第五十四話「想定外の都便り」
第五十四話「想定外の都便り」
魔妖狩りを終えると、次は春漁が本番を迎えた黒瀬だった。
今の時期は鰤、鯵、そして大量の鰯である。
鰤と鯵は刺身なり焼き物なりにして普通に食うが、鰯は天日でかちかちに干して干鰯――いわゆる金肥、金で取引される肥料に加工した。
「俵にする藁も買わねばならず、見た目ほどは儲からぬのですが……」
「干して俵に詰めるだけ、苦労も少のうございます」
鰯もそのまま煮たり焼いたり、または目刺しのような日持ちのする焼き干しにしたりと、全く食わないわけではないが、基本は売り物という扱いだった。
干鰯は俵一つが重さ二貫、八キロ弱入っていて、甲泊に運べばこれが二百文ほどで売れる。
年百両の小物成に占める割合は低いが、無視できる金額ではなかった。
もちろん黒瀬の畑にも、草木灰、下肥などとともに撒かれるが……。
「掛巻も畏き、諸神達の御前に、磐田神祇大佑道貫が二の娘迪子、畏み畏みも白す――」
俺が来てからは、女房迪子による豊作の祈祷付きであり、その収穫も期待できた。
実際、冬に播いた東下菜や小粒えんどうは、自由になった水のお陰もあって、信且が嬉々として手伝いに行くほどの取れ高である。
このようにして一つ一つ小さな余力を積み上げ、夕餉の一汁一菜が一汁二菜なれば、あるいは一膳の麦飯の量が増えれば……黒瀬の領民百二十人が腹一杯食えるようになれば、ようやく、その先が見えてくる。
皆の笑顔が増え、栄養状態は改善され、俺も気兼ねなくお代わりの茶碗を差し出せるようになるわけだが、それ以上に、食以外の改善に手が付けられるようになるのだ。
そんな感じでようやく黒瀬に順風が見えてきそうな折、突然港に現れた船には、領民だけでなく俺も大いに驚いた。
▽▽▽
中ぐらいだろうか、以前乗った三百五十石積の『甲子丸』よりも明らかに大振りな廻船が三艘と、小さいのが一艘、軍船でないことはすぐに見て取れた。
四隻だから黒船か。
だが、黒瀬は鎖国してないぞ。
……などと下らないことを頭の片隅に思い浮かべつつ、家老信且と護衛の朝霧を従えて城から駆け下りる。
「え、お爺様!?」
「玄貞殿!?」
「お久しゅうございますな、松浦様、いや、黒瀬守様」
だが、船が黒くなかったのはともかく、桟橋で俺を待ち受けていたのは、都で世話になった備の党首、玄貞殿だった。土産だろうか、風呂敷包みを手に、笑顔を浮かべて楽しげである。
「これなるは我が朋友、蕪白鷹斎にございます」
「手前は忍党蕪が党首、蕪白鷹斎と申す者。今後とも、よしなにお願い申し上げまする」
風体だけならどこぞの商家の大旦那にも見える蕪党首は、にやりと笑みを浮かべ、俺に頭を下げた。
玄貞殿が朋友と言うからには、この白鷹斎殿も大物なんじゃないかなと、俺も表情を引き締める。
「……失礼致しました。某は黒瀬国主、松浦黒瀬守和臣と申します。遠路ようこそ、お出でくださいました」
「ご丁寧な挨拶、痛み入りまする」
さて……楽しげなご老体二人だが、どこから話を聞いたものか。
俺達も都から船でこちらに来たが、この大倭、そう簡単に旅行などできる環境にはない。
二人の様子からは、都にて変事が起きたとも考えにくいが……。
ともかく可能な限り歓待するよう言い含めて、朝霧を走らせるのが精一杯だった。
城で唯一の客間――冬場に水飴を作った囲炉裏付きの部屋に二人を案内し、まずはくつろいで貰う。
「失礼いたします」
笹茶と煙草盆を運んできたのは、資子殿と静子である。作法と場慣れという点では、他の女房衆の追随を許さない二人だった。
「静子」
「はい、殿?」
「済まないが、残ってくれ」
「はい、ではそのように」
……未だ、書状には慣れていない俺である。
都からの便りぐらいはあるだろうと見越しての人選だ。
茶請けは幸いにして焼いたスルメで、恥を掻かずに済んでいた。誰かが気を利かせてくれた様子である。
普段なら東下菜の漬け物がせいぜいで、遠路、都から来た客人に、初手でお出しするものではない。……笹茶については季節の風情、それ以上は何も言えないところだった。
「早速ですが、お預かり物がございましてな」
「こちらが本題でございます」
「……失礼します」
どうぞお確かめ下さいと風呂敷の包みが解かれ、恭しく漆塗りの小箱を差し出された。
断りを入れて一番上の書状を開き、静子に代読して貰う。
書状は清澤家当主刳門様、澤野家の筥満様、信彬様の連名で、黒瀬平定の功によって従八位上と官位が一つ上がり、正式に黒瀬の守職として追認され、鎮護少尉という官職に叙任されたことが記されていた。
またこちらから送った仕置次第御奏上書が無事に効力を発揮したのか、先代国主、舵田黒瀬守殿には正七位上が追贈され、その名誉が回復されたとある。
同時に隣国飛崎は改めて大名家断絶の沙汰が下り、領国は一旦、甲泊代官の預かりとなった。……その沙汰状もお二人が道中に届けてくれたようで、国主不在だが、現在は家老の息子が残った領民をまとめ、落ち着きを取り戻しつつあるという。
小箱には他にも書状が幾つか入っていたが、任官を認める兵部省の補任状や諸事の認め書きであった。こちらは確認だけして、再び箱にしまい込んでおく。
「この度のご出世、誠におめでとうございます」
「心より、お祝い申し上げまする」
「はい、ありがとうございます……」
狐に摘まれたような気分だが、まあ、いいだろう。苦労はあったが悪いことばかりじゃない、ということにしておきたい。
「また、清澤家、澤野家、薄小路家の御三方より、祝いの品々をお預かり致しておりまする」
添え状付きの目録には細々とした品目が書かれてあり、墨や筆、反物などの日用雑貨に加え、下品――並品とか普及品のことなのだろうが、何とも直接的だ――ながら酒、茶などの嗜好品が並んでいた。
明らかに質より量だが、こちらの実状をよく分かっておいでのようだ。皆が喜ぶだろうこれらは、特にありがたく頂戴しておく。
「こちらは手前共より、お祝い申し上げたく」
玄貞殿、白鷹斎殿より、三度 、書状が差し出される。
先に受け取った白鷹斎殿からの書状には、二百五十石積廻船『瑞祥丸』、献上申し上げると書かれてあり……。
「船!?」
「いかにも」
驚いた俺に、白鷹斎殿はいい笑顔だ。
だが、廻船一艘……と言われても、物が豪快すぎて実感が湧いてこない。
「我ら蕪とて、流石に船一艘用立てるのはきつうござりました」
「抜かせ。……松浦殿、こ奴め、博打が大層好きな輩でありましてな」
「フン! あれは見え見えのイカサマを誤魔化そうとした清周屋が悪いのよ。当然の報い、博徒の風上にも置けぬわ」
話を聞けば、博打の揉め事を更に博打で下して手打ちにさせ、俺への手土産に丁度いいと、わざわざ新造船を巻き上げたらしい。
いや、まともな廻船は是非欲しいと思っていたが……維持できるのかどうか、その辺りも微妙である。
……駄目なら金子を持たせて送り出し、近海航路で荷運びの仕事でも探させるか。
ともかく、礼を述べて頂戴しておくことにする。
続いて、玄貞殿の書状を開いたが……。
「……は?」
「どうした、静子?」
「い、いえ、失礼いたしました。……『椋鳥百羽』、中米百石、祝賀の品と致したく候。備玄貞、記す」
読み上げた静子が、随分と困った顔をしている。
俺も似たような顔だろう。
「……椋鳥?」
「左様にござります」
米は嬉しいが、何故、椋鳥……。
訳知り顔のご老体らは、涼しい顔で頷いた。
だが俺も、いきなり小鳥百羽と言われては、扱いに困る。どうしようかと悩みたいところだが、何かの縁起物なのか、それとも別の意味か……。
「実はこの椋鳥ら、飼い主がそれはもう、酷い大名でありました」
「どうも村……おほん、失礼、巣の居心地が大変悪く、日々の糧にも事欠き鳴くにも鳴けぬとのこと、可哀想に思い人斬り夜盗の振りをして盗んで参ったのです」
「ですが、都に置いておくわけにも行かず、さりとて我らでは飼えるはずもなく……」
「こちら黒瀬守様のご領地であれば、巣作りしても居心地は宜しかろうと思うた次第」
したり顔で、ご老体二人は俺を見た。
ここまで聞けば、大凡の話は見えてくる。
椋鳥は隠語のようで……六公四民の重税で締め上げられて苦しんでいた村一つ、丸々こちらに持ってきた様子である。
「椋鳥については、図書頭様らもご承認済みでありますれば、お気がねなく」
「は、はあ……」
「人さらいにして人助け、手前も神仏に恥じることなくございますれば。後ほど、元庄屋も連れて参りましょう」
人助け、と言ってしまっていいのかどうか。
どうしましょうという表情の静子と、顔を見合わせる。
連れてきてしまったものは仕方がない。……と、頷くには、問題が大きすぎた。