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第四十三話「猫で思い出す鰹節」


 南は海とその向こうの水平線、北はだだっ広い野原と葉を落とした僅かな木々と、遙かに雪を被った山が見える。


 天守の頂部からは、黒瀬の国中がぐるりと見渡せた。


 気分転換には丁度いい。

 書類仕事や相談に飽きていたのも間違いないが、ない知恵を絞るのは結構疲れるのだ。


「これは……大したもんだなあ」


 真下には、高台に乗った天守と城下『村』と港を囲う低い城壁があり、小さいながらも俺の――松浦黒瀬守の国だなと、満足感を与えてくれる。


 周囲は城の間近にある小さな畑や小屋、そして西の甲泊へと伸びる道以外、雑草と灌木だらけの原野だが、そのうち開墾してやると、俺は意気込みを新たにした。


「へい、この天守は五人も上がれば狭くとも、城の周りは背の低い木も一本残らず()ってございますんで、昼間なら小せえ魔妖も見逃さねえってもんです」


 見張りの梅吉がうんうんと頷いていたが、俺は景色の方に気を取られていた。


 この意識の差……いや、俺の方がここのやり方に慣れる方がよいのだろう。


 黒瀬の価値観は、身の安全と食が第一なのだ。


 都や三州美洲津、鷹原橋本の人々がだらけていたわけではないが、魔妖よりは政敵、日々の糧よりも礼儀作法と、重要視される事柄の方向が違いすぎて比較にならない。


 今のところ、黒瀬が鷹原に比肩する『大きな』細国になれるかどうかさえ微妙だとしか言えない。少なくとも『食いつなぐこと』を第一の目標に据えることだけは、動かせなかった。


 その食事だが、基本は雑穀の粥と魚、そこにわずかな漬け物が加わると、それでおしまいである。

 しかし、これが三食続くわけで、栄養価も問題だが、まずは量の確保が先決だった。


 無論、殿様だからと俺だけに毎食鯛の尾頭付きが出てくるようなうまい話はないし、そんなことをすれば人の心が離れるだろう。


 どちらにせよ、早急に手を打つ必要があることは、否めなかった。


 買い付けに使った以外の余剰金も、全てを食料に回せば……食うだけなら来年いっぱいぐらいはなんとかなるだろうが、嫁さんや女房衆が耐えられる時間がどのくらいかは難しい。


 都暮らしとかけ離れた生活、特に食生活はストレスになるだろう。


 また旧来の黒瀬国衆にしても、戸惑いはあると思う。

 金は幾らか持ってきたものの、大名が代わり二割も余所者が増えたわけで、従来のやり方そのままとは行かず、見えない苦労を掛けているはずだった。


 その溝を埋めるのは、甲子丸が買い付けた食糧を積んで戻ったときがいいかなと、漠然と考えている俺だった。


「ん?」


 船戦の鍛錬に出ていた太平丸が戻ったのか、港の方が活気づいている。

 俺は気晴らしを兼ねて、迎えに出ることにした。


 どこをどう頭を捻っても懐の切り詰めようがなく、殿様の『振り』をするのにも疲れていたのだ。


 家老の信且『殿』などは俺の親父と同年代だし、鷹原のお殿様を見習って気さくな、それでいて殿様らしい雰囲気を真似しようとしたが、これがとてつもなく難しい。


 やっぱり尊敬すべき人物だったんだなあと、今更ながらに思い知る。


「お供します」

「うん」


 すっと現れたのは、朝霧だ。


 頷いて、背を任せる。


 天守脇の二の丸――本来はお殿様の居住空間らしいが、作業場や台所も兼ねており、楔山城ではそちらが主体だった――からは少しばかり黄色い声も聞こえるが、嫁さん達と女房衆が読み本の題材にするおとぎ話を選んでいるのだろう、楽しそうで何よりだ。


「そう言えば、朝霧」

「はい、松浦様」

「忍の給金や俸禄って、どうなってるんだ?」


 戌蒔には旧舵田家の上士身分である源五郎、松邦と同じ年に五両と一人扶持を約束したが、残りのお庭番衆の給金はどうしたものか、まだ答えが出ていなかった。


 大体だ、都に立派な本拠があって、帝家から内親王の警護を任されるような信頼を得ている忍者集団に、一体幾ら出せば納得して貰えるというのか。


 ……隠れ里どころか、黒瀬国を丸々差し出しても釣り合わないだろう。


 それでもなお従ってくれるのは、信義と友誼、それに加えて(まつりごと)――和子の件も含んでのことなんだろうなあとは思うが、多少は俺の将来性も買って貰えていると思いたい。


「申し訳ございません、私は知る立場になかったので、お答え出来かねます。

 物入りの時には、その都度理由を話して蔵方(くらかた)より与えられていましたが、私は党首の孫娘でしたから……」

「そっか……うん、ごめん」

「いえ」


 玄貞殿への報告と相談は既に戌蒔と話し合い、連絡も頼んでいるが、返事が来るのは年が明けてからの予定だった。

 大社の『ゆめうつつのまくら』ほどではなくとも、手紙というものは、早く送れば高くつくのは仕方がない。


「あ、お殿様!」

「お殿様、太平丸が戻りましたよ!」


 集落に降りれば、屋根の上にいた白い猫には無視されたが、声を掛けられ丁寧な礼をされる。


 少なくとも、舵田黒瀬守殿の命を奪いに来て国主に成り代わった悪党大名……という扱いじゃないので、俺もあまり気にしていなかった。


 彼は俺も守るつもりでいたんだろうか。


 過ぎたこと、というにはまだまだ時間も経っていないが……いや、有り難く受け取る以外、俺に取る道はないのだ。


 (かぶり)を振って、気分を入れ換える。

 今は目先の豊かさ、『食いつなぐこと』が大事に違いない。


 他の全ては、その後だ。


「うん、ありがとう」


 こちらも奥さん衆に軽く一礼し、子供には手を振り、白猫には知らんぷりをされつつ、太平丸へと向かった。


 黒瀬では悠長に猫を飼う余裕なんかない……というわけではなく、ねずみ避けには欠かせない大事な蔵番なのである。


「殿!」


 源五郎の声に太平丸に目をやれば、今日は矢盾の代わりに、空いた樽を使った大きな浮きが乗せられていた。


「源五郎、ご苦労」

「見て下され! 本日は大漁でございますぞ!」


 桟橋から運ばれてきた樽を覗き見れば、二度の航海で姿を覚えた(かつお)(あじ)やカマスの他にも、赤や緑のカラフルな魚が混じっている。


「へえ、色とりどりだなあ」

「こっちの樽はイカでござる。さあ皆の衆、頼むぞ!」

「へい、頭ァ!」


 イカの刺身は俺も大好きだが、黒瀬では貴重な外貨の収入源であるスルメの原材料なので、生でそのまま食べるような贅沢は滅多にしないそうだ。


 こちらの保存食は、当たり前だが乾物が基本だ。

 もちろん、漬け物のような塩漬けや、焼き干しのような物もあるが、魚に限らず生の肉類は運んで売ろうにも冷蔵庫がなく、あっても氷室のようなものではどうしようもない。


 浜に出てきた水主の奥さんらが壊れかけの樽を台にして手際よくイカを捌き、串のようなもので見慣れた形状に身を開いていく。


 実際に見るのは初めてだが、どことなく見慣れた風景に、俺は小さく笑った。


 今日の仕事は済んだのか、猫が貰った小魚をくわえ、村へとゆっくり帰っていくのを見送る。


「ん……?」


 猫……猫に鰹節。


(かつお)がどうかされましたか、殿?」

「いや、スルメは作るのに、鰹は鰹節にしないのかと……」


 源五郎は口をへの字に曲げ、ため息をついた。


「そうしたいのは山々ながら、製法が不明で……。

 殿はご存じないでしょうが、あれは海を挟んだ蓮州の向こう硯州の特産、製法は秘中の秘とされとります。()(かつお)ならここらでもたまに作りやすが、味が比べ物になりませんで……」

「干し鰹?」

「日持ちはする、出汁はとれなくもない、旨くはないが食えなくもない。ですがとてもとても、鰹節のようには……。

 作る手間は大したもんじゃありやせんが、売ったところで手間賃ほどの値もつきやせん。すぐに食った方がましでさあ」

「鰹節の作り方なら、なんとなくは知っている。……と、言えば、源五郎は驚いてくれるか?」

「へ!?」


 ……テレビで何度も見たからなあ。


 そっくりそのままとは行かないだろうし、カビを付けて作る枯節(かれぶし)は無理だろうが、荒節(あらぶし)なら、何度かチャレンジすれば行けそうだ。


「俺は飛ばされ者だからなあ。

 こっちの常識は知らない代わりに、元いた場所の知識や知恵で補いをつけてるんだ」

「ああ、なるほど。都のお生まれだとばかり思っておりやした」

「でも、秘中の秘なら、うちが勝手に作ったら硯州に睨まれるかな?」

「どうでやしょうなあ……」


 無論、鰹節が原因で硯州なんて大国と揉めるのは、戴けない。


 ……戴けないがしかし、使えそうな手は全て使わないと、黒瀬は立ち往かないんじゃないかとも思ってしまう。


「源五郎、俺は干し鰹というものを食べたことがないんだ。面倒だろうけど、作って貰えるかな?」

「干し鰹ならば、城の蔵にも飢饉に備えた物が幾らかござったと思います」

「ありがとう、後で確かめてみるよ。

 比べてみて……もしも誤魔化せそうなら、黒瀬の干し鰹はちょいと高いが値段の割に美味い、なんて口上と一緒に、作って売ってしまおう」

「はっはっは、殿は意地悪であられますなあ!」

「ふふ、製法を秘密にしている硯州ほどじゃないさ」


 鰹節もどきが駄目なら駄目で、西洋風のアンチョビやオイルサーディン、ツナ缶、ペミカン……っぽい物でも仕込んで売るか。


 オリーブオイルは手に入るか微妙だが、菜種油で十分だろう。

 味が受け入れられるかはともかく、十分日持ちはするし、たぶん、目新しく見えるはずだ。


 いやはや、バラエティ番組様々である。


 俺は水揚げされた魚について源五郎に教えて貰いながら、頭の中であれこれと思い浮かべていった。

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