第六十二話「脇備連戦」
第六十二話「脇備連戦」
「朝、か……」
そう言えば、夢だと分かって見る夢など、初めてかもしれない。
面白い体験をさせてもらったなと、もう一度、祭壇の銅鏡――枳佐加様を拝んでおく。
布団を畳んで宮司さんに挨拶をしていると、戌蒔が迎えに来てくれた。
「そちらは問題なかったか?」
「はっ、万事滞りなく」
「うん、ありがとう」
城に戻って粥で腹を満たし、気分を切り替える。
葉舟様とお社のことも大事だが、まずは戦を片付けて、無事、黒瀬に帰らなければならない。
竹の編み笠を被って鬼貫舵田を手に、小物それぞれを確かめる。
戦支度を整え終え、俺は庭の松を前にしばらく目を閉じた。
精神統一というほど立派なもんじゃなくても、忘れ物がないか、心残りがないかと確かめ、心配事を減らしておく方が、『俺らしく』振る舞える。
……これも、『殿様らしく』ある方がいいのかそうでないのか、答えのでない問題だが、そのうち経験も重なって、いつの間にか『俺は俺だ』と言えるようになっているんじゃないだろうかと、思っていた。
「主、面構えが見違うておるが、なんぞあったか?」
面白そうな表情の勲麗院様に、神気を与えて下さった神様にお会いできたこと、神社の建立を約束したことなどを話しつつ、今日の予定を確認して、早々に針里を出発する。
たった四人だが、針里の足軽も案内兼露払いにつけられていた。
「ふむ、東下は神社も寺も少なかったか?」
「甲泊にはありますが、他は……」
人口も違いすぎるし、第一、その余裕がない。
黒瀬も人が増える前から余裕はないが、今のところ食いっぱぐれていない理由は、ほぼ都からの支援が強力だという一点に尽きた。
俺は機古屋で数日を過ごすうち、段坂周辺は東下に比べ、かなり暮らしぶりに余裕があるようだと感じていた。
石高で言えば、東下全体を合算しておよそ表高二千石、対して段坂は旧帯山国だけでも二千五百石、全体では一万二千石を超える。馬野はその倍の倍だった。
資本集中の効果とでも言えばいいのか、大名家が大きければ、民も守られまた豊かという、いつだったか静子に聞かされた弱肉強食の現れでもあるのだろう。
実はこの表高というものも、割と曲者だった。
表高は国別帳に記載された公認の石高で、これを基準に軍役や賦役が求められ、同時に国の格付けが為される。
石高が高ければそれだけで『偉い』という図式は、なんだかなあと思いつつも、石高は兵力の動員数や潤沢な資金の現れで、魔妖の跋扈する大倭では重要視されていた。
だが国別帳の更新は数十年に一度、それも一斉に更新されるわけではないから、実石高とは差異が生じた。
領内の開墾は――山村の隠し田などはともかく、どこの国でも奨励しているし、魔妖の襲来で村が滅ぶこともある。
毎年変化して当たり前だった。
黒瀬ならば……うちの場合は小物成で国が成り立っているが、表高十石、実石高十五石となる。
表高より実石高が高ければ、軍役や賦役の負担は軽くなるものの、論功行賞に於いて序列が低く見積もられ功に繋がらない。逆ならば、立て続けに軍役が求められでもすると負担に耐えきれず、国が傾くこともあった。
よって、表高に対して実石高を若干高めで推移させるのが理想なのだが、そこはお役所仕事……というよりも政の領域で、奏上したからとすぐに国別帳を書き換えて貰えるわけもなく、認めて貰うのも一苦労だという。
そこで、この軍役――戦争というものが、関わってくる。
この魔妖襲来は、地方にとっても一大事だが、都でも無視できないほどに目立つ事件なのだ。
当然、功績に応じて恩賞も出る。
都の朝廷も、ただ働きをさせては地方大名に不満が溜まり、権威の失墜に繋がりかねないことを理解していたから、渋々ながらも奏上のあった官位官職や領国格上げ、特権の許状などを認めることが多かった。
全ての要求を認めるわけもないし『割引』も相当酷く、時に官位を奏上した筈が、お茶を濁すように茶器や武具などの名物が送られてくることさえあるという。
小身の者へは主に金品の褒賞が与えられるが、こちらは現場でかき集められた魔妖の素材を商人に任せて金子に換え、褒美の他に、救民や軍費の補填にも当てられた。
但し、黒瀬に限っては悪目立ちするわけにも行かず、俺もここぞと大暴れするなど以ての外だ。
今に見ていろとは思うもののまだまだ芽が出たばかり、今回の軍役は細国大名らしく無難にやりすごすのが得策といえた。
「皆、集まれ!」
「黒瀬衆は周囲の物見! 機古屋衆は鬼の始末じゃ!」
今日も山道を五里の行程だが、鬼退治の頻度が尋常ではない。
針里を抜ける前に三つ、抜けてから三つと、出会う相手は小鬼数十の小さな群ながら、歩みが遅々として進まなかった。
「……黒瀬守よ」
「はい、勲麗院様?」
昼はとうに回っていた。
鬼の始末のついでに、大休止を取って兵を休ませ、喫飯を許す。朝用意した米麦五分の握り飯が、大根の糠漬け二切れと共に配られた。
「敷森の城まで残り一里半、少々長丁場となるが……頼んでも良いか?」
「早駆けでございますか?」
「うむ。ここより先、鬼は打ち捨て、入城を優先したい」
到着が遅くなって暗い道を駆けるなど、あまり考えたくはないし、夜営など以ての外だ。
早駆けはもちろん了承したが、俺は少し考えてから、戌蒔を残し黒瀬衆から一人だけを連れて行くことにした。
もちろん、俺は鬼を狩りつつの進軍だが、狩った後に横からやってくる魔妖がいないとは限らない。
「戌蒔、何があっても勲麗院様をお守りしてくれ」
「承知!」
握り飯を水で流し込み、立ち上がる。
「行くぞ、子谷」
「承知!」
城までは道なりと聞いていた。迷うこともないだろう。
敷森はその名の通り森に囲まれており、視界の悪い中を道が通っていて、一里半を走りきるのに、半刻はかかってしまった。
大体六キロメートルを一時間だから、かなり遅いマラソンだ。
出会った群は四つ、邪鬼まで合わせて二百は下したと思うが、数はどうでもいいだろう。
「見えてきた!」
「はい!」
急に視界が開けたかと思えば、そこは村落の入り口で――。
「続け!」
「承知!」
足軽らしき男達が、鬼と戦っているのが見えた。
苦戦していた様子の彼らと鬼の群の間に割って入り、鬼貫を振り回す。
「大丈夫か! 援軍に来たぞ!」
「お侍様!」
背中を子谷に預けて程なく下し、座り込んだ彼らに竹水筒を与える。
村の様子は、機古屋ほどではないが酷い有様だった。
「しっかり休め、と言えないのは辛いが、もう少し頑張ってくれ!」
「は、はい!」
俺はまだ戦いの音が続く城の方に目を向け、走り出した。
敷森の殿様は健在であり、俺の加勢もあって村落の鬼はすぐに片づいた。
「篤胤、念入りに市中を回って鬼が残っておらぬか探せ! 太一は城に走り、御札を貰うてこい!」
「ははっ!」
「黒瀬守殿、改めて、ご助力感謝いたす」
「いえ、お疲れさまでございました、敷森守殿」
北見敷森守は見かけ四十前後、疲れた様子ながら明るい表情である。
「機古屋でさえ落城寸前と聞き、援軍は半ば諦めていたのでな。……そちらは、如何に?」
「一昨日、馬野中浜の援軍が到着、帯山に向かいました。すぐそこまで、脇備を率いた勲麗院様もいらっしゃっています」
「そうか! なんとかなったのだな!」
こちらでは村落の維持を早々に諦め、大物が来なければ何とか持ちこたえられるだろうと励まし合いながら、城に籠もって適度に出戦し、鬼を狩っていたそうだ。
田畑がほとんどないからこその英断だが、この国は林業が盛ん……というよりそれで食べているそうで、家具などの木工品だけでなく、城の天守や寺の宝塔の芯柱に使う大きな木材なども名産だという。
故に、生き残ってさえいれば何とでもなるのだと、敷森守はしたたかな笑顔で現状を笑い飛ばした。
鬼の始末を手伝いつつ敷森守と各々の状況を話していると、勲麗院様の脇備も無事到着、今日のところはこれにて打ち止めと、俺達も手を止めて入城した。
敷森の城は、東が魔妖の住まう森に面していて、西に街を抱える作りである。
表高は八十石と小さいが領民は四百人を数え、やはり細国にしては豊かなようだった。
「ともかく、敷森が保たれていて助かった。良く耐えてくれたな、敷森守」
「いえ、機古屋も大変であろう中、援軍を頂戴いたしましたこと、感謝いたします」
壊滅した帯山と、当面使い物にならない機古屋だけの話ではない。
機古屋の後背に位置していて、戦の矢面に立っておらずとも国主が戦死した国もあるし、段坂一帯は全般的に大きな損害を受けていた。
相互に支援して復興に力を入れるとしても、指揮を執る大名が残っているだけで、その進み具合が大きく異なる。
「まずは魔妖を追い散らしてからだが、今から頭が痛いぞ……」
「……ですな」
本陣より連絡が入るまでの数日、この城からは動けないが、勲麗院様は戦後を睨んだ書状の作成に忙しく、敷森守と敷森衆も城下の維持に精一杯であるし、一時的であれ兵を休ませたい。
軍議は早々に終わり、俺は敷森城を拠点として遊撃し、可能な限り鬼を蹴散らせと、脇備を丸ごと与えられた。
▽▽▽
敷森にて鬼を狩ること五日。
鬼共の数は多く、狩った数は余裕で万を超えた。
足軽らも俺を信頼してよく応えてくれていたが、流石に春狩りのように無傷とは行かず、時折混じっていた疾鬼や屍鬼――死んだ鬼に邪霊という幽霊のような魔妖が取り付いた厄介者――の為に戦死者も出している。
勲麗院様には、主がおらねばとても数名では済んでおらぬと、逆に労いの言葉を貰う始末であったが、本当に悩んでいる暇がないほど、鬼の群は次々と現れた。
無論、俺だけが忙しさに身を任せていたわけではない。
「屍鬼じゃあ!」
「火槍を用意せい!」
この頃には足軽らも慣れたもので、屍鬼如き何するものぞと、槍の先にぼろ布を巻いて油を染み込ませた火槍を自ら手にするようになっていた。
その日、城に帰れば、昼に早馬が駆け込んできたとのことで、俺は足を洗っただけで奥間へと通された。
城には領民が収容され、脇備も庭を間借りして陣を張っていたが、機古屋ほど無茶な人数ではない。丁度、黒瀬の城程度の賑やかさだ。
「おお、戻ったか。本陣が帯山の城を取り戻したそうだ」
「赤鬼頭だけでなく、大蝦蟇などの異形もおって苦戦したと、早馬の侍は疲れた様子であった。こちらに来よったら、どうなっておったことか……」
大蝦蟇は素速く伸びる長い舌を使って人を次々と丸飲みしていく大蛙の魔妖で、とにかく生命力が強く、赤鬼頭とはまた別種の難敵である。
祝詞にて心身を強くした衛士達が神具である太刀でもって幾度も切り裂き、あるいは突き立てたが、倒しきるまでに二刻――四時間も戦い続けることになったという。
「勝ち戦ではあるが、本陣も無傷では済んでおらぬようでな、当面は防戦と鬼の始末に徹し、東津の武士団を待つとのこと。……まあ、何にせよ、この戦も先が見えてきたわ」
だが、面倒くさいのはここからなのじゃと、勲麗院様は投げやりな様子で湯飲みに手を伸ばした。