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第七十一話「海道屋の勘助」

第七十一話「海道屋の勘助」


「殿! ただいま戻りやした!」

「ご苦労、源伍郎。……どうだった?」

「はっ、その件なのですが……」


 港に向かえば、源伍郎達も瑞祥丸も出航した時と変わりない様子だったが、桟橋に見慣れぬ客人が数名いた。


御目文字(おめもじ)叶いまして光栄に存じます、黒瀬守様。手前は海道屋番頭勘助(かんすけ)東津(あずまつ)の店を任されておる者にございます」


 源伍郎に紹介された勘助は三十絡みのイケメンで、着物もこちらでは珍しい上製の織りなら所作も洗練されていて、流石は大店の番頭だなと感心させられる。


 付き従う手代らも上等のお仕着せで、金のある大店という印象がより強くなった。


「海道屋には、戦役でも大変お世話になったと聞きます。……わざわざ黒瀬までお越しになられるとは、思いませんでしたが」


 俺は若干の警戒心を抱くと共に、下手(したて)に出ざるを得なかった。

 支配人などとも呼ばれるが、店を任されている番頭なら暖簾分けか大番頭の手前、勘助はやり手の商人(あきんど)なのだろう。


 それに、海道屋の経済力――資本は、魔妖素材の代金千二百両を、見積もりを頼まれて三日でぽんと出せる店だった。黒瀬国が百個束になったところで届きやしない。


 そもそも売りつけに行ったのはこちらで大名商売など出来るはずもなかったし、可能なら上機嫌で大金を出して貰いたいところなので、上から押し付けるという選択肢は最初からない。源伍郎にもその点は言い含めてあった。


 だがしかし、そんな大きな店の番頭が、手代を引き連れてわざわざ訪ねてきたわけだ、良い物を売っていただきましたと礼を述べて話が終わり、というわけじゃないだろう。


「手付けに百両、携えております。……実はお預かりいたしましたあの毛皮、手前の裁量を超えておりまして、ここは一つご相談をばと、罷り越しました次第でございます」

「……は? それほど、なのか!?」

「はい、それほど、でございます」


 思わず素に戻ったことを謝りつつ、城に案内する。

 勘助は物珍しそうに城内を見ていたが、うちの『見積もり』でも出しているのかもしれない。


 しかし、毛皮が高く売れる分には嬉しいが、これはどうしたものやら、である。俺の方こそ、裁量……いや、細国国主の度量を超えていそうだ。


 だが居食い猿虎は、東津武士団の高岡軍曹でさえ、その名を知っていたほどの大物魔妖である。

 多少色を付けてでも、売り手を伏して貰うべきか、後で嫁さん達にも相談しよう。


「源伍郎、誰かに言って、手代達は城で休ませてやってくれ」

「ははっ」


 二の丸端にあるいつもの客間で、勘助と向かい合う。


 ……交渉事など、苦手というよりやったことがない俺だ。

 しかしこれからはそうも言っていられないわけで、先が思いやられる。


「失礼致します」


 上客だと見越されたのか、茶杯は資子殿が自ら運んできてくれた。


 祐筆には、政治的見識を期待して和子を指名する。


「さて、黒瀬守様。先ほど、手付け百両と申し上げましたが……」

「ああ、お伺いした」


 もう今更かと、口調を戻す。


 幸いにして、多少の無礼なら、身分差というものが俺を守ってくれる。自分から礼儀を蔑ろにする気はないが、慣れない口調で飾るより誤解のない分いいだろう。


「実は手前、算盤(そろばん)を弾きかねておりまして……あの毛皮、上物中の上物であることは保証いたしますが、どこまで化かしたものかと、ご意見をお伺いいたしたく思っております」

「へえ……」

「黒瀬守様は、段坂帯山の戦いにてご活躍があったとお伺いしております。できますれば、当店もお力もお借りいたしたく」


 勘助は小さく会釈をしてから、俺の顔をしっかりと見据えた。


 同時に俺の値踏みもされているようだが、さてさて何両の値が付くだろうと考えつつ、和子に目配せする。


「あの、勘助殿」

「はい、奥方様?」

「差し出がましいようですが、勘助殿のお力『のみ』でしたら、どこまで化かせますのでしょうか?」

「大旦那様にお伺いを立てた上で、踏ん張って三百両、というところでございます」


 三州公は無理でも、近しいどなたかに運良く御用伺いが叶ったとして、大凡そのぐらいが限度だという。


 しかしその三百両、俺には望外の大金だが、勘助にはその値付けが我慢できないらしい。


「大旦那様もよく嘆いておられますが、海道屋のような田舎商いでは、これが限度にございます。都であれば、五百にも一千にもなりましょうが……」


 それは、確かに。

 小鬼の角でさえ、田舎のこちらでは二文、都なら一つ六から八文と大きな差があることは、俺も知っている。


 流通がまだまだ未発達でそのコストも高く、都と地方には現代とは比較にならないほどの格差が存在していた。しかも、一朝一夕には埋められないし、埋まらない。

 ……その差を利用した商売もあるのだが、当然、そちらはそちらで商人にとっての戦場である。


 そこでそれら事情も勘案し、恥を忍びつつお願いに上がった次第ですと、勘助は俺に平伏した。


「黒瀬守様は、遥か都より三州東下に下られたとお伺いしております。小さな商家で構いませぬ、どうかどうか、都の商人への紹介状を一筆、この勘助にお預けいただけませぬか?」


 同じ高価な品でも売り方で値が変わるので、高く売りたいなら海道屋に協力してくれ、というところか。


 義父図書頭様あたりに手紙を書けば、仲介ぐらいはして貰えるだろうが、商人の知り合いは……。


「すまないが、俺には(つて)がないな。……和子はどうだ?」

「わたくしよりも、静子殿や資子殿の方が、よくご存知かと」

「そうだな、ごめん」


 年若い内親王殿下が自ら商人と交渉するわけもないので、これは俺の質問が悪かった。


 早速二人を呼んで、話に加わってもらう。


 ふんふんと頷いた静子と資子殿は、勘助を横に置いて、あれこれと話し始めた。


「宮中御用達の商人であれば、紹介状ぐらいはどこでも書けましょうが、選ぶとなれば、難しゅうございますね」

「そうですわね……。資子殿のお勧めは?」

「品の扱いや商いの得手不得手もありましょう。上等の毛皮であれば戸倉屋か、勢田屋あたり……」

「五条屋に中野屋もありますわね」


 うん、流石は実務経験者、ここぞと言うとき頼りになる。


「あ、あの……!」

「どうかなさいましたか、勘助殿?」


 静子と資子殿が並べていった屋号に、勘助の表情が驚愕へと染まった。


「あの……お二方のおっしゃる店は、大店中の大店ではございませんか!? それも宮中御用達の商家に、紹介状ぐらいはどこでも書けるとは……」


 名前だけ聞いてもよくわからない俺はともかく、商人には無視の出来ない屋号なのだろう。


「今は昔、都にいた頃のお話ですよ。……そうですね、従五位下薄穂(すすきほの)女房殿?」

「はい、正四位下典侍(ないしのすけ)北山(きたやまの)中将(ちゅうじょう)殿」


 俺でさえ聞いたことのない名乗り――宮中にて公の場で使われていただろう女房名と、普段は見ない態度の二人に、若干の黒さを感じる。


 ……後から聞いたが、和子の目配せを受けて大体の状況を見て取ったこの二人は、商人との交渉など先手必勝、うちのお殿様なめんなと攻勢に出たらしい。


 ま、まあ、内裏の内側は権謀術数渦巻く政治と謀略の世界、その中で戦い抜いてきた『猛者』達なのだから、このぐらいは当たり前……当たり前でいいのか?


 如何に大店の支配人格番頭とて、これでは相手が悪すぎる。


 居食い猿虎の取引と交渉については、勘助も万全の備えで黒瀬にやってきたはずだ。

 無論それは、俺の従八位上の官位と細国黒瀬に対する準備であって、正四位下や従五位下の貴人は想定外だったに違いない。


「へ!? で、では、奥方様も……」

「わたくしは、官位を賜った事はございません」


 和子は小さく笑みを浮かべ、首を横に振った。


 ……この後の展開が読めてしまい、そろそろ勘助が可哀想になってきた俺である。


「し、失礼いたしました」

「ですが品位(ほんい)なら、三品(さんぼん)を与えられておりました」


 ほっと肩の力を抜いた勘助が気を取り直したところに、案の定、狙ったような追い打ちがかかった。


「品、位……!?」

「じきに黒瀬守様の妻となりますが、今はどこにでもあるような公家の娘、そこまで大仰に驚かれずともよいのですよ」


 品位とは、帝家の血脈だけに許された階位で、正一位から小初位下まである官位と同じように、一品から四品までの四段階があった。……普通は貰えないどころか、口にするのも憚りがある。

 

 一瞬ぽかんとした勘助は、血の気の引いた白い顔でびくんと跳ね、平伏したまま動かなくなってしまった。




 ▽▽▽




 俺の方から仕切りなおしを口にして、和子らに目だけで礼を言って退席して貰う。


 夕方にも早いが、客間に酒席を整えるよう頼むと、麦飯の湯漬けと鯵の刺身、昆布の煮付けと東下菜の味噌和え、それに都からやってきた下品の濁り酒が出てきた。


 俺には来客時のみ許された贅沢飯だが、大店の番頭なら普段からいい物を食べているに違いなく、これも今後の課題だなあと、濁り酒を味わう。


「勘助殿、そんなに気を落とさなくても……」

「は、ありがとうございます」

「……今更だが、無礼講を許す、とでも言った方がいいかな?」

「いえ、お気遣いなく」


 酒杯を満たしてやると、勘助は一気に煽った。


 疲れた表情だが、心折れたという風でもなく、迷いを抱いているようにも見えた。


「嫁さん達はともかく、俺は正真正銘の飛ばされ者で、去年の今頃は小物格の雑兵だったからな、口調も態度も気にしなくていい」

「そうで、ありますか……」


 大店の番頭の方が余程偉かったんだぞと、下手な冗談を口にして、もう一つ、杯を満たしてやる。


「……黒瀬守様」

「ん?」

「手前は、何をしておったんでありましょうな……」


 大きくため息をついた勘助が、肩を落として下を向いた。


「……八つで商いの道に入り、精進を重ねて二十四で小番頭になり……今では暖簾を一つ任されておりますが、物事を己の物差しだけで測る悪い癖が、また出てしまいました。その上で、相手様に愚痴を聞いて戴くなど……手前は駄目な商売人で御座います」


 これでは何もかも駄目、大旦那様にも諭されたことがあるのにと、まるで子供の――丁稚のような表情で、勘助は俺を見た。


「そうなのか? いや、受け止め方は人それぞれだが、まあ、たまにはそういう日もあるだろう。殺されでもしない限り……一度や二度の失敗で、全部が駄目ってことはないと思うぞ。八つから、ずっと頑張ってきたんだろ?」


 勘助が、はっと顔を上げた。

 まじまじと見つめられ、何事かと酒杯を置く。


 姿勢を正した勘助に合わせ、俺も背筋を伸ばした。


 何か思うところがあったようだ。


「この世には、巡り合わせの不思議があると申します。本日の失態、天狗になりかけていた自分への戒めかと、そう感じ入りました。手前、実は……大旦那様より、暖簾分けを許される日が近うございまして」

「へえ、凄いじゃないか!」

「ですが一からの精進も必要かと、恥じ入っております。……もしも、この情けない男でも構わぬなら、是非とも、黒瀬守様の元で暖簾を掲げさせていただきたく、伏してお願い申し上げます!」

「待ってくれ、勘助。その申し出は嬉しいが……」


 流石に、無茶だ。


 そりゃあ俺だって手元に商人は欲しいが、今の黒瀬に店を出しても、売り上げ不振で確実に首が締まる。背負子一つの行商でも厳しいだろう。


 俺は平伏したまま動かなくなった勘助に、懇々と黒瀬の経済事情を語り、買い物をする余裕がある領民などいない事、城の方も不足の穀物を買い入れればそれでしまい――年に百両二百両の商いがせいぜいな事を伝えた。


「東下は当店の商圏にて、事情は手前も存じております。ですがそれもまた、面白きことかと」


 黒瀬に店を開いた場合の展望を、楽しげに幾つも幾つも話す勘助の目には、光が戻っていた。


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