第五話「不思議な力」
勢子をするなら昨日の槍をまた貸してやると幸さんが頷いてくれたので、俺は結局引き受けることにした。
どちらにしても稼ぐしかないし、小鬼の相手なら……なんとかなるだろう。
「この大柄じゃしのう」
「油断さえせなんだら、大丈夫じゃろ」
ついでに面倒も済ませるからと、色々聞かれた。悪党でもないようなので、人別長――戸籍簿に記載するらしい。身元は幸さんが引き受けてくれた。
「名は一郎、生まれの国は……昨日、何とか言うてたの?」
「日本です。
字は……口に横棒の日に、木に横棒の本です」
日本を知らないと言われたときはショックだったが、今更だ。二人に見えるよう、指先で空に書く。
「……なんじゃ一郎、おんし、読み書き出来るんか!?」
「いやそれが……」
「うんむ?」
「その帳面見ると、似てるけどちょっと違うって言うか……。
ああ、元居た場所で使っていた字なら書けますけど」
開かれた人別長を見れば、漢字はなんとなく読めたが、崩れた書体の平仮名っぽい何かとなると、完全にお手上げである。
楷書・行書・草書なんてのがあったなあと、くねった字を見てはじめて思い出す程度だった。……もちろん、読めるわけがない。
「まあ、今日のところはどちらにせよ、長様に書いて貰うんじゃがの」
「こりゃ庄屋の大事な仕事じゃし、他の誰かに書かれると、後で揉め事んなるけえな」
正造さんの筆跡が、そのまま庄屋が認めた証拠になるらしい。
「次は……歳は幾つんなる?」
「二十一歳です」
「二十一ちゅうと、今年ん干支から一回りして、ね、うし、とら、う……辰の生まれか?」
「いえ、未ですけど……?」
「うんむ?」
三人で顔を見合わせる。
まさかとは思うが……。
「……えっと、生まれ年が平成の××年、西暦なら△△△△年で、自分のことだし間違いじゃないと思うんですが……あ、干支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥で、合ってます?」
「うんむ。
順も一緒だの。
子、丑、寅、卯、辰、魅、午、未、申、酉、戌、亥。間違いねえ」
「今年は今上の六年、皇歴じゃと一四八三年……じゃの」
干支は一緒だなと、少し安心する。皇歴は……西暦と同じく、大きな括りの年の数え方ぐらいに思っておけばいいだろう。いや、今はあまり使われない皇紀の方が意味合いは近いか。
……ちなみにこの時、数え年と実年齢の差については思い浮かぶはずもなく、干支の読みと意味は大体一緒でも、所々違うとまでは気付かなかった俺である。
「一郎のお国とこっちじゃ、ずれとるんだろう。
飛ばされ者には時渡りする者もおるわ」
「数日ならともかく数年は珍しかろうが、遠国なら仕方ねえ」
「やっぱり、そうでしょうかねえ……」
時代どころか、おそらくは世界さえ違うのだから、同じように干支があって話が通じるだけましだと思うしかない。
「ややこしいが、人別長には辰年の生まれで書くから、一郎も聞かれたらそう答えるようにの」
「はい」
慣れた未年生まれを捨てたくないが、誤魔化しているわけでもないし、こちらの実状に合わせておかないと歳の方がずれてしまう。
誕生日までは必要ない様子で、聞かれなかった。
「お城にはこちらから報せておくでの、返答が来るまでは村の手伝いでもしておくとええ。
いや……幸殿、何なら一郎はうちで預かるか?
小遣い銭ぐらいしか出してやれんが……」
「去年までなら長様に頼んだじゃろが、今は小鬼が出よるけえ、な」
「……そじゃったな」
ああ、しばらくは集落を離れない方がいいのかと頷く。員数外でも頼りにされているのだ。
それに無給でも、上郷を手伝いながらこちらの常識を覚え、村人と交流する方がいいだろう。
まだまだ知らないことだらけなのは、自分でもよくわかっていた。
▽▽▽
庄屋屋敷から帰って数日、小鬼の襲撃こそなかったが、段になっている畑の石組みの修理や用水路の補修――力仕事にはそこそこ役立つと認めて貰えたようである。
今日も村外れで、俺は石を相手に迅八さんと土手を作っていた。
「よっこいしょ……っと」
「おおっ!」
ただ、自分でも疑問に思うことがあった。
「一郎、やっぱしすっげえ力持ちなんだな……」
「……いや、どうなんだろ?」
明らかにおかしいほど、力が出るのである。
ちなみに持ち上げた石はかなりの大きさで、他のもう少し小さめの石から考えると最低でも二十五貫目――百キログラムは余裕でありそうな代物だった。
日々それなりのトレーニングを積んでいる柔道部やワンダーフォーゲル部の連中なら持ち上げても不思議じゃないだろうが、運動と言えば中学時代に水泳部で自由形を齧った程度の俺では無理のある大きさの石が、軽々とは行かずとも十分に持ち上がる。
「迅八さん、もうちょい右の方がいいかな?」
「そうだな、拳半分右か。
こっちの石を下に組ませるわ」
「うん」
……まあ、正直なところ、力がなくなるよりはいいかと、検証は早々に諦めていた。
別世界から飛ばされるぐらいだから、何でもありなんだろうとしか言い様がない。
同じように現代日本から飛ばされてきた誰かがいれば比較もできるのだろうが、探そうにもアテがなかった。
「いーちーろー!」
「うん?」
「若菜か、どした?」
昼前になって、そろそろ休憩をしようかという頃、若菜が俺を呼びに来た。
随分と慌てている。
「あんね、お婆が一郎呼んでこいって!
お城の人が来てるんだ!」
「あ、庄屋さんが頼んでくれた仕事のことかな?」
「待たせちゃいかんわ。
すぐ行け、一郎」
「うん、ごめん迅八さん」
「おう」
「あ、待ってよ一郎!
……ひゃ!?」
さっさと走り出そうとしたが、若菜が泣きそうな声を出したので肩の上に座らせてやる。
さっきの石の半分もない……いや、もっと軽いか。
「うわ、はや!」
「そりゃ若菜ぐらい軽いなら、余裕だよ」
「だよねえ。
あ、使い番の人はお婆の家で待ってるよ!」
「はいよ!」
畦を飛び越えてそのままたったったと土道を走り、幸さんの家に戻る。
「お婆、呼んできたよ!」
「ただいま戻りました!」
「……えらい早いの?」
引き戸は開いていて、家の中には幸さんともう一人、少し上等の着物を着て、刀と、時代劇でよく見る大きな藁の帽子――後から三度笠という名を教えて貰った――を横に置いた男性がこちらを見ていた。侍……だとは思うが、相撲取りのようなちょんまげ頭で、頭は剃られていない。
「迅八さんがすぐに行けって言ってくれたんで、後かたづけを任せてきました。
あの……」
あっと思い出し、慌てて若菜を降ろす。
「うんむ。
……穴沢様、これが一郎でございます」
「うむ! 話通り、大きくて頼り甲斐がありそうだ!
おお、申し遅れた、某は鷹原黒田城にて算用方を勤めておる穴沢新内だ。
まあ、領国内の使い番や目付も仕事のうちだがな」
「この度はお世話になります、一郎です」
この人は名字があるのかと、幾分深めに頭を下げておく。
名字がある人、イコール偉い人。
この図式は割と重要らしいと、雰囲気で判断していた。切り捨て御免もあるぞと、幸さんからは教えられている。
「つい先日も、小鬼を蹴散らし村を助けたと聞いたぞ。
殿もお喜びになられていた。
うむ、しかしでかい。
正味六尺ある六尺男なぞ初めて見たわ!」
「はあ、どうも……」
からかう風でなく、心の底から喜ばれているようで、妙に照れくさい。
身体がでかいだけで喜んで貰えるというのは、最初、少し不思議だった。
だが、それも仕方ない。
この数日で何となくわかってきたが、現代日本なら百八十センチの身長など高い方ではあっても珍しくないところが、こちらではかなりの大男なのだ。ちなみに上郷で一番身長の高い『大男』の与兵さんが、だいたい百五十五ぐらいである。
まあ、あれだ。俺も二メートル超えのプロバスケットボール選手やプロレスラーを目の前で見たら、やっぱりでかいと騒いで喜ぶだろう。……ということにしておく。
「穴沢様、すぐに発たれるのですか?」
「うむ、今日のところは本郷の庄屋屋敷にて顔合わせをする予定でな。
……お忍びではあるが、殿が御自ら足をお運びなのだ」
「なんとまあ!」
「お殿様!?」
「うむ……」
俺と幸さんは驚いただけで済ませたが、穴山さんは意味ありげにふうとため息をついた。
……宮仕えも、色々と大変らしい。