第六十六話「野点」
第六十六話「野点」
機古屋の城は未だ機能不全であるが、領民も帰されつつあり、僅かながらに食うこと寝ること以外も出来るようになっていた。
案内された先、勲麗院様が手招きをしておられる。
「呼びつけて済まぬ。……茶室はこの通り、まだ物置になっておってな」
「いえ、ご馳走になります」
勲麗院様は、野点とでも思うてくれと、苦笑い気味で縁側の茶道具と座布団を指さされた。
まだまだ道具の見立てなど出来るはずもなく、旅道具なのか、手提げの焜炉なんかもあるんだなあと、興味深く見せて貰う。
縁側の向こう、部屋の半分には、民を収容するのに他の部屋から追い出しただろう家財道具が、未整理のまま積まれていた。
「作法など気にするでない。これも戦の後の野趣よ」
失礼しますと座って、抹茶――薄茶をご馳走になる。
茶請けは湯がいた団子にきなこをかけたもので、甘くはないが茶によく合う。
「ん? 主、茶の心得があるのか。……惜しいことをしたわ」
「まだまだ怪しいので、次回までに練習しておきますよ」
「ふむ……」
いい機会だし、この方にだけは、黒瀬と俺の事情を話しておきたいと思っていた。幾度かの共闘を通じて人柄を知ったお陰で、正に『近所の頼れるおばちゃん』という気になっている。
「そうじゃ、海道屋から見積もり状が届いての」
「もうですか!? まだ渡りをつけてから三日ほどですよね?」
「うむ、相変わらず仕事が速い」
海道屋は三州東部に幾つも支店を持つ豪商で、今回の戦役で得られた魔妖の素材を引き受けていた。
詳しく聞けば、小鬼を中心に邪鬼疾鬼まで合わせて十一万匹で多少色が付いて四百両、大物が赤鬼頭に青鬼頭、大蝦蟇など八百両、〆て千二百両の大商いである。
さて、千二百両と言えば大金だが、見舞金名目で帯山に復興費用五百両を包み、論功行賞で先に費やした三百両を引き、追加で買い込んだ兵糧の代金を支払えば、当然、残りは僅かとなった。
これを各大名家が、国の格付けと大名の官位官職で決められた比率にて軍費として受け取るのだが、本当に雀の涙である。
「まあ、の。戦は損するものと、相場は決まっておるのじゃ」
「よく肝に銘じておきます」
黒瀬には、参陣御礼として銀三十匁、麦四俵とスルメ、昆布などの兵糧買い上げに対して銭千四百文――市場の相場はどれほど安くても、麦一俵で銭五百文にはなる――と、合計で一両に満たない額が支給されていた。予め、大して補いもつかないと聞いていたが、相互支援の為と考えても確かに酷い。
無論、帯山や機古屋の現状、そして同じく参陣した東下衆の取り分を考えれば、むしろ俺は官位官職の分優遇されているので何も言えなかった。
加えて飛崎の引き受け代金とも言うべき、業物の打刀一振――『打刀 業物 並 嶺州秀緒国住阿頭斉衡造 銘 舞蝶』を与えられていたが、聞けば馬見守殿の私物だという。
『済まぬな。……だが、これが精一杯なのだ。お主の腰と同じくな』
どうも、貧しくて打刀を持っていないと思われたようだが、訂正はしなかった。
業物の並品、売れば数両から十数両ぐらいにはなるかもなと、当の馬見守殿は苦笑いしておられたが、飛崎の救民にも苦しい金額である。
しかしそこは心意気に応えると同時に、滅多なことでは抜けない姫護正道の代わりとして、ありがたく頂戴した。
それに黒瀬は運良く、戦死者を出さなかったのだ。
高望みが出来るほど大きな国ではないぞと、自省しておく。
俺は勲麗院様に向き直り、それら悩み事を胸の中に留め、二杯目の茶――今度は急須で淹れられた煎茶に手を伸ばした。
「しかし、この田舎で茶を習おうにも……誰ぞ、家中に作法を知る者でもおるのか?」
「はい。嫁さん達は、それこそ師範でも勤まりますよ」
「達? 大名になって間もないと聞いたが、嫁が二人もおるのか?」
「いえ、四人です。まだ婚儀もしてやれないのですが……」
「……むう、見かけ通りに手の早い男じゃったか」
「勲麗院様!?」
「亡き我が殿には及ばぬが、主は御神さえ惹きつけるいい男じゃからな」
ほほほと笑い飛ばされる。
お亡くなりになったという先代機古屋守にも会ってみたかったが……帰り際に、お墓参りでもしておくか。
「で、主の嫁は、どのような女子じゃ?」
「一人はくの一です」
「……そう言えば主の足軽共、揃うて手練れの忍であったな」
「お気づきでしたか」
「うむ。何処の手の者じゃ?」
「兎党です。……新しい党ですが、備と蕪の肝煎りでして」
「御忍ではないか!」
勲麗院様、目が笑っていない。
俺は視線を外して、茶に口をつけた。
「まあ、備であれば叔父上とも懇意、問題はなかろう。……他は?」
「もう一人は遠国の姫で、龍神様の加護持ちです」
「富露雨等様であられるか。主の夢にもお出ましになられていたというからの、今更驚かぬ。……で?」
「後の二人は、公家の娘ですね」
「どこの家じゃ?」
「澤野と薄小路……でいいかと思います」
「薄小路? あの知恵者の図書頭殿か!?」
「ご存じなのですか!?」
今度は俺の方が驚かされる番だった。
「娘時分、しばらく都におったのでな。しかし図書頭殿の娘と言えば、静子か? 清子か?」
「静子、です。……清子様は去年、三州にてお亡くなりになられました」
「なんじゃと!?」
騒動の顛末を語り、顔を見合わせてため息をつく。
直接の知り合いだとまでは思わなかったので、三州での事件について、静子の名前までは告げていなかった。
「清子の事は無念だが……これは是が非でも暇を作り、黒瀬を訪なわねばならんようだな」
「あの、静子が何か……?」
「神野桜花流薙刀術の同門でな、いや、懐かしい。幾度も手合わせしたものじゃ」
勲麗院様と静子の年齢差を考えると、あり得なくはない。だが、静子が薙刀の使い手だとは知らなかった。
「ふむ、ならば主の正室は静子か。これは会うのが楽しみであるの」
「いえ、正妻は澤野家の娘でして……」
「む? 薄小路家は権勢こそないが、それなり以上に続く名家のはず。澤野家は……聞き覚えはあるが分からぬな。種明かしをせい」
「養子の養子、ですね。正室和子の御実父は、あー、くれぐれもご内密に願いたいのですが……内裏の奥の奥にいらっしゃいまして、一度だけ、御簾越しに拝謁を許されたことがあります」
「……待てい」
そのように大事なことは先に言えと、日が暮れるまで小言を並べ立てられた俺だった。
▽▽▽
勲麗院様から、いずれ遊びに行くからなと念押しされつつ、機古屋を後にして五日。
陣屋の書房で花房諸使様から指示されるまま、右筆の差し出す書類に署名と花押を入れる。
「石高五倍の加増とは言うても、元が十石ではな。誰も問題にはせぬだろう」
「はい」
「だが開墾しようにも、黒瀬は水源が問題なのであったか?」
「冬に跳梁域の奥から水路を引いたのですが……逆に鬼の気を引いてしまい、壊されるのではないかと、今から恐々としておりますよ」
「ふむ……」
甲泊の代官陣屋で飛崎国の廃国と受領の手続きを済ませ、黒瀬への道中にある飛崎へと向かう。
飛崎国は今後、黒瀬国飛崎村と名を変えることになった。
同時に、黒瀬国は表高五十石と、以前の五倍の石高になっている。
実質は人口増による大きな負担……いや、そんな状況でもなければ、恩賞に国一つ貰えるものでもないか。
大きな国では郡村制となっているが、小さな国では地域を郡に分ける必要がない。せめて東下全域ぐらいの規模がないと、無意味である。
大倭には一国一城令などなかったが、大名は二国の保有をせず、戦や恩賞などで二つ目の国を得ると、廃国と合併が行われた。
中央官職が有名無実化して単なる名前と階級に使われているのとは対照的に、地方官職である国司称号が生きているからだと後から聞かされたが、大倭が広すぎることも原因だろう。
版図が広がりすぎたローマ帝国のようなもので、威光は届いても、実務をコントロールするには都からの距離が遠すぎた。
「なんぞあれば、言うがいい。飛崎の民にはようしてやれ」
「はい、浜通守殿」
甲泊から黒瀬までは、早馬一日、ゆったりと行軍して三、四日というところだ。船の方が早いものの、帰国の日取りも分からないのに迎えに来させるのも無駄だった。
南香、浜通では、国主のご厚意で雑魚寝ながら城中で一泊させて貰っている。
やはり屋根のある寝床はいいものだと、皆で笑った。