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第四十五話「水は高きより低きに流れる」


「俺が出した結論は、水不足の早急な解消だ」


 当たり前だが、人間は水がないと生きていけない。

 それは飲み水に限ったことじゃなかった。


 水資源という呼び方も懐かしいが、豊富な水は生活を豊かにする。


 黒瀬国は土地も余っているし、労働力にも不足はない。

 なのに農業にも工業にも手を出せず、貧乏をしている最大の理由は、水だった。

 

 皆を見回してから、俺は手元の膳に目を向けた。


「特に問題だと思ったのは、水があれば買わずに済む物を、わざわざ余所から買わなきゃいけないことだ。……最初から米を作りたいなんて贅沢は言わないが、まずは野菜だけでも、今の倍、いや、五倍は皆が食べられるようにしたい」


 黒瀬は魚こそ豊富だが、それ以外の穀物や野菜はとなると、外からの買い付けに頼っていた。……その上、量その物が少なすぎる。


 スルメや煮干しといった俵物や、僅かに収穫されるワカメ、昆布などが生み出す年百両の小物成は家臣の俸禄に消え、魔妖討伐の収入は日々の食を補いこそすれ余力を生まず、成長の芽を摘んできた。


 これら外に流れて行く金を、なんとかして止めなければ、黒瀬はいつまで経っても貧乏を抜け出せない。


「しかし殿、水と申されましても……」

「一番近い水源は隣国飛崎の井戸なれば、とてもとても……」

「こちらと同じく、水量豊富とは言えませぬ。まだ皆でため池を作る方がよいのではないかと、某は思いまする」


 もちろん、国主不在となっている飛崎の扱いは、俺の考えでどうにか出来るものじゃない。


 これも都からの返事待ちだが、新しい国主が来るか、廃国されてうちか浜通に組み込まれるか……今は居残った者だけで暮らしを立て直そうとしているが、難しいだろうという話だった。


 それらは横に置いて、話を戻そう。


「その通り。

 ……だが、もう一つあるだろう?

 魔妖狩りの際、北東の『川縁』に陣を張ると聞いたぞ。つまり……川があって、そこには水があるわけだ。これを使わない手はないと思う」


 地図の上では黒瀬の領国外であるが、俺には切り取り次第の許状があるので問題なかった。

 わざわざ魔妖の住む場所から水を引こうという者も、滅多に居ないだろうが……。


 ともかくこの川を水源として、小さな川を黒瀬に引き込む。


 無論、船が通れるような運河堀じゃない。

 幅数十センチ程度、農業用水路のイメージである。


「しかし殿、あそこからでは優に二里はございますが……」

「うん、およそ二里で、獣道程度だが道もあると聞いている」

「それに水路を掘り抜くような技も、財貨も人手も、我らにはございませんぞ」

「ああ、俺にもないな」


 二里、およそ八キロメートル。


 間に大きな丘陵など、特別な難所がないことは確認済みだ。

 城からも、川こそ見えなかったが周辺は遠く見渡せる。


「俺も無茶を言っていることは承知だ。

 ただまあ、水は高いところから低いところに流れる……ということは、流石に知っている。

 当たり前だが、とても大事なことだ。これを利用する」


 俺には現代の道具があっても使いこなせないし、それこそ伊能忠敬でも呼んでこないと、正確な高低差なんて計測のしようがない。


 ただ、大倭にその技術があることも間違いなかった。

 三州には立派な運河もあったし、石垣を高く積み上げた大きな城だってある。

 つまり、技術はどこかの誰かが持っていて、それを商売にしているか、または大名に召し抱えられているのは間違いないだろうが……。


 しかしそんな技術者など、金が掛かりすぎてとても呼べるわけがなかった。

 

「幸い、城の東には誰も住んでいないからな。

 上流の引き込み口と中流までの水路、これは強引に掘り抜くつもりだ。川が『流れてる』って事は高低差があるはずで、多少は不正確でも構わないだろう。

 それが出来上がったら、あとは水に任せようと思う」

「……は?」




 先ほども口にしたが、水は高いところから低いところに流れる。


 これを利用すれば、一番低い部分が確定するわけだ。


 同時に、流れが決まってから区分けなり治水なりした方が労力も少なく済むし、その流れは土地の一番低い部分となり、排水路が自然に生まれる。


 将来、水田の整備まで考えれば上流にはため池か分水路が必要で、水害も恐いし、どちらにしても、田の水抜きには排水路が必要となり……損はない。


 最初のうちは極小の水量で、半日とか一日とか細かく区切って水を一定量溢れさせ、流路を見極める。


 黒瀬の集落は城の内側で高くないながらも石垣に囲われており、水路絡みでの水害はほとんど心配ない。


 不都合があるならこの時に堤を作ったり掘り下げたりして修正すればいいし、元より運河堀のような、取り返しがつかないほど大規模な工事ではなかった。


 取水口なんて立派な物は作れなくても、元のように土で埋めるか、あるいは岩でも放り込んで水をせき止めてやればいい。


 無論、城の東側は人が住んでおらず田畑もない場所と予め分かっていて、その全部が全部、黒瀬松浦家の土地だからこそ、こんな無茶も出来るのだ。


 だが、一番の懸念は夏雨の時期で、どの程度の雨量なのかは『結構な大雨でございます』としか分からず、来年は水路と共に様子を見る必要があった。




「最初はちょろちょろとした、小川にもなってないような水路でいいんだ。

 その水で余力が得られれば、また広げていけばいいんだから」


 とりあえず、水道の蛇口を捻った程度の水量でも、当初は十分だと思う。

 今の黒瀬はその僅かな水こそ、咽から手が出るほど欲しかった。

 

「ああ、掘るのは暇のある時だけでいい。

 基本は俺一人……まあ、最初の数回は案内と下調べに数人欲しいが、皆、漁以外にも忙しいだろうし、無理に働かせようなんて気は全くない。そこだけは安心してくれ」


 今でさえぎりぎりで生きているというのに、たぶん、余計に人を投入する余裕はない。


 また、水路の方に人手を取られ過ぎて、今ある収入が減るのはまずかった。……小物成は皆が今食いつなぐため、今後新たな収入を生むための計算に、最初から組み込んであるのだ。


「あの、殿お一人で……?」

「我らへのお心遣いは大変感謝いたしますが、それは、あまりにも無茶なのでは!?」

「うん、時間は掛かると思うよ。代わりに資金は最小限、作業中も黒瀬の民に大きな苦労を掛けないで済む。

 それに、何もやらないよりはましだろうし、嫁達は知っているが……俺は体が大きいだけでなく、力も普通じゃない。何とかやりきるさ」


 ぐっと力こぶしを作って皆に示す。


 嫁さん達は大きく頷いてくれたものの、家臣からの反応は微妙だった。

 先日、人の倍ほど薪束を山積みして、野原と城を往復したばかりなんだが……あれでは足りなかったか。


 まあ、実際に俺の仕事ぶりを見せれば、納得させられるだろう。

 

「あの、殿」

「アン?」


 アンの控えめな声に、頷いて続きを促す。


 最初は彼女の金の髪と碧の瞳に皆も驚き、遠巻きにしていたようだが、俺の側室であるという遠慮はあるものの、今は和子や静子と同様に『奥方様』として遇されている。


「わたしも、お手伝いできるよ。……じゃない、出来ると思います。

 水の魔法は元から得意だし、今ならフローラ様のご加護もありますから」


 確かに、龍神は水の神様でもある。


 助けて貰えるなら嬉しいが……そうだった、こっちの神頼みは、実際に力が振るわれることだってある。


 もしも助力が得られたら、いや、得られなくても、お社ぐらいは建てた方がいいかもしれない。


 相身互いとフローラ様は楽しげですらあったが、どう考えてもこっちの方が借りっぱなしである。


「じゃあ、その時は頼むよ」

「はい、殿」

「俺としては、近隣への挨拶言上が終われば、早速始めたい。

 けれど、この水路も思いつきをどうにか形に出来ないかと考えただけで、手をつければ問題も出てくるだろう。

 本当にどうにもならないようだったら、また別の手……例えば、海産物の加工などを強引に前倒しをすることとしたいが、皆、どうだろうか?」


 議論は、起きなかった。


 嫁さんや資子殿、戌蒔らは賛成、元黒瀬の家臣団は互いの顔を見て頷いた後、民に負担が掛からぬのであればと、俺の策を認めてくれた。


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