第六十九話「八公二民」
第六十九話「八公二民」
帰国の翌日は、天守の広間――仕事場で留守中の状況を聞き取って指示を出していたが、国主不在で滞っていた案件も多く、次から次へと誰かが仕事を持ち込んでくる。
「では頼むぞ、松邦」
「ははっ」
黒瀬の今後について話し合う評定も早めに行いたかったが、明日にしておいて正解だった。
大きな問題はなかったが、産まれた子供の名付け親になって欲しい、城の補修についてお伺いしたく候、仕事を再開したい鍛冶職人からの嘆願書などなど……俺からも評定の根回しをしていたし、今日はたぶん、この調子で一日が終わってしまうだろう。
「殿、信且、参りました」
「同じく幸丸、参りました」
「うん、ご苦労」
俺のいない間に、西の畑は大ざっぱに雑穀畑が二倍、野菜畑が三倍の面積に達していた。
全領地の実石高は七十石前後になるのではないかと見積もられ、見事な躍進を見せていたが、人の数も三倍で、どうにか下降線を辿らずに済んだというあたりである。
遠山衆が頑張ったらしく、一部には武州で作っていた黒菜や平粒豆も植え付けているという。
気候が明らかに違うこちらでも育つかどうかを確かめる為、今はひと畝ふた畝のお試しだが、個人的には収量よりも味の違いが楽しみである。
東は水路のある原野のままだが、こちらも問題は起きておらず、印を付けた竹竿が幾本も立てられ、来月の長雨待ちとなっていた。
ただ、開墾の後、どれだけ外側に警戒線を敷くべきかはまた話し合うことになりそうだった。
「信且、幸丸が小西家を継ぐのは構わないと思うんだが、その扱いについてはどうするべきか聞きたい。後々揉めないよう公平に、そして幸丸自身も黒瀬も困らぬよう、先例としておきたいんだ」
「ははっ。……そうですな、この小西幸丸は、未だ松邦の長男梅太郎と同い年の子供。元服と家督相続は先に済ませるにしても、せめて月に一度はこちらに呼んで、作法や文武の面倒を見てやるべきでしょう。また、勘定方桝井殿の娘子も、家督は婿入りした者に継がせることとし、同じく手厚くしてやりたく思います。……如何でありましょうか?」
「そうだな。……幸丸もそれでいいか?」
「ありがとうございます!」
「大変だとは思うが、頑張ってくれ」
「はい、殿っ!」
幸丸の扱いは、俺にも判断が付かず――俺の思うような現代式の方法では、やはり不都合があった――信且に投げていたが、結局、最初から城代に指名することになった。
血筋というものも無視できないが、最初から期間を告げて城代を指名し、後から交替させるとしても、格下げ人事は揉める原因になるそうだ。
同時に補佐役として、蔵方の塩野景孝を城番に宛うことにした。彼なら元は飛崎の侍、幸丸とも顔見知りで親しげな様子だったから、よく支えてくれるだろう。
「それから、信且には……」
「と、殿! 一大事にございます!!」
お社の下見に行くと言い出したフローラ様に付けていたはずの足軽が、慌てて駆け込んできた。
アンも同道していたから、なおのこと心配である。
「どうした、弥彦!? アンやフ……榊殿に何かあったのか!?」
「い、いや、その、道中、居食い猿虎が出まして……榊様と浅沙様が、神通力にて見事、討ち取られました!!」
「……は!?」
「何じゃと!?」
思わず、信且と顔を見合わせる。
アンからは、攻撃魔法も使えるよと、聞いていた。
ましてや、フローラ様は龍神様である。
全くの無理だとは、思わないが……。
「弥彦、皆は無事なのか?」
「はい! お二方はご無事、道安のお頭や足軽も、怪我一つ負っておりません。某は、荷車の手配とご報告に駆け戻ったのです」
「あー、うん。……そうか、ご苦労だった」
「ははっ」
ま、まあ、如何に悪名高き居食い猿虎も、流石に相手が悪かったのだろう。
そう思うことに、した。
夕方、荷車に積まれた居食い猿虎と共に城に戻ってきたフローラ様一行は、大して疲れた様子もなく……多少、足軽らの顔は引きつっていたが、それだけで済んだのだから何も言うまい。
肉身はその場で燃やし尽くして、毛皮と魔ヶ魂だけを持ち帰ったそうだが……漆黒の地に濃い黄色、虎とは逆の縞模様が入ったその毛皮は、とても見事だった。
「東下には、このような魔妖もいるのですね。大層驚かせていただきましたわ」
「フ……じゃなくて、榊様が神通力で取り押さえられたところを、わたしが氷の槌でえいっ! ってやりました!」
「お、お疲れさま、でした?」
前日に引き続き、黒瀬は大騒ぎになってしまったが、これは流石に止めようもなかった。
夜になってこっそり聞いたところ、中途半端に気配を出してしまったフローラ様に猿虎がひきよせられたらしい。
「すまぬな、人に変化するのも久方ぶりで、少し気を抜きすぎておったわ。北になんぞ邪な気配があるなとは思うておったんじゃが……まあ、うむ、庇護したアナスタシアを守る為であれば、龍力の行使も仕方ないこと。しかし、東下の魔妖は油断ならぬのう。……と、いうことにしておくのじゃ」
「これで強い魔妖もいなくなったから、お社も建てられる……よね?」
どうも二人は、取水口付近の下見をしたかったのではなく、最初から示し合わせ、居食い猿虎を釣りだして狩るつもりだったようである。
フローラ様やアンに無理をさせたということもないが、大物魔妖の排除という多少どころではない豪華な『贈り物』に、俺は改めて頭を下げ、二人を労った。
▽▽▽
「殿、一同、揃いましてございます」
「うん。みんな、ご苦労だ。では、評定を行おう」
帰城二日目、予定していた評定の為、主だった家臣全員を城に呼んだ。
大きな評定は年初以来だが、今の黒瀬には方針転換の必要な場面が訪れている。
「ではまず、軍役の次第だが……戌蒔」
「ははっ」
戌蒔より、軍役の状況とその結末、飛崎獲得の事情などを伝えて貰う。
俺が話して悪いわけもないが、誰かに『栄誉ある仕事』を与えることも大事だった。
「以上でございます」
「うん、ご苦労。次に俺が留守中の黒瀬について、信且」
「ははっ」
こちらも豊漁不漁や海産物の取引状況、畑の様子が主な報告だが、評定という舞台に載せることで、認識を共有することが出来た。
「うん、二人ともご苦労。このように、黒瀬は人も増えたが幸い飢えるとまでは行かず、戦役も無事に乗り切った。皆のお陰だ、ありがとう」
一度言葉を切り、皆を見回す。
幸丸だけは随分と緊張しているが、これも仕方のないこと、俺だって未だに慣れていない。
「これは今日の本題ではなかったのだが、昨日、榊殿とアンの手で居食い猿虎が退治された。正に青天の霹靂だが、この得難い機会は正に『龍神様のご加護』、逃すわけには行かない。よって取水口付近の開発を、前倒ししたいと思う。これについては……松邦」
「ははっ」
「最終的な決定は夏の長雨の様子を見てからになると思うが、先に付近の区割りに手を付けて貰いたい。遠山四郎とも相談して、水田の開墾も視野に入れてくれ」
「畏まりました」
無論、昨日の内に根回しをして、四郎にも話を通してある。
口にはしなかったが、約束事である神社の建立場所と付随する神域、燃料となる薪や商品になる蔓山葵など、山の幸の供給する里山の縄張りも重要だ。
特に薪は無視できない。周囲全部を田畑にしてしまうと、余所から燃料を買うことになる。それが黒瀬国内からのものであっても、今の段階では首が締まるだろう。
「それから、人事について……皆よく働いてくれているが、領地も人も増えすぎたからな。現状のまま進んでは、明らかに不都合が出ると見ている。これについて、先に手を打ちたい」
家老、柱本信且。
水軍奉行、深見源伍郎。
御用人、帆場松邦。
御庭番衆筆頭、松下戌蒔。
これは変わらずとして、上士の侍を追加する。
「太平丸船頭、瀬口道安」
「ははっ」
「今後、道安は上士身分とし、新村『遠山』の代官に任ず」
「ありがたき幸せ!」
名こそ代官だが、村の差配よりも戦働きの期待が大きい。
黒瀬衆遠山衆から募った四名に加え、御庭番衆より二名を与えて足軽組一隊を彼の配下とした。
当初、忍者の隠れ里――忍から取って『志野』村にしようとした砦付近は、戌蒔より意見が出されていた。
昨今の黒瀬の状況を勘案するに、遠山衆の移住や神社建立もあって、里として開かれ過ぎる可能性が高いとのことだが、どうも龍神様に遠慮したらしい。
……もうちょっと忍びたいという気持ちは分からなくもないので、俺も一つ頷いてそれを認め、また新たな候補地を探すことにした。
そして、もう一人。
「小西幸丸は元服後、小西公成を名乗ると報告を受けたが、同時に上士身分、飛崎城代とする」
「あ、ありがたき幸せ!」
こちらはなってからが大変であるが、当面は現状維持でも上出来だ。
他にも下士身分の侍に異動があり、数も数名増やしたが、早晩、また付け加えることになるだろう。
例えば、蔵方の塩野景孝を飛崎番頭に抜擢して幸丸の副官兼足軽のまとめ役とし、太平丸を離れる道安の代わりに太平丸の親仁、水主のお頭六一郎を下士身分の船頭に取り立てている。
飛崎の船頭については、黒瀬のように平素から漁船が軍船扱いされていたわけではなかったので、船頭は今まで通りの身分としたが、これも改めて差配を考える必要が出てきた。
幸丸から聞かされたのだが、飛崎の領民は基本的に『漁師』や『農民』、つまりは徴税対象なのである。
「さて、評定の締めくくりになるが、皆に考えて貰いたいことがある」
実は……飛崎の税の話を聞いてから考え込み、愕然とした。
これは皆に伝えておくべき、いや、心に刻んで欲しいことだ。
「今の黒瀬は、確かに上を向きつつあるのも間違いないが、未だに『皆で稼いで皆で食う』状態からは抜け出せていない。そして、国主としてはまことに情けないが……」
皆の顔を見回し、頭を下げる。
「昨日、飛崎の話を聞きながら、ふと疑問に思って黒瀬の国情を考えてみるとだ、仮に他の国と同様の方法にて計算した場合、凡そ八公二民となってしまった」
「は?」
「なんですと!?」
皆も呆然としているが、どんなにあくどい大名でもここまでしないだろうという圧政振りに、俺の方が逃げ出したいぐらいだ。
八公二民。
つまり、税率八割。
毎日日暮れまで漁に出し、畑仕事をさせ、雑務どころか軍役にも就かせ……それでなお、食わせて終わり、給金も手当もなしというこの現状を数字として示せば、はっきりと分かるほど異常である。
皆で稼いで皆で食っているのだから、高税率の高福祉国家なのかもしれないが、それにしても限度があった。
「しかし殿、それは……」
「うん、黒瀬国には食糧事情という特殊な条件があるし、皆で協力しないと生きていけないのも事実だ。……俺は皆を虐げていたつもりもないし、皆も、苦労はあっても皆が皆同じ苦労を背負っているからと、問題に思っていなかっただろう。でも、流石にこれはいけないと、思った」
だから。
「俺は黒瀬を、せめて……もう少しまともな国にしたい」
その為の協力を頼むと、俺はもう一度、皆に頭を下げた。