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第四十六話「水源」


「お初にお目に掛かります浜通守(はまみちのかみ)殿、某は新たな黒瀬国主、松浦黒瀬守和臣と申します」


 近隣への挨拶は海沿いの三ヶ国、三州公の代官がいる甲泊(こうどまり)、その隣の南香(なんごう)、大名不在の飛崎国(ひのさきのくに)は飛ばして黒瀬の隣国になる浜通に絞っていた。


 手持ちの交通手段が徒歩か船に限られるので、内陸部への移動は時間が掛かりすぎるのである。


「ご丁寧な挨拶、痛み入る。浜通(はまみち)国主、米本(よねもと)浜通守隆広(たかひろ)と申す。

 ……舵田殿の一件、まっこと、ご苦労であられたの」


 そもそも、俺が自分の足で挨拶に行く必要はなかったらしい。この近辺で一番偉い甲泊の代官からも、別に良かろうにと笑われていた。


 理由は簡単だった。

 都の論理は、この東下では通じない。


 東下近隣の大名達は官位も似たり寄ったりなら席次の上下もあってないようなもの、皆揃って貧乏国であり、歓待と言いつつ安いにごり酒と魚で済ませられる気心と懐具合の知れた仲ならばともかく……新参者を『大名扱い』してやるような余裕がないのだ。


 礼儀が全く蔑ろにされているわけではないが、正に『衣食足りて礼節を知る』、腹の足しにはならない。


 それでも、俺が申し出た挨拶をまともに受け止めてくれたのは、ひとえに舵田黒瀬守の人柄が知られていたからだった。その顛末の確認と同時に、新たな黒瀬守がどのような(やから)か確かめたかったからだそうである。


 事の次第は挨拶状にも包み隠さず書いていたが、どうにか認めて貰えたのか、今後は特段の事変でもなければ挨拶もいらぬし、こちらのやり方を覚え、民をしっかり守ってやれと、励まされた。


「やり方とは言うても、侍も民も皆揃って窮しておる東下に於いては、やり方も何もあったものではないがな」

「はい、それはもう……」


 南香も浜通も、五十石あるいは八十石と黒瀬に数倍する石高を誇っていたが、人の数が多いだけで貧乏の度合いは大して変わらず、食わせる人数が多い分、苦労も多いのではないかと思われた。

 魔妖との矢面に立つ黒瀬とどちらがましか、微妙なところである。


「ほう、水源のう……。ふむ、黒瀬には小川すらなかったのであったか?」

「はい。……ここで無理を通さないと、人の増えた分、取り返しがつかなくなるかと思っています」

「若さ、よのう。いや、嘲笑(わろ)うておるのではないぞ。余も若い頃は国を富ませ前に進もうとしたが、民を食わせるのが精一杯であった故な、羨ましくもある。

 精進せいよ」

「はい、ありがとうございます」


 もっとも、魔妖の大物は黒瀬から見て西になる森の中にも何匹かおり、浜通などでも時折、間引き仕事を行うそうだ。


 あ奴らさえおらねば、もう幾らかは民に楽をさせてやれるのだがと、ため息をつく浜通守だった。




 甲泊まで行ったついでに、女房衆が写本に使う少し丈夫な紙などを仕入れようとしたが、並品しか手に入らず……ごわごわとしていたが、半紙のような薄っぺらよりはましかと嘆息しつつ帰路に二日。


「東下貧国、村よりゃましよ、ほれ見い、お城があり申す、か……」


 舳先に立ち、聞くともなしに覚えてしまった歌を脳裏に、波と陸を眺める。


 しかし……黒瀬の有様を思い浮かべるまでもなく、東下での暮らしぶりは苦しいようだった。


 海沿いの国では農業が揃って壊滅的で、塩害などもあるので痩せ地に強い東下菜や雑穀がせいぜいだという。

 だが内陸部がましというわけもなく、食い扶持を魚で補いが付けられる分、飢饉には強いという。


 高い謝礼を払って神主を呼び、田畑に祈祷を施せば幾らかはましでも、お足が出ては意味がなく、収量は内陸の下畑――上中下とある格付けでは一番下の痩せた畑にさえ及ばずと、土地だけでなく水の苦労も多いそうだ。


 上手く水が引ければの話になるが、ほぼ確実に収穫できる東下菜の作付けを増やしつつ、色々と植えて試してみるしかないようである。




 水主達を労って解散させ、紙束を包んだ大風呂敷を担いで坂道を城に戻れば、信且らが向かえてくれた。


「留守居、ご苦労だった。変わりはないか?」

「はっ、万事滞りなく」

「今は……懐具合以外は、と付け足さないといけないのが情けないな。

 だが、そうも言ってられない。本気でやるよ」

「……殿のお言葉、まっこと、頼もしく思いまする。

 ですが、ご無理はなさらぬよう。貴方様あっての黒瀬ですぞ」

「うん、ありがとう」


 漁……もとい鍛錬に出た、草刈りをした、怪我人病人なしと、報告は日常の範囲で俺も肩の力を抜く。

 

 声が聞こえたのか、嫁さん達……というにはまだ祝言も上げていないが、三人と女房衆も出迎えに出てきてくれた。


「お帰りなさいまし、殿」

「ただいま」


 紙を二の丸に放り込み、旅話などを交えつつ、夕餉を摂る。


 麦の飯に東下菜の味噌汁、そして塩焼きの秋刀魚。


 ……せめて来年の今頃は、おかずが増えていると信じたいところだった。




 ▽▽▽




 強行軍の挨拶回りを済ませれば、当面は内向きに専念していられる。


 いよいよ水路に手を着けるのだが、とにかく、現場を見ないと話にならない。


 火打ち石などの小物を入れた打飼袋(うちかいぶくろ)を腰に巻き、茹でた浜芋と煮干しの昼飯を風呂敷包みにしてたすきに掛ける。


 姫護正道も、今日は出番が……ないと嬉しいが、絶対とは言えない。

 案内兼護衛の数人も、俺と同じく小槍や鍬、あるいは鉈や手斧で武装していた。


「アン、準備はいいか?」

「はい、殿」


 今日は彼女も連れて行くが、いつの間にか、幸婆さんの履いていたもんぺのような下履きが、アンだけでなく俺にも用意されていた。


 野良仕事には必要だろうと、嫁さんや女房衆が作ってくれたらしい。

 袴は当分、行李に仕舞っておける。……あれは一張羅も同然なので、俺も気を使っていた。


 裾がすぼまっていて、こちの方が動きやすい。

 聞けば戦働きの折にも履くそうだ。


「では皆、出発!」

「おう!」


 まずは城の北東、名前もなく単に『川』と呼ばれる小川を目指す。

 今日のところは日帰りの下見で鍬も持たず、大凡の目星をつけるだけのつもりだった。


 草木を刈った城の周辺を改めて見渡せば、思ったよりも起伏に富んでいる。


 水を引けたとしても、でこぼことした広い湿地が出来上がるだけで……いや、真水があれば、最低限の用は為せるから、その後の治水次第か。


 どうしようもなくなったら、蓮根でも植えてしまおう。

 そのぐらいの気楽さが、今は必要だった。


「そう言えば、アンの使う水の魔法って、どんな魔法なんだ?」

「えっと、水を操って竜巻にしたり、水玉にして相手にぶつけたり……」

「……随分と、豪快だなあ」


 とても魔法使いらしくはあるが、俺はもちろん、アンを戦わせるつもりはない。彼女には不本意だろうが、無理せず自衛用にしておいて欲しいところである。


「それからね、水脈も見つけられるよ」

「それが一番助かるかも」


 今日目指すのは川だが、遠い将来、新たな開拓でもするなら、ものすごく頼もしい技だ。


 森に分け入り、前後を警戒しつつ獣道のような踏み跡も怪しい細い道を歩く。

 時折、竹林にも出くわすが、春などは魔妖狩りのついでに筍も掘るという。


「アン、疲れてない?」

「うん、平気」


 最悪、おんぶして帰ればいいかと割り切って連れてきたが、なかなか大したものである。

 なにせ話では川まで二里、大人だって往復十六キロメートルは結構きつい。


 一里目の休憩でわらじを脱がせて彼女の足を確かめたが、大丈夫そうだ。


「さあ、後半分だ」


 道中、幾度も振り返り、あるいは立ち止まって周辺の高低差を確認しつつ歩いたが、僅かな傾斜があるような、ないような……である。


 景色も代わり映えせず、見てすぐに分かるほどの差がない。


 工事そのものは平地で楽かもしれないが、修正に時間がとられそうである。


「もうすぐです」

「うん。……ああ、水音が聞こえるな」


 昼前になって、森が僅かにひらけ、ようやく目的地が見えてきた。


 ……小川と聞いていたが、思ったよりも大きい。


 上流は北東から来ていて、このあたりで折れ曲がり、南東へと下っている。


「綺麗ね……」

「いい水だなあ」

「味もいいですよ、殿」


 川幅は三尋――五メートル少々、水は澄んでいて水深が二尺あるかないかで、腰までは浸からないだろう。

 幸い、水の流れは緩いが、石ころだらけの河原は結構広く、雨期になれば相当な水量になると、俺にもわかった。


「川の中には、水の魔妖はいないんだったな?」

「はい」


 じゃあ、時折ちらちらと泳いで見えるのは、川魚か。


 ……この川がもう少し黒瀬に近ければ言うことなしだったが、贅沢は言えない。


 周辺の魔妖は先日狩ったばかりと聞いているが、念を入れて見張りを立てつつ、交互に休憩する。


「……」


 この川を水源として、黒瀬までどう流し込むか。


 実家の近所にあった川を思い出しつつ、あれこれと考えてみる。


 特に、流量が無茶なことになるだろう雨期に、黒瀬に被害が及ばないようにだけはしておきたいが、さて……。


 最終的には力技でも、多少でも理に適った方法を見つけたいところだった。


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