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第五十話「新年」

第五十話「新年」



 皇歴一四八四年、今上きんじょうの七年は、静かにあけた。


「殿、新年あけましておめでとうございます」

「善き哉」


 城の広間に士分のみを集め、堅苦しい新年御挨拶(おんあいさつ)を済ませると皆で天守に登る。


 順に初日の出を拝むその場には堅苦しさも緊張感もないが、昨年は新たに水を得たとは言え悩みも多く、特段めでたい気分でもないという……皆で美味いものでも食おうと提案しなければ、本当に何もない正月だったろう。


「今年は何かと忙しくなると思う。頼りにしてるよ」

「はっ、皆、やる気に満ちておりまする」


 黒瀬では例年、武家行事としての挨拶言上などは欠かさなかったものの、御家には振る舞い料理を出す余裕もなく、魚介を中心とした多少の贅沢で各々が正月を済ませていたという。


 いや、黒瀬はそれほど貧乏な国なのだ。今年は水源確保で得られる収穫を見越して俺の支度金とから出しているが、国の主としての自覚を改めて持てと言われているような気もした。


「じゃあ、村に降りようか。皆、待ちくたびれているだろう」

「ははっ」


 その間にも城の(くりや)では女衆が正月雑煮の用意に追われ、男集は城と集落を往復して振る舞い物の準備に追われていた。


 俺の都落ちに付き合わされた女房衆らと言えば……それこそ正月など、年始行事の続く宮中の下支えとして駆けずり回っていたので、こちらの正月はずいぶん余裕がありますよと、笑顔を見せている。


「さあさ、こちらは零さぬように願いますよ!」

「応! お任せあれ!」

「このようなお年始は、初めてですな!」

「いや、まったく!」


 用意した水飴や揚げ油の壷を担ぎ、あるいは炊事道具の入った箱や雑煮の大鍋を手に、幾つになったと歳を数えながら連れだって城下に降りる。


「そう言えば、殿はお幾つになられたのです?」

「二十一……いや、こっちの数え方なら二十三だな」


 こちらでは年齢は数え年――生まれた日に一歳、正月になれば皆同時に歳が増える――で計算する。お陰で計算は楽だが、誕生日はほぼ意味を為さなかった。




 集落に降りると、簡単に大挨拶だけをしてから、大海神(おおわだつみ)――海の神様へお供え物を捧げ豊漁と安全を祈願すると、もう飲んでも食ってもいいぞと無礼講を宣言、俺も準備の方に回った。


 宴会の方は儀式でも何でもないのだから、勿体ぶる必要は全くない。


「お殿様、あけましておめでとうございます!」

「うん、おめでとう。貞吉(さだきち)は幾つになった?」

「七つ、です!」


 火に近づくなよと子供達に声を掛け、天ぷらの用意に取りかかる。

 菜種油を鍋にたっぷりと入れ、熱くなるのを待つ間に、瑤子の水飴が配られた。


「あまーい! 女房さま、あまいです!」

「ゆっくりと味わって食べるんですよ」

「こりゃ、走る奴があるか! ()けたらいかんだろが!」


 水飴は無事に……というか全くの予定通りに完成し、幸い、大人にも行き渡る量が出来上がっていた。

 皆が口にする分とは別に、俺とアンのお楽しみ――パンもどきに塗る分さえも確保している。まあ、こちらも興味を惹いたのか、仕込みはいつの間にか大がかりになり、拳大の小さなパンを人数分用意する羽目になっていた。


 子供達は真新しい葛布のべべ(・・)を着て水飴を手に走り回っていたが、大人達も楽しげに浮かれている。


「では、某が演武でも! ……深見流櫂術(かいじゅつ)、深見源伍郎、推参!」

「いよ! 待ってました!」

「ぬんっ!」

「おお、あれだけの大櫂を自在に……お見事で御座る!」

「お頭の櫂さばきはいつ見ても惚れ惚れするのう」


 集落の大通りには持ち寄られた穴あきの茣蓙(ござ)が敷かれ、めいめいがにごり酒のぐい飲みや、たっぷりと魚の入った雑煮の椀を手にしていた。


 久しぶり過ぎる酒に、既に出来上がっている者もいるが……今日の宴はそれが目的なのだから、俺としても嬉しい。


「もういいかな……」


 箸先に衣を付け、油に落とす。

 ぽとんと沈んだ衣は、僅かに鍋底まで届かず、ふわっと浮き上がってきた。


「こちらも用意は調っております」

「じゃあ、和子は天ぷら種の用意を、静子は揚がったものを皆に取り分けてくれ」

「はい!」


 和子と静子を助手に、汲みたてで冷たい井戸水で軽く溶いた衣に種をくぐらせ、少しづつ鍋に落としていく。


「わ!」

「じゅわー、って!」

「こらこら、油が跳ねるから近づいたらだめだぞ」


 衣の花が咲くような職人の揚げは無理でも、誰かに任せるより俺が揚げる方がまし……という結論に至った理由は、家庭科の調理実習のお陰である。


 特殊技能でもないのだろうが、天ぷらを揚げたことのある人間は、黒瀬では俺一人だった。


 改めて義務教育の威力を思い知ったが、簡単なことであれ数百万人の人間に『同じ事』を教えるのは大したことである。実に金と手間が掛かるのだ。


 俺も、大倭では一般的な寺子屋の導入を考えたことはある。だが黒瀬では、教師役が謝礼だけで食えないだろうと結論していた。


 今のところはこちらでのこれまで通り、士分の子弟のみ、城で下働きをさせる合間に教えている。……ついでに俺も、仕事の合間に嫁さんから手習いを受けていた。

 

 


 鯛に鰈、こちらでは貴重な小物成として滅多に食わぬイカ、この日の為にと掘り出して貯めておいた浜芋などを、次々に揚げる。

 子供達が浜の潮だまりで獲ってきた小さい海老や蟹は、唐揚げにした。


 塩だけでは物足りないなと、鯛のアラと昆布でとった出汁を合わせ塩と味噌と水飴で味を調えた天つゆっぽいものを作っている。……値の張る醤油を普段遣いしない黒瀬だが、買えない額ではなかったと後から聞いて、少々凹んだ俺だった。


 もちろん、揚げ物だけでは味が偏るので、浜焼きの他にも、雑多な魚のすり身を練って蒸した『すり蒸し』――蒲鉾の親戚や、若く薄いワカメを重ねて干し、それを軽く炙った『ワカメ煎餅』などが宴を賑わせている。


 後は〆に、アンと作ったパンを出す予定なのだが……。


「殿もお休みになられては?」

「つまみ食いもしていたし、そんなに疲れてもいないけどね。アンの方を見てくるよ」

「はい、いってらっしゃいまし」


 大凡のコツは見て覚えたからという静子らに天ぷらを任せ、俺は城の(くりや)へと顔を出した。


「あ、一郎!」

「こっちはどうだい、アン?」

「思ったより膨らまなかったけど、いい感じよ!」


 厨では、アンを中心に女房達がパンを焼いてくれていた。

 城にはもちろんパン焼き竃などないが、小振りの鉄鍋を竃の火元に直接置き、その中で焼いたのである。


 匂いはいいなと、受け取った一つを千切り、口に放り込む。


「……。うん、確かにいい感じだね」

「でしょう!」


 惜しいところは多々あるが……いや、はっきり言えばどこかべっとりとして口当たりも悪く、表面どころか中も粉っぽい。味も俺の知っているパンより、数段落ちる。


 だが、確かにこれはパンだと、俺にも思えた。


 素朴さと、久々に舌に乗ったこの風味は、悪くない。

 色々と足りていないだけで、本当に悪くないのだ。


 俺のうろ覚えとアンの僅かな記憶、まともな経験や知識さえないその初っ端から、少なくとも食べられるものに仕上がったのだから、十分に成功だろう。


「……あ」

「どうかしたの?」


 皆の分だろう、並べたパンに水溶きして薄めた水飴を塗るアンに、来年は土で大きめのパン焼き竃を作ろうかと、笑顔を向けた。


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