第六十八話「帰国」
第六十八話「帰国」
俺は戌蒔らに静かに待てと告げ、巫女に近づいた。
改めて見れば、見かけは俺と同じぐらいの歳で、なんというか……顔つき体つきだけでなく、存在その物が色っぽい、と言いたくなるような巫女さんである。
女房衆の笑顔にさえ頬を染めるうちの純朴な若い衆には、さぞもてるだろう。
……それだけに、背負った大荷物がアンバランスで、とても目立つ。
「あの……初めまして、松浦黒瀬守です」
一瞬、きょとんとした巫女も、俺に頭を下げて同じくにこりと笑って見せた。
「御神のお使いの方……で、いらっしゃいますよね?」
「あら、全てお見通しですのね」
くすりと笑った巫女は悪戯っぽい目で俺を見たが、気付いた理由は大して自慢にもならない。
戌蒔が警戒するほどの大荷物を担いで軽やかに走れる巫女など、神様関係以外に思い当たらなかっただけである。
「失礼いたしました、黒瀬守様。わたくしは富露雨等様の六天が一、天伯審狐の香蓮。人界での名前は榊と申します。此度、神使のお役目を頂戴いたしました」
優雅な挨拶に、流石は神様のお使いと、内心で頷く。
あの夢から僅かに半月ほどだが、たとえ彼女が都のお社から陸路を来たのだとしても、神様のお使いでは人の歩く道や時間で計算しても無意味だろう。
フローラ様の神使なんて、殆ど神様同然というか、神様だ。
「ようこそいらっしゃいました、榊様。行き届かぬところばかりかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あら、ただの榊で結構ですよ。お殿様が一介の巫女に頭を下げては、皆様が不審に思うのではありませんか?」
「では、榊殿、と……んん!?」
何かが、引っかかった。
そうだ、『神様』だ。
「あの……どうかなさいました?」
不思議そうに見つめられたが、俺はこの目を、どこかで……いや、最近だ。どこで見た?
戦場……じゃない。夢だ。
「……フローラ様!?」
「む……」
しまったという顔をした榊殿に、俺は頭を抱えた。
本当に、本物のフローラ様だったらしい。
「初手で見抜かれるとは……。しばらく化けておらなんだら、芝居下手になったかの?」
わざわざ香蓮狐の気配までまとうたのにと、残念そうなフローラ様だが、こちらとしてはそういう問題ではないのである。
「いや、あの……来て下さるのは嬉しく思いますが、都のお社をお留守にして、大丈夫なのですか?」
「ん? 本社には年の四半分もおらぬぞ。妾は大倭全土全海に渡る天変地異の督覧鎮治のお役目を頂戴しておる。なれば方々に顔を出すのも仕事の内よ」
約定と呼ばれる神様の約束事にて直接の手出しは出来ない――力が大きすぎて、迂闊に振るおうものなら大倭が『壊れる』そうだ――ものの、許される範囲で天候を操って各地の土地神様を助力したり、地脈水脈の整備や動物神の管理監督に動き回ったりと、細かな仕事が多いそうである。
やはり神様は、お忙しいらしい。
二、三日で『本物』の香蓮に入れ替わるからと、フローラ様は涼しい顔だ。
ほれ、これを持つのじゃと、大荷物を差し出される。
「荷の中には、お預かりした葉舟媛の御神体もおいでじゃからの。乱暴に扱うでないぞ」
「それは……はい、もちろん」
荷が大きすぎて、強い俺状態を意識したが……神様の力で神様を背負うというのも、不思議な気分だ。
俺は戌蒔らに、龍神様のお社から遣わされた大切なお客様であると説明して彼のお方……もとい、彼女を一行に迎え入れ、再び黒瀬へと歩き出した。
聞きたいことも色々あるが、まずは、国に帰る。
諸々は、それからだ。
▽▽▽
「これは……見違えるようですな!」
「ああ、まったく」
数十日振りに見る黒瀬は、懐かしくありながらも随分と様変わりしていた。
具体的には城の西に、以前よりも畑が大きく広がっており、見慣れてしまった東下菜と大根、蔓が巻けるよう細い竹を立ててある豆の類の他に、俺の知らない野菜も植えられている。
そこだけ見れば、鷹原にも負けない裕福な細国のようにも見えた。
「ややっ、あれはお殿様では!?」
「ご無事のお帰りじゃあ!」
「誰ぞ、お城に報せてこい!」
畑で草むしりをしていたのは、昇陽丸の水主達と、おそらくは遠山衆のようだ。
……軍役に出る直前、急激に人が増えたせいで、とてもではないが覚えきれていない。
「お帰りなさいませ!」
「うん、ただいま。皆、精が出るな」
「なんのなんの!」
手を止めさせるのは悪いなと思いながらも……ここまで頑張ってくれた足軽らに代わり、我も我もと荷車の番を代わろうとしてくれる、その気持ちが嬉しい。
「弥彦よう、戦はどじゃった?」
「おうよ、凄かったそうじゃ! お殿様は勲功六位、なんと飛崎一国を貰われたぞい!!」
「なん、じゃと……!?」
「なんでもな、四十人もおる備を貸し与えられてのご活躍だったとお伺いしたぞ」
「誠でござりますか、瀬口様!?」
「はっはっは、某は兵糧番であったがのう」
わいのわいのと賑やかに城門をくぐれば、もう出迎えの輪が出来ていた。
「お帰りなさいませ!」
「お父!」
「おお、仁太!」
「お殿様!」
都合四十日ほど留守をしていたわけだが、皆元気そうで安心した。
見回せば、城壁沿いに大きな長屋が並び、それまでのあばら屋にさえ補修した跡がある。
人の数が増えるとはこういうことかと、改めて力強さを感じた。
とりあえず、その場で解散を宣言、戌蒔と榊様、それから幸丸と万太郎老人を伴って城に戻る。
「殿!」
「お帰りなさいまし!」
和子に静子、アン、朝霧ら嫁さん達と女房衆、信且を筆頭とした黒瀬衆が、門前で待ち構えていた。
源伍郎の姿はないが、港に征海丸と昇陽丸がなかったから漁だろう。
「全員無事、帰れたぞ! 皆も留守の間、ご苦労だった!」
殿の方こそお疲れでございましょうと、天守大広間に案内される。
「そうだ、先に紹介しておく。この二人は、飛崎の前家老小西殿の息子幸丸と、万太郎老だ」
「小西聡成が一子、幸丸です! よろしくお願いいたします!」
「飛崎『村』の万太郎でございます」
「しばらくこちらに滞在する。それから……」
フローラ様……もとい、榊殿は、天伯審『狐』と名乗られた。つまり狐の神様なのだとは思うが、それを口にしていいのかどうかすら、わからない。
「わたくしは都の東、立野の御山のお社にて社務に携わっておりました、榊にございます。此度、この地に開かれる新しきお社のお手伝いをせよと、上意を賜りました」
彼女は俺の視線を受け、如何にも心得ましたという風に、無難な挨拶をしてくれた。
……確かに、都の巫女さんとして接するのが、一番誰も困りそうにないような気がする。
「神社については近日中としたいが、なるべく早く、とも思っている。皆にも協力をお願いすると思うので、よろしく頼む。……それで、あー、資子殿」
「はい、殿?」
「二の丸の客間以外で、開けられそうな部屋はありますか? ないなら俺の支度部屋を、榊殿の為に空けていただきたいのですが……」
「その事でございましたら、浅沙様より龍神様の御託を頂戴しておりましたので、用意は調えてございます」
そう言えばアンに言付けておくようなことを、フローラ様が仰っていたか。
「それに、城下をご覧になられたと思いますが、殿がお留守の間に浅沙様がお力を使われまして、四棟の長屋がひと月と経たずに新築できました。遠山の皆だけでなく、城で寝泊まりしていた男衆まで、今では小さいながらも『我が家』を持っておりますよ」
「……ああ、我が家ですか。なんと言うか、嬉しい響きですね。じゃあ、早速お願いします」
「心得ました。榊様、どうぞこちらへ」
「わたしも行きます! お聞きしたいことがあるのです、榊様!」
「お世話になります、浅沙の君、資子様」
一郎、また後でねと、アンには振られてしまったが……流石に龍神様が相手では、張り合う気にもなれなかった。
「留守の間の話も聞きたいが……危急の案件はなさそうだな?」
「ははっ」
「なら、今日は信且に任せる」
皆の顔を見れば、戦の話も黒瀬の話も、一旦横に置かざるを得ないか。
特に指示はしなかったが、今日のところは宴会になだれ込む様子である。
「お許しが出たぞ! さあ、宴の用意じゃ!!」
「筆頭殿も休まれて下され。ここは我らが!」
「い、いや、某は……」
無事帰り着いた皆を思えば、それもいいだろうと思う。
俺だって、苦労して帰ってきた誰かがいるなら、笑顔で迎えたい。
「殿はどうぞ、こちらへ」
「ん?」
俺はそのまま嫁さん達に手を引かれ背を押され、二の丸の隅、縁側のある小部屋へと連れて行かれた。
「お疲れさまでした、一郎」
「うん。……ただいま」
静子と朝霧に野良履きを脱がされ、小袖一枚の気楽な姿で、真新しい藁編み座布団に座らされる。
「何がある、というわけでもありませんが、肩の力を抜かれては?」
和子曰く、僅かな間だが、理由がある今の内にのんびりしなさい、ということらしい。
「うん、その通りだな。……ありがとう」
確かに、もう戦は終わったのだ。
切り替えも大事だなと、俺は茶請けの漬け物に手を伸ばした。
「ああ、そうだ、静子宛に手紙を預かってたんだ」
「私、ですか?」
「うん。先代機古屋守殿の奥方で、勲麗院様と仰るんだけど……」
静子が不思議そうに首を傾げたので、言葉を切る。
「昔、都にいらっしゃったそうだよ。静子とは薙刀の同門で、三州公の姪子様なんだけど――」
「時姫様!?」
「そうなの……かな?」
勲麗院という名は、おそらく……旦那さんが亡くなられてから名乗られたであろう出家の印、院号だ。
俺が余所では黒瀬守と呼ばれるのと同様、お名前までは知らないし、正面から聞くような失礼もできなかった。
これでは静子に伝わらなくても仕方がない。
あまりにも彼女が落ち着かない様子なので、手紙を取りに行って渡す。
やはり時姫様ですと、静子は嬉しそうに手紙を眺めた。
「時姫様は道場の師範代をされていらしたお方で、稽古だけに及ばず、まだ幼かった私の面倒も何くれとなく見て下さったのです。嫁ぎ先が決まったので国許に帰ると都を後にされてからは、交流も途絶えていましたので、心配しておりました」
公家の娘ながら武芸を習いはじめた理由が、和子を守るためだったと聞かされては、うかつな返答もできない。
大倭の人々は、幼い頃ですら覚悟が違いすぎるのだ。
「国が落ち着けば遊びに行くぞと念押しされたから、楽しみにしてるといい」
「はいっ」
足軽の先頭に立って薙刀を振り回されていたと話せば、流石は時姫様ですと、静子は深く頷いていた。
▽▽▽
その夜は城を開け放ち、国を挙げての宴会となったが、戦地での苦労が解きほぐされるかのようだった。
「ああ、刺身も久しぶりだ」
「流石に段坂までは生で運べませぬからな!」
代わる代わるやってくる皆からの酒を杯で受けつつ、こっそり背筋を伸ばしてぱきりと言わせる。
楽しんではいても、完全に気を抜いているわけじゃない。
お殿様は宴の顔役として、皆を笑顔にするのも大事な仕事なのだ。
「ではわたくしも、今宵の宴を祝ぐ一舞を」
「おおー!」
フローラ様は扇子を借りたいと仰ったが、俺の手持ちには……あっと思いついて、帝から下賜された和歌入りの扇子をお渡しした。
一瞬だけ、その扇子に視線を落とされる。
「……よろしいのですか?」
「それしか持っていませんし……『榊殿』にお使いいただいたとなれば、箔も付きます」
帝から授かった扇で龍神様が踊られるのなら、むしろ縁起がいいんじゃないかと思う。
「では、拝借いたしましょう」
神楽とは、神が楽しむと書く。
「La~♪」
神楽は神座――神のいらっしゃる場所という言葉が転じたと後に聞かされたが、今宵の黒瀬には、神がいらっしゃるのだ。
「La~♪」
その神様が、鼻歌混じりにどこか異国情緒漂う楽しげな舞を、巫女装束で踊られている姿に……。
そうだ、ここは異世界だったなと、俺は久しぶりに自分の境遇を思い出していた。