第四十一話「◎」
間に合わないことは分かっていたが、俺はすぐさま城にとって返した。
「……こちらです」
「……うん」
城門から入って左手、黒瀬衆が集まっており、筵の上に黒瀬守が血塗れのまま寝かされている。
「あ、松浦様……」
「……失礼する」
近づけば、黒瀬守の表情は全てをやり遂げた満足げな顔……ではなく、ようやく重荷から解放されたという風に見えてしまった。
ついさっき、色々とぶちまけたのは、俺にそれを――黒瀬の未来を背負わせる為か。
……俺がそう思いたがってるだけかもしれないが、全くの的外れとも思えない。
しかしそれ以上に、俺は俺の間抜けさに、腹を立てていた。
してやられた、という気分も大きい。
黒瀬守の死は、止められた死だった。
少なくとも、俺が気付いていれば、遅める事は出来ただろう。
「……」
ほんの一時、話しただけの相手だが……少なくとも悪党じゃなかった。
それを知れただけでも、よかったのだろうか?
「……」
場所を譲られて、静かに、手を合わす。
その死を、無意味とするか是とするかさえ、俺に投げられていた。
……だがな、舵田黒瀬守殿。
重荷というなら、俺だってもう、十分背負っているんだ。
わけの分からないまま知らない世界に飛ばされて、三人の嫁さんと、一緒に着いてきた資子殿ら女房衆も食わせていかなきゃならないし、下手すると、大倭最大最強の武州を敵に回して……ああ、もう今の時点で敵だろうな。
それに比べれば、黒瀬国とあんたの家臣を背負うぐらい、全然、なんともないんだぞと、俺はその死に顔に頷いて見せた。
「……すまないが、家臣の筆頭は誰になる?」
「はっ、某にございます!」
傍らで俯いていた中年男が声を張り上げ、改めて俺に膝を着いた。
「名は?」
「はっ! 家老、柱本信且と申します!」
「色々と話したいことも、共に考えたいこともあるが……まずは、舵田黒瀬守殿の葬いをしたいと思う。こちらも、手伝いを出す。いいか?」
「はっ、ありがたく!」
何かあれば言伝るようにと忍を二人残し、丁寧に運ばれていく舵田黒瀬守に一礼してから、俺も甲子丸へと戻ることにした。
「松浦様」
「ごめん、犬槇。……報告があるんだっけ?」
「はっ。実は――」
犬槇の報告は、俺を驚かせるに十分だった。
「海賊は狂言だって!?」
「甲泊では真実の噂とされておりましたが、浜通、南香は被害があった様子もなく、代わりに飛崎から流れてきた者達が家を建て漁を手伝い、新たに暮らしを立てようとしておりました」
「じゃあ、最初から最後まで……」
「そのようです。浜通、南香にも話を着けていたのでしょう。飛崎の民をさらうと見せかけて逃がし、戦火の及ばぬよう手配を済ませ、一部の家臣をも引き込んでいた、と」
先ほど居並んでいた中にも、飛崎の元家臣が混じっているという。
後ほど朝霧に読んで貰った舵田黒瀬守からの書状にも、自領黒瀬国のみならず、飛崎の元家臣と民のことを頼むと書かれており、俺は……やるせない気持ちでもう一度、黒瀬楔山城を見上げた。
▽▽▽
準備に一日、通夜を営んで、本葬。
民家を借り上げるにも余裕がなく、引継を宣言しないまま俺達は楔山城に間借りしていた。
そりゃあ最初から余裕なんてないだろうと思っていたが、嫁さん達と話す暇もない。
既に甲子丸は黒瀬を発っていたが、義三郎殿に百両ほど渡して、もう一度、『米以外』の雑穀や生活用品を積んで戻ってくるよう頼んでいる。
こちらの食糧事情は、誰かと相談するまでもなく最悪に近かった。魚こそ命を繋げるほど豊富だが、人が魚だけで生きていけるはずがない。
「民でなくとも、このあたりでは水葬が主でございます」
「……うん」
「坊主も神主も、甲泊までわざわざ呼びに行かねばなりませぬし、その、懐がですな……」
茶は貴重品、向かい合う柱本殿と共に白湯で喉を潤す。
先ほど執り行われた舵田黒瀬守直正の葬儀は、一国の主の葬儀としては極めて簡素だったが、居並ぶ人々の悲しみや思いこそは正に本物であった。……やはり、随分と慕われていたのだなと、ため息を内に押し込める。
そも、線香すら手に入らず刻み煙草を古紙に巻いて立てたものを代わりに使い、葬儀後に振る舞われた仕出しは白身魚の切り身の入った雑炊一杯きり、喪服など揃えられるはずもなく、侍でさえ継ぎの当たった普段遣いの袴を履いていた。
これで、うちの女房衆に大社の巫女の経験者や陰陽師の家の出の者がいなければ、遺体を土葬することさえかなわなかったのだから、三州東下の事情、恐るべしである。
無論、着せた白装束も女房衆の努力と、何かと使いでもあるだろうと持ち込まれていた反物によるものである。
墓の場所は二重になった城壁の東側、先代の隣にさせて貰ったが、墓は大名の特権のようなものらしい。
もっとも、舵田黒瀬守は『余の骸は野ざらしの打ち捨てにして、魔妖狩りの罠にでもせい』と言い残していたそうだが、裏事情まで知ってしまったからには、そのままとは行かなかった。
まったく、どこまでも真っ直ぐな御仁で、怒りも霧散しそうだ。
ついでに、今後のことについても、少し聞いてみることにする。
「話は変わるが……」
「はっ」
「舵田家の旧家臣はそのまま丸抱えするつもりだが、出奔を希望する者はいるか?」
「我ら一同、松浦様を殿とお呼びすることに、異存はありませぬ。また、飛崎の元家臣らも、仕官を望んでおります」
柱本殿は、もう一度、舵田殿の葬儀の手配について、俺への礼を口にした。
「では、そのように。ああ、それから――」
ついでに、向こう三軒両隣でもないが、甲泊の代官――東津や甲泊は三州公の直轄領である――と浜通、南香の大名へは事の次第を書いた書状を送りたいので、使者の人選を頼んでおく。
これは至急の案件であり、中央から新大名が来たという意味も含ませて、こちらからも人を出すことにした。
選んだのは忍だが、相手を探るというわけではない。
訛りのない都言葉を使える男衆が、犬槇の配下しかいなかったのである。
その犬槇だが……。
落ち着いた頃合いを見計らったかのように現れた犬槇は、俺に跪いて書状を差し出した。
「松浦様、玄貞様よりこちらを預かっておりますれば」
「ん? ……読んでくれるかい?」
「はっ」
まずは丁寧な時候の挨拶があって、次にこの書状は国盗りが成功裏に終わった場合にのみ俺に渡すこと、また許しが出るならそのまま犬槇達が俺に付き従うこと、同時に和子らの護衛も継続されること、そして……。
「隠れ里かあ……」
「はっ」
代わりに隠れ里を一つ、報酬として頂戴したい。
取引としての損得は、まだ判断がつかない俺だ。
しかし、これまで通り備一党が俺の身の回りを守ってくれるなら、これほど嬉しい申し出もないし、二つ返事で頷きたいが……そうは行かなかった。
「犬槇、玄貞殿の申し出は大変ありがたいと思うんだけど、将来はともかく、今の黒瀬に隠れ里を作れる場所はあるかな? 城より西側ならまだましなんだろうけど、正直なところ……無理なんじゃないか?」
「はっ、里の候補地は今のところ、決めかねております」
犬槇が、難しい顔で頷いた。
この黒瀬国は、領国の広さこそ近隣細国と代わらぬ大きさでも、甲泊へと続く道一本と、楔山城周辺のごく僅かな地だけがその領域だった。
人から隠れようとすれば魔妖が邪魔になり、魔妖から遠ざかればそこはもう隠れて住める場所ではない。
開墾しようにもまずは拠点を作らねばならず、その費用や人手、維持のための武力……それらを勘案すると、まだまだ力を蓄える段階なのだ。
大体、それが簡単に出来るなら、舵田殿だって領域を広げているだろう。
だが、犬槇達を返してしまうのは、とても惜しい。
「犬槇達の力は咽から手が出るほど欲しい。
ただ、隠れ里は今の黒瀬じゃ用意できないし、下調べもせずに場所だけ決めても犬槇が困るだけだ」
「はっ、ありがとうございます」
「……だからって、無報酬で働かせるのは最低だとも思う」
「松浦様……」
「そこで、玄貞殿と相談の上、ってことになるけど、一旦、俺の家臣になってくれないか?
給金……っていうか、俸禄はほんとに最低限になると思う。俺の暮らし振りだって怪しいし、思ったよりも、舵田家の元家臣が多いからなあ……。
その上で、隠れ里が作れる状況になったら、俺も協力する……というのはどうかな?」
「あの、まさか、家臣と言うことは……」
驚愕の表情を浮かべた犬槇に、もちろんと頷く。
「うん、明日からは犬槇も侍だ。……どうかな?」
新米の細国大名ではあれ、今の俺には、それが出来るのだ。
▽▽▽
開けて翌日。
俺は楔山城の天守広間――その実、今のところは俺も含め、男女で分けて雑魚寝する寝所ともなっているが……その段座に座って居並ぶ一同を前に、気合いを入れた顔を保とうと努力していた。
「家老、柱本信且」
「ははっ」
「善き哉」
挨拶言上を受け取り、『善き哉』と頷く。
「水軍奉行、深見源伍郎」
「ははっ」
「善き哉」
仕事としてはそれだけなのだが、これが実に緊張する。
「御用人、帆場松邦」
「ははっ」
「善き哉」
……だが、まあ。
「御庭番、松下戌蒔」
「ははっ」
「善き哉」
この儀式が終われば、黒瀬松浦家は無事にスタートを切れるわけだ。
連判状とでもいった風の、役職と名前がずらりと書かれた長い巻物が俺の前に広げられる。
先の上士身分とした四名に加え、下士は六名。
雑兵格は犬槇――戌蒔の部下に加え、半士半農ならぬ半士半『漁』の水主が大半だ。
巻物の一番最後、空欄に『従八位下 松浦黒瀬守一郎和臣』と書き入れ、花押――サインを入れる。
花押のデザインは迷ったが、俺のイニシャルのI.M.を崩し、一見何を書いてあるか分からない程度にぐにょぐにょとしたものに決めた。
……要は、契約書なのである。
一別して、間違いがないか確認してから、何にでも使えるかと持ち込んでいた麻布でくるみ、大事に黒漆で塗られた木箱へとしまう。……ちなみにこの木箱は、静子の私物を譲って貰っていた。
俺はうむと頷いて木箱を脇に置くと、別の麻布を懐から取り出し、皆に見えるよう大きく広げた。
◎。
布に大きく書かれた◎は、俺の――松浦家の家紋、『二重丸』である。
……実家の松浦家は確か違う家紋だったように思うが、今更調べがつくはずもなく、思い出せもしなかったので仕方がない。
分かり易く遠目にも目立つし、何よりこれに決めたきっかけは、和子と静子、資子殿の『ここまで簡単な家紋は見たことがない』という意見だった。
「皆、頼むぞ」
「ははっ」
皇歴一四八三年にして今上の六年、秋も深まりつつある霜月の四日。
俺は晴れて、細国黒瀬の大名となった。




