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第四十九話「甘味とパン」



 仕入れを申しつけたはいいが、スルメを積んだ船が戻るのは六日後で、流行る気持ちを抑えつつ、正月の準備といつもの土木工事を平行する。


 幸い、黒瀬国には書類仕事がほぼ無かった。決して、紙が勿体ないからというわけではない。

 朝は他国のように朝議の真似事をするが、顔を合わせて世間話ついでに各自の予定を確認、それを記録すれば済んでしまう。


「子供らの為に甘味をという殿のお気持ちは誠に有り難くも、流石に諫言申し上げた次第」

「ええ、そうでありましょうとも。私も、甘味は久しく戴いておりませんわね。……と申し上げるのでさえ、(いささ)(はばか)ります」

資子(やすこ)殿にも、苦労を掛けまする」


 嫌みを言われているのではない。

 二人も、僅かに哀しそうな表情で、城下の村の方を見つめていた。


「あの、資子様」

「どうしたのです、瑤子(たまこ)?」


 片づけ物をしていた女房衆の一人、一番年かさの瑤子が、不思議そうに信且と資子の方を見た。


「水飴ならば、この黒瀬でも作れそうな気がするのですが……お作りにならないのですか?」

「水飴!?」


 俺も名前ぐらいは知っている。

 べとべとした、にゅるんと伸びる甘い駄菓子だ。


 信且と資子殿が、顔を見合わせた。


「某も、都の菓子だとは知っておるが……作る?」

「ですが瑤子、作るというても、どう作るのです? 名産地は都の北、追野(おうの)国でしたか、都でならば飴売りに頼むことも出来ましょうが……」

「麦もやしをこさえて、それを砕いて粥に混ぜます。後は(あつ)風呂の湯と同じに保つと言いますか、ものすごい遠火で暖めるだけなので、私にも出来ますよ」


 聞けば、実家が典薬寮(てんやくりょう)の次官職である典薬助(くすりのすけ)だという彼女は、家業――喉の薬の一つとして水飴の作り方を知っているそうだ。

 瑤子はどうでしょうかという表情でこちらを見たが、無論、俺はすぐに頷いた。




 幸い、大麦の半量は保存を考えて殻付きのまま仕入れていた。

 俺の指示ではないが、こちらでは常識らしい。


「献上品なら餅米を使いますが、麦でも大丈夫です」


 お試しにしては多い鍋一杯の殻付き大麦に加えて、粥用の麦と煮炊きに使う薪を用意し、女房二人を補助に付ける。

 このぐらいの量ならばと、信且は渋々……その実嬉しそうに、年に一度ですぞと、念を押していた。


 また薪を集めなくてはならないが、理由を口にすると若い衆が我も我もと手を挙げて……まあ、大人にも一口ぐらいは行き渡るだろう。


 あっと言う間に噂が広まったものだから、慌てて今回はお試しだからと、一言付け加えておくよう皆に言い含めた。


「まあ、水飴!」

「水飴?」

「アン、甘いお菓子ですよ」


 嫁さん達も心待ちにしているようで何よりだが、瑤子には無理をせぬようにと釘を刺しておく。

 彼女が倒れては、水飴もお預けとなってしまうのだ。




 年の瀬に備えて忙しいのは、水飴作りだけではない。


 合間には煤払(すすはら)い――大掃除もあれば、常の暮らしに加えて葛布作りも進んでいく。


 城周辺の堤を補強して戻った夕方、俺は信且を連れて見回りとはっぱ掛けを兼ね、家々を回っていた。


 買ってきた豆と糀を使い、味噌造りも行われている。

 味は甲泊にある味噌屋の物より劣っていても、買うよりは安ければ自然と自家製になるのがここの流儀だ。


「塩も買っていると聞いたが、塩田などは無理か……」

「一再ならず、考えたことはございます。しかし、ここらは岩浜が多うございますし、手間ばかりかかって得る物が少ないかと」


 同じその労力を費やすなら、漁に出るか、魔妖を狩った方がまだましなのだそうである。確かに、それなら俺もそちらを選ぶ。


 だが、糀か……。


 塩糀が流行っていたなあとか、自家製の自然食品など、とりとめもないことを懐かしく思い出す。


「……あ」


 糀があって、小麦粉があるなら、パンが作れるじゃないか!


 塩糀パンが売っていたのは覚えていた。


 作り方は……ものすごくいい加減にしか覚えていないが、多少でも発酵して膨らむなら、それっぽいものにはなるはずだ。


 頑張ってくれたアンへのお礼にもなればいいが、何より、俺も食べてみたくなった。


 いや、必ず食ってやる!


「少しだけ、糀を分けてくれないか?」

「はい、お殿様、それはもうお城の物ですから……」

「うん、ありがとう」


 俺は味噌を造っていた女衆に頼み、椀に半分ほどの糀を譲り受けた。


「何をなさるのです?」

「ちょっとしたお試しだ。瑤子の水飴のように、上手く行く自信はない。だが……どうしても譲れない気分になった」

「は、殿がそう仰るならば……」


 俺はスルメ船が戻る前に、手順を書き出すことにした。


 そうだ、アンにも聞いてみようと、彼女も呼び寄せる。


「え、ブレッド!? 一郎は、ブレッドを知ってるの?」

「うん、まあ、飛ばされる前は普通に食べてた」


 俺は日本人らしくパンと口にしたが、軽く説明を加えると、すぐにそれはブレッドだと返ってきた。


 アンの生国ではブレッドが正しい……で、いいのか?

 パンという言葉はフランス語由来だったような気もしたし、ブレッドという名にも聞き覚えがあった。


 それらはともかく、製法について何か知らないか聞いてみる。

 パン食文化で育ってきたはずのアンだが、彼女は王姪にして歳は十二だった。

 パンを作ったことなど無いだろうと期待は薄かったが、しっかりした答えを返してくれた彼女である。


「練った小麦粉に、種を混ぜて、捏ねて、一日寝かせるの。豊穣祭(ほうじょうさい)の時に、お母様や王妃様や従姉妹達と一緒に、捧げ物のブレッドを作ったことがあるわ。種がないと、膨らまないのよね?」

「種かあ」


 なるほど、儀式のお役目なら知っていて不思議じゃなかった。

 現代日本でも、天皇陛下が五穀豊穣を願って田植えと稲刈りをされている。


「種とか……ないよね?」

「うん、まあね」


 無論パン種、あるいはイースト菌があればかなりの問題は解決するが、そのような物は黒瀬にはない。


 代わりに用意したのが、糀である。


 塩糀パンがあったのだから、何とかなる……はずである。


「じゃあ、その糀が種になるとしても、焼き竃がないわ」

「うん。だから、普通の竃に鍋を置いて、その上で焼こうと思う。城の(くりや)の竃なら大きいから」


 小さいのなら無理せず焼けるだろうと、二人で計画を練る。

 

「殿もアンも、何をなさっているのです?」

「お正月だし、アンの国の食べ物を、こちらでも作ってみようと思ってんだけど、これが意外に難題で……」

「あらまあ、それはどのような食べ物ですの?」

「私も興味がありますわね」


 和子と静子も寄ってきたので、俺は宮中で似たような食べ物がなかったのか聞いてみた。

 三州で琵琶酒――ビールを飲んだ時のことを、思い出したのである。


「小麦の粉を練るというと、索餅(さくべい)のようなものかしら?」

「索餅?」

「麦を練って細く撚り、揚げた菓子です。麦縄(むぎなわ)とも称しますが、夏の病除けに食べるものですよ」

「揚げ物……じゃ、ちょっと違うなあ」


 残念ながら都でも知られていないようだが……もしかすると琵琶酒の造り元、寒州なら俺が今から作ろうとしているパンもどきよりは、多少でもましなパンが伝わっているかもしれない。


 だがまあ、パンが駄目ならそちらでもいいかと、索餅も頭の片隅に置いておくことにした。




 そんな予定を立てていた頃、スルメと引き替えに年越しの荷を満載した船が丁度戻り、黒瀬の港は大いに賑わった。


 皆で城の蔵へと運びながら、船の衆を労う。


「無駄遣いは駄目ですぞ」

「うん、すまない」


 荷運びを終わらせた俺は、信且の小言付きで鍋一杯分の小麦を受け取り、自分で石臼を回した。


 俺には大したことはなくても、石臼挽きは結構な重労働なのである。パンが食いたいという理由で誰かに頼むのは、気が引けた。


 もちろん、あちらで見慣れた白い小麦粉など得られるはずもなく、黒瀬に於ける全ての小麦粉は全粒粉となる。


 女房衆の話では、都ならば上質の白い小麦粉もあるそうだが、麦粒を水に浸して云々と、ふすま――殻と中身を分ける手間も必要らしい。


 俺には強力粉と薄力粉の違いさえよく分かっていないが、全粒粉の食パンがあることは知っていた。……名前を知っているだけでも、よくやったと思うしかない現状である。


 その全粒粉を小壷に入れて糀、水と混ぜ、二の丸の端、囲炉裏のある小部屋へと向かう。


 本来は来客を迎える奥の間らしいが、囲炉裏があるのはここと女房衆の居室となっている大部屋――元は殿様の居室だけなので、こちらを水飴作りの作業場にしていた。


 既に麦もやしは出来上がっていて、今は粥を炊いている最中だ。


 お陰でこの部屋は、暖かいのである。


「瑤子、これを部屋の隅に置かせてくれ」

「はい、殿。……これは?」

「糀と麦の粉を混ぜた汁だ。零したりしないようにだけ、気を付けて欲しい」

「御意に」


 瑤子が不思議そうにしていたので、まだパンのことは伝わっていなかったかと、顛末を話す。


「浅沙の君の御国には、変わった食べ物があるのですね」

「向こうから見れば、こちらも変わっているらしいよ」


 だからこそ面白いのだがと、俺はくつくつと煮える粥に目をやった。


 師走も二十五日、一週間もすればいよいよ年の暮れ、大晦日である。


 ……そう言えば、こちらでは一週間なんて数え方をしない。

 改めて遠いところまで来たものだなあと、ため息をついた俺だった。


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