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第五十六話「早馬」

第五十六話「早馬」


 消えた朝霧を探す技術もなく、さりとて和子とアンに顛末を話す気力もなく、俺は目先の問題事へと意識を向けた。


 ……逃げたとも言うが、忙しいのも間違いない。


 信且、松邦の差配に頷いて指示を与え、四郎と共に遠山衆の顔を見に行って励まし、ご老体二人に都の様子などを聞いていると、すぐ夜になった。


 春漁については現状維持、但し一勤一休に加えて出漁ではない本物の鍛錬を一日加え、水主達には瑞祥丸の操船に慣れさせることにした。

 二十石も詰めば満杯になる小早と比べ、大きさもそうだが主動力が櫂と帆で操船方法が全く違う。数日は都の船団もこちらで休息する予定で、その間に基礎を手習いするそうだ。


 遠山衆の新居については、側用人の松邦と四郎が方策を練り、城下に新たな長屋を幾つか建てることになった。


 無論、長屋新築の働き手は遠山衆が中心となるが、食い扶持も考えれば、数年内には新村をなんとかせねば破綻しかねないと、意見も貰っている。


「しかし、賑やかですな」

「甲泊の港より人が多いなど、驚きにござります」


 天守を明け渡してしまったので、内城を囲う矢狭間の廊下が今日の居場所である。

 今夜の布団になる藁筵(わらむしろ)を敷いて、源伍郎らと即席の車座を作っていると、夕飯が運ばれてきた。


 ……お膳を自分で取りに行くのは禁止だった。今一つ落ち着かないが、配膳は賄方(まかないかた)を兼ねる女房衆の領分で、お殿様はそれを待つのもお仕事の内なのである。


「お待たせいたしました、殿」

「うん、ご苦労様」


 いつもより大層豪華な膳で、中央に包丁で細かくたたいた鯵の味噌焼きが、でんと鎮座していた。

 鰤の刺身には煎り酒が添えられ、左右には湯がいた春草の味噌和えと東下菜の漬け物、ちいさい徳利と酒杯までついて、それから飯は……。


「おおっ!? 蕎麦か!!」


 運ばれてきた膳には何故か大振りの飯椀が二つあり、蓋を開ければ一つには熱々と湯気を立てた蕎麦が入っていた。

 いつもなら蕎麦は蕎麦でも蕎麦がきなのだが、今日は麺の蕎麦に、ワカメが添えてある。


「都の船より、乾麺の蕎麦を頂戴いたしましたのです」

「殿が喜ばれるだろうと、玄貞老は笑っておいででありました」

「そうか、ありがとう。……後で礼を言わないとな」


 少し手を掛ければ、黒瀬でも作れなくはないなと、椀を手に取る。


 つゆも濃いめの醤油で味が付けられており、随分と懐かしい気分を引き出された。……刺身につける煎り酒などと同じく、醤油もやはり都から持ち込まれたそうだ。


 もう一つの椀は、混ぜ物のない本物の白飯で、こちらは皆にも行き渡っていると聞かされた。


「うん、美味いな……」


 乾麺なら保存もきくし、そのうちと言わず手を付けたいが、単に生の麺を干しても味が落ちてしまうだけだろう。


 素麺なども、作るのは大変そうだが、手早く食べられていいかもしれない。


 誰か製法を知らないだろうかと、考えてみたものの……。


「殿、蕎麦であれば、我らにお申し付け下され」

「戌蒔?」

「蕎麦屋台にて姿を偽り、敵地に忍び込む技ならば、幾人も会得いたしておりまする。無論、蕎麦打ちに出汁引き、味も本物の蕎麦屋に負けませぬ」


 忍者、便利すぎる……。


 だが確かに、時代劇で蕎麦の屋台が敵の屋敷を見張るのは、定番中の定番だったなと思い出す。


 余裕が出来たら金子を渡すので、黒瀬にも蕎麦屋を開いて欲しいと、戌蒔に頼んでおいた。




 飯を食ったら気持ちに余裕も出てきたので、和子らの所に向かう。


 気は重いが、一つ、腹案を抱えての事である。


 女の園になっている二の丸は、男子禁制ではないがそのまま入るのは気が引けた。女房に取り次いでもらい、静子も含めた三人を呼ぶ。

 庭の隅、人気(ひとけ)の少ない篝火を選んで、その近くに藁筵を引いた。


「どうかされたのですか?」

「あー、うん、実は……朝霧も、俺の嫁になる」


 既に知っている静子にも頷き、都より届いた種付御免の許状について、その時の朝霧の様子などを交え、彼女を浮気相手ではなく、正式な側室として迎え入れたい旨を口にして頭を下げる。


 許状はあるが、浮気はどうも、しっくりこなかった。

 側室としてなら、まあ、今更だと……まだ納得できなくもない。


 だが少なくとも、嫁さん達にはきっちりと話を通し、朝霧の気持ちも確かめておきたいというのが、俺の気持ちだ。


 玄貞殿が勝手に話を進めた風だが、こちらの結婚は、殆どの場合親が決める。しかし、身勝手かと言えば、孫の為のようにも思えた。

 あの時の朝霧の様子を思えば、嫌われているということもないだろうが……子が成長し一人立ちしてからならばともかく、抱くだけ抱いてそのまま去られるのも困る。


 だが、俺の葛藤を余所に、和子とアンは顔を見合わせてから、どうということもない風に頷いた。


「朝霧ならば、むしろ歓んで迎え入れるべきです。帝のお墨付きがあって、備のご党首殿も望まれているのでしょう? ならば、およろしいことなのでは?」


 和子には俺の正妻としての立場もあるが、宮中を含めた中央の政治に詳しく、見識も非常に優れていた。


 その和子に曰く、御忍のお墨付きを持つ備党が松浦家の縁戚になれば、向こうには向こうの事情があるものの、遠交近攻の利にも適っていてその利益は非常に大きいという。


「一郎、『経連緯接(けいれんいせつ)』という、兵法にも政にも使われる言葉があります。たとえば公家ならば、公家同士が横に繋がることで大きな勢力になりますが、武家、商人、忍、寺社……公家でない者と垣根を飛び越えて繋がると、時に思わぬ力を生み出します」


 同業他社と連携し、異業種との交流を持つ企業の話なら、就職課のセミナーで聞いたことがあった。それと似たようなものだろう。


 なるほど、松浦家は武家の末端ながら、嫁さん達は帝家の血を引く者、公家の娘、龍神の姫。そこにくの一が加わるわけで、今のところは見事なまでに協調が成果を呼び込んでいた。


「それに彼女は、一命を賭してわたくしを助けてくれました。その信頼と感謝は、今も揺らぐものではありません」

「わたしも嬉しいかな。朝霧はいつも仲良くしてくれるし、色々なことを教えてくれるよ」

「私も、朝霧の気持ちが殿に向いているならば、迎え入れるに吝かではございません。……そこのところはどうなのですか、朝霧?」


 振り向けば、俺の背後に朝霧がいて、不安そうな表情で小さくなっていた。


 いつの間に……いや、くの一に何時からいたのかと聞くのは野暮だろう。


「あー……朝霧にも急な話だったと思うが……」

「あ、あのっ!」

「うん?」


 何故か、切羽詰まった表情の朝霧に、何事かと身構える。


「松浦様は、お嫌ではないのですか?」

「ん?」

「私は、忍です。身分も低く、そちらのお三方のような美人ではありません。ですから、あの……」

「え!? 朝霧は可愛いと思うけど……」

「ひゃい!?」


 うん、そういうところとか。


 比べるものでもないが、和子が正統派の美人なら、静子は理知的な美人で、アンはゴージャスな美人である。


 朝霧はと言えば……そうだな、歳も高校生ぐらいだし、ポニーテールを靡かせて走る陸上少女というイメージが近い健康美人だ。


「俺はもう、心の準備が出来た。……俺の嫁に、なってくれるか?」

「は、はいっ! 一生、お側にてお仕えさせていただきます!」

「うん、ありがとう。でも、そんなに緊張しなくていいからな」


 真っ赤になって頷いた朝霧に、握手ぐらいはと手を伸ばせば、何故か女同士の話し合いがあるからと、俺は遠ざけられてしまった。


 そう言えば、結婚式――婚儀もまだなんだよなあと、賑やかに二の丸へと帰る彼女たちを見送り、月を眺めながら大廊下へと一人寂しく戻る。


 ……口説き落とすと言うには状況が既に出来上がっていたし、その言葉も稚拙すぎたかもしれないが、俺だって、慣れてるわけじゃない。


 だが、後悔だけはしない気がした。




 ▽▽▽




 都の船団が到着して一騒動起きた翌日は、都の船頭を師範にして鍛錬ついでに飛崎へと向かう瑞祥丸に復興見舞の米と麦の俵を持たせて送り出し、その翌日は砦とやらを検分したいというご老体に付き合って取水口に足を伸ばししていた。


 四人に増えた嫁さんとの結婚については、倍ほどに増えた領民の事をなんとかせねば、片づく物も片づかない上、予算の方がどうにもならず棚上げしている。


 それでも、黒瀬はこの数日で大きく変わろうとしていた。


「殿、大漁ですぞ!」

「おお、今日もいい塩梅だな!」


 集落には森から木を運び、あるいは長屋を建てる頼もしい音が聞こえ、春漁に出た船が戻れば、港もこれまでより活気に満ちた様子がうかがえた。




 船団の滞在五日目、俺はそろそろ都に戻るというご老体からの挨拶を受けていた。


 往復半年近い旅程であり、また来て下さいと気軽に言えるわけもないが、連絡だけは絶やさないようにしたいところである。


「頂戴した品々の返礼にもなりませんが、こちらをお持ちになって下さい」

「ほう?」

「魔ヶ魂にしては大きゅうございますな……」

「都にて売る方が多少はましな値がつくと、戌蒔に教えて貰いました」


 俺は手持ちの札の中で、一番金になりそうな這寄沼の魔ヶ魂も含め、蔓山葵、貝虫などを全て、土産物とした。

 民は増えたが、春の狩りが上手く行ったので、多少は余裕がある。


 廻船一艘に米俵が百、そして押しつけられた形式ながら、その実、黒瀬の隆盛に大きく貢献するだろう『椋鳥』――遠山衆のこと。

 そのからくりを耳にしては、手ぶらで帰すわけにもいかない。


 黒瀬を大きく強くする利得は、備党蕪党だけでなく、義父ら公家勢力にもあるのだが、こちらも諾々と甘えているだけというのは情けなかった。


 第一……今後を考えると、長く支援して貰えるよう、気を遣って遣いすぎということもないだろう。


「黒瀬では、これが精一杯なのです」

「黒瀬守様のお心、確かにお預かりいたしました」

「尊き方々にも、必ずやお伝えいたします」


 今の段階であれば、魔ヶ魂の売上金は恐らくまた、黒瀬に投じられるだろう。


 黒瀬国十五石、その領民二百五十余。

 俺の国は未だ、小さな小さな細国だった。


 だが、きっかけこそ和子の都落ちだったかもしれないが、何処の馬の骨とも知らない飛ばされ者に娘や孫を娶らせ、その上官位官職と国まで与えて貰った恩と信頼には、応えたいと思うのだ。




 ▽▽▽




 都の船団を皆で大きく手を振って送り出し、数日。


「人手も水もある今こそ、か……」

「はっ、大々的に開墾しては如何かと」


 日常、というにはまだ忙しないが、長屋の建て増しと春漁を主軸に、黒瀬は前に進もうとしていた。


「西も少し、深めに魔妖を狩るか……。信且、甲泊の代官殿に事情を話して、飛崎の領内も狩っておくべきかな?」

「ご許可は必要でありましょうが、面子がどうの、という話にはなりますまい」

「殿!」


 縁側で笹茶をすすりながら、信且と今後の方策について話していると、戌蒔が眼前に現れた。


「飛崎より騎馬が駆けて参ります! 単騎にて、恐らくは早馬かと!」

「分かった」


 西の外城門は見張り番を置いて魔妖に備えているが、昼間は大きく開け放っている。


 何事かと走って内城門前へと向かえば、早馬――伝令は『御免! 御免!』と叫びながら、楔山城の坂を駆け上がってきた。


 中年の侍が、馬から落ちるようにして跪く。


「黒瀬守様に御注進申し上げます! 北の段坂(だんざか)帯山(おびやま)にて、魔妖大挙襲来! 黒瀬守様には軍役出仕を求むとのこと! こちら、甲泊代官花房(はなふさ)諸使(しょし)様よりの令状にございます!」


 その鬼気迫る勢いに皆、息を呑んだ。


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