▽▽
遠山での手伝いは、お殿様が気に掛けているんだぞという顔見せの意味合いが強かった。
毎日とは行かないが、同じく飛崎の様子を見に行ったり、黒瀬の港で今の時期はこれだという飛び魚の干物を作る手伝いに出たりしていた。
飛び魚は生を焼いても旨いが、干したやつは特に出汁が美味である。また、酒の肴にも手頃で、甲泊へと売りに出す夏の大事な商品であった。
「へえ、州が見つかったのか」
「航路もあります故、黒瀬の数里先に入り江があるのは知られていたのですが、遠山の川の行き着く先がそこであったようで」
「小さいながら、砂浜もございました」
数日して戻ってきた御庭番衆からの報告に、これは朗報かなと、皆で飛び魚の一夜干しを口にしながら思案する。
入り江であれば、当初の設備が貧相でも船の安全を確保できた。
川があるのなら、真水の確保も苦労はしない。大きな水源の近くなら、井戸を掘っても水の出は良好であることが多かった。
「魔妖の数はどうだった?」
「それほど多くは見ておりませぬ。小鬼に邪鬼と、いつもの奴らでございました」
「そうか、ご苦労。……人手の確保が出来次第、というところだな」
「ははっ。遠山はともかく、他の二ヶ村も、まだまだ手入れが足りませぬ」
飛崎は畑の拡張を指示、水量の余裕を見ながら徐々に増やしていた。
黒瀬城下でも、漁の合間に新たな貯水池や翌年を見越した畑の縄張りを始めている。
燃料の供給源となる里山は北に設ける予定で、開墾予定地から適当な大きさの苗木を引っこ抜いて移植していた。
選べるほどの種類はなくとも、楢や樫など、いわゆる『使える』樹木なら、今のところはなんでもいい。
消費量が増えることを見越した、量の確保が優先である。
……あるいは、炭焼きなどの山仕事をメインとする山村の確保まで見越すべきか。
「当面は内向きに力を入れるが、詳しい調査だけは頼んでもいいか?」
「承知」
御庭番衆こと兎党も、調査に魔妖狩りの助力にと忙しいのだが、志野の砦にも人を出している。
こちらは忍砦という性格上、土台の仕掛けなどにも気を配らざるを得ず、内輪で人を回すしかない。
余所から人手を呼ぶというわけにも、いかなかった。
「それから……城の東に、田は作れそうか?」
「夏雨で水は大概溜まり申しましたが、手を入れてやれば、西の畑と同じく、問題なく使えましょう」
「ただ……遠山衆にも相談を持ちかけたのですが、あまり水田によい地ではないだろう、と」
躍進する飛崎、遠山に負けてはおられぬと、黒瀬の生え抜き達も気力十分である。
三十数人いる水主の半分以上を応援に出しつつ、ほぼ毎日小早で漁に出ていた。
「溜め池を上流に作ることが条件、また、潮含みの海風がきつく、海際では収量が期待出来ぬはずと申しておりました」
それもそうかと、ため息をつく。
しかし、まったく出来ぬというわけでもないらしい。
水の管理は大変だし、経験話は遠山衆に聞けるとしても、黒瀬衆には初の事業だ。
「では、里山にする予定地以外、草木の伐採線を数十間づつ広げ、本格的に開墾を行おうと思うが……いつもの東下菜と雑穀にしておこう。やはりこちらも、数量の確保が先だ」
皆の顔を見回し、諦め切れぬだろうなあと、俺は笑顔を作った。
「だが、水田も作ろう。皆、楽しみにしてたんだろう? 二期作……ああ、今年はもう時期じゃないと思うが、来年、失敗しても、へこたれるなよ」
「ははっ!」
「だが、そちらにかまけすぎても困る。最初は一反のみ、試し田にしておくんだぞ」
「ありがとうございます!」
自分達で作った米を食べたい気持ちは、よく知っていた。
水田は黒瀬の民にとり、ある種の憧れなのである。