第六話「貧乏なお殿様」
「なるほどのう、一郎は飛ばされ者なのか」
「はい。
まだ色々と教えて貰っている最中です」
幸さんから借りた槍を片手に、連れだって穴沢『殿』――穴沢『様』と呼びかけると殿でいいと言ってくれたが、身分の差もよくわからないので他の方にどうすればいいかもわからないと相談すると、自分のような小身の者なら『殿』、わからぬなら『様』付けしておけば問題ないと教えて貰った――と話をしながら早速本郷へと向かう。俺も庄屋屋敷に泊まるらしく、最低でも三日ほどはかかるようだった。
「では穴沢殿は、子供の頃からお城にお勤めなのですね」
「我が家は代々、右筆や賄方など、城の内勤めを任されておる家でな。
この鷹原国は四ヶ村一千石の小国ではあるが、近隣も似たような小国ばかり、冬場雪深いことを除けば諍いもなく暮らしよいところなのだ」
穴沢殿は非常に気さくな人柄で、この度の働きが良いようなら推挙してやるから城に来いとまで言われた。
道中、力はどのくらいかと聞かれ、片手で彼を持ち上げたところ気に入られたらしい。
「御免!」
「……失礼します」
お殿様への挨拶の仕方でも聞いておけば良かったと思い出したのは、庄屋屋敷の門をくぐってからである。
「新内、戻ったか!
こちらへ参れ!」
「はっ!」
呼ばれるまま屋敷の裏手に回り込むと、縁側で茶を飲んでいた俺より少し年上に見える侍が立ち上がり、笑顔を見せた。
想像したような裃姿ではなく、新内殿と同じ様な格好である。やはり傍らには刀があった。
「おお、そちが一郎であるな!
直答無礼を許す故、こちらへ来て座れ。
正造、彼らにも茶などをやってくれ」
「はい、畏まりました」
「新内、ご苦労であった。
お主も座れ」
「はっ!」
大名と言えば……時代劇の大名行列で定番の土下座でもさせられるのかと心配していたら、そのまま手招きをされてしまった。どうにも距離がつかめず、言われるまま縁側に腰を下ろす。
「失礼します」
「余が橋本鷹原守だ。
……ふむ」
「殿、何か?」
「……?」
俺を上から下まで見て首を傾げるお殿様に、内心で冷や汗を掻く。新内殿は不思議そうに俺とお殿様を見比べていた。
「一郎」
「はい」
「その着物は借り物か?」
「はい!?
……ええ、はい、お世話になっている方が貸して下さいました」
敬語はこんなんでいいのかと焦りつつ、頭を下げる。
今着ているのは幸さんの亡くなった旦那さんの着物で、俺の身長では肘と膝が出ていたが仕方ない。
「うむ、飛ばされてきたことは耳にしておるぞ。
しかし、そちは大きいから仕方ないのであろうが……ちと不憫であるの。
よし、明日の働きが良ければ手当に加え、身の丈にあった小袖一着を与えようぞ」
「!!
お殿様、ものすごく助かります!」
「おお、えらい喜びようじゃな!
励めよ?」
「はい!
ありがとうございます!」
「おお、よかったのう!」
自分の着る物は、早めに何とかしたいと思っていた品物の一つだ。
笑顔のお殿様に、俺は勢いよく頭を下げた。
その日は後から来た小荷駄――荷物持ちの一行が到着後、体慣らしを兼ねて相撲をさせられたり、力自慢を見てみたいと屋敷の庭石を持ち上げるよう言われたりとそれなりに忙しかった。
代わりにお殿様だけでなく他の人までもが喜んでくれたので、報酬も期待できそうだといい気分で眠ることが出来ていた。
「一郎、起きておるか?」
「はい、おはようございます、坂井殿。
着替えも済みました」
翌朝。
俺は庄屋屋敷の離れで下働きの人達と一緒に寝ていたので、彼らが起きた早朝、昨日紹介された坂井孝徳殿――足軽小頭という下っ端のまとめ役だが穴沢殿と同じく『お侍さん』で、この仕事では直接の上司になる――が呼びに来てくれるまでは宛われた部屋でストレッチなどをして時間を潰していた。……電灯がないお陰もあって、皆割と早寝早起きなのである。
「うむ、飯にするぞ」
「はい」
母屋の裏手、下男下女達が食べる食堂兼作業場に向かうと、昨日紹介された数人がもう飯を食っていた。
坂井殿の座った後ろに、剣道の胴のような鎧を置いてある。ちょっと羨ましいが、俺の分は……たぶんない。
「おう、一郎」
「おはようございます」
「おはよう!」
一汁一菜の飯――久しぶりの、熱い、白い、米の飯だった――をあっと言う間にかき込んでおかわりする。残念ながら腹一杯にはならないが、今日は丸一日動き回るのでこんなもんだろう。
後で聞いたら、お殿様の訪問の時はこの屋敷でも混ぜ物のない白米を炊くので、下働きまで役得に預かれるのだという。
食い終わると、竹川包みの握り飯と竹筒の水筒を渡された。
「袋か何かあればなあ……」
「それらは紐で縛るのだ」
「……知らぬのか?
ああ、そう言えば戦働きは初めてであったな」
言われるままに水筒と弁当を縄で縛り、肩からたすきに掛ける。少し不格好だが、今日のところは落とさなければいいと思うことにした。
あとは槍を手にすれば準備完了……かと思いきや、長い紐の付いた小さな手提げ袋を渡される。
「これは打飼袋だ。
火口や紙などの小物が入っておる」
「無くすなよ」
「こっちは小鬼寄せの鳴り物だ」
両方とも、少々暴れ回っても落とさないよう腰に結びつけるそうだ。やはりこれも見よう見まねで腰に括る。
ついでに坂井殿が鎧――腹当という名の胴を守る鎧だが、今ひとつ頼りにならないらしい――をつけるのを手伝い、用意された背負子を背負うと皆の準備が終わった。
「……」
「なんじゃ、緊張しよるんか?」
「まあね」
俺と同じく、鎧なしで槍だけを持った小柄な少年、川下の三吉に頷く。
彼だけは俺と同じく村人――谷端村の隣、裾清水村から募集に応じている――で、多少は気安い。
ちなみに俺の分の背負子は、一尺ほど縄が足されて肩紐が長くなり、量も三吉の倍ほどくくりつけられていた。縄でくくられた荷は三人とも同じで、呪文が書かれた白木の束である。
「うむ。
では参ろう。
遅参は恥ぞ?」
「はい」
草鞋に履き替え連れて行かれた表庭には、まだ誰もいなかった。……歩くたび、腰の鳴り物――小さな金属製の皿二枚が紐で結んであって、シンバルのような音が鳴る――が、非常にがしゃがしゃとうるさい。
孝徳殿の指示するまま、横に並んで合図を待つ。
……戦働きの日に限るそうだが、お殿様への挨拶は膝を着くだけでいいらしい。
「おはようございます、殿」
「うむ、皆揃うておるな」
兜こそないが立派な鎧姿のお殿様に、皆で揃って膝を着く。
……ちなみにだ。
牛に牽かせた小荷駄隊――今朝の白米も彼らが運んできた――の荷車を操る二人は臨時雇いの農民で、穴沢殿はこちらで庄屋さん相手のお役所仕事、小姓の少年は侍の家柄で腰に刀も差しているがまだ十歳と、槍を手に並んでるのは坂井殿、三吉、俺の三人きりである。
「では参ろうぞ。
孝徳」
「はっ!
皆の者、出立であるぞ!」
「行ってらっしゃいませ!」
「ばんざーい!」
「ばんざーい!!」
そう、なんとも頼りないことに、小鬼退治に向かうのは鎧武者になったお殿様を加えた四人なのだ。
しかも、お殿様が含まれているというのに、誰も疑問を抱いていない様子である。
「うむ?
小鬼が相手ならこのぐらいで丁度よかろう」
「ですな」
四人で退治とは流石に呆れていたが、村人六、七人でも二十匹ぐらいは何とかなるのだから、侍二人に雑兵二人なら上等な方らしい。
大丈夫かなと小さなため息をつけば、お殿様から声が掛かった。
「一郎よ、我が鷹原は石高一千石足らず、千石大名、庄屋大名と揶揄されるのが似合いの痩せ馬でな。
故に国主は自ら戦うが定め。
……多数の兵馬どころか、弓足軽さえままならず、長柄足軽の一隊を揃えるのさえ躊躇うほど貧しておる」
「殿……」
長柄足軽――槍持ちの雑兵――さえ貴重なのだぞと、お殿様は俺と三吉の方に笑顔を向けてくれた。
俺のため息の意味は、お見通しだったようだ。
申し訳なくなって、小さく頭を下げる。
お殿様曰く、今回も一応はお忍びであり、『庄屋屋敷に来たのは、名前まではわからぬがお殿様じゃなくてお城の偉い人』という『設定』のおかげで、随員も手続きも減らせるそうだ。
本音と建て前の都合の良い部分を抜き取って使われているらしい。
「無論、ここぞ決めた時はその限りではないがな」
にやりと笑って腰の刀をぽんと叩いたお殿様に、俺はもう一度頭を下げた。