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第五十七話「軍役」

第五十七話「軍役」


 まずは早馬の急使、甲泊代官陣屋配下の手付(てつけ)――下級役人で馬担(うまにない)の中谷若元(わかもと)を休ませ、信且、戌蒔、源五郎らと額を付き合わせる。


「前の襲来は十年ほど前でござったな……」

「あれも酷い戦でありました」


 魔妖が攻めてきたという帯山国は甲泊から見て北、段坂と呼ばれる地域にあり、東下よりは多少ましな小国細国の集まりだという。


「今頃は東下だけでなく、周辺の中浜、馬野(うまの)諸国にも援軍の求めが出ておりましょうな」

「そういえば、信且、源五郎。軍役は分かるが、これまで黒瀬ではどう対処していたんだ?」


 魔妖が攻めてきたので、援軍要請が来た。


 これは大名初心者の俺にも理解できるし、黒瀬も単独ではどうにもならない場合、援軍を求めることが出来る、とは知っていた。


「は、東下では百石につき徒侍(かちざむらい)一人か足軽三人の規定でありまするが……足軽だけを送っても使い潰されるのが相場と、殿が自ら、御出陣されておりました」

「また、殿に荷車を手引きさせるは名折れ、結局は数名の足軽と荷駄を随行させてございました」


 軍『役』は相互の安全を約束するが、同時に役務であり、その費用は全て大名の自己負担だった。


 例えば、五人を一ヶ月間戦地に送るなら、五人分の食糧を持ち込まねばならない。

 米に換算して五人×一日当たり五合×三十日で計七百五十合、俵にすれば二俵弱ともなるし、おかずも必要だ。水と(たきぎ)は現地調達のようだが、それも手作業で確保しなければならなかった。


 また、旗指物(はたさしもの)も含む武具は当然として、加えて寝床になる筵や陣幕、替えの草鞋(わらじ)や鍋、器なども持ち込みである。


 功名や褒美を狙って規定以上の部隊を送り込む大名もいなくはないが、最低限の援軍でも懐に負担が掛かりすぎるのが東下の実状だという。


 しかも、勝ち戦とは限らない。


「そうか。……じゃあ、行くのは俺に加えて、最低限の数名にしておく方が良さげか?」

「通例は下士の誰かと、水主衆より腕っ節の強い者を二、三名選んでおりましたが……」

「ここは御庭番衆の出番かと。我らがお供いたします」

「おお、戌蒔殿であれば心強うござる!」


 戦働きについては、春の魔妖狩りでその技を皆に見せつけた御庭番衆である。皆からの信頼も既に得ていた。


 戦に出るのは、全員忍者の方が何かと都合がいいかもしれない。特に逃げ足は、信頼できる。

 だが、東下の事情に詳しい者も、連れていきたいところだった。


「よし、連れていくのは、御庭番衆から選んだ足軽組四名に、水主衆より選んだ荷駄組四名とする。……少し多いが、安全策を取りたいと思う」

「ははっ」


 少し考えてから、御庭番衆から戌蒔を含めて計四名を足軽組としてこちらは戦専業、荷駄組には太平丸船頭の瀬口道安(みちやす)を組頭に置いて四名二輌を同行させることにした。


 俺を含めて合計九名の『大所帯』だが、今ならまだ、懐にも戦力にも余裕がある。


 それに、何が起きるとも限らない。長丁場になって、足りない食糧を取りに単独で黒瀬へと帰すことも考えての部隊編成だった。


「こちらの守りは心配ないとは思うが、信且を城代とし、戦働きの采配は源伍郎に任せる」

「ははっ」

「では、戦支度に掛かってくれ。差配は任せるが、食糧は多めにな」

「承知!」


 俺の場合、身に合う具足がないので、用意はいつもの野良仕事と大して変わらない。


 天守の端、俺の着替えや殿様道具の置いてある小部屋で、静子に着付けを任せつつ、時折駆け込んでくる家臣からの報告を聞いて頷き、あるいは指示を出す。


「少し屈んで下さいまし」

「うん」


 普段は自分で着替えるが、是非にと言われれば……嬉しいものである。


 姫護正道は、少し迷ってから、アンに預けていくことにした。あれば頼りになるだろうが、龍力が尽きかけているところに、無理はさせたくはない。


 いつもの小袖に野良履き、舵田殿の槍と友兼(脇差)、腰に打飼袋、おまけで竹編みの真新しい陣笠を身につければ、俺の戦支度は完成だ。


 東下全土に声が掛かる大きな戦、本来ならば戦勝を祈願して栗や鮑のお膳を用意し、出陣式も行うそうだが、時間にも懐にもそんな余裕があるはずもない。

 略式と言うには簡便すぎる、(とき)の声と見送りのみの出陣式を行い、その代わりとしていた。


 出る間際、改めて嫁さん達に挨拶を告げる。


「……御武運を」

「殿が無事にお帰りくださいますよう、お祈り申し上げております」

「無理はしないでね、一郎!」

「あの、い、いってらっしゃいまし!」


 表情はそれぞれだったが、俺よりもずっと、覚悟が決まっているのかもしれないなと思い返したのは、その日の夕暮れ、瑞祥丸に乗り込んでからのことである。




 ▽▽▽




 船に揺られること、一日半。

 徒歩で手引きの荷車を引くよりは早く、甲泊の港が見えてきた。


「源伍郎、切り返しにも慣れてきたか?」

「流石にまだまだ、ですな」


 瑞祥丸は二百五十石積みで、手漕ぎの小早に比べて格段に大きいが、運航その物は人数が半分の四、五人で済む。


 代わりに小回りは利かないし、風上に向かうのは一苦労だ。

 普段の漁のような近場なら小早の方が扱いやすいと、水主衆たちも頷いていた。


 しかし今回のように、大荷物を乗せて中距離を行き来するなら、流石は廻船、段違いの速度と積載量を誇示している。


 無論、軍船と廻船を同じ土俵で比べるのがそもそも間違っているのであり、どちらも揃っていることで目的に応じて選べるという利便性は、良く理解できた。


「殿、御武運を!」

「ああ、黒瀬を頼むぞ!」


 源伍郎には俺達を送るついでに小鬼の角を売り、穀類や野菜、生活小物などを仕入れるよう命じてある。


 荷役もその源伍郎と道安に任せ、俺は戌蒔を連れて代官陣屋へと向かった。


 陣屋とは、大名の在所の意味もあれば、城ではない拠点を指すこともあり、この場合は代官屋敷という言葉に近い。


「案外騒ぎにはなっていないんだな……」

「遠くの戦は対岸の火事、なのでしょう」


 甲泊の港は切羽詰まった様子はなく、町中でも天秤棒で野菜を担いだ棒手売(ぼてふり)や、子供らの姿も見かけた。


 だが、流石に陣屋周辺は騒がしかった。戦支度をした十数人が、組を作って話し込んだり、具足の手入れを行っている。


 その中に、知った姿を見つけて声を掛けた。


浜通(はまみち)守殿!」

「おお、黒瀬守殿か!」


 俺と同じような出で立ちに、胴当てを身につけた浜通守は、やれやれと肩をすくめた。

 結構なお年だが、まだ戦に出られるおつもりらしい。


「お互い、大変よの」

「ええ、大変です」


 苦笑をかわし、挨拶をして参りますと会釈して、陣屋の見張り番に名を告げる。


「某は黒瀬国主、松浦黒瀬守和臣でありまする。甲泊代官、花房諸使様へとお取り次ぎ願います」

「しばしその場にてお待ち下さいませ!」


 花房諸使様の諸使は『三州鎮守府鎮東(ちんとう)諸使 (しょし)』、その略称である。

 位階は正七位下、東下では筆頭格となった。……ちなみに俺の貰った鎮護少尉も、正しくは頭に三州鎮守府がつく。


「どうぞ、こちらへ」

「頼みます」


 戦時にて略式の挨拶ながら、表口に出てきてくれた花房諸使様に跪く。


「松浦黒瀬守和臣、軍役出仕の命を受け(まか)り越しました」

「黒瀬守、ようきてくれた! また、飛崎援助の件、済まなんだな。民も一息つけよう」


 代官殿は本当に忙しいらしく、また夕餉(ゆうげ)時にと言い残し、すぐに奥へと消えていった。




 その夕餉は陣屋にて炊き出され、足軽や小者にも振る舞われたが、俺は屋敷内に呼ばれ膳を前にして小さくため息をついていた。


 東下の各国主やその代理が集められ、軍議も兼ねていたので抜けられないが、俺以外の顔ぶれも――花房諸使様も含めて、似たような暗い表情をしている。


 ……先ほど駆け込んできた早馬が、帯山国壊滅を報せてきたのだ。


 国主は少数を率いて城と村に火を放ち魔妖を攪乱(かくらん)、文字通り、死兵となって郎党と領民を逃がしたという。


 現在は段坂地域の諸国から集った援軍が、帯山の隣国機古屋(はたごや)に陣を構え、防戦に奮迅している。


 一応、良い報せもあるにはあった。

 この近隣の中心地、東津(あずまつ)より三州公直属の武士団も援軍に出るそうだ。

 但し、距離もかなりあるので、俺達の段坂到着より大きく遅れることもまた、確定的だった。


「東下軍総大将、正七位下、花房諸使が申しつける」


 この場に集まっているのは十人少々で、東下十二ヶ国……いや飛崎が減って十一ヶ国か、それで東下軍の戦力は全てである。


 代官が補っているお陰で総軍は侍十四、騎馬四、足軽三十三、荷駄三十の計八十余となっているが、名ありの大物魔妖と当たるなら心許ない気もした。


「正八位上、中林止丸(とめまる)守、足軽大将に任ず」

「ははっ」


 髭を蓄えた御仁が、重々しく頷いた。


 誰それは右翼、誰それは後詰めと配置が発表されていく。

 老いた浜通守殿は、荷駄隊を任されていた。


 俺もできれば、そちらの方がよかったのだが……。


「従八位上、松浦黒瀬守、先手衆に任ず」


 若者は働け、ということらしい。


 俺より若い殿様もいるにはいたが、先年、病で父を亡くして家を継いだばかりという十一歳の国主に、無茶を言えるはずもなかった。




 ▽▽▽




「皆、出陣じゃ!」

「えい、えい、おう!」

「えい、えい、おう!」


 翌日、出陣の合図に法螺貝(ほらがい)が鳴らされ、ほんの僅かな騎馬を先頭に、侍と足軽と荷駄の入り交じった行列が続く。


 戦と違って、行軍は国ごとの組を作って移動するらしい。


 いかにも武士らしい鎧兜を身につけているのは花房諸使様だけで、後は国主らも胴当てや陣笠がせいぜいだった。


「もっと慌てて駆けつけるのかと思っていたけど、そうでもないんだな」

「陣の置かれた段坂機古屋まではおよそ二十里、兵を疲れさせぬことも肝要かと」

「無論、近ければ、荷駄を置いて早駆けすることもございます」

「助かる。勉強になるよ」




挿絵(By みてみん)




 二十里……約八十キロメートルの行程を、一日に四里で五日。


 一日に四里と言えば、丁度黒瀬の城と取水口を往復する距離に等しいが、行軍の基準はまた別である。


 行軍中は朝早く出発して、昼過ぎにはその日の目的地に到着するのだが、夕飯の為に(たきぎ)を集め竃を作り、寝床になる陣を張る時間も考えれば、結構ぎりぎりなのだ。


 また、急いで戦地に到着しても、疲れて使いものにならない援軍など、漬け物石ほども役に立たないと聞かされれば、頷かざるを得ない。


 このあたりの兵法軍学までは、流石に俺も手が回っていなかった。

 ……そんな余裕はあるわけなかったが、今後の課題、いや、目の前に差し迫った問題か。


「道安、今日は岡畑(おかはた)にて陣を張ると聞いたが、小さな村なんだよな?」


 岡畑村は石高百五十石、周辺数ヶ村とともに甲泊代官の支配を受ける三州公の直轄地である。

 だが百五十石の村と言えば、大して大きくもない村であり、民家を借り上げて寝泊まりするような余裕はないだろう。


「はっ、小川が近うございますので水汲みは楽ですが、里山が少々遠く、薪拾いは面倒であったかと」


 これも課題だなと、荷車を見やる。

 荷車には壷がくくりつけられており、中には今朝水に浸けた麦が入っていた。


 九人分の食糧は麦が中心で、如何に命の掛かった戦働きでも戦地で米を出せば嫉妬されると聞き、残念に思いながらも諦めていたのだが、これは貧乏な東下の事情でもあった。


 しかしだ、世の中理不尽だらけでも、上手くできているらしい。


 米所でもある馬野の援軍は米を『多めに』持ち込み、代わりに東下や中浜は海産物を『多めに』持ち込み――戦地では、物々交換が成り立つのだという。


 お陰で荷車には、スルメや昆布、干し鰹、干し貝柱などの乾物が大量に詰まれていた。

 他にも湯で溶けばそのまま食べられる麦焦がし、味噌壷に塩壺、東下菜の漬け物も持ち込んでいるが、とにかく飯の切れ目は命の切れ目、飢えないようにだけは配慮している。


 栄養は偏るどころじゃないが、今更か。


 金子も幾らか持ってきていたが、道中の村の規模を考慮すると買い物はほぼ不可能で、薪拾いのついでに山野草を探す方がまだ期待できた。




 初日の陣となる岡畑には、昼過ぎどころか昼前に到着してしまった。


 車曳きは足軽組とも交替させていたし、皆、気力がみなぎっているのか、春狩りの時よりも元気なほどである。


「では、足軽組は薪、水を頼む」

「承知!」

「荷駄組は陣張りだ」

「ははっ!」


 早速、持ってきた鍬で地均しをして陣を張る組と、村人に案内されて里山に向かう組に分かれる。


 代官が庄屋に申しつけ、庄屋屋敷の庭に東下軍本陣、残りはその周辺……と言えば聞こえはいいが、黒瀬衆は、収穫が終わったばかりでまだ畝の残るえんどう豆の畑を陣地に指定された。


「領国内では今更ですが、ここには人目もございます」

「殿には堂々とお過ごしいただき、見栄を張っていただかなくては」


 陣張りを手伝おうとしたら、総出で止められてしまった。

 お殿様は余裕を見せつけ、大人しく皆を監督するのがお仕事らしい。


「もう三十年も昔であるが……」

「浜通守殿?」

「余も先代家老より、全く同じ小言を貰うたわ」


 そのやり取りを聞いていた隣り合う陣の浜通守が、煙管の煙を輪っかにしながら快晴の空を見上げた。


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