第七十二話「水脈と志野村」
第七十二話「水脈と志野村」
勘助は数日滞在し、遠山村予定地の下見の他、手代達を使って聞き取りなどをしていた。
「黒瀬守様、店の立地については楔山、遠山のどちらか決めかねており、後ほどといたしたく思いますが、蔵については港のある楔山にお願いいたしたく存じます」
「規模が問題だなあ……。一つ二つならともかく、城下には長屋も増えたし、勘助の商いには応えきれないかもしれないぞ」
「それ以上に必要になれば、またその時、お願いに上がります」
水主の休憩を入れたという瑞祥丸の事情もあるが、彼自身も俺へのアピールというわけではなく、本気で開業を検証しているようだった。
もっとも、当初の商いは船を雇って各地で手広く商売を行う『交易』を主体とし、黒瀬には店を出すが丁稚の教育と俺への繋ぎが目的だという。
だからこそ商売も成り立つのだが、閑古鳥の鳴く店も使い方一つで役立ちますと、勘助は笑顔を見せていた。
「かねてより、思い描いていたことなのです。繁盛させられずに店を畳む商人は数知れず、とは、世に知られた事実でありますが……繁盛せぬことも予定の内にして、手代や丁稚が修練を積む為の店があれば、さぞ面白かろうなと」
「なるほどなあ」
この図太さと切り替えの早さは、流石にやり手の商人である。
時代には早すぎるが、商業高校のようなものかなと、勘助に頷いた。
夢を語るのも楽しいものだが、俺も朝から晩までそちらへと付き合うわけにも行かず、アンと御庭番衆を連れて、楔山城から一里少々の西、道から少し外れた灌木と雑草の生い茂る原野へと足を向けていた。
「【clarus aqua quaerere】。……大体この辺り、あの木とこっちの石を結んだ線が、水脈の浅くなってるところね。どこがいいかな?」
フローラ様がお帰りの際、使っておらぬ水脈が勿体ないとアンに言付けていたそうで、国内にある井戸の水脈も『ついでに』手入れして下さったと聞く。
今の黒瀬には水路もあるが、飛崎は大助かりどころではない。頭打ちとなっている畑も増やせるだろう。
もちろん、そんないい話を放置するわけもなく、信且らと幾度も話し合った結果、飛崎には水量を見つつ開墾増進を命じ、こちらは新たに、兎党の隠れ里『志野』村を開くことにした。
上士身分のそれぞれには、戌蒔らが忍であることを既にうち明けていた。
『流石は殿、忍を配下に持たれるなど、やはり並のお方ではござりませんでしたか……』
『いや、戌蒔は和子の護衛が主で、俺の方はおまけだぞ』
『某、殿には心酔しておりますれば、おまけなどとは思うてございませぬ』
全ては明かさなかったが、和子らが都の公家の娘で、本来なら細国大名の妻になどならないような身分であると、付け足しておく。
『あの、では、お付きの女房方も!?』
『詳しくは俺も知らない。でも、皆揃って、いいところのお姫様のはずだ』
『は、はぁ……』
肩を落として落胆する道安は今年二十二、巡り合わせが悪かったのか、未だ独身だった。
懸想のお相手は……何となく想像はついたが、そこは言わぬが花であろう。
『全員、内裏勤めの官位持ちだったのは間違いないが……道安』
『はい、殿?』
『惚れた腫れたについては、俺もとやかくは言わない。但し、お天道様に顔向け出来ないようなことはするなよ』
『それは無論!』
『よし。正々堂々口説き落として、報告に来い。盛大に祝ってやる』
『は、ははっ!』
実家と縁を切っているということもないが、家出同然の彼女達である。
必然的に俺が面倒を見ることになるわけで、『うちの娘さん』達でもあった。
距離一里なら往復するにも近く、楔山城の盾――警戒線を張るための出丸としても丁度いい立地だと戌蒔は頷いていた。
だが、出丸だと隠れ里にはならないんじゃないかと聞いてみれば、忍砦とした出丸の後背地、北東側に小さな集落を設けるらしい。
表向きは『黒瀬志野砦』に詰める足軽らが住む『志野村』、その実、忍党兎の隠れ里、というわけである。
中身ついては丸投げというか、俺が事細かに口を出す必要もなく、出来上がりは是非見せてくれと頼んでおくに留めた。
戌蒔によれば、志野砦は実際に黒瀬楔山城を守る機能も持たせるが、将来的には忍砦――詳しく聞いてみれば忍屋敷の上位互換――にしたいそうだ。
「戌蒔、どうだ?」
「あの小さな丘、あちらを本陣に使いたく思いますので、この辺りであれば、大変に助かります」
「じゃあ、ここにするね」
アンはもう一度呪文を唱え、一気に深さ五メートルほどの井戸を掘り抜いた。
待つことしばし、泥水の湧き出しを確認する。
「ふふ、最初はどうしても魔法でかき回してしまうから、手で掘るより濁るわ。きちんと石積みして、水を落ち着かせてから使うの」
「井戸掘りなんて初めて見たから、驚いてた。ありがとう、アン」
「ふふ、どういたしまして」
実は泥水も割に有用であると、こちらに来て知った。
畑に撒く水なら、これでも上等なのである。
また、そのままでは飲み水に使うことが出来ないが、腐った水でなければ方法もあるらしい。
「戌蒔殿、土台だけでも先に作りましょうか?」
「い、いえ、浅沙様のお手を煩わせるなど……」
「いつもみんなを守ってくれているお礼だから、気にしなくていいの」
戌蒔は躊躇していたが、押し問答の末についでだからと小さな丘の周囲に荒い掘が形作られ、土盛りが丘を小山にした。
突いて押し固めればもう少し低くなるだろうが、築城時には矢狭間なども付け加えられるから、小鬼――あるいは人が相手なら、十分な高さだ。
「長」
「うむ」
「周囲半里に魔妖見かけず。収穫は山の幸少々なれど、陶土あり」
陶土はそのままの意味で、陶器に使う土のことだが、粘土とは限らない。見せて貰った陶土の欠片は乾いていた。
砕いて目の細かいザルで篩い、水に混ぜ練り上げて寝かせるそうである。
「陶土があれば、城の補修にも使えますな」
「あの瓦屋根も、いつの物か分からないぐらいだからな……」
だが、大量に瓦を焼くとなると、薪も同じだけ必要である。
これは先送りにするしかないか。
散らしてあった忍が戻ってきたのに合わせ、その日は縄張りも切り上げて城に戻った。
▽▽▽
「黒瀬守様。本当に、何から何まで、お世話になりまして」
「いや、世話になるのはこちらの方だろう。毛皮の件、しっかりと頼むぞ」
勘助には、資子殿の書いた豪商『勢田屋』への紹介状とともに、図書頭様や備玄貞殿へと宛てた書状や手紙などを預けた。女房衆なども、それぞれに手紙を書いている。
つい先日、忍の頭領二人が訪れた折以来だが、便りが多くて困るということもないだろう。
「手前、今年中には必ず戻って参ります」
「そんなに早く来て貰っても、勘助の苦労が増えるだけだぞ。……まあ、楽しみにしている」
源伍郎にはご苦労だが勘助一行を送るついでに東津ともう一往復、今度は宮大工を迎えに行って貰うことにした。
渡された手付けの百両もそのまま瑞祥丸に預け、神社の建立費用へと回している。
大工にもよるが、神社の新築なら安くても建坪一坪あたりおよそ銀二百匁、小判にして四両が相場だという。
百両なら最大二十五坪……いや、本殿の他に社務所なども要るだろうし、もっと小さくなってしまうか。
普通の家屋ならその半分、費用は神様に自弁して戴いているのだから、俺がとやかく言うわけにも行かないが、やはり高い買い物である。
だがまさか、突貫で建てた長屋のように、指揮をしていた遠山衆の大工の棟梁と弟子以外は全員素人で梁や柱の歪みなどご愛敬、後から無理矢理な補強を施してそれを隠したお陰で、強度は十分だが妙に壁が厚いなどというお社は……うん、やはり多少高くついても、宮大工に頼んだ方がいいだろう。
「ほれ、出船じゃ出船じゃ!」
「おう!」
瑞祥丸の黒瀬への戻りは水無月――六月に掛かってしまうが、水無月に入ったからとすぐに大雨になり海が荒れるわけでもない。
源伍郎には、嵐が来たら無理するなよと、いつものように言い含めておいた。