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第七十三話「夏雨三景」

第七十三話「夏雨三景」


 水無月に入り、季節は初夏から夏へと移ったが、東下の長雨は俺が想像していたような梅雨ではなかった。


「殿、如何されました? 縁側の向こうに、何か……?」

「いや、雨を見ていた。夏は長雨と聞いていたが、確かによく降るなと……」

「風のない分、今日は幾分ましでありますな」


 ざあざあと一気に降っては大地を流れ、また晴れる。

 東南アジアの雨期に近いかもしれない。


 また、一日中降る日は少なく、雨は午後が多かった。

 夕立のすごいやつ、みたいなのが大挙してくるイメージだ。


「皆の様子はどうだ?」

「出漁もなく気を抜いておりますが、夏本番は何かと忙しゅうございますれば、中休みも宜しいかと。買い置きの藁で縄を()うのも、湿気ておるこの時期が一番楽であります」

「夏前の休み、か……」

「ははっ」


 三艘の小早は陸揚げされ、船底に着いた牡蠣殻を剥がしてから、ひっくり返して浜に置かれている。

 十人乗りの小船ならではの、荒天対策であった。


 水主達も普段は手の回らない武具や漁具の大整備、家屋の手入れなど、休漁中にしか出来ない仕事に精を出している。

 忙しすぎることもないが、中休みにしては休みになっていない。


 それは水主衆に限ったことではなく、遠山衆も同じだった。

 長屋の暮らしぶりを向上させようと、あれやこれやに手を出している。


 木工職人でもある大工の棟梁久太郎(きゅうたろう)は、衣桁(いこう)という衣紋(えもん)掛け――和服用のハンガーを吊す家具や、普段は食器をしまい食事時には台になる箱膳(はこぜん)など、普段遣いの日用品作成に忙しい。当初は商売抜きで、皆の分を作ると張り切っていた。


 陶工の万吉(まんきち)は陶土の話を聞きつけ、時折、蓑と笠をまとい、村衆を連れて土掘りをしている。開窯(かいよう)は遠山の村が出来てからになるが、灰や焼いた貝殻を使った釉薬(ゆうやく)まで準備していて、もしも良い品が焼ければお殿様にも献上しますと笑顔だった。


「お?」


 こゃーん!


 ひょこひょこひょこと、襖の向こうから三匹の狐が顔を出した。


 榊殿にどうぞと返事をしてから数日せずにやってきた、都の神社の狐達である。


 あまりにも到着が早かったので、皆は目を白黒させていたが、神様の狐だからという至極おおざっぱな説明で納得していた。


 いや、理由のつかない不思議も、大倭では不思議ではないのか。

 こちらは神様も魔妖も実在する世界なわけで、俺の方がまだ『常識』に馴染んでいないだけかもしれない。


「ん? 遊んでおるのか? この雨では退屈であろうなあ」


 こん。


 信且に撫でられて目を細めているが、俺は『神様のお使いの動物』を通りこえて、『動物神』じゃないかと思っている。

 一匹二匹ではなく、一柱二柱と数えるべきか、微妙なところだ。


 狐達は部屋飼い出来るほどによく躾けられていて、女房衆だけでなく領民にも人気で、わざわざ城まで撫でに来る者もいた。


 こゃん。


「……ん、よしよし」


 だがまあ、かわいい狐に懐かれて悪い気はしない。

 向こうから言われない限りは匹でも頭でも柱でもいいかと、棚上げしていた。




 ▽▽▽




 長雨も後半分という月半ば、瑞祥丸も港を飛び石のように使って雨を避け、無事に帰港した。


 雨で当分仕事も出来ないという、宮大工の一行を連れての戻りである。


「儂は東津の棟梁、本橋(もとはし)六郎三郎(ろくろうさぶろう)。この度は本業の宮仕事、まことに有り難く」

「松浦黒瀬守です。こちらこそ、お世話になります」


 口数が少ないながら、如何にも職人気質(かたぎ)という風情の老人に気圧されそうになりつつ挨拶を返す。


 六郎三郎は苗字帯刀を許された名のある大工にして、この近辺でも一番の腕の持ち主だという。


 ……源伍郎に聞いた話では、神社の新築などこの田舎では二十年に一度あるかないかで、普段は修理か、あっても小さな村社がせいぜいなのだという。


「百両の大仕事には、百両分の手間を掛けさせて貰いやす」


 雨でも出来る仕事、下見に向かいたいという六郎三郎に、遠山衆を紹介する。


「皆、水には十分、気を付けろよ」

「おう!」


 無論、こちらも雨だからと、完全に外仕事がなくなるわけではない。


 取水口は入り口出口に岩を放り込んで閉じていたが、それでも見回りは欠かせず、三日に一度は様子を見に人をやっていた。


 雨量の記録は続けていたが、東の原野は水浸し、西の畑は流されこそしなかったものの、根腐れが心配な状況になっている。


「では、出発!」


 遠山村の新田は、仮に植えた――直播きされた稲は無事に新芽を伸ばしていたし、水の溜まり具合もはけ具合も悪くなかったが、取水口より下流は問題なくとも、上流側及び西側をどうするか、追加の配置が難しいと、四郎らは困り顔であった。


 開墾当初の数年は収量が低いと相場が決まっていたし、安定してからでも、同じ村の隣り合っている田でさえ、上田・中田・下田とランク付けがされるほどの差が出る。


 これは位置による日照との関係や、水源との遠近による水温の差、土の善し悪しなどが要因で、努力だけではどうにもならない。


 また、将来的には、遠山村石高△△石、畑(ぜに)□□(かん)というトータルに対して税を掛けるのだが、田畑のランク付けによって各戸に割り振られる年貢を均等と『しない』ことで、公平性を保つのである。


 まあ、それこそ当初は年貢を取るどころか麦の手当が必要なのだが、突発事態がなければ、漁労で得られる小物成と資産の切り崩し――具体的には、俺の手元に残された百両余――で、来年の末までは皆揃って食える計算が出来ていた。


「さて……」


 皆を見送れば、俺には珍しく、毎日少しづつでも片付けていかなければ追いつかない書類仕事が待っていた。


 遠山の開村について、先に仕上げねばならない触書やら許状やら認め状が、結構な量ある。


 飛崎の方は村が既にあり、ほぼ追認するだけだったので城代小西公成に『宿題』として丸投げしていたが、遠山は新規で、面倒でも一から作り上げなければならない。


「お帰りなさいまし」

「お待ちしておりましたよ」

「うん。今日もよろしく」


 静子や和子に手伝ってもらいつつ、筆を手にする。字の練習も兼ねているとは口に出せないながら、俺への『宿題』でもあった。




 ▽▽▽




「さあさ、どうぞ」

「し、失礼致します!」


 水無月の暮れ、本丸の広間は珍しく賑やかな様子となった。


 資子殿主催の大茶会である。


 女房衆も総動員で、彼女達の私物だろう、数個の茶碗を忙しく使い回していた。


 息抜きも兼ねているので、いつぞや静子に習ったような、堅苦しいものではない。


「女房様、苦いです!」

「茶はその昔、薬にもされておりましたからね。その代わり、添えた甘味も引き立つのですよ」

「はあ……おお! 黄粉飴がこんなに甘く!」


 広間は広間と言いつつもさほど広くないので入れ替えだが、領民らにも出入りを許していた。


 茶碗を使って抹茶を飲むなど初めての者も多く、口々に感想を述べている。


 久しぶりに水飴が作られ、茶菓子……いや、茶請けには、嵩増(かさま)しも兼ねて黄粉(きなこ)飴が選ばれていた。無論、飛崎にも人数分を届けさせている。


「殿は、こちらですよ」

「静子!?」

「お作法のおさらいです」


 士分も交代制だが、半強制的に縄編み座布団へと座らされていた。


「お作法など後からついてくるもの、今日のところは殿を手本に、ゆるりと流れをご覧なさいませ」

「ははっ」


 俺の両隣には、緊張を隠せない梅太郎と戌蒔が並んでいた。


 これを機に、侍たるもの、田舎暮らしに甘えず茶の作法を学べと言う、『ありがたい』申し出である。


 だが、意識改革にはいいのかもなと、思ったりもする。


 茶は遠い都の文化にして、同時に武家作法の一つでもあり、本来は身につけておくべきもの、学んで悪いということもない。




 しかし俺にだけは、この茶会を開いた本当の目的が知らされていた。


『出会いの糸口の一つになれば、私も心安うございます。……下向に付き合わせてしまった女房達には、是非とも幸せになって貰いたいのです。』


 資子殿はそう言って、俺に頭を下げた。


 その気持ちは、よく分かる。

 俺が国主として半ば父の役割を負うなら、資子殿は正に母親の代わりなのだ。


 ……一度でも茶席を体験させていれば、それを口実に、『作法のおさらいをされませぬか?』と誘うことも出来る。


 本人が恥ずかしがるなら、男衆は俺が誘ってもいいだろう。『……すまん、急用を思い出した』などと、途中で下手な芝居を打つぐらいはお安い御用だ。


 もちろん、資子殿なりうちの嫁さん達なりが場を世話することも出来る。


 だが、茶席に呼ぶという口実は、他にも活路が見いだせた。


 出会いだけでなく、気軽な相談や酒席とは違う労いにもなるし、経済面でも極端な負担がないのである。


 ……まあ、茶道具に茶室、上等の茶に茶菓子と、いくらでも金の掛けようもあるのだが、それこそ勲麗院様がご馳走してくださった野点でも十分だ。


 これが武家の作法に茶席がある理由かもなと、俺は改めてその効果を見直していた。


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