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第五十三話「春の締めくくり」

第五十三話「春の締めくくり」


「と、殿……」

「ご無事ですか!?」


 軽く手を挙げて無事を示すと、皆が恐る恐る寄ってきた。

 勝ち名乗りを上げる気力は、残っていない。


 今はもう靄の消えた姫護正道を、のろのろと鞘に戻す。


 あれだけ無茶に振るったというのに、刀身には一つの曇りもなかった。


「……」


 フローラ様へと挨拶に行ったあの時、お社で姫護正道に龍力を授かっていなければ、間違いなく死んでいたような気がする。


 俺だけは……もしかすると逃げ切れたかもしれないが、源伍郎や戌蒔らを置いて逃げるなど出来るはずもなく、結局は全滅していただろう。


「……皆は、大丈夫か?」

「はっ、殿のおかげを持ちまして、士分、足軽、お庭番衆、皆無事にございまする」

「誠に、お見事にございました」

「うん、ありがとう」


 緊張が解けたのか、源伍郎は気抜けした様子だが、俺だって似たような表情だろう。逆に戌蒔は、未だに恐い顔をしている。

 足軽達も、多少……いや、かなり引きつった顔だが、大きな怪我を負った者はいないようだった。


「よし、少し休んだら今日は砦に戻ろう。……皆も気疲れはあるだろう?」

「はっ。始末は必要でしょうが、一日二日では、大事には至らぬかと」

「本当は、休養に宛てたかったんだがなあ……」


 戦いの跡は、酷いものだった。

 散乱した黒いゼリー状の肉身で、周辺はそれこそ泥沼のようになっている。


 小鬼の死体でさえ残さず焼いているというのに、この巨大な這寄沼の後始末を怠れば、魔妖の発生源というか何というか、とんでもなく酷いことになると想像がついた。




 口数も少な目に砦へと帰れば、今日の荷物――飯や御札が届いており、明日の戻り際の為、足軽らが手引きの荷車に薪を積んでいるところだった。


 三つの足軽隊は、荷役後砦で一泊、狩りを挟んでもう一泊、帰還して翌日はまた荷役と、二休一戦のローテーションである。


「殿のご帰還だ!」

「皆、ご苦労」

「今日は如何でございました? 随分とお疲れのご様子ですが……」


 出迎えてくれた太平組の組頭道安に、狩りの顛末を話す。

 今日のうちに、城へと伝令を走らせたかったが、もう日が傾き掛けていた。


「なんと、這寄沼ですと!?」

「明日は後始末に忙しくなるから、皆にも伝えておいてくれ」

「は……ははっ」


 一息入れさせようと、陣に武具を置いて皆の分の白湯を頼めば、笹の葉を煮出した笹茶が出てきた。この時期の若い葉は美味だが、夏前、良く育ってしまうともう大味で飲めたものじゃないそうだ。……年中飲めるわけではないらしい。

 

 煙管を回して一息ついている足軽らにも声を掛け、暗くならないうちにと、皆で川縁に並び水を浴びる。

 冷たい。……冷たいが、這寄沼と相対した実感も、ようやく湧いてきた。


「……殿」

「ん?」


 源伍郎と戌蒔が、揃ってため息をついた。


「……生きて帰れるとは、思いませなんだ」

「……誠に」

「……そうだな」


 水浴びを終えた俺達は、城から届いた麦の握り飯に味噌を付けて焼き、山菜の汁物で流し込むと、道安に夜番を任せて泥のように眠った。




 翌日は、這寄沼の後始末に奔走した。


 まずは延焼を防ぐために周囲の草木を刈る組と、肉身に溶け残ったビー玉を回収する組に分かれる。

 幸い、腐臭と言うほど酷いにおいにはなっていなかった。


 但し、方々に飛び散っている上、量も多い。


「殿、この玉は魔ヶ魂(まがたま)の類ではないかと思いますが、詳細までは判じ切れませぬ」

「戌蒔、これも売り物になるのか?」


 魔ヶ魂は、強い魔妖の身体に埋まっている呪力の塊のようなもので、夜魔猿や野伏せ桜からも得られていた。


「はい。ただ……都に持ち込んだとて、殿の御苦労に見合うほどの値はつかぬかと存じます」

「小鬼の角より高いなら、文句はないよ」

「いえ、そこまで安くはないかと……」


 小鬼の角は薬の材料になるが、都なら一つ六から八文、こちらでは田舎故に二文がせいぜいと聞く。


 随分と値段に差が有るなあとは思ったが、大倭は輸送網や加工技術が発達した現代社会ではない。

 手作業主体の加工賃や消費地までの距離を考えると、そのぐらいが相場らしいと納得する。


 それでもこの十日ほどで一万五千余の小鬼と二百少々の邪鬼を下していたから、これだけで例年の約三倍、四十両ほどの収入になった。

 加えて這寄沼の魔ヶ魂が五百ほど、他にも夜魔猿の毛皮や肝、野伏せ桜の樹皮や幹、ついでのように倒した黒猪や雉などがあり、大儲けとは行くまいが、黒瀬の躍進に弾みをつける一助となるだろう。


 ……こうなってくるとお抱えの商人でも欲しいところだが、残念ながら、そうはいかない。黒瀬は領民全てが一つの大家族とでも言い換えた方がいいほど、ほぼ貨幣経済と切り離された国だった。


「風下はようよう刈っておけよ」

「そこはもう少し薪を積め」


 一通りの作業が終わると、大きく目立つ肉身には御札を貼り、刈った草や薪に適宜護摩木を混ぜつつ野焼きの準備を行う。


「殿、万事調いましてございます」

「ああ。やってくれ」


 弥彦が打飼袋から火打ち石を取り出し、たき付け代わりの刻み煙草に火を付けた。


 その種火を枯れ草に移し、風上に設けた数カ所の火入れ口――燃えやすいように護摩木を段に組んで枯れ草と御札を突っ込んだ着火点――へと放り込んでいく。


 護摩木を奮発したお陰か、炎は一気に燃え上がり、あっと言う間に這寄沼の後腐れを包み込んだ。


「ごっつい眺めですな」

「炎の野原、だな」


 ほんの二刻――四時間ほどで、野焼きは終わった。


 明日、もう一度燃え残りがないか検分するが、この短時間で事が済んだのは御札と護摩木のお陰である。城の周囲などで普通の野焼きを行う場合、大抵は一昼夜見ておくそうだ。


「さあ、もう数日頑張って、狩りを終えるぞ!」

「ははっ!」


 各々が、魔ヶ魂入りの袋や見張りの最中に見つけた春草などを背負う。


 これで気抜けしてはいかんなと、皆で励まし合いながら、帰路についた。




 ▽▽▽




 這寄沼を下して四日、弥生三月も半ば過ぎ、俺は春の魔妖狩りに打ち止めの宣言を下した。


「恐らくは、這寄沼によって追われた小鬼共が、こちらへと押し寄せて来たようで……」

「多少奥地にも足を伸ばしたものの、群は殆ど見ておりませぬ」


 忍に命じて例年狩らない範囲まで探索を行わせたが、森は平穏そのもの、中大型の魔妖も見なかったという。


 もう一匹の大物、居食い猿虎は秋口になるとこちらに来る可能性もあるそうだが、当面は安泰と見ていいだろう。


 砦の陣は完全に引き払い、取水口に用のある時か、夏雨の後に行う夏狩りまでは、人も置かない予定である。




 実はもう一つ、打ち止めを宣言した理由があったのだが、これは皆には話せない。


「一郎、フローラ様がお怒りだったわよ」

「……無茶をしたから?」


 なりふり構わず振るわねば命の危機だったにせよ、一時(いちどき)に姫護正道を使いすぎたせいで、たっぷりと与えたはずの龍力が枯渇寸前らしい。

 アンの夢枕に立ったフローラ様は、しばらく使わせないようにと大層なご立腹だったそうだ。


 さてその姫護正道、一番にいいのは都のフローラ様に預けることだが、次善の策があるのでしばし待てと、助言も貰っていた。

 だが、中身についてはアンも知らされていないようで、こちらはお社を建立する心づもりだけして、待つことにした。




 春の魔妖狩りは、一番最後に論功行賞を行って締めくくったが、俺の――城の財布から先に金子を立て替え、出撃のあるなしに関わらず、士分に各一両、足軽と女房衆には銀一朱を一律で与えた。


 家老信且を筆頭に、上士は御家財政の窮状を根拠に揃って反対を唱えたが、どちらにせよ、いずれは食糧に変わる金子である。皆の腹を満たすのには変わりないと説明し、次の船は個人の買い物もまとめて受けることにして、納得させていた。


 特に活躍のあった数人には、追加で銀一朱を褒美に出し、やる気を引き出すことも忘れない。


「太平組足軽、弥彦! その活躍、勇猛にして戦果大なり! よって褒美に銀一朱を取らす!」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 銀一朱は銭にして二百五十文、玄米なら五升、麦ならその倍の一斗買えるかどうかという金額にしかならないが、これも将来への布石である。


 名を呼び、活躍を称え、褒美を与えるなど……これまでの俺からすれば、ありえないし、やりたくもなかった。


 だが、俺は国主として逃げも隠れもできなければ、黒瀬の隆盛、あるいは凋落が、そのまま生死に直結する。


 今は順調で、どうにかプラス方向へと国が進んでいても、思わぬ不漁や不作で首が締まることもあるだろう。

 無論、魔妖などいつ大挙して襲ってくるか予想できず、備えをどれほど積み上げようと、細国黒瀬では限度があった。


 這寄沼の件もそうだ。

 運良く生きて帰れたが、あれなど正にイレギュラーである。


 だからこそ、少しの手間でも布石でも、打てる手は打って置かねばと、強く思ってしまうのだ。


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