第六十三話「正念場と狩り場」
第六十三話「正念場と狩り場」
「今日は群二つか……」
「半月前の有り様が嘘のように思えますぞ」
帯山奪還の報せが届いて数日、目に見えて鬼の数が減りだした。
これで魔妖の襲来が終息してくれると良いのだが、勲麗院様曰く、終われば終わったで面倒も控えているという。
「……さて、帯山に向かうとするかの」
東津より武士団来援の一報が届き、状況が落ち着いているならば戻られたしとの言葉に、勲麗院様は気の進まない様子で敷森出立の準備を告げられた。
「おい、蔵より押し桜を持て」
「ははっ」
出立の間際、敷森守より、苦労の礼にもならぬがと、足軽にまで秘蔵の干菓子『押し桜』が配られる。
米粉と水飴を練り合わせて桜の木型で押し固めた小さな菓子で、口にすれば落雁だと分かったが、この田舎ではちょっとした高級品だ。
俺もありがたく頂戴して、久々の甘味を楽しんだ。
来た道を戻り針里で一泊、更に途中の無人村で帯山に向かう荷駄隊と合流して一泊。
帯山までは三日の行程で、はぐれ魔妖を狩る少人数の足軽組とも幾度か出会った。
「本陣は三日で百倍、六万の鬼を下したそうだ」
「流石は馬見守様じゃのう」
「三匹おった赤鬼頭もな、御鞍寺の僧兵が南無阿弥陀仏で一捻りにしたと聞いたぞ」
足軽らの噂話を聞き流しつつ帯山に到着すれば、討伐本隊は何やら騒々しい様子である。
帯山の城……いや、廃城を陣に使っている様子だったが、そこかしこが崩れたり焼けたりしていて、見るに耐えない。
誰もが忙しく走り回っていて、一瞬、戦闘中かと身構えたが、そうではなかった。
よく見れば、陣の南の森を行き来して、薪などを担いでやってくる者が大半だ。
魔妖の襲来には、陣を張って受け止めるのが常道だと聞いているが、鬼の死体の始末、これがとにかく負担になった。俺もここしばらく、苦労をさせられている。
「夜襲の備えに篝火の準備をしているのか、それとも鬼の骸が多すぎて、手が回っていないのか……」
「どちらでしょうね?」
勲麗院様と顔を見合わせ、率いてきた脇備には、邪魔にならないよう道から外れた畑の跡にて大休止するよう命じ、城内に張られた本陣の天幕へと向かえば……。
「おお、勲麗院様! ご無事であられましたか!」
「馬見守殿、それに……そちらは東津武士団の大将殿か? 魔妖の大物は打ち破ったと聞いたが、本陣のこの様子は、一体いかがなされた?」
馬見守は難しい顔をしていたが、立派な鎧兜を身につけた若侍、東津武士団二ノ備、高岡軍曹は、勲麗院様に名乗った後、頭を下げて切り出した。
「東津武士団、明日より出戦致しまする」
「ほう?」
ちなみに軍曹は、現代の軍隊に於ける同名のそれとは違い、鎮守府の武官で俺の鎮護少尉よりも上の官職である。
それにしても高岡軍曹、ずいぶんと若い。
元服したてだろうか、まだ十六、七に見える。
「この辺りには、居食い猿虎なる大物が徘徊しおると聞き及びます。……我らも手ぶらでは帰れませぬのでな」
居食い猿虎はうちの方にも出ると聞いたが、季節によって居所を変えるそうだ。
高岡軍曹は手柄が欲しいから打って出る、とのことらしいが……勲麗院様の目つきが鋭くなった。
「ほう、あの忌々しき目の上のたんこぶを、貴殿が下してくれると仰るか?」
「無論」
「それは重畳」
「……勲麗院様」
馬見守が、やれやれと首を横に振った。
「高岡軍曹殿は勢子を貸せと所望なれど、本隊はしばらく、動けませぬ」
「ふむ……」
「陣の維持さえ、東津武士団の支えなくば苦慮するところ。侍にも足軽にも怪我人が多く、まだ襲来も完全に途切れたとは言えませぬし、鬼の始末と城の片づけで助力どころではありませぬ」
「馬見守殿、帯山の奪還で、いかほどの被害が出たのじゃ?」
「……死者は百余を数えておりまする」
「それほどか!?」
これには俺も驚いた。
……機古屋を出た本隊は六百、二割近くもの死者が出ていることになる。
赤鬼頭や大蝦蟇はどうにか下せたものの、苦戦どころじゃなかったようだ。一捻りという噂だったが、足軽達のやる気を削がないようにとの配慮かもしれない。
だが、高岡軍曹の意見は少々違った。
「しかし、段坂にとり、東津武士団のような強き軍勢がいる今こそ、好機ですぞ」
「うむ?」
「討伐隊より人を割いて、居食い猿虎を見つけていただけるなら、この東津武士団、一命に代えても討ち取ってみせる所存!」
居食い猿虎はその名の通り、『居食い』――陰に潜んで一つ所から動かず身を潜ませ、獲物と見れば素速く襲いかかってくる。
あー……つまり、こっちに囮をさせて、美味しいところだけ持っていこうという魂胆か。
分かり易すぎる、というよりは、わざわざこの田舎まで来てやったのだから手柄ぐらいは寄越せと、主張しているわけである。
同時に、それだけの力が武士団にはあるのだろう。羨ましい限りだ。
「軍曹殿、御身の申し出にはこの勲麗院、心より感謝したいところだが……馬見守殿、本隊は被害甚大、勢子さえ出せぬのよな?」
「ははっ」
「では、脇備をお借りできませぬか? 勲麗院『殿』が帰られたということは、脇備も今はこちらにおるのでしょう?」
「脇備も大きく傷ついておってな。……副将、如何に?」
「ははっ。……足軽が四人、やられました」
俺は四人の顔を思い出しながら、勲麗院様に一礼し……気付く。
馬見守への勲功第一等の譲渡もそうだが、魔妖の跳梁域に接する国々の意識と、少し離れた場所のそれには、大きな隔たりがあった。
魔妖の襲来とは、俺達には互いに支え合って無理をしてでも勝たなければ明日が迎えられない正念場であるが、彼らには活躍を示し勲功と名誉を稼ぐための狩り場なのだ。
馬見守はその中間、機古屋が抜かれて馬野が戦場になるのは困るが、軍功を得られる機会でもあった。
だが今は、こちらに近い立場だろう。居食い猿虎を狩るとなれば、矢面に立たされるのは馬野の軍勢である。
「たった四人!? 勲麗院殿、そのように軽微な損害を、大きく傷ついた等と……」
「軍曹殿には何ぞ大きな誤解があるようだが……脇備機古屋衆は、侍二人と足軽十人のみ。残りは荷駄ぞ」
「は……? それだけ、ですと!?」
「嘘は申しておらぬ。御身も機古屋は通られたであろうが、国中が酷いことになっておってな。そも、機古屋にはもう、まともな兵力は残って居らぬのよ。……お分かりかな?」
肩を落として陣幕を出ていった軍曹殿を見送り、勲麗院様はやれやれと肩をすくめられた。
「せっかく駆けつけてくれたのだ、手柄の一つでもくれてやりたいところではあるが、これではな」
「はっ……」
まあ、気持ちは理解できるが、付き合う気にはなれない。
そんなところである。
ところが次の日。
脇備の陣張りに訪ねてきた馬見守殿と勲麗院様の打ち合わせに立ち会い、預けられた書状を持って花房諸使様のところへ向かおうとした時のことだった。
「黒瀬守」
「はい? おっと、高岡軍曹様?」
「お主、細国の大名だと聞いたが……その大柄で、たかが脇備の副将にしておくのは惜しい。武勲は欲しくないか?」
にやりと笑った高岡軍曹が、俺に声を掛けてきた。
「そうですねえ……」
ああ畜生、面倒くさいことにならなければいいのだが、それは無理か。
「武勲が欲しくないと言えば、嘘になりますが――」
「そうであろう、そうであろう! あんな気ばかり強い女の下についておっても、使い潰されるだけだぞ。お主、我の猿虎退治に付き合わぬか? なあに、退治してしまえばこちらのもの、馬見守も何も言えぬだろうよ。お主は追い立ててくれるだけでよいのじゃ」
ああ、やっぱりその役はこっちなのかと、俺は若武者に小さく低頭した。
おまけに勲麗院様の出自を知らないようだが……。
「やはりそれは、無理でございます。我が黒瀬の足軽衆は四名、何処に居るともわからない居食い猿虎を未だ襲来が続く中、この人数で追い立てるなど、正気の沙汰ではございません」
「臆したか、この軟弱者め! 見つけさえすれば、手柄はこちらのものなのだぞ!」
「どうとでも仰って下さい。それに、その仰りようでは、追い立てる役目は某でありましょう?」
「む、無論だ!」
「幾ら素晴らしい手柄でも、大事な兵を使い潰すなど、某にはあり得ぬ選択肢です」
「足軽など、後から幾らでも雇えば良かろうが! それとも、我に逆らうか、黒瀬守? 我は従七位下、三州鎮守府東鎮軍曹なるぞ!」
調子に乗った世間知らずの中学生から、カツアゲされているような気分である。
手柄に目が眩んだ馬鹿……ではなく、それしか生き方を知らないんじゃないかと思えてきた。
どこか名家の子息だとは思うが、出来ればいさめ事を言う補佐役でもつけておいて貰いたいところである。
大体だ、使い捨てにするぞと言われてついていく足軽など、いるわけがない。
「某は脇備機古屋衆寄騎副将、これは陣立ての時、正式に任じられた役職でございます。勝手働きが知れれば、それだけで某の首が飛んで国が滅びます」
事実である。
少なくとも、拝命した役職を放棄して勝手に持ち場を離れれば、軍議に諮られて打ち首が言い渡された場合、誰も庇ってくれないだろう。もちろん、抜け駆けもかなり重い罪と見なされる。
その点、東津武士団は比較的気楽に勝手働きが出来た。
援軍として頼もしいことも間違いないが、東津武士団は三州公の直轄戦力であり、強制力という点では、馬見守麾下の戦力には組み込まれていない文字通りの『援軍』なのである。
評判はついて回るが、多少の逸脱は大目に見るしかなかった。
「そのようなもの、手柄で幾らでも補いがつく! いいから来い!」
「嫌です。お諦め下さいませ」
「……勝手に我が副将を引き抜かんでくれぬかの、軍曹殿」
呆れた様子の勲麗院様と馬見守殿が、高岡軍曹の後ろに立っていた。
あれだけの大声を出せば、布で仕切られただけの陣張りの中まで聞こえて当然だ。
そこまで気が回っていなかったのか、高岡軍曹は大きく口を開けて驚いていた。
「幾分、聞き捨てならぬ言葉も混じっていたようだが……従七位下東鎮軍曹殿、その辺りは如何に?」
嫌みたっぷりに、従六位下の馬見守が高岡軍曹を睥睨した。
俺がどうのというよりも、総大将である自分の決めた陣立てを蔑ろにされて、機嫌がいいはずはないだろう。
高岡軍曹はしどろもどろで小声の言い訳を口にしていたようだが、それをまともに聞いていた者は、その場にはいなかった。
気分を害したか、それとも居づらくなったのか、その日の内に、高岡軍曹率いる東津武士団の陣は引き払われていた。
「あの若侍、魔妖の住まう森がどのようなところか、知っておるのだろうか?」
「さて……。どちらにせよ捨て置くしかありませんな。気遣う余裕など、何処にものうござる」
「これ以上、陣立てを荒らされぬだけましか」
俺は高岡軍曹が怒って帯山を引き上げたと思っていたのだが、手勢だけを率いて森に入っていったらしい。
無駄に行動力だけはあるが、同時に迷惑でもあった。……近くにいないだけ静かでいいなと思うことにする。
「済まぬがな、黒瀬守」
「はい、馬見守様?」
「脇備機古屋衆を率い、東津武士団が担っていた北の陣を引き継いでくれ。まだ、割と『出る』のだ」
「承知!」
装備も鍛錬も良く、士気も高い五十人の武士が引き受けていたという北の陣――討伐隊で一番強い部隊が奇襲を受けにくいようにとの純軍事的な配慮だったが、高岡軍曹にはそれさえも主戦場から遠ざけられたように見えていたらしい――を、たかが十数名で引き受けるのは無理があるような気もしたが、流石にそこは北方から戻ってきていた脇備中浜衆からも足軽一隊、二十数名の応援が出されていた。
俺を含めて侍三人に足軽四十人、北備衆と新たに名が付けられている。
北備大将の指名は勲麗院様の推薦かとも思ったが、そうではなかった。
奪還戦で大きな被害を受けた主力は再編したばかりで、もう主攻方面の防戦に備えていて動かせない。そこで目を付けた残り物――お手軽に動かせそうな侍の中では、従八位上の俺が頭一つ飛び抜けていたらしい。
なるほど、官位の効力とはこういうことかと、少しだけ納得した。
ぞろぞろと、北備衆を引き連れて北門へと向かう。
「そちらはどじゃった?」
「お侍の亡骸に憑いた屍鬼が出おったぞ」
「足軽に憑いただけでも往生するのに、大変だったじゃろ?」
「おうよ。組頭のお侍様が火矢を用意しとって下さらんかったら、皆揃って幽鬼になっとったかもしれん」
足軽らの話しに耳を傾ければ、向こうは向こうで大変だったようだ。
「ここか……」
北の陣は、城の勝手口であった北門を守るため、焼け落ちたその周囲に廃材を組んで頼りない土盛りをしただけの陣地である。
だが、表ほどではないが、こちらも当然、鬼は出る。突破されれば城内の本陣が痛手を受けるから、割と重要な任務だった。
「さあ、気張れ!」
「おう!」
その日一日、俺達は北の陣を拠点に半里ほどを幾度も行き来して、鬼を狩り、焼いた。
襲来も終息傾向にあるのか、この人数で被害も出さずにやり過ごせたのは幸いだ。
数人は狩りから外し、夜に備えて昼寝をさせることも出来ていた。
「余裕のある内に、夜番の準備をしておくか」
「ははっ」
「飯当番、集まれ!」
「篝火の薪は、一つ所に置くなよ!」
だが、困ったことに。
夕暮れになっても、東津武士団は帰陣しなかった。